体にあらわれる心の病気  「原因不明の身体症状」との付き合い方 より

磯部 潮    PHP新書160


症状はあなたを守るサイン

「原因不明の身体症状」を訴える患者さんが、身体症状を対象化できて、上手に身体症状をコントロールできるようになれば、もうそれは治ったも同然のことです。それ以後は再び「原因不明の身体症状」に生活が脅かされることのないようにすればよいのです。「原因不明の身体症状」を訴える患者さんは、なにごとに対しても、徹底的にやりすぎる人が多いようです。このことは、身体症状にとらわれていく素地を作っています。このようなタイプの人の場合、これからは自分自身の価値観を変えていくことが必要になります。「原因不明の身体症状」によってそれまでの生活が障害されたことは事実ですが、そのことを、自分自身を振り返るチャンスと捉えて、自分の人生をつくりかえていくことは誰にでも可能です。確かに「原因不明の身体症状」が出現したことは、それなりに不幸なことです。それまでの生活は変化を余儀なくされ、金銭的にも、社会的にも損失を被ります。症状が出現する前と同じ状況をとりもどすには、大きなエネルギーを必要とします。さらに再発の危険性も伴います。人生をつくりかえることは確かに難しいと感じるかもしれません。しかし少し視点を変えてみてください。「原因不明の身体症状」に苦しむ人たちは、おしなべて何事にもあまりに一生懸命になっていて、視野が狭くなっています。彼らがそれを自覚しないまま同じ生活を継続していれば、ストレスによる不摂生で動脈硬化となって脳出血を起こしたり、重症のうつ病になって自殺しようとしたり、もっと命にかかわったり、長期にわたる病気になっていたかもしれません。「原因不明の身体症状」の出現はそのような最悪の事態を防ぐためのサインでもあるのです。そのことに気がついて自らの生活の幅を広げることができれば、もっともっと人生を楽しむゆとりが出てきます。QOL(生活の質)が向上して、実りある人生がきっと開けます。「原因不明の身体症状」が出現したことは、あなたの人生にとって決して不幸なことではありません。どうか「原因不明の身体症状」にとらわれずに、有意義な人生を送っていただきたいと思います。

原因不明の身体症状


本書でいう「原因不明の身体症状」とは、内科をはじめとする一般身体科において、患者さんは身体症状を訴えているにもかかわらず、検査などによってその原因を確定することができないものを指します。具体的には、
腰痛、下肢痛などの「痛み」
◇動悸、発汗過多、胸部圧迫感、排尿異常などのいわゆる「自律神経症状」
◇歩行困難、痺れ、脱力などの「運動機能障害」
◇全身倦怠感
◇吐き気、下痢、嘔
吐などの「消化器症状」
◇耳鳴り、めまいなどの「耳鼻科的症状」
◇疾病恐怖
などがあります。そしてプロローグで紹介した四っのケースのように、内科、整形外科、産婦人科などの一般身体科においてこの「原因不明の身体症状」を訴える患者さんは膨大な数に上ると考えられます。逆に、現代医学でもまだ解明されていない病気が多く存在していることを考えれば、身体症状に、その症状に見合った適切な病名がつけられ、きちんと説明されることの方が少ないといえるかもしれません。

その意味で、より正確ないい方をすれば、本書が対象としているのは、単に「原因不明の身体症状がある」だけでなく、「患者さん本人がそれを苦痛に感じて、症状を訴え続ける」ケースということになります。しかし現在の医療の現状では、これらの「原因不明の身体症状」を訴える患者さんが陽の目をみることはありません二医療の現場では死に至る病である癌やAIDSなどの克服が最重要課題であるからです。もちろんこれはこれできわめて意義のあることだと私も考えます。しかしながら、総合病院における臨床経験を通して、「原因不明の身体症状」を訴える患者さんをこのまま放っておいてはいけないという思いは強くなる一方でした。私が勤務していた中規模の総合病院精神科外来において、約5年間の精神科外来初診患者さん950名のうち、この「原因不明の身体症状」での初診は155名で、なんと16.3%にも上りました。そしてこの155名中、一般身体科からの紹介は118名で76.1%もありました。内科などの一般身体科で医師にしばしば邪険にされた後に精神科へ紹介され、「精神科にかかるのは不本意だ」と話される患者さんも多くいました。実際には、「原因不明の身体症状」を抱えた患者さんがまずかかるのは、精神科ではなく内科などの一般身体科です。とすれば、私が受け持った精神科外来だけでもこれだけたくさんの「原因不明の身体症状」を主訴とする患者さんがいたのですから、他の一般身体科では膨大な数にのぼるであろうことが想像できます。

消極的な診断名

臨床症状が多彩という点は、「原因不明の身体症状」がしばしば消極的な診断名をっけられるということに通じています。消極的な診断名とは、身体症状に対する適切な診断名がなく、他に病名のっけようがないために用いられる診断名のことです。先ほども触れたように、現在のところ精神医学会では最も信頼度が高い、アメリカ精神医学会の診断基準DSMの最新版DSM-W(1994)では、「原因不明の身体症状」を訴える患者さんに対して、後に詳述する「身体表現性障害」という診断名がつけられます。そして「身体表現性障害」に関する章の前文では、身体表現性障害を一つの章に集めるのは、病因またはメカニズムを共有していることを想定しているというよりはむしろ、臨床的有用性に基づくと書かれています。これはわかりやすくいえば、最初からその共通の原因を求めることは放棄して、精神分裂病や感情障害などの他の精神科病名がどうしてもっけられないが、何らかの病名をつけたい場合の「除外診断名」として使用されるということです。つまり「原因不明の身体症状」を訴える患者さんにつけられる病名は、最初から除外診断を前提としたものなのです。

加茂整形外科医院