概要
患者Xは、主婦として家事に従事するかたわらパートタイマーとして働き、農業をも営んでいる37歳の女性である。平成11年7月28日、Xは約30kgの米袋を持ち上げた瞬間いわゆるギックリ腰となり、翌々日の30日、自分で車を運転して整形外科・麻酔科の治療を行う無床診療所のYクリニックを初診した。
院長のY医師は急性腰痛症と診断しX線撮影をしないままに腰椎神経根ブロックを行った。第2,
3,4腰椎のレベルで両側にそれぞれ3ヵ所、各棘突起から4cm離れたところから22ゲージのカテラン針(長さ約6cm)を刺入し、針先を腰椎横突起に当てたのち、その針をいったん2〜3cm引き抜き、ほぼ同じ角度で椎弓根下縁に向かって内下方に進めた。神経根に針先が進んで、Xが足先にぴりっとする痛みを訴えたところで針を止め、1%キシロカイン30mlに酢酸デキサメサゾン1mlの混合液5mlを注入する方法をとった。注射後YはXの両下肢に知覚・運動麻痺が起こっていることを認め、約3時間はベッドに腹臥位のまま安静にしているよう指示した。Xはこれに従い、特段の異常は認められなかった。
3時間を経てXが起き上がると腰痛は消失しており、注射直後にあった左下肢の知覚・運動麻庫と右下肢の知覚麻痺も回復していたが、右下肢の筋力低下は回復せず、右足首はほとんど動かすことができない状態、右下腿もほとんど持ち上げることができない状態であった。Yは、これまでにも麻痺が翌日まで持ち越した例を3例経験していたことと、Yクリニックが無床診療所であることから、Xを帰宅させた。
Yは、神経根ブロックの合併症として硬膜外血腫による神経圧迫があり得ること、その場合には緊急手術が必要なこと、手術は少しでも早いほうがよいことは知っていたが、Xから腰部硬膜外血腫を疑わせる腰痛の訴えがなかったことと、腰部硬膜外血腫の頻度が低いことから、硬膜外血腫に対しては否定的であつた。
Xの右下肢の麻痺は翌7月31日になっても回復せず、Xは8月2日、夫の運転する車でYクリニック
を再訪した。YはXの症状からみて合併症を起こしていると判断し、より高次の医療機関へ紹介する必要性を認めたが腰部硬膜外血腫については否定的で、強く疑っていた神経損傷については、翌3日の朝一番にA病院を受診すれば十分間に合うと考えた。
8月3日、XはA病院を受診しMRI検査を受けた。腰部硬膜外腔に血腫があったことから血腫による神経の圧迫と診断され、翌4日、同病院に人院した。治療とリハビリを続けたが、同年9月11日、「回復しないままにA病院を退院した。
その後も他の病院でリハビリを続けたが回復せず、右下肢に5級7号相当の後遺障害が残った(平成12年11月1日症状固定)。
提訴と判決
Xは、右ド下肢に運動機能障害が残ったのはYから受けた腰椎神経ブロック後の腰部硬膜外血腫腫によるものとし、Yに不法行為または債務不履行(診療契約不履行)があったとして提訴、73,410,307円の損害賠微を求めた。
裁判所は甲、乙号証、本人訊問ならびに弁論の全趣旨を総合し、腰椎神経ブロックと硬膜外血腫に関して次のことが認められるとした。
1)腰椎神経ブロックは硬膜外ブロックと傍脊椎神経ブロックとに分けられ、後者の中に、神経根に局所麻酔薬を注入する神経根ブロックがある。
2)神経根ブロックは、患者を腹臥位にしてX線透視下にて行う。手技は、正中線から外側4〜5cmの位置を刺入点とし、局所麻酔薬入りの注射針をブロックするレベルの腰椎横突起に当てたのち、いったん2〜3cm引き抜き、ほぽ同じ角度で椎弓根下縁に向かって内下方に進め神経根に針先を進める。針先が神経根に達すると患者が放散痛を訴えるので、それを確認してから局所麻酔薬を注入する。
3)腰部神経根ブロックの合併症には、頻度は少ないものの腰部硬膜外腔内の出血から生じる硬膜外血腫がある。これによって神経が圧迫され、当該領域の麻痺やしびれなどが現れるので、麻痺等が強い場合にはMRI等による緊急検査が必要である。硬膜外血腫が認められた場合には24時間以内の手術療法(椎弓切除および血腫除去術)が必要とされている。
そして本件の争点である、注射後の措置におけるYの注意義務違反とXの後遺障害との因果関係について、「Yは7月30日午後6時頃の時点において腰部硬膜外血腫による神経圧迫が生じたことを疑い、その緊急検査または緊急手術を行うため、自らこれらの処置をするか専門医等に転医の措置をとっていたならば、本件のような後遺障害は生じなかった。
Yは、腰椎神経根ブロック後に腰痛の訴えがなかったことをもって腰部硬膜外血腫と判断することができなかったとして注意義務違反にはあたらないと主張しているが、腰部硬膜外血腫の場合には腰痛のみならず血腫が生じた神経の支配領域についての麻痺・しびれ等が現れるものであり、本件では神経の支配領域に属する右下肢に麻痺が生じているのであるから、注射により腰部硬膜外血腫が生じたと判断してしかるべきであった。
またYが過去に、翌日麻痺が回復したという事案を数例経験していたとしても、注射後3時間経過しても麻痺が残っていた患者において具体的状況が全く同一ということはあり得ず、これをもって注意義務の存在を否定することはできない。またYは、神経圧迫が生じてから24時間以内に手術をしたとしても麻痺が残る場合もあると主張するが、Yの注意義務違反とXの後遺障害との
間に相当因果関係があるとする前記認定判断を左右するものではない」とし、腰部神経根ブロック後のYの注意義務違反を認め、Xに68,396,270円を支払うよう命じた。
考察
本件は硬膜外の静脈叢を穿刺した結果出血を来し、硬膜外腔に貯留した血腫が神経(根)を圧迫して麻痺を生じ、後遺障害が残存した例である。静脈叢に接近している神経を局所麻酔薬にて麻痺させる神経根ブロックにおいて、静脈叢を穿刺することなく行うことは、ブラインドで行う以上困難といえよう。
静脈叢の穿刺をしても出血を少なくする対策をあらかじめ講じておくことが必要である。万一出血し血腫が生じても、可及的速やかにこれを除去する努力がなされてこそ、不可抗力性が認められるといえるのではないだろうか。
また医師は、出血傾向を予見してこれに対する方策を立てる必要があろう。前日本医科大学麻酔学教授の横山和子氏は編著書の中で次のように警告している1)。「神経ブロックであるから局麻薬の血管拡張作用があり出血が持続する傾向にあることは致し方ないとしても、慢性腰痛に罹患している患者は長期にわたってNSAIDsの投与を受けていることが多く、また脳梗塞の既往がある患者では血液凝固阻止剤であるアスピリンの軽量投与を受けている者があり、その他ヘパリンやワルファリンなどの抗凝固薬の投与を受けていたりするので、硬膜外ブiコックの施行前に休薬期間を置く必要がある。また長期にこれら抗凝固薬の投与を受けていた者に対しては、ブ
ロック注射施行前には必ず凝固系の検査を行う必要がある」。
硬膜外血腫の発生に対しては、予防に心がけるとともに早期の診断と治療が後遺症を残すか否かの重要なポイントになっている。
参考文献
1)横山和子編著 「脊椎麻酔ー正しい知識と確実な手技」 東京:診断と治療社、2000年.
2)日本整形外科学会整形外科疾患における肺塞栓症予防ガイドライン委員会.肺血栓塞栓症/深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)予防ガイドライン.日整会誌2004;10:742〜92.
注:「」内の判決の引用は、趣旨を損なわない範囲で一部、加筆・訂正を行った。
(加茂)
わざわざ、痛みの通り道であるかもしれない神経根をねらってブロックする意味がない。
私は19mm27Gの注射針で圧痛点をブロックする。ぎっくり腰なら10mlぐらいの局痲でよくなる。
圧痛点をブロックするほうが、局所の血流改善、発痛物質の洗い流し、確実、患者さんの恐怖心が少ない、麻痺などの副作用はほとんどない。
神経(根)が血腫で圧迫を受けたら、緊急手術(24時間以内)が必用ということです。ヘルニアの場合と大違いですね。なぜなんでしょうかね〜。