プライマリー・ケア医が知っておきたいうつの診断と治療
村上正人(日大板橋病院心療内科)
ASAHI Medical 2003.2.
うつ病の患者は、精神科以外の臨床各科を受診することが多いが、自律神経失調症や心身症などの診断名が付けられがちであり、正しい診断がなされていないことがよくある。一般的に多くの慢性疾患は心身症の病態を取りやすい。例えば高血圧や片頭痛、気管支喘息などは心身症としての要素を含んだ疾患であるが、その心理的背景には、うつがかかわっていることが多い。
プライマリ・ケア医を受診する患者は、不眠、食欲不振、便秘、疲れやすさ、体重減少、性欲減退、頻尿、めまい・立ちくらみなどの身体症状を訴える。初診時から憂うつ感、意欲・気力の低下、希死念慮などの精神症状を前面に訴えてくる患者は比較的少ない。したがって身体症状を診て、背景にあるうつをいかに診断するかが鍵になると言えるだろう。
[身体症状の背景にあるうつを診断する]
うつ病では、睡眠障害が90%以上に出現すると言われる。うつの患者が訴える睡眠障害は慢性的で、しばしば睡眠薬が奏効しないことがある。睡眠薬が効かない不眠症の場合は、まずうつを疑えといってもおかしくないほどである。そのような患者に抗うつ薬を一剤追加するだけで睡眠薬が非常に奏効するようになることはよく経験されることと思う。痛みについても、うつが関与する複雑な病態を呈してくる。痛みの知覚には閾値があり、閾値が上昇すると痛みの感受性が鈍くなり、閾値が低下するとそれが鋭くなり、より痛みに敏感になる。絶望、恐怖心、怒り、不安、抑うつ、疲労、不眠などがあっても、閾値が低下し、痛みが増強されるが、このような状態に、抗うつ薬を処方すると、痛みの閾値が上昇して、痛みが緩和されるものである。
消化器疾患のなかで、最もうつが関与する疾患は、過敏性腸症侯群(IBS)である。佐々木によるとIBSの約80%が心理的・社会的ストレスに対する腸管の過剰反応や自律神経機能の異常によって生じるとされるが、その背景にある心理病態をみると、うつ状態を呈するものは28%あり、仮面うつ病の形を取るものもある。学校や仕事に行こうと思うと腹痛が生じ、下痢症状を呈するなどのエピソードを有する患者のなかに、うつが腸管の過剰反応の誘因になっていると思われる症例は少なくない。
NUD(non-ulcer dyspepsia)は、functional dyspepsia(性機能性胃腸症)という呼び方もされており、以前は慢性胃炎という病名がつけられた病態である。このNUDの病態にも、しばしばうつが関与している。なかでも、運動不全型(dysmotility type)のNUDでは、物を食べても胃が拡張しない、胃が動いてくれないなど、胃の機能が低下している。うつの患者では、しばしばこの運動不全型のNUD症状を呈してくることが多く、このような場合、一般薬とともに抗うつ薬を併用すると症状が著明に改善される。
循環器疾患でしばしばうつが関与するのは不整脈である。情動と不整脈の関係についてはかなり研究がなされてきており、期外収縮、心房細動、心室性頻拍などの不整脈の背景に、不安、敵意、あるいは敵意の内向、強い強迫傾向、抑うつなどが認められるケースがしばしば観察される。情動的な背景を考慮せず、不整脈があるからと、いたずらに抗不整脈薬やジギタリスが処方されるケースがしばしば見受けられる。抗うつ薬の使用が効果的な場合も多い。
また、リウマチ性疾患にも、うつが大きく関与していると言われる。関節リウマチは、歴史的にも重要な心身症の一つに数えられ、発症と経過には情動ストレスが関係しているとされる。例えば、重要な人物との死別、別離、結婚生活の危機、性的問題、経済的な問題、身内の重篤な病気、重要人物との摩擦といった情緒的な問題が契機となりリウマチが発症したケースも報告されている。全身の関節、筋肉の慢性疼痛を主訴とするfibromyalgia(線維筋痛症)は、心因性リウマチとも呼ばれるもので、一見、膠原病類似の症状を訴える。アメリカのリウマチ専門医を受診する患者の15%はこの疾患だといわれているが、このような患者のなかに抗うつ薬がよく奏効する事例は多い。
うつの病態形成に関与する神経伝達物質は幾つか挙げられるが、なかでも重要なのは、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなどのモノアミンである。これらが絶対的であれ、相対的であれ何らかの理由で枯渇するとうつが発症するというのが、有名なモノアミン仮説であるが、このセロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンを調整しようというのが抗うつ薬の基本的な概念である。
SSRIのフルボキサミンは、基本的にはセロトニンの再取り込みを選択的に阻害する薬である。従来の三環系の抗うつ薬は、抗ヒスタミン作用に由来する眠気や体重増加、抗コリン作用による口渇や便秘、尿閉などの副作用があるため、処方の際には、知識と習熟が必要であった。最近よく使われるフルボキサミンは、三環系抗うつ薬とほぼ同等の効果を示しながら、抗コリン作用が少なく、鎮静作用が少ない、心循環系に対する影響が少なく、過量服用でも比較的安全であるなどの特徴を有しており、うつの治療が以前よりはるかに進歩したと言われる。ある外国人医師の講演で、フルボキサミンを9000mgも服用して自殺が遂行されなかった事例があると聞いている。また、基礎疾患を多く有する高齢者にも比較的安心して使えるというメリットもある。
[シグマ受容体の新たな効果]
フルボキサミンには、セロトニンに対する特異的な働きだけではなく、シグマ受容体に対する効果があるとして新しい話題が取り上げられている。昨年8月、横浜市で開かれた世界精神医学会で、カリフォルニア大学のStahl教授が発表したものだが、シグマ受容体二が親和性が高く、2次的薬理活性を有しているために他のSSRIとは異なる効果が期待されることが分かってきた。シグマ受容体は、脳や全身の臓器にも分布しており、最初はオピオイド(脳内麻薬様物質)のリセプターとして誤って分類されていたほど両者は非常に似ている。
NMDA型グルタミン酸のリセプターは、脊髄後根の痛覚伝達に関与しているが、SSRIはこのNMDA型に作用して痛みを緩和させる。演者もSSRIで慢性、難治性の腰痛が劇的に改善されたという自験例を数多くもっている。さらにうつに対する効果だけでなく、SSRIの効果が期待される他の障害としては、パニック障害、強迫性障害、摂食障害、慢性疼痛、不安障害、月経前緊張症にも有効とされ、外国ではかなり幅広く使用されている。
今後さらに研究・開発が進み、プライマリ・ケアのうつ病の診断と治療がより発展することを願っている。