身体表現性疼痛障害

佐藤 武  (佐賀大学保健管理センター)  Pain Clinic 2003.6 Vol.24 No.6


1.身体表現性疼痛障害とは

胸痛,動悸,腹満,めまい,虚弱,仕事を休む,一冒、切れ,頭痛などの症状があって,十分な身体検索を行っても,原因が同定できない身体愁訴に出会ったら,どう診断すればよいだろうか。器質的な要因を除外して,残された最後の診断カテゴリーとして,身体表現性障害が存在する。患者の愁訴は,地域や状況などの文化社会的背景によって,その表現は多彩である。本邦では,「不定愁訴」「自律神経失調症」「更年期障害」などの診断名を用いる医師も多く,痛みの愁訴の場合は「慢性疼痛」と診断しているだろう。ストレスがうまく消化されずに,体の症状として表現されているという意味である。身体表現性疼痛障害は,広い意味で身体表現性障害の中に含まれる。身体の一部に限定した痛みもあれば,身体のあちこちに分散する痛みの場合もある。環境や状況によって,痛みの程度は変化しやすい。ICD-10における身体表現性疼痛障害の診断基準では,「主な愁訴は,頑固で激しく苦しい痛みについてのものであり,それは生理的過程や身体的障害によっては完全には説明できない。痛みは,主要な原因として影響していると十分に結論できる情緒的葛藤や精神的社会的問題に関連して生じる。結果的には,個人的であれ,医療的なものであれ,援助を受けたり注意を引いたりすることが著明に増える。うつ病性障害や精神分裂病(統合失調症)の経過中に生じる心因性起源と推定できる痛みをここに含めてはならない」と定義されている。米国精神医学会によるDSM-IVの診断基準「疼痛性障害」では,「1つまたはそれ以上の解剖学的部位の疼痛が提示されている臨床症状の優位な焦点であり,かつ独立した臨床上の関与を促すのに十分な重症度を持つ。疼痛は臨床上顕著な苦悩や社会や職業またはその他の重要な領域における機能上の障害を引き起こす。心理的要因が疼痛の発症,重症度,増悪や維持に重要な役割を持つと判断される。疼痛は気分障害,不安障害,精神病性症状により十分に説明できず,かつ性交疼痛症状に適合しない」と定義されている。要するに,痛みがあって社会的な生活に支障が生じているが,現在の医学のレベルでは身体医学的に説明がつかないという障害である。

2.病気行動と病者役割の理解が重要

痛みを客観的に捉える指標がない限り,痛みに悩む患者の理解を深めるために,様々な概念が提唱される。その代表的なものとして,病気行動(illness behavior)と病者役割(sick role)がある。痛みを撲減できる治療法が確立されていないため,痛みに脳む患者は様々な医療機関を転々とすることになる。ここに,病気行動という理解が必要になってくる。病気行動は保健医療行動,疾患行動,疾病行動とも呼ばれているが,社会学者Mechanicにより提唱された概念である。それは,病気に際して病人が症状に関心が向き,援助を求める行動の総体を病気行動であるとし,救助行動の分類や医療機関を受診する行動に感心を抱き,その過程での病気行動の決定因を見出し,決定因と症状の認知や特徴,症状の破綻や持続の有り様,状況により代償される症状の必要性とその解釈,治療の有用性と治療費の関係などからなる。問題となる異常な病気行動を防ぐには,治療を円滑に行うためのアプローチが重要である。すなわち,医療者は患者の年齢や社会文化的背景を考慮し,十分な時間をかけ,わかりやすい言葉や方法を用いて,健康状態の維持や管理に関するアセスメントを行い,患者にみられる異常な体験・思考・気分・行動の改善に努めるという姿勢である。一方,病気行動を説明するために,Pearsonsは,人は社会的な役割を十分に遂行できなくなった時,社会は病者としての役割を認めることで対処するという病者役割の概念を提口昌した。病者役割は4つの基本的な要因から構成される。@社会的役割や仕事が遂行できなくなることは患者の意志の統制下にはなく,すなわち患者がうまくやっていけないのではなく,病気のためにそのような状態を引き起こし,治療を受け入れれば以前の社会的役割は回復できる,A病気であると考えられることで,患者は社会的役割から一時的に解放される,B病気であることは患者にとって望ましいことではなく,患者は回復をめざして救助行動をとる,C病者役割を受け入れる患者は医療を求め,治療に順応する,からなる。すなわち,患者と医療者の間では,痛みの客観的な指標がないため,どの程度痛いのかが評価できないが,医療者は患者の痛みを理解し,その治療を施さなければならない。病者役割が意図することは,患者の苦悩と医療者や患者を包む人々の捉え方を埋めるために,痛みを病気として捉え,患者としての認識を高めようという背景がある。病者役割は患者側にとっては有利な,ありがたい概念である。いずれも,痛みを病気として提え,その理解を社会医学的に深めようとするために考え出された概念である。

3.否認と感情抑制が背景に

痛みを主訴として,受診する患者はすべての診療科でみられる。痛みを心理的要因か器質的要因かに区別することは不可能であるが,受診する診療科によって,その深刻度は異なるだろう。そこで,まず,精神科とペインクリニックではどのような違いがあるのだろうか。身体表現性疼痛障害で受診する精神科外来患者とペインクリニック外来患者で,病気行動調査票Illness Behavior Questionnaire(IBQ)を用いた調査を行ったことがある。対象は,身体表現性疼痛障害と診断される精神科外来患者43名とペインクリニック外来患者40名である。方法は,IBQと一般健康調査票(GHQ-30)を患者の同意を得て記入してもらった。なお,IBQとはPilowskyが問題となる病気行動の背景にある心理的問題をスクリーニングする目的で作成された質間票である。その評価項目として,@病気への不安や心気,A身体疾患があると考え,医師による保証を受け入れがたい,B心理的な援助を必要とする,C自分の感情を表現することが困難である,D不安,抑うつ,緊張した気分を示す,Eストレスや困難を否認する,F対人関係における障害,が含まれている。その結果,GHQ-30では精神科患者が有意に高いスコアを示した。IBQでは精神科では疾病への心理的および身体的認知と感情障害が高く,ペインクリニックでは「否認」が有意に高いという興味ある知見が得られた。ここで重要なことは,一般に痛みがあれば,少なくとも何らかの心理社会的問題を伴うことが一般的であるが,ペインクリニック外来患者では,自分の痛みを身体的なものとして捉え,心理社会的問題(ストレスや困難)を認めたくない傾向(否認、)が示唆されたことである。ここにペインクリニック外来患者の治療の難しさと治療的アプローチのヒントがある。つぎに,痛みはどの診療科で治療を受けるのがよいのか,疑問を抱いたため,とりあえず,精神科で痛みの治療を受けている患者と精神科を受診しているが,ペインクリニックや整形外科などの他科の治療も同時に受けている患者とを比較することで,患者への理解が深まるのではないかと考えた。そこで,身体表現性疼痛障害患者における治療モデルの有効性を検討した。すなわち,痛みを訴える患者に対して,精神科医主導型モデル群29名と精神科と他科医の共同治療群14名(整形外科3名,循環器内科2名,産帰人科2名,泌尿器科1名,一般外科1名,皮膚科1名,耳鼻咽喉科1名,ペインクリニック1名,口腔外科1名,小児科1名)の2群間の有効性を心理検査により比較検討した。心理検査については,同様にGHQ-30とIBQを用いた。GHQ-30による比較では,両群に有意差はなかった。IBQによる比較では,連携治療モデル群の患者は,精神科主導型モデル群の患者と比較し,心理的問題の否認,感情表現の低下および身体症状への置き換えを特徴とする「感情抑制」のスコアが有意に減少していた。連携治療モデル群では,患者はより苦悩や不満を表現している可能性が示唆されている。すなわち,痛み患者の治療場面では,もっと自分の気持ちを表現できる安らぎの場の提供が重要であることを示唆している。以上の2つの研究から考えられることは,痛みを心理的問題と考える患者は精神科を受診し,痛みを身体的問題と考える患者はペインクリニックなどの精神科以外の診療科を受診しているということであろう。患者は自分の解釈モデルに従って,診療科を決めている可能性があり,心理的要因を認めようとしないペインクリニック外来患者が治療上,難しい可能性が示唆される。従来から,内向性の性格傾向を持つ患者は自分の気持ちをうまく表現できなといない傾向が指摘され,感情抑制・アレキシシミア・病気行動との関係から,自分の感情を言語化できない患者は,心身症の患者に多くみられ,病気への確信,心気的,感情抑制,イライラ感,性格上の問題も報告されている。いずれも,慢性疼痛に脳む患者へどのような心理的アプローチを提供すればよいかを考える上で,重要である。

4.間主観関係とは

斎藤によれば,「医師である私」と「患者であるあなた」は,どちらも,それぞれ独自の考え,感じ方,感情,個性をもった人間であり,それぞれの主観を持った存在であると述べられている。すなわち,医師ー患者関係は,お互い個性をもった二人の人間の相互関係であるから,本質的に両者は平等である。このような関係を「間主観関係(intersubjective relationship)」と呼ぶことができるし,単に「人間関係」と呼ぶこともできる。このような関係が成立するにあたって,最も有効かつ重要なコミュニケーション機能は,「理解」と「共感」であるが,もろもろの個人的感情も良きにつけ悪しきにつけ,その機能を発揮する。痛みにおいては,相互の主観が噛みあいにくい症状であり,そこに何かが介在する必要がある。すなわち,痛みに悩む患者が診察室で医師とよい治療関係を維持していくには,「痛みは病気である」という病者役割を認めてあげることで医師ー患者関係が成立するように思われる。患者の診察によって得られた医師の痛みに対する感性は,あくまで主観的なものでしかありえないが,それをさらに間主観(他者の主観との統合)的なものとし,客観化する能力が医療者の臨床経験ならびに臨床力であると思われる。そこでは,細かい現病歴をとっていく,終わりのない希望(改善する可能性)を与える,などのプロセスを通して,積極的に患者と治療同盟関係をつくるように働きかけなければならない。最終的には,患者自身が痛みをより客観的な現象であると間をおいて捉えられるようになることが治療目標である。

5.身体表現性疼痛障害の誘因と対応

一般に,身体表現性障害の誘因としては,子供の成長や独立に伴い,夫婦2人だけの生活となり,家族構造の変化が誘因となっている場合が多い。また,夫婦間の慢性葛藤(日本では最近,熟年離婚が増えている)から,中年になって社会的に孤立し,自ら困難に立ち向かって問題を解決しようとする能力が低下している場合も多々ある。このように,家族を中心とした人間関係がうまく機能しないために,身体症状として表現されている可能性を留意する。身体表現性障害に脳む患者の中心的なテーマとして,これまで長い間子育て,家事などの仕事に追われたが,やっと自分が援助を受けられると考え,誰かから援助を受けたいとの依存的な思考を抱くが,それを受け止めてもらえない不満が身体に表現されているのではとの仮説がある。このような甘えともとれる行動に対して,治療者はネガティブな感情を抱きやすく,「嫌な困った患者」との印象を受けやすい。患者が置かれている状況を十分に言葉として表現できるように,言語化を促進することが治療目標である。したがって,身体表現性障害における精神療法の基本的指針は,@病気の存在は否定せずに,患者の現在の苦痛の意をくむ,A完全予約制の外来治療,B治療を断ち切らない,C症状を取ろうと力まない,D薬物療法は害にならない薬物を継続投与し,減薬,断薬,変薬は慎重に,E症状が改善してきたら,「良くなった」とサポートしない,F感情の言語化を促進する,などの心構えが提唱されている。治療は長期に及ぷのは一般的である。

6.身体表現I性疼痛障害はチーム医療が大切

身体表現性疼痛障害はチーム医療にもっていくことが効果的であるといわれている.Hosakaらは,身体表現性障害の治療モデルとして,@…般医主導型(精神科医のアドバイスをもとにして)、A精神科主導型,B一般医と精神科医の共同治療型の3つのタイプをあげている。それぞれのモデルには,チーム医療により,治療関係が強化される場合と限界がある場合がある。以下に,チーム医療の成功例と失敗例を示すが、依頼の際にどのように工夫が必要かを述べる。

【成功例】60歳,女性(一般医と精神科医の共同治療型)退職時の10年前頃より,頭痛やめまいが出現するようになり,56歳時にメニエール病の診断で手術を受けた。術後,不安・不眠・軽度のうつ症状を訴えるため,精神科へ依頼された。頭痛が出現した頃,娘が結婚して自宅を離れ,家の中が寂しくなったことを告げた。術後の経過観察のため,耳鼻科医を受診すると同時に,精神面の経過観察を目的に,精神科の通院も行い,その後の経過は良好である。

【失敗例】59歳,女性(精神科医主導型)長期間の慢性頭痛を持つ女性,50歳時閉経後よリ,症状は増悪.麻酔科で神経ブロックを数回受けたが,頭痛は改善せず,症状を深刻に訴えるため,精神科医に依頼された。数年間,精神科治療を受けたが,頭痛は改善しなかったため,通院は途絶えた。
【失敗例】39歳,女性(一般医と精神科医の共同治療型)頭痛,耳鳴り,動悸,めまいなどの症状が出現するようになり,身体が揺れるような感じが続くため,一般医の治療を受けた。そこで明らかな異常がないために精神科医に依頼された。患者は身体的な異常があると確信しているが,精神科医の診察に際して,義父が痴呆となり,その介護に疲れていることを語った。3ヵ月間精神科治療を受けたが,通院が途絶えた.その後,突然失神を起こし,軽度の心電図異常のため,循環器内科に緊急入院.入院中,明らかな異常をみないため,再び,精神科に依頼された。しかし,患者は「身体上異常がなければ結構です」と,精神科治療を拒否した。以上の症例を考察すると,一般的に痛みを心理的問題と考える患者は精神科へ受診し,痛みを身体的問題と考える患者はペインクリニックや整形外科などの他科の診療科を受診するだろう。すなわち,患者は病気に対する自分の解釈モデルに従って,診療科を決めている。痛みを訴える患者は誰でも,心理社会的問題を抱えているわけであるが,それを認めようとせずに,一般科医の身体的治療に固執している患者の治療が最も難しい。現在のところ,身体疾患は病気として認められやすいが,精神疾患への捉え方はその段階までには至っていない。ここに身体表現性障害における精神科治療の難しさがある。さらに,身体表現性障害に対する患者と一般医の捉え方に食い違いが生じやすく,治療的には病気として双方が捉えられ,そのギャップを埋める作業を通して,治療関係が確立される。このような問題に対して,英国では,re-attribution modelという一般医の身体表現性障害へのアプローチが提唱されている。re-attribution modelとは,患者が考えている病気に対する物語をもう一度再構築することにある。そのプロセスとは,@Feeling understood(患者がどうして,このような病気に至ったのかという物語を傾聴),ABroading the agenda(現在,患者と話し合っているテーマを広げていく作業),BMaking the link(そのテーマを心理的な問題とつなげる過程),CNegotiating further treatment(これからどうしていけばよいかという問題に対して,患者と交渉する作業)からなる。このプロセスが円滑に進めば,精神科医の治療にうまくバトンタッチできるのではないかという期待がある。一方,分かち合う力shared powerという考え方があり,それは医師の倫理的な側面に目を向けると,医師は力の独占を維持するよりも,可能な限り患者に力を分け与えるように努めることを意味する。医師は医学的知識と技術,影響力,社会的地位と権威を同時に持ち合わせるが,倫理的に反しないで,その力を使用していく必要がある。患者が自分自身の健康を求める際に,より強力なパートナーとなるのであれば,医学的役割を果たす医師の力は,小さくなったのではなく,より大きくなったのだと実感するだろう。すなわち,長期的に患者の健康を維持することが医療者の使命である。そこで,強力なパートナーとなりえた時(信頼感が生まれる段階),一般医は精神科医へ依頼しやすくなると思われる。以上,総じて,身体表現性障害の治療に関して,治療初期は一般医による治療が行われ,その後一般医が精神科医へ紹介できるような段階に至れば,一般医と精神科医の共同治療が望ましく,徐々に精神科主導型へ移行する方法がよいと思われる。最終的には,治療経過のなかで,患者自らが身体化から離れて,現実の生活から逃避することなく,問題解決のために,前向きに戦っていく姿勢が生まれ,患者が本来有する社会適応能力を再現させることが治療上最も理想的である。

 おわりに

身体表現性疼痛障害の概念や理解および治療について,その概略を述べてきたが,重要な治療戦略として,「否認「感情抑制」「間主観」「チーム医療」の認識が必要とされる。患者が痛みに対して心理的な要因を受け入れられるようになり,自分の気持ちをより表現でき,客観的に痛みを捉えられるようになることが最終目標である。そのためには,様々な診療科の医療スタッフによるチーム医療が不可欠であると思われる。

加茂整形外科医院