心療内科初診の心得     慢性疼痛とはなにか(その5)

関西医科大学心療内科教授  中井吉英


前回にお話した慢性疼痛の患者A君について話を続けます。

1.「もし痛みがなかったら」

A君が1年ぶりに来院しました。彼が高校3年の時でした。彼は、受験に悩んでいたのです。「もし痛みがなかったら、今どうしているだろうね」と久しぶりに来院したA君に私は尋ねてみました。A君は私の目を真直ぐに見つめて、「サッカーを必死でしていたと思います。今は痛みがあった方がよかったと思う。痛みとの闘いで自分を発見できたと思うから」と答えてくれました。また、つぎのようなことを断片的に語り始めたのです。

2.「自分に正直に生きたい」

「これまでは、心と体を切り離して考えていました。今は二つが一緒であることがわかります」「このまえテレビで、HIVやがんに罹患しながらも、自分に正直に精一杯生きている人たちのドキュメンタリー番組を観ました。彼らの顔がすがすがしかった。僕もあの人たちのように自分に正直に生きたいのです」「福祉の仕事がしたい。入院中に車椅子に乗って、初めて皆から見下されている体験をしました」「けど痛みが僕にプラスだったと受けとめられる反面、やっぱりマイナスのものだといったジレンマがあるんです。高校に行くときまでは、負けたくない、絶対に見返してやるという気持ちが強かった。今はとにかく周囲の目よりも自分に正直に生きたい」「ただ明るく振る舞っている学生を見ていると、彼らは目標も意味もなく大学に進学していくのがわかるのです。担任に進学のことを相談すると、“おまえ大学にいかんで何するねん”と言われてしまいました。

3.セルフコントロール

「考え方が変わり色が変わってきました。真っ黒から灰色、そして“ぼやーっとした色”。高校受験の時は真っ黒で、痛みがあっても足を踏んばっていました。今は痛みに合わせて、痛みと相談して勉強しています」「痛みが軽いときに原因があるんじゃないかな。軽いときにやり過ぎていないかい」と私は彼に尋ねてみました。彼は何度も“なるほど、なるほど”といった風にうなずきましたので、「どうしてうなずいたの」と聞き返すと、「痛みがあるからセルフコントロールできていることに気がついたから。もし痛みがなければ、きっとやり過ぎてしまう、僕は」痛みがあることで、A君は自分自身の考えや生活や行動をセルフコントロールできる能力を身につけたのです。

4.弱者の立場に立つこと

「父は心に痛みのある人や弱者の立場に立てない人。僕は痛みで苦しんできたから、障害者の人、病弱な人、苦しんでいる人の側に立てるようになった」と、A君は今の心境を語ってくれました。「僕と父の考えとはまるっきり違う。父の考えは僕には受け入れられないことがはっきりしました。僕は福祉系の大学に進学したい…」「家族や多くの人たちに支えてもらい感謝しています。自分にも“よくやった"と褒めてあげたい」

5.痛みからのメッセージ

A君は福祉系の大学を受験したのですが失敗し、浪人生活に入ることになりました。それから1年がたち、今春、1年ぶりにA君とお母さんが来院しました。彼が志望していた福祉系の大学に合格したのです。もう痛みは消失していました。しかし、A君は痛みを大切にしていくのだと話してくれました。お母さんが涙ぐみながら、「昔は家族が町を歩いていると、“○○組が歩いているようね”とよく友人から言われたものです。主人も家族を“自分の色に染めようとしていた”と考え込んでいるようです。主人の父親も反抗できないほど厳しい人だったようです。主人は本当は教師になり、社会科の先生になりたかった。でも父親の勧めに従って、今の会社に就職しサラリーマンになったようです」と話されました。お父さんも本当は社会に関わる仕事をしたかったのですね。

A君の痛みとの戦いは、世代を越えて「父なるもの」に反発し乗り越えるために、なくてはならないものだった。A君が本当の自分を生きていこうとするプロセスだったと私は思っています。彼は痛みを拒絶せずに受け入れていった。受け入れることで、弱者の痛みを受けとめ、彼らの立場に立てるような道を歩み始めた。痛みは身体の痛みでしたが、A君と家族それぞれの心の痛みでもあり、魂の痛みでもあったと思うのす。A君の家族の一人ひとりの内面が成熟していったように感じます。A君もお父さんの心の痛みをいつか理解し受け入れられるときがくるでしょう。「子どもを育てることって本当に大事業だし、それはもう創造ですね。見守ることが一番辛かった。けれど…私も主人も見守ることができるような人間として成熟したように思います」と言って、お母さんが目を潤ませて語られたのが、いつまでも印象に残っています。痛みはこれまでのA君の家族のシステムを崩壊させましたが、新たな家族システムを創造しました。痛み(病)はA君とその家族への「メッセージ」だった、私はそのように考えています。

6.痛みとは情動体験である

国際疼痛学会(1986年)で、「痛み」の定義が「痛みとは組織の実質的あるいは潜在的な傷害に結びつくか、このような傷害を表す言葉を使って述べられる不快な感覚、情動体験である」と統一されました。痛みの強さは、その組織損傷の程度に比例するという考えは通用しなくなり、知覚体験と同時に、不安、注意集中、抑うつなどの情動体験であるという点に注目すべきでしょう。

慢性疼痛の場合には、痛みは生理的因子とともに、心理的、行動的、社会的な因子、さらに神経ホルモン、化学的因子の合成により生じています。これまでのように、慢性疼痛が器質性か心因性かの二つに区別することは無意味なのです。明らかな器質的疼痛も、慢性疼痛の場合にはtotal painとして把握されなければなりません。

7.痛みの研究そしてペインセンター

慢性の痛みの研究および臨床の進歩は、@ゲート・コントロール理論と中枢性パターン生成理論、A生体内モルヒネ様物質(エンドルフイン)の発見、B学習理論の臨床的応用(慢性疼痛に関するオペラント条件付け理論)の三つの大きな流れに集約されます。

なかでも「ゲート・コントロール理論」は痛みの研究や治療に大きく貢献しました。ゲートの開閉が中枢のコントロールを受け、それまで疼痛の科学的研究の対象から除外されてきた情動、認知、動機づけといった心理的要因が、疼痛理論の中心に組み込まれました。彼らの考えは、これまでの解剖・生理学的な知識と心理学的知識および心理学的研究による知見の統合という試みだったといえます。

学習理論の臨床的応用も「ゲート・コントロール理論」と同じく重要です。疼痛行動は痛みの期間が長くなるほど強化され、身体的な治療には反応しなくなります。痛みが慢性化するにつれて、痛みという刺激に対する反応様式が、コミュニケーションとして機能し始めるため、治療の要点は痛み中心の生活や人生から、痛みがあるが、それにとらわれず、これまでよりも豊かな生活と人生が送れるといった痛みに対する認知や態度の修正と変容に移ります。

そのため、痛みに関わる分野の医療の専門家が集まり、治療スタッフが、痛みを生体システムだけでなく生体をとりまく家族や職場といった大きなシステムの異常としてとらえ、疼痛への処置(薬物、神経ブロック、レーザー療法など)や患者の疼痛行動を、全体の治療の中でどのように位置づけし構造化していくかを検討できる「場」の存在が必要になります。米国には1987年に、集学的治療を行うペインセンターが1000カ所もあります。わが国には一つもありません。わが国にもペインセンターの設立が早急に望まれます。A君の治療をしながら、強くこのことを感じました。

加茂整形外科医院