病んだ教育と研究

「癒す心、治る力」    アンドルー・ワイル著 より


医学生や医学研修生に治癒系という概念をもたせることがきわめて困難な理由は、現代医学の
理論と実践の基盤をなす、生物医学モデルの特徴そのものにある。生物医学モデルの唯物思想は、つまるところ機能よりは形態を重視するという態度を生みだす。ところが治癒系は機能的なシステムであり、消化器系や循環器系のように、きれいに図解できる構造物の集合体ではない。この点についてもまた、東洋医学のほうが西洋医学より優位た立場にある。中国の伝統医学は構造よりも機能を重視し、その結果、人体には防衛をつかさどる機能領域があり、それは人為的に強化しうるという事実を理解することができた。西洋医学の医師たちが扁桃・アデノイド・胸腺・虫垂といった人体の「無機能」器官がじつは免疫系の構成要素であったと気づくはるか以前から、中国の医師たちは人体の防衛機能を重視し、強調していたのである。

さらに始末が悪いのは、生物医学モデルがこころの重要性を軽視もしくは完全に無視し、健康や病気の変化にたいして、ひたすら物質的な原因を探しもとめていることである。治癒をみつめてきたわたしの経験と観察は、病因の真の所在地がしばしば精神の領域にあることを示している。現在、こころとからだの相関関係にたいする一般市民の関心が高まっているにもかかわらず、医療の専門家の関心は依然として低レベルにとどまっているのである。

生物医学モデルのこうした限界が原因で病んでいるのは教育ばかりではない。研究も同様に病んでいる。研究が知識を生産し、その知識が医学教育のカリキュラムにはいってくる。研究の裏づけなしには、ただの逸話的証拠でしかない。医学研究の「疾病志向」は火をみるよりあきらかだ。アメリカの「国立衛生研究所」がなにをしているのか、みるがいい。あの機関は実際には「国立疾病研究所」である。「国立がん研究所」「国立アレルギー・感染症研究所」「国立関節炎・皮膚疾患研究所」「国立糖尿病・消化器病・腎臓病研究所」「国立神経障害・脳卒中研究所」などなど……いったい「国立健康治癒研究所」はどこにあるのか?

治癒にかんする研究はひじょうに少なく、そのわずかな研究もあまりに狭い視野でしか行たわれてこなかった。一部の研究者が自然退縮という、ある印象的な現象には若干の注意を払ってきた。しかし、退縮は治癒と同義語ではない。「退縮」とは病気というプロセスの一時的な軽減を意味することばであり、再発の可能性もじゅうぶんにある状態をいう。さらに退縮は圧倒的にがんと関連づけられることが多く、わたしにいわせれば、がんは特殊ケースなのである。がんの自然退縮だけに注目して研究をつづけても、結局は治癒系のゆがめられた姿を描くことになり、その活動と潜在力をじゅうぶんに解明したことにはならないだろう。

加茂整形外科医院