身をまもる「心のからくり」

「心療内科:池見酉次郎著」


 

九州大学名誉教授  池見酉次郎著

1963年初版

中公新書

 

 

 

 

身をまもる「心のからくリ」

これまでのべてきたように、生れながらの素質ばかりでなく、誕生直後からのさまざまな感情体験が、各人のひととなりを大きく左右する。しかも、幼時に欲求不満の軸をなすものは、母親との一心同体的な愛情関係からの分離の不手際による心のもつれであり、人生の早期に加えられた心の痛手は、性格の歪みとなって永く残るもとのされている。この性格的な偏りは、子供の時
には神経質な子供だといった程度で見すごされがちだが、大きくなるにつれて、次第にきびしくなる現実の試煉に不適応をおこして、心身のバランスがくずれやすくなる。

このような心の弱点をもちながら、不適応による心の破綻から自分を防衛するために、人はい
ろいろな「心のからくり」を、人生のごく早期から無意識のうちに覚えこんでしまう。たとえば、抑圧、反動形成、投射、退行、転換、昇華などとよばれるのがそれである。

抑圧、禁圧

これについては先にものべたが、ノイローゼや心身症の発生において重要な働きをなすものである。性格の安定をおぴやかし破局をまねく恐れのある危険な欲求や、過去の苦痛な記憶などを、自分に認めないように抑えつけてしまうことである。先の「切腹を迫られた婦人」の例では、このからくりがよくうかがわれる。これが無意識的に、自動的に行われるばあいを抑圧といい、意識的な努力によって行われるばあいを禁圧という。

反動形成

ある欲求や態度がそのまま行動に現われると、社会的、道徳的に、あるいは自己保存のため
に障害となるので、無意識的にこの欲求とはまったく反対な熊度をとったり、行動をしたりすること。

投射

抑圧されているので、自分のものとはわからない無意識的な欲求や態度を他人のものとみなすこと。たとえば、自分が相手に憎しみを向けているのに気がつかず、人が自分を憎んでいると考えるなど。

退行

現在の苦痛な耐えがたい状況から、もっと依存的であり、保護されていた幼児的な状態にあと戻
りすること。

転換

感情の身体化のからくりの一つとして重要なものであり、先にのべたように、不安をおこすような感情的な葛藤や、みたされない欲求を、体の症状を通じて表現する過程である。

昇華

もっともよい適応の手段であり、社会的に認められないような衝動や欲求が、文化的、社会的に
高い水準の行動!スポーツ、学問、芸術、職業などにたいする興味や努力として移し変えられること。

こうした「心のからくり」はまだほかにもいろいろとあり、不安から免れ、なんとか適応しようとするための手段ではある。しかし、そのなかには現実を歪めたり、それから目をそむけたり、それを拒んだりなど、かなり非合理なやり方のものも少なからず含まれている。したがって、このようなからくりが勢力を強めてくると、精神的な発達を妨げたり、性格の柔軟性や適応性を失わせてしまったりする。また、これらのからくりを働かせすきたり、いつも用いることが習慣のようになると、適応にはならずにかえって不適応をまねくことにもなる。

ここにあげたような性格の弱点を補うためのさまざまなからくりが、無意識のうちにつくられ、これが生れながらの性格傾向の中に組み入れられて、十人十色の性格ができあがる。そのような、
各人によってそれぞれことなる性格という色眼鏡を通じて、れれわれは世の中を見、人生を感じ
とっているわけである。これは、天桂和尚の「悟りというのは眼のサヤをはずして見たるがよき
じゃ」とか、宮本武蔵の『五輸書』にある「その身その身の心のヒイキ、その眼その眼の歪みによりて」ということになろう。

このような意味では、われわれは一見同一の世界に住んでいながら、それぞれ相ことなる世界
ないし宇宙の中に住んでいるともいえる。そしてこの点がよくわかっていないと、つねに各人の
性格と深く結びついている人間の病気を正しく理解できないことになる。そのさい特に間題にな
るのは、われわれの心の「無意識」の部分である。

心理療法によってノイローゼや心身症が治るばあい、それまで無意識だったものが、次第に意
識化されてゆく過程が重要な意味をもっているからぞである。つまり、それは今まで気づかなかったことに気づいてくる過程であり、一種の「悟り」ともいえよう。

ここでいう「無意識」は、普通、精神分析でいわれる無意識よりも広い意味のものである。多くのノイローゼや心身症の患者は、自分の体の症状と、その背景をなす感情問題との関係を意識していない。また、自分の不安や憤りと体の症状との関係には多少気がついていても、そのような感情問題の核心がなんであるかについては、自分でははっきりしていないことが多い。精神分析でいう無意識の主体となるものは、心の深いところにある本能や衝動と、それと関係のある感情、ものの感じ方、性格などを決定している無意識の傾向などである。

無意識の意味をさらに広げて考えてみるに、人間にとつっては、自分と縁のうすい他人との人間関係をととのえることよりも、自分に一番身近な両親や肉親との間の愛情関係をロントロールすることの方がはるかにむずかしく、しかもわれわれは、そのことに気づかないために、この一番大切な問題をなおざりにして生涯の禍根としていることが少なくない。また、われわれは他人のわずかな好意に感激しなからも、最大の恩人である両親などにたいしては感謝の念がうすれがちである。それらばいずれも、一方的に貰うばかり、要求するばかりの愛情関係からの分離が正しく行われていないことに起因しているようである。このような分離がうまく行われないところには、感謝は生れない。

加茂整形外科医院