特集 身体表現性障害

[座談会] 原因不明の身体愁訴を訴える患者の診断とその対応をめぐって

福井次矢 聖路加国際病院=司会
牛島定信 東京女子大・心理学科
片山義郎 みたかメンタルクリニック
久保千春 九大・心療内科
(発言順)

平成17年1月13日(木)収録

日医雑誌第134巻第2号2005年5月


福井(司会)私のように総合診療とかプライマリ・ケアに携わっていますと,身体表現性障害(somatoform disorder),身体化障害(somatization disorder)という範曉に入ると思われる患者さんが非常に多いという気がします。私の前任地,京都大学医学部附属病院総合診療部での10年間の経験でも,外来でフォローしている患者さんの30%近くがこのような範疇に入るのではないかと思われるくらいでした。私自身,かねがねこの病気についてまとまったお話を聞きたいと思ってい
たものですから,本特集の企画に携われたことを嬉しく思っています。

本日は,3人の専門の先生方から,身体表現性障害についての鑑別診断,この病気の重要性,現代社会における意義などについて,お話を伺いたいと思います。

「器質的疾患の見つからない身体愁訴」への関わり

福井器質的疾患が見つからずいろいろな身体愁訴の多い患者さんに,先生方がどのように関わってこられたのか,最初に牛島先生からお話しいただけますでしょうか。

牛島私は40年余り精神科の医師をしていますが,4,5年を除いてはほとんどが大学病院で患者さんを診てきました。それを踏まえて,大学病院の精神科の立場からお話しできればと思います。

40年の間には身体表現性疾患といわれる患者さんたちもずいぶん変わったなという感じがしています。

最初のころは,体の症状にひどくこだわる人たちか,心のモヤモヤの問題を体の症状に
移し変えてしまって,あとはケロッとしているという,いわゆる転換症状でした。昔,ヒステリーといわれた人たちです。もちろん,不安とそれに伴う身体症状,抑うつに伴う身体症状はありましたが,そうした身体症状にはあまり関心がなかったのです。ところが最近では,その辺りの境界が明確でなくなったという感じがします。

片山大学病院および総合病院,そして単科の精神科病院と,私も精神科畑をずっと歩んできて,現在は東京の三鷹市でメンタルクリニックを営んでいます。地域医療において総合病院の外来に相当する精神科診療を担おうという意図もあり,身体面の検査は一切行わず,地域のかかりつけ医の先生方からのご紹介の患者さんを主として診ています。

かつては転換タイプ心身症タイプの患者さんが多かったように思うのですが,牛島先生がおっしゃったように,最近では非常に漠然としているケースが多いような気がします。軽いうつや不安を伴うケースなどは一般の開業医の先生方もかなり診療される時代になっていますので,一般医にふるいに掛けられて,われわれの所に紹介される患者さんは,かなりこじれているケースが多く,治療上難航する場合があります。

このような患者さんたちは,内科,整形外科,外科,産婦人科から依頼されることがほとんどです。したがって,地域完結型の医療と申しますか,他科から依頼されたメンタルな要素が絡む患者さんを診るのが,地域での日常臨床上の私の役割だと考えています。

福井久保先生,いかがでしょうか。

久保心療内科では,多くの身体愁訴をもった患者さんが受診してきます。一般病院からの紹介患者さんが6割くらいいますが,月間約100名のうち4〜5割近くがいろいろな身体愁訴をもった患者さんです。

うつ,不安に伴う身体症状,あるいは身体表現性障害,以前は自律神経失調症と言われ
ていたような方が心療内科を受診される患者さんには多いという印象です。

「器質的疾患の見つからない身体愁訴」の鑑別診断

福井一般内科や総合診療の分野では,身体症状は訴えますが器質的な病気が見つからず,通常の説明では納得してくれない患者さんが少なくありません。こうした患者さんの多くは、次々と異なる身体症状を訴えてくるので大変困惑してしまいます。その場合,身体表現性障害かなと漢然と考えますが,診断をきちんとしようとすると,かなり厳密な項目を満たさないといけないのではないかと思うのですが、牛島先生,診断についてお話しいただけますでしょうか。

牛島たとえば.しつこく体の症状を訴えてくる人たちは.明らかに機能的,器質的な変化が起こること.すなわち下痢をするとか,嘔吐がある場合には.心身症と考えられます。

われわれがいちばん最初に目に付くのはいわゆる心気症状で.頭が痛いと訴え,その背後に何か重大な病気があるのではないかとこだわり,しつこく訴えてくる。そのような人はしばしば妄想的にさえなります。非常にこだわりが強く.しつこく訴えてくる患者さんには,私どもも扱いに困ります。

一方,一生懸命訴えているときは,はなはだしい症状の様相を呈していますが,だれも関心を示さなくなると症状がなくなってしまうようなタイプ.いわゆるヒステリー(転換症状)と呼ばれる人たちがいます。このような症状の鑑別は比較的簡単だったような気がします。

不安に伴う身体症状の場合は,不安感が前面にあるので,医師も患者も不安感を中心に考えてしまい,身体症状にあまり気を取られません.うつ病に対しても,うつが前面に出るので,うつにさえ注意しておけばよかったのです。

ところが最近は,たとえば心気症状を訴える患者さんは,体の症状に非常にこだわっており,「私は重大な体の病気」と言っている段階では不安感はあまりなかったのですが,その不安感が簡単に消えなくなってしまいました。また,転換症状を起こす人たちも同じく不安が伴い,その不安を避けるために転換症状をつくるのですが,非常に不完全な転換症状しか示さないという現実があります。

そのため,われわれは,不安感があるかどうか,抑うつがあるかどうかで,身体症状よりもこれらに対応していくようになっています.。

ただ,最近は身体化障害(somatization disorder)という概念が加わって混乱を招いているように思います。これはもともと多症状性ヒステリーといわれたものです。普通ヒステリーといえば1つの症状ーたとえば,手足の麻庫で,心理的不安や葛藤の問題が解決すると,不安もなくなっていたのです。ところがそれとは別に,転換症状,心気症状,心身症の症状などを長年多彩に訴える患者さんの一群が存在します。19世紀にBriquet Pが記録し,1950年代にGuze Hがそれをもう一度取り上げ,DSM-IVで痛みのほうに焦点を移して絞り直したときにsomatization disorderというようになってきました。これは体質的,遺伝的な面があり,思春期の女性に始まり,年と共にどんどん症状も強くなっていき,症状の数も増えてくるような特徴があります。

ところが最近,比較的簡単に身体化障害という言葉が使われるようになったものだから,概念的に混乱してきているように思います。

福井実はそこに問題がありまして,この座談会を通じて私たち一般医も明確に言葉の使い分けができるようにならないかと考えました。おそらく今回の特集の中の他の論文でも診断について解説されると思うのですが,この座談会でも,分かりやすく伝えられればと思います。久保先生いかがでしょうか。

久保まず診断ですが,さまざまな不定愁訴や身体愁訴の患者さんを診た場合に,私はうつ病レベルなのか,不安障害のレベルなのか,あるいは,そのどちらでもない身体表現性障害なのか,鑑別します。そして身体表現性障害と判断した場合,身体化障害,心気症,転換性障害,疼痛性障害,身体醜形障害,鑑別不能型に分類されますが,それらのうちのどれに診断されるかになると思います。最初はうつ病,不安障害,それから身体表現性障害という順序で振り分けています。

うつ病の場合は最近,一般の先生方にも診断がかなり浸透してきていると思われます。

福井不安障害の診断も比較的容易ですね。そこで,どこにも当てはまらない人たちが身体化障害と言われたり,身体表現性障害と言われており,言葉の使い方が暖味になっていますね。特に一般内科や総合診療の分野でも,どちらかというと安易に身体化障害という言葉を使う傾向があります。明確な診断基準を用いなくてはならないのですが,臨床上は難しいことも多々あります。

牛島れまで不定愁訴とされていたものは,今日では身体表現性障害といわれているものだと思います。身体化障害は特殊なものですから。

久保そうですね。身体化障害は身体表現性障害のなかの,ある一部ですから。

福井片山先生はどう思われますか。

片山身体化障害という言葉は,一般臨床ではあまり使わないですね。たとえば保険診療上,こういう病名をつけても,現実的に通用しないのではないかと思います。

福井保険病名として認められていないのですか。

片山はい。たとえば薬の適応症を見ても,身体化障害という病名に対する薬など全くないわけです。したがって,「これは身体化障害に入るのかどうか」と細かく鑑別をすることよりも,まず患者さんを手助けするのにどう治療したらよいかを考えます。

身体表現性障害をさらにきめ細かく鑑別診断することは,研究あるいは統計処理をする場合を除くと,臨床上どれだけの意味があるのか疑問です。私も薬物療法と支持的な精神療法で対応するのですが,薬に関していえば,抗うつ薬か抗不安薬,不眠を伴えば睡眠薬を用いて治療し,患者さんが日常生活上支障のない元の状態に近付いていけるように一生懸命に手助けをしていきます。

私が診ている患者さんには,鑑別診断の難しい方が多いのですが,多かれ少なかれその身体症状の基盤に,うつや不安が存在しています。それを本人が意識しているかどうか,また,意識できるようになるかどうかが,治療上の課題になります。

転換性障害も,身体症状が出てしまえば不安やトラウマも抑圧されて,それには全く無関心になってしまいます。症状に安住するタイプの患者さんは本気で治す気があるのか疑問に思えることもあり,治療に難渋するのです。

福井内科の領域では,たとえばHarrison's Principles of Internal Medicineという標準的教科書に,身体表現性障害は内科領域で5%以上存在すること,診断基準としてはDSM-Wを用いること,などが記述されています。そして,4つの疼痛症状(pain),痛みを除く2つの胃腸症状(gastrointestinal),1
つの性的または生殖器症状(Sexualまたはreproductiye),1つのヒステリーのような偽神経学的症状(pseudo-neurologic)の8つの症状を満たさないと身体化障害とは言わないと
ありますが……。

久保身体表現性障害というのはいろいろな病態をひっくるめた概念で,そのなかの1つが身体化障害です。心気症,転換性障害,頭痛性障害も含まれます。

福井身体化障害は,かなり厳密な概念で,いわゆる身体表現性障害はその上位概念なの
ですね。

牛島そうだと思いますが,それはひとつは語感の問題だと思います。somatizationは心の問題を体で表現しているような印象を与えるため,多くの先生方はピッタリとした用語だと考えていらっしゃるのだと思います。これは内科の先生方が,心理的なことで悩み,精神症状を訴えてくる人たちを心因反応とおっしゃっていたことと似ています。精神科の医師からみると,心因反応は心因性の精神病のことで,心理的な原因で起こってくる神経症的な状態ではないのです。にもかかわらず内科の先生方はこれを「心因反応だと思います」といって紹介してきます。somatizationは,心因性の神経症と同じように,心理的な問題を体で表現しているという感じで使用されるのですが,正確には身体表現性のSomatoformということになるのです。

福井一般内科や総合診療のところで明確に使い分けしなくてはいけないと思います。


「身体表現性障害」と考えられる患者への対応

福井身体表現性障害の患者さんのマネジメントは難しいと牛島先生もおっしゃっていましたが,具体的にはどのように対応したらよいのでしょうか。

特にプライマリ・ケアの現場では,本当に難渋しています。器質的な病気が見つかったらホッとしてしまうくらいです。もし見つからなければ,かなり長期間付き合っていかなければいけないという気持ちになり,暗澹たる気持ちにさえなります。先生方は具体的にはどのようなアプローチをされているのでしょうか。

久保診断と治療の両面から考えていきます。身体愁訴を訴える患者さんと考えた場合,まず重要なことは,身体疾患をはっきり鑑別することが必要です。そして身体疾患を除外したあと,精神的な診断を行います。うつが強いのか,不安が強いのか,あるいは身体表現性障害なのかという観点からみます。

それともう1つ考えるべきことは,身体愁訴を訴える人たちの日常生活,すなわち食事,睡眠,運動など,生活パターンについて聞くことも重要です。

また,紹介されてくる患者さんのなかには,精神疾患だけではなく,医師ー患者関係の問題がある方も結構おられますので,心理的な背景の診断も大事だと思います。

福井薬はどのように使われますか。そもそも有効な薬があまりないように思いますが。

片山そうですね。でもやはり薬物療法は行います。しかし,それに先立ち身体的な疾患がほぼ否定されて来る方たちには「私がお手伝いできることは何があるのでしょうか」とまず伺ってみます。要するに私のメンタルクリニックに来る患者さんの多くは,一度一般医に身体面を診ていただいてから受診するので,ある種のセカンドオピニオンを求めているともいえます。「現時点では,症状に見合う体の病気はないようですが,当方なりにそのつらさを取るお手伝いをしようと思います
が,それでよろしいでしょうか」と切り出します。

福井患者さんに聞かれるわけですね。

片山はい。治療を任せてもらえそうであれば,たとえば,どういう点が日常生活に支障を来しているのか,これまでの経緯を聞きながら,不調を来したきっかけになった出来事として何か思い当たることはないかと尋ねてみます。

かつては,「何でもない(体の病気がない)のにそういう体の症状を訴えるのはおかしい」「精神科へ行って診てもらいなさい」などと言われ,内心怒って来た患者さんもいましたが,最近では「何かストレスがなかったですか」と聞かれてそのストレスの処理の仕方を相談するようにと促されるので,患者さんは安心してメンタルクリニックを受診されます。ストレスという言葉が,患者さんをとても楽にしているようです。

現代社会ではだれもがストレスを感じていると分かると,肩の荷が軽くなるようです。つまり,一般医がストレスと体の症状が関連していることを患者さんに何となく気づかせてくれるので,メンタルクリニックの受診に対してあまり抵抗感がなくなってきている印象を受けます。

診療情報提供書にこれまでの検査データと現在使用している薬が記載されていますので,私は,すでに処方されて無効だった抗不安薬や抗うつ薬とは多少系列の違う薬を処方して,あとは話をよく聞くことで治療を開始し,しばらくの期間経過をみるようにしています。ですから長期的な構えで患者さんを受け入れ,決して焦らないようにしています。

福井そういう患者さんの診察にはどのくらいの時間をかけられますか。

片山初診の場合は少なくとも40分,再来患者さんは1時間に3人,大体1人20分ぐらいです。20分間あると,患者さんの1週間の生活スタイルの要点が分かります。治療初期は再来までに時間が空きすぎると,その間の出来事をいろいろ話そうとするのでたくさん時間がかかってしまいます。ですから,状態が落ち着くまでは大体週に1回,時間を決めて診ています。

福井それでかなり良くなりますか。

片山はい,そう思います。クリニックを「卒業」する人がかなりたくさんいますし,ある時点で患者さんも自分自身と妥協するというか,納得するというか,とにかく死に至るような病気ではなかったということが分かると安心し始め,かかりつけ医に2〜3か月に1回ぐらい検査をしていただいて,特段支障がなければ患者さんのほうから「あとは経過をみてみます」などと言ってくれます。しかし,ずっと来院し続ける人もいます。

福井そうですか。牛島先生はいかがでしょうか。

牛島診療時間ですが,私はせいぜい10分前後のことが多いですね.時と場合によっては,20分,30分のこともありますが,いつもではありません。

症状にこだわるような心気症の人は,一般にどこかに欲求不満があります。欲求不満を吐き出・してやることが基本ですが,抑圧が強いので,かなり時間がかかります。非常に辛抱強く診療することが必要になってきます。

転換症状を訴える人は,愛情問題でトラブルを起こしていることが多いので,その辺りの話を聞いていくと,症状が割と簡単に消えていきます。

ただ,久保先生がおっしゃるように,体の症状を訴える人たちは,不安を基盤にしているのか,抑うつを基盤にしているのかの見分けが大事だし,それに合わせた治療が必要になります。

福井そこがポイントなのですね。

牛島転換はすぐに消えてしまいますが,心気的なものなど,不安や緊張を非常に強く訴える人たちが出てきました。たとえば,全身の頭痛を激しく訴える30歳代の女性がいます。いろいろ話を聞いていくと,夫との間に非常な緊張関係があるのです。夫の前に行くと痛みを感じることが,治療の経過で分かってきました。そこが治療のポイントになり,薬もそれに合わせた治療になります。たとえば,エチゾラム(デパスJ),アルプラゾラム(ソラナックスO)などのベンゾジアゼピン系統の薬を使います。

それからもう1つ,ものすごく気を遣いすぎるがゆえに心が決まらないような不安症状があります。こういう場合はSSRI (selective serotonin reuptake inhibitor;選択的セロトニン再取り込み阻害薬)やSNRI (serotonin noradrenalin reuptake inhibitor;セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)が良いと思います。

それから,うつのときに注意しなければいけないのは,たとえば体がだるい,頭が重い,痛いと訴えてくる患者さんが時々います。実は頭が重いとか痛いのは,頭の回転が悪くなってすっきりしない状態を精神症状に代えて体の症状として訴えているのです。体がだるくてどうしようもないと訴えるときは,静止症状といい,意欲の低下とか,億劫感が背後にあるのです。われわれが制止症状と呼んでいるものです。

このように身体症状というよりも,うつ症状ないしは精神症状としてとらえるべき性質のものが少なくありません。うつ感情には当然,食欲喪失,便秘など,さまざまな症状がつきまといますので,それらも頭に入れておかなければなりませんが,これらは身体症状のような精神症状とは区別しておいたほうがよいと思います。

もう1つ,緊張が伴ううつがあります。うつは別離の病気といわれます。大事な人を失ったあとにうつ症状が出てくるわけですが,患者さんのなかには,うつ感情に代えて,ものすごく身体症状にこだわる人がいます。

たとえば,70歳代半ばの男性で,ある企業の社長さんがいます。お父さんが95歳で亡くなりました。このお父さんとの間にずっと葛藤があったのですが,絶対的な存在だったので,お父さんがいなくなることさえ望んだこともありました。ところが実際に亡くなられると,自分がいかに頼っていたかが分かってくるのです。

その患者さんは「もう自分は破滅以外にない」と訴えてきました。口が渇き,舌炎があり,関節が痛み,全身疼痛がある。「もうこの世の終わりだ」と言わんばかりです。

私は診療をしていて,種々訴えながら,この人が一生懸命通ってくるそのエネルギーはどこにあるのだろうかと考えました。そこには生きたいという気持ちがとても強いと考えざるをえないのです。今までがきちんと生きてこなかったので,もう一度生き直してみたいという,ポジティブな感情があるのです。このような人たちには,SSRIや四環系抗うつ薬などを使いますが,それに加えて,この人のなかにある生きたいという気持ちを明確にしていくことが大切です。せいぜい10〜15分ぐらいの時間ですから大したことはできませんが,これだけでもずいぶん違ってきます。

福井久保先生,いかがですか。

久保治療に関する手順としては,身体症状があるので,まずは患者さんのいわれていることをそのまま受け入れます。たとえば,心因性の要素がかなり強い痛みでも,患者さんが訴える症状をそのまま受け入れて,その症状を軽減するための治療を行います。

まず最初に薬物療法を中心に行いますが,現在ではSSRIを中心に抗不安薬,抗うつ薬を使います。SSRIの効果が出るまでに2週間ぐらいかかるので,その間の不安に対しては抗不安薬が必要かと思います。SSRIはパニック障害や不安障害にもある程度効きます。基本はSSRIをべースにしながら,ベンゾジアゼピン系の薬を合わせて使います。

そして,薬物療法をする一方で,心理療法を並行して行います。特に心理療法の場合はその患者さんの個別の問題がいろいろとありますので,患者さんに応じた心理治療になると思います。

福井画一的にはいかないのですね。

久保患者さんの話をよく聞き,感情の発散,問題点の気付きを促すような治療をしていくのですが,最近ではパーソナリティに問題がある人もいて,しつこい人の場合はそのパーソナリティも考えていかなくてはなりません。特に境界型の人格障害といわれる人が痛みなどを訴える場合には注意が必要です。

痛みを訴える患者さんの場合,精神的な背景をみると,うつの人が約4割,転換性障害の人が約2割です。高齢者の場合はうつの人が多く,若い人に転換性障害が多い傾向があるようです。痛みを訴える人には抗うつ薬をべースにした治療を行います。

このように,抗不安薬,抗うつ薬,睡眠薬をうまく使って薬物療法を行い,面接を中心にした精神療法を並行して行うことになると思います。

福井もう1つ,私たち内科医は,器質的な病気がないかどうかに非常にこだわります。「訴え」があるから,とりあえずあれもこれもと検査をして,結局検査のオンパレードになってしまう。すべての検査をやらないと何となく不安で,患者さんも納得してくれない。多くの場合,全部の検査が終わってから,精神科や心療内科の先生方にお願いすることになる患者さんが多いのではないかと思うの
です。

内科医へのアドバイスとして,こういう場合にはそんなにたくさん検査をしなくてもよいというようなことはありますでしょうか。少しでも器質的な病気の可能性があれば,やはりそれをルールアウトするために検査が多くなってしまうのは仕方のないことなのでしょうか。

久保医師側も納得できるところまでは検査が必要と思います。心療内科にも内科的な疾患をもつ患者さんが結構来られます。診療の途中で身体疾患が出てくることもあるのですが,それを見逃すと誤診となり,医療訴訟になると非常に困りますので,絶えず身体疾患にも注意しながら診療しています。しかし,ある程度身体疾患を治療しても症状が残る場合は,精神的側面の評価をして,薬を使って様子をみることも必要だと思います。

牛島それがまさに「身体表現性障害」の現代社会における意義だという気がします。

身体表現性障害の現代社会における意義

福井結局,現代社会の有り様が身体表現性障害を助長しているのではないかと思われますね。

牛島不安を通じて体の症状を訴えるのは,体の症状の背後には,周りに何かを訴えたい気持ちがあるんです。何か訴えようとしているが,どう表現し,どう抗議してよいか分からない。抗議したとしてもどう通じるかという不安があります。そこに,この人たちのもっている破壊性が加わってくると問題が深刻になります。相手をする家族も医師も,辟易してしまうという状況がそれなのです。

福井破壊性ですか。そういうとらえ方は初めて聞きました。

牛島結局皆さんの穏やかな心を壊してしまうのです。患者が症状を訴え続けることによって,周囲は辟易してくる。家族の心も壊れますし,医師の心も壊れるわけです。

福井本当にそうなんです。実際のところ,私たちも外来にそういう患者さんが来ると,その日一日,調子が狂ってしまうのです。心に傷を負うようなところがあって,内科医にとっては「そういう患者さんがなぜ自分の所に来たのか」と,看護師につい当たりたくなってしまいます。

久保そういう患者さんの場合は,精神科ではどういう診断になりますか。パーソナリテイの問題ですか。

牛島必ずしもそうとばかりは言えません。医師は,自分の心が壊されたときに,「この患者は性格的に問題がある」と診断することによつて,自分のバランスを保とうとするところがあります。一般にパーソナリティ障害は患者さんが社会生活に破綻を来したときに診断しますが,まだそこまでいかない人もそう呼ばれることもあるのです。

久保先生はあまりパーソナリティ障害とは診断されないのですか。

牛島いや,診断します。診断しますが,しつこいからという理由だけで診断することはありません。それなりの基準に従って行います。問題は,なぜこの人たちが破壊的であるかですが,訴えても自分の気持ちが通じないんだというところがあるのです。

たとえば,養育過程でひどい扱いを受けていることがあります。お父さん,お母さんは社会的にとても立派で,周りの人たちは高く評価している。そんなとき,子どもが何か訴えると「こんな立派なお父さん,お母さんはほかにいないよ」と言われ,自分は返す言葉がない。患者さんは「自分のなかに残っている不満や苦悩,絶望感は消え去るものじゃない」と言うのです。こういう訴えは最近増え
てきたように思います。

最近は,人と人との間の共感,心の触れ合いのようなものが非常に希薄になってきているような気がするのです。それが医療の現場にも入ってきていて,医師と患者の間で,心と心が触れ合う部分が非常に希薄になっているという気がするのです。

家庭で気持ちが通じないから病院に行くけれど,医師との間も同じく通じにくくなってきている。医師のほうも患者に共感するという部分が少なくなりましたね。

われわれが40年前に医師になった当時は,名医というのは内科であろうと外科であろうと,患者さんの気持ちは座ればピタリと分かるという感じの人でしたよね。

福井昔から臨床医にとって,compassion(共感性)が重要だと教えられてきましたが,最近では医療過誤から身を守りたい,そしてそのことが患者さんから一歩退くというスタンスになってしまったように思います。かつてのようにcompassionとかempathyという言葉が現実の診療で実践しやすかった時代とは意味が違っているように思います。先ほど牛島先生が言われたように,簡単には解決できない問題を抱えた患者さんが多くなっているのではないかなと思うのですが。

牛島そこが現代社会で問題ではないかという気がしますね。

福井医療者だけではなく,一般社会にもそれが言えますね。

牛島職場においても,家庭でもそうです。当然のことながらそれらは医療現場にも反映してきます。職場ではいつセクハラで訴えられるか,いつ内部告発されるか,戦々恐々としているわけでしょう。それと同じように,医療現場でもいつ訴えられるかとなってくると,共感する,触れ合うことが非常に難しい時代を迎えているような気がします。

福井片山先生も最初に,同じ身体表現性障害でも時代と共にかなり変わってきているとおっしゃっていましたけれども。

片山変わってきていますね。性格絡み,あるいは人格絡みというか,単純ではなさそうです。ですから,いきなり矢面に立つことが多い内科の先生は大変だと思います。内科の先生は患者さんから「早く治してくれ」と責め立てられているような感じになるのではないでしょうか。「また困った人が来ちゃった」と思うようですね。きっと外来で初めのうちに来てしまうと,その日1日,気が重くなってそれを引きずってしまうのではないでしょうか。

患者さんはいつも同じことを言うけれど,そのなかで何を訴えようとしているのか,そして患者さんの訴える身体症状を聞きながら,日常生活をどう送っているのか,見当を付けていきます。最近では,一人暮らしの人などでは一日中口を利かない人が多いようです。話す相手がいないのだそうです。そんな方は一通りの話をしてしまうと,何となく落ち着いてきます。話をする相手を求めて来て
いるのかなという感じさえ抱きます。ですから,それなりの対応をしています。

また,内科の先生は,何か病気が漏れていたら取り返しがつかないとか,責任を追及されるというような思いで相当検査をされると思うのですが,この辺りまででよいという線引きはとても難しいのではないかと思います。

福井たくさんの検査をしても結局何も見つからないと,何となく自分の無能力さを攻撃されているような,そういう気持ちになってしまうんです。

一般診療に携わる医師に対して,何か良いアドバイスがありませんでしょうか。

一般診療に携わる医師へのアドバイス

牛島医師と患者の間の心の触れ合いが難しくなっているだけに,ポイントは内科の先生方が,患者さんの不安や緊張がどういうものかを感じ取る能力のトレーニングが必要なのではないかと思います。

福井不安と緊張ですね。

牛島そうです。というのは,WHOが内科の先生方にうつの診断をさせたことがあるのです。そうしたら日本だけが特別悪いのですよ。

福井いつごろの話でしょうか。

牛島10年ぐらい前だと思います。精神神経学会では,研修医の精神科必修化の問題のときにそれを提示しています。不安や緊張は自分たちには関係ない,専門以外だと思ってしまっているところに,問題があるのではないかという気がします。

不安や緊張を感じ取ることで,検査をたくさんしなくてもいいようになる可能性はあります。

福井インタビューだけで診断できるということですね。

久保先生,内科医へのアドバイスをお願いしたいのですが。

久保通常の内科的治療で症状が改善しないときは,精神面にも目を向けることが必要だと思います。また,身体疾患とうつ病と不安障害が合併していることもあります。不安やうつがみられた場合には,それに対する治療と,身体疾患があればそれに対する治療を両方同時に行うことが必要だと思います。

それから,私たちにはどうしても「治さないといけない」,「症状を取り除かなければいけない」というような観念があると思うのです。でも,必ずしも症状を取り除くことを目指すのではなく,ある程度付き合っていく,日常生活をある程度やっていけるようになることで身体症状を減らせるというように考えていくと,治療者側も気持ちが楽になるのではないかと思います。

牛島身体症状を訴えるのは「つらい」,「何とかしてくれ」というマイナス思考に由来するでしょう。しかしこれは,マイナス思考だけではなくて,生きようとする力の裏の面でもあるわけです。だから私はよく「そういう症状があってよいではないか」,「あなたは生きようとする力が強い。むしろそのようなことを訴えて当然だ」とか「それでいいんだ」と言います。そういう言葉が患者さんを安心さ
せるし,医者のほうも安心できるのです。このマイナス思考にいかにプラス思考で対応するかです。

「これでよいのだろうか」という不安が強いから体の症状で訴えているので,「それでいいのだ」という対応が安心を与えるのだということです。

福井片山先生からほかにアドバイスはありませんでしょうか。

片山病気とは何かというと「dis・ease」な状態です。そこで「dis」を取り除いて,その人らしい「ease」さが戻ってくればよいわけです。その「dis」がなぜ起きたかを捉え,治療とはわれわれがこの接頭語の「dis(障害)」を取り除くことによって,その人なりに「ease」な生活が営めるようにすることだと思います。初めから症状を取ることにとらわれすぎずに,つらさを訴える患者を受け止めて支えていけば,内科の先生の役割はすむのではないかと思います。時間が経てば何か別な新しい身体疾患が併発する可能性もあるので,一定の問隔で検査をすることは大切だと思います。患者さんを見守っていくことに意義があると考えられると,内科の先生方も気が楽になるのではないかと思いますが。

福井若い内科の先生たちは,器質的な病気の可能性が少しでもあると考えると,こちらが心配になるぐらいMRIなどの検査を一気にやってしまいます。可能な限り,精神科の先生,心療内科の先生から,インタビューテクニックなどのノウハウを学ぶ機会をつくる必要がありますね。

久保臨床医学入門でコミュニケーションの仕方や面接技法を習うのですが,実際に患者さんに接して,体験してみないと分からない。やはりトレーニングすることが必要ですね。

福井客観的臨床能力試験(objective structured clinical examination≡OSCE)でチェックできるのはどちらかというと表面的なテクニックになりやすいようですから,次のステップが必要だと思います。主として身体疾患を扱う医師こそ身体表現性障害などの患者さんへの適切な対応方法を身に付けておかないと,誤った方向に患者さんを引っ張っていってしまう。それが医療への不信の原因や医療費の増大につながるのではないかと思います。

牛島よく医療の最前線と言われますが,最前線という言葉は戦争の真っただ中という意味でしょう。しかし最前線こそゆっくりした休養の場所であらねばならないのです。そうしないと,うつや不安を感じ取る力がそがれてしまいます。しかし現実には戦う場のようになってしまっている。現代文明がもたらしたある種の矛盾ですよね。科学が進めば進むほど余裕がなくなっていく。その辺りが現代医療の課題であるように思います。

福井非常に大きな問題ですね。

久保私は医療経済的問題が非常に大きいのではないかと思います。これらの診療には,ゆっくり患者さんの話を聞けるような体制が経済的に保証されていません。時間によって診療報酬が上がるというシステムができない状況では,数をこなして検査をしないと経済的に成り立たない。患者さんの話を十分聞いてあげると診療報酬が上がるようなシステムになったらよいと考えます。

福井そうですね。ぜひそういうシステムになるように働きかけていただきたいですね。

片山現代社会との関わりでは,長寿社会になって,国民全体が健康指向になっており,長生きをするなら「元気で」という流れになっています。それも当然といえば当然のことですが,こうした背景には現代人の健康障害に対する恐怖感,あるいは疾病恐怖があるのではないかと思います。健康を保持していくための関心が過剰なほどに高まり,疾病予防,そして早期発見,早期治療が叫ばれ,ちょっとした身体的な異常でもすぐ医者に行く傾向が強まっているように感じます。それが良い
のか,悪いのか…….とにかく,健康食品やサプリメントの伸びをみても,現代人は健康不安にとらわれていると思います。

健全な人ならばチェックを受けて「大丈夫です」と言われたら「ああ,安心した」で終わるのですが,今まで話に出た人たちはそれだけでは安心できずに不安で,さらにドクターショッピングをしたりするのです。

このような人たちに必要なのは適切な医学教育だという気がします。ですから患者さんには,教育的精神療法(educative psychotherapy)が必要で,日常のいろいろなことを話し合いながら病態の成り立つ仕組みなどに関して教育的アプローチをしています.そして,QOLを少しでも高めた生活を送れるように導いているつもりです。

福井最後にもう1つお聞きします。一般内科では日常臨床での診断上,DSM-IVとかICD-10を金科玉条のように見なす傾向にあります。それでいいのでしょうか.。身体表現性障害は,その下位レベルに身体化障害,転換性障害,疼痛障害などをもちます。

転換性障害は,患者さんとかなりコンタクトがとれてから初めて心理的原因のあることが分かることが多いですね。心理的原因が明確でない身体化障害の診断には8項目を満たす必要があり,一般内科では明確な診断がなかなか付かない患者が多くなってしまいます。

牛島かつては,精神医学は心の問題であるとされ,人間的な理解が必要とされてきました。その人のもっているいろいろな存在様式から出てくる病気だという見方がされていたのです。

ところがDSM-III、IVになってくると,条件が揃えば診断しましょうとなりました。そうなってしまうと,人間学的なところが非科学的と否定され,消えてしまうのです。

福井あまり考えなくてよいようにつくっているのですね。

牛島実はアメリカには精神病理学はなく,アメリカ人のいう精神病理学は症侯学なのです。症侯を並べて診断するので,ヨーロッパでは全然通用しません。

アメリカ人のもっている精神医学や,人間学,DSM-IVは,当然いつか行き詰まるときがくると思います。しかし,1980年代にDSM-IIIが出てきましたが,それ以降にトレーニングを受けた精神科医には心気とか,転換とかを訴える人はどういう人かという認識は全くない。先生の言われるように,DSM-IV の項目にただ当てはめるだけです。

福井あれは当初,研究の目的でつくったはずですね。

牛島だから「DSM-III,IVではこういう範疇に入るけれども,この人の場合はこうだ」という部分が消されてしまっているのです。

福井たとえば,転換性障害では,心理的な原因がはっきり分かればよいですけれども。

牛島心理的な原因が分からなくても,疾病への逃避や,それらしき雰囲気みたいなものがあればよいのです。

福井それが,なかなか分からない。「私,ストレスがありました」と言ってくれればい
いのですが,なかなかわれわれには言ってくれないのです。

久保患者自身がストレスを意識化していない場合が多いですね。

片山いくつかのファクターが絡んで,時間をおいて,ある日突然発症する場合もありますから,把握しにくいと思います。

久保心理的な問題だけではなく,身体的なストレスも,いろいろな症状として出る。不定愁訴などいろいろな身体的な症状が出る人も多いわけです。

牛島そのように非常に細やかな,検査所見に従って転換やヒステリーといわれていた領域に新しい病気が混じっていることが分かってくると,福井先生がおっしゃるように,やはり調べておかなければという形になってしまいますね。やはり,今後の課題でしょう。

福井本日は,身体表現性障害について,診断から治療まで,現代社会,現代医療に根差した問題を反映している病気であることを伺いました。私自身,精神科の先生や心療内科の先生と話をしているとカウンセリングを受けているのではないかという気持ちになりました。特に教育的インタビューが非常に重要だというお話を非常に印象深く伺いました。本日は本当にありがとうございました。

加茂整形外科医院