腰痛および脊椎関連の就労障害に対する予防を目的とした人間工学的プログラムは完全失敗か?


New England Journal of Medicineの論説によれば、過去50年間の主な腰痛予防戦略は完全な失敗だという。Nortin M.Hadler医師によると、研究が開始されて数十年たった現在も、就労障害を引き起こす腰痛を人間工学的に予防しうるという証拠は、どんなにうまく設計された科学的研究からも得られてはいないという(Hadler,NEJM;1997を参照のこと)。

米国の最も影響力の大きな医学雑誌がこのような見解を発表したことはビッグニュースであり、全ての腰痛治療者を躊躇させるであろう。もしNew England Journal of Medicineが、心疾患もしくは癌の予防戦略に対して同じ様な批評を発表したのであったなら、連邦議会の公聴会、疾病対策・予防センターの記者会見および主要医学会による調査へと広がる大騒ぎとなっていたであろう。

職場における腰痛予防のための人間工学的アプローチを批判したHadler医師の論説は、医学界、企業および規制当局を皆いらだたせることになろう。腰痛予防のための人間工学的アプローチは、この3者全てに広く受け入れられている。人間工学的プログラムは研究者、コンサルタント、専門家および規制当局からなる巨大産業の資金源なのである。

毎日、何千もの企業が(腰痛治療者の集団と同じく)従業員に対し、作業姿勢に気を付け、「正しい」方法で荷物を持ち上げ、その他の身体的リスクファクターと思われることを避けるようにとアドバイスしている。労災補償を要する腰痛の予防において、このアドバイスが有用かどうかは非常に議論のあるところである。

現在のところ得られている経験的証拠はHadler医師の見解を支持している。50年間にわたる脊椎関連の就労障害に対する疫学を振り返ってみれば、就労障害を引き起こす腰痛の一次予防に対する方針が(それが人間工学的方針であるかどうかに関係なく)有効であるとの証明は、いまだに1つも得られていない。

イギリスHuddersfield大学の脊椎研究科部長のKim Burton博士は、身体的および精神社会学的因子が職場における腰痛に及ぼす影響についての様々な研究を行ってきた。

Burton博士はHadler医師の分析にほぼ賛成の意を示している。「人間工学的介入は、就労障害を引き起こす腰痛の問題にわずかな影響しか及ぼさないと思われます。なぜなら、多くの腰痛は仕事の負荷に関連付けることができないからです」とBurton博士は述べている。「全体としてみると、身体的負荷が、一部の腰痛の発症、そしておそらくは再発の原因を説明する一助となりうるという証拠はあります」。生体力学的解決法は、職場環境をより快適にするのに役立つかもしれない。

しかしながら、過去20年間、主要産業は脊椎に加わるストレスを体系的に減らしてきた。それでもなお、その間も脊椎関連の就労障害は増加を続け、収拾がつかない。

Burton博士は、生体力学的因子では持続性の腰痛および脊椎関連の就労障害の原因は説明できないだろうと述べている。博士の主張によれば、「腰痛の再発と就労障害が一般的には機械的なストレス因子と関連しないことを示した証拠がますます増えつつある。むしろ、快適度の認識や対処能力を含めた、精神社会学的現象によって媒介されているように思われる」。Burton博士は最近、職場における腰痛に関する総説を執筆している。

失敗の50年?

Hadler医師の論説は、米国の郵便局職員に対する腰痛教室によって、その後の腰部損傷及び腰部損傷による労災補償が減少しなかったことを示したDaltroy博士らの研究に答えるものであった(Daltroy et al.,1997および後述の話を参照のこと)。荷物の持ち上げ方や、生体力学的リスクファクターの回避に関する教育は、予防効果のないことが判明したのだが、これは、職業性腰痛を予防するためのその他の人間工学的試みの典型的な結果であるとHadler医師は述べる。

Hadler医師の論拠を十分に理解するために,New England Journal of Medicineの論説の全文およびSpine誌に最近掲載されたより長い論説を再検討されたい(Hadler,Spine,1997を参照のこと)。以下にその主張の一部を示す。

・腰痛予防のための人間工学的アプローチは失敗である。職場から有害な生体力学的なストレスを除去しようと、50年間にわたって模索してきたが、職場における腰痛または腰痛の労災補償に対し、何の成果もあげられていない。「実際、腰痛予防のための効果不明のアプローチを長々と続けている間に、腰部の『損傷』を有する従業員の苦痛は量・質ともに増え、その一方で保険業者らは防備を固め、富を築いたのである」とHadler医師は述べている。

・職場における腰痛に、はっきりとした職業性の原因はほとんどない。Hadler医師によれば、「明らかな因果関係がないまま、労災補償を要する損傷というレッテルを貼るのは問題である」という。

・腰痛のリスクファクター(生体力学的およびそれ以外のものも含めて)が同定されているとはいえ、これらの因子の危険度は小さいと思われる。多変量解析を使用した洗練された研究において、腰部の損傷および労災補償の原因を説明する上で生体力学的な因子が果たす役割は非常に小さく、その影響は統計学的に有意でないことが多かった。Hadler医師によれば、「一言で言えば、仕事の身体的要求によつて、労働者の腰痛が耐えられなくなることはめったにない」。

・職場「損傷」という概念は時代錯誤である。職務と大部分の腰痛の報告との間に明らかな因果関係がないことから、Hadler医師はこれらの愁訴を職場「損傷」と呼ぶのを止めるよう提唱している。「『損傷』という構成概念を局所性筋・骨格系障害に適用する時代はもはや終わった。これは構成概念としては不完全であるし、しかも、この概念は医師が作った誤った方針である。痛みを訴える労働者を負傷者としてではなく、病人として扱おう」とHadler医師は述べている。

・労災補償を要する腰痛は、人間工学的原因よりもむしろ他の職場環境の面から説明できる可能性が高い。Hadler医師は、労働者がその腰痛を我慢できると感じるのは何故なのか、職場内にその理由を探すよう提案しているが、その際、職務の身体的側面以外の面に目を向けることを推奨している。「経営スタイルや雇用確保、集団力学について考慮することの方が、人間工学に基づく運動を行うよりもはるかに役に立つ可能性がある」とHadler医師は主張する。

確かに労災補償を要する腰痛の発症における身体的因子、精神社会学的因子および他の職場因子の寄与の相対的度合いに関しては、議論の余地がある。しかしながら、最も公正な文献調査の結果はHadler医師の意見と一致しており、腰痛予防のための人間工学的アプローチが有効であることを示した証拠は、少なくとも現在まではわずかしかない。

最近、John Frank医師らは腰痛関連の就労障害に対する一次予防に関する証拠を再検討した。Frank医師らによると、「職場における腰痛を減らすための人間工学的介入の有効性を証明することは非常に難しいとわかった」。「多くの実験に基づく証拠が、その種の介入の結果が有効であることを示唆しているにもかかわらず、職業性腰痛発生率を明らかに低下させた人間工学的介入はごくわずかであった(Frank et al.、1996を参照のこと)。

彼らの文献調査によると、職場における腰痛の一次予防のための人間工学的アプローチの費用効果性を示した研究は、2,3の比較的あいまいなものしかなかった(Aaras,1994およびShi,1993を参照のこと)。

Frank医師らは、腰痛予防のための人間工学的アプローチの有用性に関してHadler医師とは異なる見解を示している。「リスクファクターに関して現在発表されている証拠の全体的な質に限界はあるものの、職場環境を変えることによって多くの職業性腰痛の発現を予防しうるという結論を導くための証拠は、(特に最近の生体力学的リスクファクターの研究から)十分あると言っても決して誤りではないと思われます」。しかしながら同時に、科学がこのゴールに達するまでには長い道のりがあることも認めている。Frank医師らは、「有効な介入方法を示すためには、腰痛と因果関係のある特異的かつ修正可能なリスクファクターを同定する必要性があります」とかなり控え目な表現で述べている。

人間工学はFrank医師らが主張するようにある程度の成果をあげたとみて良いのだろうか、それともHadler医師が主張するように全くないとみるべきであろうか?人間工学的介入は50年間にわたるが、その有効性を裏付ける強力な証拠はいまだ提示されていないという。では、その証拠は一体いつあげられるのであろうか。事実の記録のみがこの非常に費用のかかる問題に対するアプローチを変える正当な根拠となるという、Hadler医師の基本的立場に論駁することは困難である。

Burton博士は腰痛の一次予防は漠然としていると示唆している。しかしながら、腰痛発症後の長期的就労障害を予防するための介入自体は前途有望であることは間違いないと述べている。この中には職場における介入も関わってくるが、その中心となるのはおそらく精神社会学的問題や職場組織の非身体的側面であろう。腰痛原因を恐怖一回避行動、活動不耐性、そして職場環境主体として取り組んでいくなら、それは今後の研究のための豊かな土壌となるであろう。

参考文献:

・ Aaras A, The impact of ergonomic intervention on individual health and corporate prosperity in a telecommunications environment, Ergonomics. 1994; 37: 1679-96. 
・ Daltroy LH et al., A controlled trial of an educational prograrn to prevent low back injuries,New England Journal of Medicine,1997;337:322-8
・Frank JW et al.,Disability resulting from otupationallow back pain:Part 1:What do we know aboutprimary prevention :A review of the scientific literature on prevention before disability begins,Spine,1996;21(24):2908-17.
・Hadler NM, Back pain in the workplace: What you lift or how you lift matters far less than whether you lift or when, Spine,1997;22:935-40.
・Hadler NM,Workers with disabling back pain,New England Journal of Medicine,1997;337:341-3.
・ Shi L, A cost-benefit analysis of a California county's back injury prevention program, Public Health Report. 1993; 108: 204-11.

The BackLetter 1997; 12(9): 97, 104 105.


(加茂)

腰痛を脊椎の解剖学的(構造的)破綻のせいにする説はもはや過去のものになりつつあります。

  • 生物、心理、社会的疼痛症候群
  • narrative-based medicine
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