心身症はどのようにしておこるか

「心療内科:池見酉次郎著」


 

九州大学名誉教授  池見酉次郎著

1963年初版

中公新書

 

 

 

 

心身症ばどのようにしておこるか

緊張、転換、暗示、医原性、注意の固着等々のからくりは、神経症をおこさせるものとしてもっとも代表的なもので、このほかにもいろいろとある。このようなからくりは、それぞれ単独に働くというよりも、そのいくつかが重なり合って作用するのがむしろ普通である。また、これらが主体として働くばあいは、前神経症状態ー緊張状態ーやノイローゼの段階にとどまることが多い。

以上のようなからくりによっておこる神経症の中でも、不安や欲求不満をおこしやすいノイローゼ的な「性格」のあり方が中心になっておこるもの(ヒステリーなどのいわゆる精神神経症)と、外界
の「現実」がきぴしすぎることによって不安や欲求不満をおこしているもの(いわゆる現実神経症)
とに大別して考えられている。

私どもは心身症を次のように定義している。

「感情、特に抑圧されて意識に上りにくい感情にたいする正常な生理的な反応(怒りを深くおさえていると頭痛がしたり血圧か上ったりする)が慢性に拡大された形で現われることによって、一定の器官に持続性の機能的変化、またはこれから進展したと思われる器質的な変化を現わしている疾患」

これは大体、世界各国のこの道の専門家の意見をまとめた上での説明である。ただし、心身症
ではもちろん、一般の体の病においても、先にのべだノイローゼをおこさせるいろいろなからくり、特に転換反応的なからくりが、多かれ少なかれからんでくることを忘れてはならない。

たとえぱ次にのべる心身症の例では、以上のさまざまな要素が混在していることに気づかれることと思う。

失恋の痛手で首が廻らない娘

二十三歳の未婚の女性。美しい顔だちの人である。彼女が私どもの心療内科に来るのには、たまたま九大病院を訪れ、他の科での受診が終って病院の玄関まで来たとき、玄関番のおばさんが、「そんな奇妙な病気はI先生のところに行けば治りますよ」と教えてくれたので、その足でまたひき返してきたというようなエピゾードがあった。

「奇妙な病気」というのは次のような症状である。三十四年四月の初め頃、急に肩、.頸にかけて、こったようなはげしい痛みがきた。それが一週間値ど続いたあと、なんとなく正面を向きづらく
なり、人目につくぐらい頸が左下に傾いてきた。その後は日ごとにひどくなって、とうとう首を正面にあげることがほとんどできなくなってしまった。

九月初めに私どものところに来るまで、約五ヵ月のあいだ大病院の精神科や整形外科を転々と廻り、薬や注射、はては頸を延ばした状態で牽引装置にくくりつけるという治療までも受けたが一向に快方に向わなかった。

これは「斜頸」といわれるものである。その原因はいろいろであり生れつき一方の首の筋肉が短いために傾くもの、頸にいろいろな病変があって曲がるもの、目や耳の病気のためにおこるもの、いつも首を傾ける職業の人におこるものなどがある。このほかに「痙直性斜頸」といって神経系の病変(脳炎など)のために片側の頸に痙攣をおこして、頸か一方に曲がることもある。これと同じ種類の斜頸で、感情のもつれによっておこるものがあるとされている。このばあい、頸が片側に廻ったり曲がったりしたきりになるものもあるが、間を置いて首を一方に廻したり曲げたり繰り返すものが多いようである。

このひとのばあい、九大の整形外科でも頸には別に変化はないということだったので、感情が
関係しておこった痙直性斜頸と思われた。

彼女は両親そろった円満な家庭に育まれてきている。昭和三十一年から、ある料理学校にかよ
うようになったが、間もなくそこの経営者の息子の大学生と恋伸になった。彼の両親は二人の交
際に寛大であったが彼女の両親は相手が学生だというので反対であった。ところが、三十三年秋頃、彼が肺結核にかかって療養するようになってからは、彼の両親までも結婚に反対するようになった。そこで三十四年一月に二人で語し合って、以後は恋人としてでなく兄妹みたいな交際を続けようということになったのである。

やがて文通もとだえがちになり、彼女は一切を諦めようと努めた。その年の三月になって彼女に縁談が始まったが、一向に気のりがしない。その時になって、はじめて諦めきれぬほど深く彼を愛している自分を知ったわけである。二晩ほど一睡もせずに考えたあげく、「結婚はすまい。職業で身を立てよう」と決心し、四月初めからタィプ学校に行きはじめた。「奇妙な病気」が始まったのはちょうどこの頃である。

一見にこやかで人づきあいのよい人柄、しかも美人ではあるし、立派な人妻になれる素質の持
主と思われた。しかし頸が曲がったままでは結婚の望みもなく、本人はもとより家族の心痛も深
刻であった。

この種の斜頸の数例を主として精神療法で治した私どもの経験によると、いずれも恋愛の破綻、
職場での対人関係のもつれ、他人の都合のためにやむなく強いられた転任、同僚が自分より先に昇進したことの不満などによって誘発された肩、頸のこりに端を発し、それがつづくうちに頸が
動かしにくくなっていた。

だいたい頸が傾いた状態は人目につきやすく、本人もひどく気になる症状であろう。それに捉われれば捉われるほど緊張して症状がひどくなり、これが悪循環となって、いよいよ症状が固定するもののようである。こうした人たちに共通しているのは、性格的にまじめで柔軟性に乏しい点であり、それだけに進退きわまった状態に陥りやすいということである。このような状態を「首が廻らぬ」とはよくいったものと思う(これを象徴的な「意味づけ」と解すれば、転換反応の色彩をもつものとしてよかろう)。しかも従来は、心因性の斜頸には医学的にほとんど施すすぺがなく、頸部の神経を切断する手術などが行われ、その結果も思わしいものではなかった。

彼女については、面接をくり返して自分の症状の原因をよく自覚させるとともに、私どもの集団療法のグループに入れて、症状に関係なく正常人と同じような日常生活(掃除、洗濯、買物、炊事
その他)をおくらせるように指導した。

ある時、私が集団療法の一環として、「心と病」「心身症の治し方」などの話をしながら、彼女の方を気をつけて見ていた。初めの間は頸が左下方にひどく傾いて、私の顔も黒板もほとんど見ることができないようすであった。ところが話が大分進んでからのこと、二、三分も真直にはたもてないはずの彼女の頸が、二〇分余りもまっすぐになって一私の方を見つめつづけているではないか。そこで思わず私は「ほら、あなた頸はまつすぐになっていますよ」と口をすべらした。そのとたん、彼女の頸は曲がった状態に逆もどりしてしまった。

彼女のばあい、まずかねての面接やなにかで症状の原因のありかがわかりかけてきていたとこ
ろに、一集団療法の「心と病」の語でそれがはっきりと自覚され(不治の業病にとりつかれている
という長い間の固定観念(条件づけ)がほぐれてきたものと思われる。それに、いつもは周囲の人
たちの目を意識すればするほど症状が悪くなっていたのに、話にすっかり心を奪われて、そのよ
うな周囲にたいする気がねだけでなく、症状そのものにたいする捉われからも解放された状態になっていたんのであろう。説教を聞いているうちに病気が治ったというような宗教的な奇蹟といわれてきたもののなかには、この例でおこったと同様の現象もあるにちがいないと私は考えてい
る。ところが、私かうっかり彼女に呼びかけた瞬間、ハッとしで我に返り、長いあいだ心にしみついでいる症状にたいする捉われ、いっせいに彼女の方に好奇の目を注いでいるであろう周囲の
人たちにたいする恩惑などが、一時につよく頭にきて、またもと通りになってしまったわけであ
る。

しかし、これと似たような体験をくり返しながら治療をうけているうちに次第に自信をとり返し、二ヵ月後には、日常の仕事に追われて頸のことを忘れていることも多くなった。意識していない間はほとんど症状が消失するようになり、それから一ヵ月半ぐらいで退院できるまでに治ってしまった。入院している間に失恋の痛手も一応いやされたのであろう、退院してから一年余で新しい相手との結婚生活にはいることもできたのである。


(加茂)

骨折、悪性腫瘍、感染症をのぞくほとんどの筋骨格系の痛みは心身症(生物・心理・社会的症候群)ととらえるべきです。

「感情、特に抑圧されて意識に上りにくい感情にたいする正常な生理的な反応(怒りを深くおさえていると頭痛がしたり血圧か上ったりする)が慢性に拡大された形で現われることによって、一定の器官に持続性の機能的変化、またはこれから進展したと思われる器質的な変化を現わしている疾患」

またはこれから進展したと思われる器質的な変化・・・・・筋硬結

疼痛性側彎といわれている体幹のゆがみも「痙性斜頚」と同じメカニズムだろうと思います。

 

加茂整形外科医院