腰痛に対する新たな慨念と戦略ー高齢者の腰痛下肢痛に備えるー

福島県立医科大学医学部整形外科教授 菊地臣一        Medical ASAHl 2005 October


腰痛に対する概念の変革は診断や治療にまで及び、我々の腰痛に対する認識が今、根本的な修正を迫られている。その背景にあるのは、高齢社会の到来、医療費の高騰、「不適切な医療」の存在、患者意識の向上、そして支払い側の危機感である。これらの問題に対して、EBM (Evidence-based Medicine)という概念・手法が導入された。その結果、科学的に有効性が立証された医療、第三者も納得できる治療内容、そして妥当なコストの説明責任が医療提供側に求められている。

病態対する新しい認識

一つは、プライマリケアレベルでの新たな視点の導入である。すなわち、従来の「脊椎の障害」というとらえ方から、腰痛を「生物・心理・社会的疼痛症候群」という概念でとらえようという動きである。従来は、画像検査を代表とする形態学的異常の探索が、病態把握に重要な役割を果たしてきた。これからは、形態・機能障害としてとらえ直そうという動きである。

事実、患者の意識改革が治療成功の鍵、慢性腰痛への小児虐待の影響、不安の除去が治療成績や満足度向上の鍵、無駄話も医師の腕のうち、あるいは職場での心理的ストレスの関与など、様々な心理・社会的因子が腰痛の増悪や遷延化に深く関与していることを指摘する報告が相次いでいる。しかも、腰痛の増悪や遷延化には、従来、考えられていた以上に早期から、心理・社会的因子が深く関与していることが明らかになってきている。

また、腰痛の予後に関して、従来の「腰痛はself-limitedで予後良好である」ではなく、「腰痛は生涯にわたり再発を繰り返すことが少なくない」ということが、縦断的研究で明らかにされている。

もう一つの変革は腰痛病態の二極化である。従来は、腰痛という病態を同一の視点で論じてきた。最近は、外来患者の大部分を占めている非特異的腰痛(腰部に起因する腰痛であるが、神経症状や重篤な基礎疾患を有していない)を、特異的腰痛(椎間板ヘルニアや腰部脊柱管狭窄など腰部に起因する神経症状を有している)や重篤な脊椎疾患(感染、腫瘍、骨折など)とは区別して対応することが望ましいという考え方に変化してきている。従来は、画像で椎間板や椎体の変形を認めた場合にはそれらを腰痛の原因として、その変形に対する対応を治療の主眼としてきた。しかし、その治療効果が必ずしも満足できるものではないことは、多くの報告が指摘している。したがって、非特異的腰痛はケアという視点からとらえて対応し、特異的腰痛や重篤な疾患に伴う腰痛は、キュアという視点で治療するの望ましいのではないかという考え方である。

もう一つの大きな変革は、精神医学的評価の重要性への認識である。精神医学的問題を合併している症例は、我々が考える以上に多く存在している。しかも、精神医学的問題を合併している症例には治療が有効な群と、たとえリエゾン精神医学による介入を行っても治療が困難な群の2群が存在する。したがって、精神医学的問題がある症例に対する治療実施については、informed decisionで臨むことが必要である。

根拠のある医療の実践

EBMがもたらした腰痛診療の変革は以下のように集約されると考えられる。一つは、患者自身が参加しての治療方針決定と治療の実施である。このことが治療成績や患者の満足度を向上させるうえで大切である。次に、患者への情報提供と患者教育の必要性である。治療成績向上や患者の満足度向上のためにも欠かせない手順である。さらには、医療従事者と患者との信頼関係確立が、円滑な医療を遂行するうえで大切であることも指摘されている。そして最終的には、現在の腰痛に対する治療の隈界を考えるとinformed decisionやinformed consentによる診療の実施という手順が欠かせない。最後に、EBMに基づいて作成された診療ガイドラインを基本に、個々の患者に応じた診療の実施が求められる。

EBMが明らかにしたことは、サイエンスの重要性とともにアートの重要性の再認識である。信頼関係確立のための技を磨くことも大切であることが明らかにされつつある。診療に関係ない話(個人情報)に医療提供側が耳を傾け、患者の関心事への医療提供側からの問いかけが、医療提供側から患者への共感を示すことになる。このような「聞く技」の習熟によって、医師のone of themという立場と患者のone and onlyの立場が近付くことが期待できる。

医療提供側のもう一つの「技」に、外来での経過観察がある。経過観察は、往々にして何もしないというふうに受け取られるが、そうではない。外来での経過観察では、医療提供側に行動療法的な問いかけとフォローアップが求められている。前回受診時との違い(達成度)などを医療提供側が指摘することによって、患者に希望を与えることができ、同時に患者は自分への医師の関心の存在を確認できる。

データ中心のEBMから患者中心のEBMへ

EBMは、診療行為の実施に当たって第三者の知恵を借用することである。しかし、EBMを適用する診療行為の前後を、誰かに代わってもらうことはできない。すなわち、診療行為に当たっては、患者と医師を含む医療提供側との円滑な人間関係の確立や患者の個人的、社会的背景への評価や配慮が欠かせない。このプロセスにはNBM (Narrative-based Medicine)の概念・手法が有用である。NBMとは、「対話に基づく医療」と言える。この概念・手法は日本でも昔から存在していた。「手当て」という言葉が古来からあることがそれを表している。EBMを当てはめる前後の診療行為での評価や信頼関係確立は数値に表せない。したがって、患者中心のEBMを行おうとすると、NBMの概念・手法の導入は欠かせない。現代医療がすべて科学的に立証されているわけではないだけに、この認識は重要である。

EBMは、先人たちが築き上げてきたアートの重要性をも立証しつつある。「優しい言葉や励まし」「手のぬくもり」「祈り」、そして「医療のプラセボ効果」などである。患者の求める腰痛治療は、EBMというサイエンスとNBMというアートの結合であると言える。これにより、第三者が納得し、患者の高い満足度が得られる治療が成立する。

新概念に基づく腰痛治療

新しい概念に基づく腰痛治療は、当然、従来の腰痛治療の基本体系とは異なる。以下にそれを述べる。一つは、我々の視点を「病気」から「病人」へ変えることである。次に、患者と医師を含む医療提供側との信頼関係の確立である。医師(医療提供側)には、患者に関心を持っていることを伝える技が必要である。そして、我々医療従事者はプラセボ効果を再認識する必要がある。心理・社会的因子の評価と対策も重要である。このためには、精神医学的な評価、あるいは家庭や職場の人間関係への注目も必要である。円滑な腰痛診療には、医療従事者自身が評価技術を専門家に任せるのではなく、自分で学ぶ必要がある。さらには、他科や民間療法も含めた学際領域の知識や技術に対する理解も必要である。そして、自分にその技術や知識がない場合でも患者への的確な指導・助言をできることが、我々には求められている。

最後に、与える「受け身の治療」から、患者が治療方針の決定や治療に参加する「積極的な治療」の導入である。治療方針決定や治療自体に患者を取り込むのである。


(加茂)

特異的腰痛(椎間板ヘルニアや腰部脊柱管狭窄など腰部に起因する神経症状を有している)

ここは、私と考えがちがいます。「神経症状とは何か?」を問いたい。痛みや痺れは神経症状ではありません。神経症状とは麻痺のことです。上記で麻痺になった人は?

特異的腰痛とは、骨折、悪性腫瘍、感染症をさすものと思います。

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