第33回日本慢性疼痛学会ランチョンセミナー(painful depressionとミルナシプラン)

(演者)谷川浩隆 安曇総合病院診療部長整形外科 信州大学医学部臨床助教授

(座長)中井吉英 関西医科大学心療内科講座教授


◆身体疾患診療科でも精神科手法を使用する必要性

整形外科には多くの疼痛を訴える患者が訪れるが,心因的な要因による疼痛も少なくない。私は以前,整形外科と精神科の両方の外来を経験する機会を得た。その際,両科外来ともに心因的な要因による腰痛患者が訪れたが,整形外科と精神科では患者の反応が随分異なることに驚いた。精神科外来では家族関係の問診をきっかけに腰痛原因が分かり治療がスムースにできたのに対し,整形外科外来では同じ問いかけをしても「腰が痛くて来たのに,なぜ家庭内のことまで立ち入るのか」と怒られることがあった。精神科や心療内科の受診者は腰痛原因の一つに心因的な面があることを,ある程度自覚しているのに対し,整形外科では腰痛は器質的な痛みであり心因的な関与はないと思う患者が多い。すなわち,整形外科などの身体診察科では,精神科や心療内科の受診患者より難しい症例を精神科的治療アプローチの経験が少ない医師が診るという矛盾が生じており,身体科医も心療内科的な対応の必要性を痛感した。

◆疼痛とうつ状態の関係

整形外科の術後には各種疼痛に伴ううつ状態が生じる。創部自体の痛み,痛みを伴う可能域訓練,脊髄手術後のしびれ感や腰の重い感じなどが意欲を低下させて「うつ状態」を引き起こし,今度は「うつ状態」が「疼痛」を増悪させるという悪循環が起きる。私はこうした「疼痛」と「うつ状態」の関係を螺旋状に悪化するイメージで捉え「Pain-Depression Deflation Spiral」と呼んでおり(1),このような疼痛を伴ったうつ状態を「Painful Depression」という病像で捉えている。

◆Painful Depressionの概念

最近,FSS (Functional Somatic Syndrome)という概念が注目され始めている(2~4)。これは「苦痛に感じ日常生活を障害する身体的愁訴があるが,明らかな器質的原因として説明できない症状」と定義されている。FSSの定義にあてはまる代表的な疾患には,線維筋痛症,過敏性大腸症候群,慢性疲労症候群,舌痛症,腰背部痛,側頭下顎症候群,緊張性頭痛などが挙げられる。

FSSに共通する身体症状は慢性的な疼痛であり,内在するうつ状態が疼痛という形で現れ,身体診療科への受診行動につながっていると考えられる。患者は器質的疾患による疼痛であると確信しており,精密検査で原因検索をすればするほど病状が悪化する症例もある。さらに,患者と医者の間に信頼関係がないと疼痛が悪化傾向を示す特徴がある。

また,変形性脊椎症のように明らかな器質的原因がある疼痛であっても,それだけでは説明できない慢性的な痛みを訴え,NSAIDなどの消炎鎮痛剤も無効である症例が多い。こうした症例も「Pain-Depression Deflation Spiral」状態になっていると考えられる。このように痛みの器質的原因の有無に関係なく,潜在的にうつ状態を抱え,表現形として痛みを訴える患者群を総称して「Painful Depression」と呼んでいる(図1)。


◆下行性疼痛抑制系神経と慢性疼痛

うつ状態に陥ると下行性モノアミン神経系(下行性疼痛抑制系)の機能が低下して慢性疼痛が生じると考えられている(図2)。この神経系の神経伝達物質であるノルアドレナリンとセロトニン双方の再取り込みを阻害するSNRI (Serotonin-Noradrenaline Reuptake Inhibitor)は,うつ状態を軽減するとともに下行性疼痛抑制系を賦活化することにより慢性疼痛を軽減すると考えられている。この鎮痛効果にはノルアドレナリンがより
重要といわれており,SSRI (Selective Serotonin Reuptake Inhibitor)よりSNRIの方が有用と考えられている(5)。


◆整形外科における疼痛疾患に対するミルナシプランの効果

私は日常診療において,変形性脊椎症,変形性関節症,術後疼痛などの持続的な痛みを訴え,消炎鎮痛剤が無効な症例をミルナシプランで治療している。52例の症例にミルナシプラン30〜75mg/日を1〜8週間投与し,VAS (Visual Analogue Scale)を用いて痛みの評価をしたところ「改善」31例,「不変」9例,「増悪」1例,「投与中止及び再診せず」11例で,約60%の症例で疼痛が緩和されていた。また,変形性脊椎症に伴う腰痛,四肢の痛みなどを訴え消炎鎮痛剤で痛みが緩和しない17例に,ミルナシプラン50mg/日を8週間投与して再診毎にVASで疼痛を評価したところ,「著明改善」5例,「中等度改善」3例,「軽度改善」4例,「不変」2例,「投与中止」3例であった。一般的に三環系抗うつ薬などは効果発現が遅く2ヵ月程かかるが,ミルナシプランでは投与1週目からVASが低下して早い効果発現が認められた(図3)。患者は痛みを早く取りたくて整形外科を受診しており,
効果発現が早い薬剤が望ましい。

◆Painful Depresslonに対するミルナシプランの効果:症例提示

手根管症侯群の術後に手関節痛が増強し消炎鎮痛剤が無効であった80歳の女性に対し,リハビリテーションで器質的原因の除去にあたりながらミルナシプラン50mg/日を投与したところ,投与1週間後には「薬を飲み始めてから痛みはずいぶん楽になった」と疼痛緩和がみられた。夜間痛は最初の痛みを10とすると7に減少したが,抑うつの改善が認められなかったため75mg/日まで増量したところ,うつ状態も改善し「痛みで怒りっぽかった」と内省するようになった。現在では夜間痛が1まで改善し,手関節の可動域も大幅に改善している。

私は,基本的にはミルナシプランを30mg/日から投与開始し,再診時に様子をみながら最大用量の100mg/日まで増量している。投与期間は2,3ヵ月を目処にして,改善がみられれば1ヵ月程かけて減量しながら中止している。また,減量中に痛みが再発した場合には,有効用量に戻して継続投与している。なお,現在までミルナシプランの治療で特記すべき副作用は経験していない。

◆身体科医による抗うつ薬投与時の注意

身体科医として「Painful Depression」を診る場合には,使いやすい抗うつ薬(図4)を処方するとともに処方時の説明にも注意が必要である。身体診察科としての受診者はFSSの要素が強いほど疼痛原因が器質疾患にあると確信しており,精神的な治療アプローチをすると強い拒否反応を示す。そこで,私は「この薬は気持ちが落ち込むうつ状態に効く薬ですが,ふつうの痛み止めが効かない痛みにも効くことがあります」あるいは「長い間痛みを患っていると気分が落ち込みますし,気分の落ち込みが痛みを強くします。この悪循環を断ち切るために気分を持ち上げる薬を使いましょう」といった説明をしている。しかし,こうした説明を行っても,院外薬局での詳細な副作用の説明などにより服薬拒否や再診しなかった例があり今後の課題と考えている。

◆心療整形外科の必要性

最近,整形外科の分野では運動器症状が非常に増えて慢性化,難治化しており,これらに関与する心因的な要因に専門外ということで対処しないままでは済まなくなっている。消化器,循環器,呼吸器といった内臓器症状から心療内科が発達したように,今後は運動器の分野においても心療整形外科や心療ペインクリニックといった考え方が必要になっていくと思われる(図5)。


文献:

1)谷川浩隆(共著):身体疾患と不安・抑うつ.ヴァンメディカル,東京,2002

2) Barsky AJ and Borus JF : Ann Intern Med 130(11) : 910, 1999 

3) Manu P, Ed : Functional Somatic Syndromes : Etiology, Diagnosis and Treatment, New York City, Cambridge University Press, 1999 

4) Stahl SM : J Clin Psychiatry 64 : 745, 2003 

5) Briley M : Curr Opin Investig Drugs 4(1) : 42, 2003

加茂整形外科医院