慢性腰痛患者へのアプローチの問題点

福島県立医科大学整形外科教授 菊地臣一   第2回神経ブロック手技研究会  2003.10.11


菊地臣一先生には、慢性腰痛患者へのアプローチに関する問題について、腰痛の概念の変化を病態把握、治療成績の評価墓準、医療従事者の役割、そしてEBMという切り口で捉えることでこ解説いただこうと思います。(司会:順天堂大学医学部麻酔科学・ペインクリ=ツク講座教授宮崎東洋)


腰痛に対する概念の変化から捉える

今日、腰痛の概念は大きく変化した。その変化は4つに集約することができる。すなわち、「生物学的損傷」から「生物・心理・社会的疼痛症候群」へという病態把握の変化、治療成績について「医療従事者」から「患者の視点」へという評価基準の変化、「Cure」から「Care」へという診療従事者の役割の変化、そして「データ中心のEBM」から「患者中心のEBM」へという治療法選択権の変化である。ここでは、この4つの変化から慢性腰痛患者へのアプローチを捉えてみたい。

心理・社会的因子の関与

諸家の報告を示す。Boosらが無症状例における画像上のヘルニアの頻度は73%に認められ、手術例と無症状例の差異は神経根の被圧迫度、仕事上のストレス、そして不安や抑うつといった心理的因子の3つしかなかったと報告している1)。

また、Indahlらは、腰痛患者に対して恐怖を除去し、疼痛の原因と身体を動かすことの効果について説明しただけで、長期の活動障害と再発が75%減少したとしている2)。同様の報告は数多くあり、Carrageeらは腰痛の患者で心理的な原因のないものは少なく、椎間板の損傷といった生物学的な問題よりも、ある心理状態におかれたとき、これに対応する技術が劣っているために、患者は表現として腰痛を訴えると指摘している3)。

また、腰痛の自然経過を追うと、いわゆる腰痛である非特異的腰痛は横断的研究では予後良好だが、縦断的研究においては必ずしも良好ではない。椎間板ヘルニアにおける手術拒否例の約10年間の追跡では、麻痺も含めて予後良好である。脊柱管狭窄については、馬尾障害は不変で
神経根障害については自然緩解傾向がみられる。急性腰痛はほとんどの例で再発するが、必ずしも増悪を意味せず、また4人に1人は1年後も腰痛が持続している。

こういったことから、少なくともプライマリケアレベルにおける腰痛は、「脊椎の障害」ではなく心理・社会的因子が関与する「生物・心理・社会的疼痛症侯群」であり、「形態の異常」ではなく「形態・機能障害」と捉えるべきであり、予後良好で生涯に亘り再発を繰り返す疾患と認識すべきである。それゆえ、患者に対しては集学的、多面的なアプローチが必要となる。

治療成績評価墓準の転換

従来、医師を中心とした医療従事者が下していた治療成績は、患者の視点に立った主観的評価に重心が移っている。したがって、善悪は別に、これまでの医師がよかれと思う「信頼の医療」から「契約の医療」に医師自身の概念の転換が起こり、権威あるジャーナルは費用対効果の評価のない論文を受け付けない時代になっている。

このような背景から、患者の受診目的についても患者の視点で捉える必要があり、それは診断に重きを置く群、診断は何であれ疼痛除去治療を望む群、そして孤独の癒しが目的の群に大別できる。これらを的確に鑑別し診療にあたることで、患者の満足度は確実に向上すると考えられる。

時代の変遷に伴う医療従事者の役割の変化

従来、急性の病態に対しては、時機を逸しない対応、すなわち「Cure」重視の短期医療体系がよいとされてきた。しかしながら、今日、慢性腰痛の原因は骨粗鬆症などの慢性期の病態がほとんどであり、求められる対応はプライマリケア的で「月」、「年」あるいは「生涯」といった時間単位での長期的治療体系ということになる。「Care」を重視した、医療従事者の患者の愁訴への共感や前向きな説明と励ましが求められていると考える。

EBMに則った診療の実践

EBMという概念が登場した頃のデータ中心から、現在ではこれも患者中心にシフトしている。なぜなら、EBMは言うなれば第三者の知恵の借用であり、これを適用する前、そして適用の後においては医師と患者が一対一の関係にある。ここにおいて医師は、患者の個人的・社会的背景を評価しそれに配慮する(narrative-based medicine=NBM)必要があるからである。

また、Lancetは1994年の特集号の中で、”Scienceだけで医療は行い得ない”という問題を提起し、先人たちが築き上げた医療における”art”の重要性に触れている。医師の力、プラセボ効果などは、実際に経験することでもあり、今後の治療法評価には非常に綴密なデザインが必要で
ある。いずれにしろ、患者は腰痛治療にScienceとartの統合を求めており、その実践は患者の高い満足度を得るとともに、支払い側、あるいは国民が納得する医療の実現に繋がると考える。

まとめ〜新しい概念からみた腰痛診療の問題点

上述した腰痛に対する新たな治療概念に対し、どのような問題点があるかを整理すると、@心理・社会的因子という目に見えない関与因子への配慮不足、A画像への過大評価、B患者を参加させる積極的医療への不十分な転換(これは医療訴訟から医療従事者を守るためにも重要で
ある)、そしてC各治療手段の有効性、限界、不確実性についての認識不足に集約できる。

慢性腰痛における神経ブロック療法は、現時点ではQOL改善のためには妥当な選択である。しかしながら、その有用性の判定については、プラセボ効果があり副作用が軽度であるため無効としづらいという背景があり、適切な試験デザインが未開発であることから未だ明確にされていないということを付言しておきたい。

1)Boos et al,Spine20:2613-2625.1995
2)Indahl A et al,Spine20:473-477.1995
3)Carragee FJ et al,Spine:1803-1808.2000

加茂整形外科医院