サイエンスライター 柳澤桂子さん (昭和35生)  


柳澤さんは戸山高校からお茶大へ進学、卒業後は婚約者の待つコロンビア大学へ留学、3年後遺伝学でphDを取得という学者として順調な滑り出しであった。帰国後2人の子供の育児に専念した後、三菱化成生命科学研究所へ。そこで出産体験で感動を覚えた「発生」の研究に取り組むが病気のため退職を余儀なくされた。  

今から30年ほど前、原因不明の腹痛に苦しむようになり入院・手術を繰り返すが少しもよくならず、病状は徐々に悪化、全身の強い痛みと痺れのため歩行も困難になる。特にこの2年程は寝たきりの生活で食事もできず点滴に頼る生活だった。  

家族も巻き込んだ苦しい状能に、生きる意味があるのか、これが限度ではないかと悩んだが、生きていて欲しいと願う家族の思いに生きる意思が湧く。ある時生物学者の夫君のテレビから得た情報を基に抗うつ剤を試したところ1週間で痛みも痺れも取れ、3ヵ月で歩けるまでに回復した。  

私たちの訪問の直前にNHK「ドギュメントにっぽん」でこの様子が放映されたが、2千件を越える反響があり、急遽2回の「痛み」を中心にした特集が組まれ、放映された。.  

柳澤さんの場合、痛みは検査データには表れず検査中心の現代医療では心因性とみなされ、痛みや苦しみを理解されないという苦しみで次第に孤立する。そして古今東西の書物や絵画を糧として思索を深め書くことに生き甲斐を見出した。ベツドの回りにパソコンを置き、痛みと痛みの短い間に癖れる指でパソコンを打ち20冊以上の本を著した。この頃を振り返って「精神的なエネルギーは元気な人と同じだけあるのに発散できず苦しかった。最後まで書けないかもしれないと思いながらー冊ずつ書いていった」という。  

多摩丘陵の高台の閑静な住宅地。部屋には小春日の日差しが障子いっぱいに注ぎ、玄関まで迎えて下さった柳澤さんはテレビの画面より更に格段の回復振りであった。  

著書の一つに「お母さんが話してくれた生命の歴史」(岩波書店)がある。150億年前のビツグバンに始まり地球が誕生し、いのちが36億年かかって人間に進化する過程と自分を大切にしようというメツセージが予供達に素直に伝わり好評である。柳澤さんは生命科学で解明された遺伝子や生態系のことなど誰にも理解できるよう平易に表現した著書も多い。宇宙の歴史という時間的にも空間的にも広い視野立つて、人間はどうあるべぎか一人一人が深く考えてほしいと考えている。  

また、患者の立場から見た医療の問題点にも目を向け、病人や高齢者という弱者も共生できる成熟した祉会を目指して提言を続け、在宅介護支援組織の充実を強く訴えているこれは、柳澤さん自身も病院には受け入れてもらえず、ヘルパーにも決められた仕事以上のことはしてもらえず本当に困ったという体験に基づいている。穏やかな口調の中に強い精神カと行動カ、何よりもいのちへの暖かいまなざしを感じた。(杉原)

御茶の水大学同窓会誌より

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