心療内科初診の心得     慢性疼痛とはなにか(その4)

関西医科大学心療内科教授  中井吉英


前回の続きをお話します。初診時、A君の両親だけが受診したときに、家族が抱いていた彼に対する否定的な見方を肯定的な見方に変え、これまでとは違った考え方や意味づけを提供しました。このような治療的介入をリフレーミングと呼びます。A君が来院するまでに、それから1年近くかかることになります。それまでは、両親や2歳年上のお姉さん、担任の先生にだけ会うだけでした。

1.家族機能の回復

A君が受診するまでは家族と担任の先生に会いました。A君はお姉さんには何でも話します。彼女には、そのまま聞き役になってもらい彼の本当の気持ちを私に伝えてもらうことにしました。担任の先生から私に、A君にどのように接したらよいのか相談したいと連絡もありました。学校という環境システムも治療に関わり始めたのです。

お母さんが来院しました。そして、「息子が主人とよく話すようになりました。でも、これまでとは逆に私には冷たくなってきて、それから息子は独りでいることが多くなりました」と大変辛そうに話されたので、私はお母さんに、「息子さんは母親離れを始めたのですね。そしてお父さんとの男同志としての交流が始まったのではないでしょうか」とA君に起こっていることのプラスの側面を伝えました。A君に会わなくても、肯定的な見方を家族がするようになると、家族の機能が回復し、良い方向に循環し始めたのです。

2.A君が初めて来院する

A君が初めて来院しました。中学2年生のときです。この日がA君の初診です。両親が「痛みを専門にしている先生がいるから、一度、診てもらおうよ」と彼に話しておいたのです。ぶすっとした不機嫌そうな表情で、彼が診察室に入って来ました。私は痛みについて詳しく問診してから丁寧に診察しました。予測した通り、A君が痛みを訴えている部位に一致して、強い筋肉の圧痛を認めました。A君には「筋肉性の痛み(筋痛症)」について医学的な説明をし、「A君、この痛みにずいぶん苦しめられてきたんだね。辛かったね」と話しかけると、彼の全身から力が抜け、その顔にようやく笑顔が戻ってきたのです。「A君、またおいでよ」「うん、また来ます」初診はこれで終わりでした。

3.肯定的なメッセージ

2ヵ月後に再び彼が来院しました。2度目の診察も身体的な範囲にとどめ、そのかわりにお母さんから、この聞の彼の変化について尋ねてみたところ、A君が登校するようになったというのです。給食と休み時聞にまず出席。そして、これまで教科書を開こうともしなかった彼が、最近は焦って勉強し始めるようになったようです。今回の受診も、「痛みの専門医に診てもらいに行く」と、自分で希望したそうです。ある日、お母さんと担任の先生が来院しました(中学の3年間を通じて、二人の担任が熱心に関わってくれました)。お母さんは、「息子は、自分で勉強しようという気持ちが強くなっています。また、散歩や家族と旅行に行ったりするようになりました。しかし”ジョギングでもしたら”と私が勧めると“まだわかっていない”と、すごく反発しました。塾にいってみる?と言ってみたのですが“いや、このまま自分ひとりで勉強させて欲しい”」と話されたのです。「A君は自分の意見をはっきり両親に言えるようになったのですね。せっかくの自主性を尊重しましょうよ」と私は肯定的なメッセージをお母さんに伝えました。このように、今までとは違った肯定的な意味づけを家族に提供することをボジティブリフレーミングと言います。

4.システムがポジティブに変化

担任の先生と話したところ、先生は、「今までは“学校に来るか"、と尋ねてから、その判断はA君の自主性にまかせてました。最近、“それでも来いや"と言ったら来てくれるようになったのです」と。私は担任の先生の「それでも来いや」が素晴らしい言葉だったと思います。この言葉は今でも印象に残っています。「それでも来いや」は「(痛いけれど)それでも来いや」の意味なのです。担任の先生も自分の痛みを理解し受けとめてくれていることをA君は了解したのです。この時からです。彼が授業に出席するようになったのは。

このころ、お母さんの内面にも変化が起こっていました。A君に対する攻撃的で否定的な感情が消え、受容的な発言が多くなっていました。息子との距離を置き、母子関係が客観的に見られるようになると、A君を肯定的に受けいれられるようになったのです。お母さんは深いまなざしで私を見つめ、「この子によって私自身が多くを学んでいます」としみじみ語られたのです。A君の痛みはどうなったのでしょう。彼は家族に痛みをあまり訴えなくなり、これまで常に手を首に当てていたのがなくなったそうです。疼痛を介したコミュニケーション、いわば病理性をもったシステムに変化が起こり、家族システムの変化とともに、連鎖的にほかのシステムにも変化が起こったのです。

5.お父さんへの反発

ある日、A君が来院して、出席日数の確保に努力していることと、父親への不満を訴えました。父親の生き方に疑問を持ち始めたのです。試験中は勉強に集中していたので痛みを感じなかったが、終わった後に強くなり気が狂いそうだったこと、とにかく休まずがんばったことなどを話し、「学力試験が悪く焦ります。これでいいのか、これでいいのかと自分を責めてしまうんです」と私に訴えました。私が、「こんなに痛みがあるのに驚くほど頑張ったじゃないか。自分に厳し過ぎないかなあ」と彼に話したところ、「この位厳しくしないと僕はだめになってしまいそう」と辛そうに語ったA君に私は、「こんなに痛みがあるのに頑張った自分にご褒美をあげようよ」と伝えました。お母さんにも話を聞きました。「本人から“塾に行きたい、学費は自分で支払う”と言うのです。それから主人への反抗が強くなりました。サラリーマンには絶対にならないと。少しずつ自立の道を歩んでいるようです。でも、ながめていることが一番しんどい仕事ですねえ」と。

6.A君の内面の変化

A君は、高校に進学するかどうかを決めかね、「今の僕には羅針盤が必要なんです、痛みがあるのに高校に行けるかどうか自信がまったくない。進学するかしないか・・・」と話しました。A君と話していて、私は彼の思考パターンが「all or nothing」で、常に「must」と「should」を使っていることに気がっき、そのことを彼に伝えました。私はA君に「イェス」と「ノー」の間に、いくつもの考え方があり、とにかく高校に入学して、それから考えてみるという方法もあることを伝えました。彼は「なるほど、なるほど」とうなずき、「“イエス”と“ノー”の間に、中間の考え方があるのですね」と言って納得したようでした。A君は人生の早い時期に、いろいろな人との深い出会いによって、内的な変化がたゆまず続いています。なかでも家族との深い出会いに支えられ、彼自身と出会い始めたのです。「からだの痛み」から「こころの痛み」にシフトしつつある、私には、そのような気がしました。両親はA君について、「私たちは見守っています。いずれ変化していくと思います。現在は体の痛みとして家族が扱うことでコミュニケーションが可能です」と。A君はその後、高校に入学しました。それも入学の難しい受験校です。私も家族も心配でした。彼が果たして卒業することができるのだろうかと。

それからは1年に1〜2回ほど本人か家族に会うだけでした。なんとか高校生活を送っているようです。彼が再び来院したのは高校3年のときでした。そのとき、彼の内面にさらに大きな変化が起こっていたのです。初診の心得が治療の経過にまで及んでしまいました。でも「一期一会」という言葉があります。「再来も初診の心得で」を私はモットーにしています。この続きは次回にしたいと思います。

加茂整形外科医院