はじめに
本稿では,身体表現性障害の1つである心因性の慢性疼痛について述べる。
心因性の慢性疼痛の患者は,執拗に疼痛による苦痛を訴える。医師が十分な検査の結果,それらを説明するに足る身体的基礎がないと保証しても,医学的検索と鎮痛のための緊急処置を
要求し,医師を難渋させる病態である。
心因性の慢性疼痛は,ICD-10では,身体表現性障害のうちの「持続性身体表現性疼痛障害」に
相当し,DSM-IV-TRでは,身体表現性障害のうちの「疼痛性障害(慢性)」に相当する。
T.lCD-10診断基準
心因性の慢性疼痛は,ICD-10では,持続性身体表現性疼痛障害(persistent
somatoform pain
disorder;F45.4)に相当する。ICD-10では,「主な愁訴は,頑固で激しく苦しい痛みについてのものであり,それは生理的過程や身体的障害によっては完全には説明できない。痛みは,主要な原因として影響を及ぼしていると十分に結論できる情緒的葛藤や心理的社会的問題に関連して生じる」と規定している。
診断に当たって,「情緒的葛藤や心理的社会的問題」の存在の確認が必要である.このために
は十分な時間をかけた診察による情報の収集が要求される。しかし,疼痛を執拗に訴える患者
に対して,疼痛に直接関連しない話題をもちかけることは,患者の感情的な反発を誘うおそれがある。このような患者の感情的な反応を,客観的に評価する態度が求められる。特に病歴の長い,難治の患者に対しての初診時に,患者の疼痛の訴えの聴取を軽んじているような印象をもたれることは,治療の導入を妨げる結果となる。初診時の診察に当たって,精神科の診察であっても,いきなり心因を探ろうとする診察態度は患者の反感を招く。まず,患者の主訴である「疼痛」に焦点を当てた十分な問診が必要である。
U.DSM-1V-TR診断基準
心因性の慢性疼痛は,DSM-IV-TRの「疼痛性障害(pain
disorder)のうち,6か月以上の持続期間をもつ慢性型」に相当する。
以下,DSM-W-TRの診断基準を紹介する(表1)。
表1疼痛性障害のDSM-W-TR診断基準 |
A |
1つまたはそれ以上の解剖学的部位における疼痛が臨床像の中心を占めており、臨床的関与に値するはど重篤である。 |
B |
その疼痛は、臨床的に著しい苦痛または、社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。 |
C |
心理的要因が、疼痛の発症、重症度、悪化、または持続に重要な役割を果たしていると判断される。 |
D |
その症状または欠陥は、(虚偽性障害または詐病のように)意図的に作り出されたりねつ造されたりしたものではない。 |
E |
疼痛は、気分障害、不安障害、精紳病性障害ではうまく説明されないし、性交疼痛症の基準を満たさない。 |
亜型;心理的要因と関連,心理的要因と一般身体疾患の両方に関連,急性;持続期間が6か月未満,慢性;持続期間が6か月以上.
(高橋三郎他:DSM-W-TR精神疾患の診断・統計マニュアル,医学書院,東京,2002;479-484より引用) |
基準Aは,ICD-10の診断基準と共通な内容であり,慢性疼痛の臨床像の基本である。慢性疼痛の患者の訴えは激しい疼痛であり,強く治療を希望する。
基準Bは,疼痛による著明な苦痛と,疼痛の結果生じる機能障害の存在である。機能障害の例としては,「働いたり学校に行ったりすることができない,医療機関を頻繁に利用する,疼痛が患者の生活の主要な関心事になっている,かなりの薬物を使用している,および夫婦間の不和や家族の正常な生活様式の破綻などの対人関係の問題を生じる」などがある。
DSM-IV-TRの診断基準で,特に注目に値するのは,「心理的要因と関連した疼痛性障害」のみ
ならず,「心理的要因と一般身体疾患の両方に関連した疼痛性障害」の存在も明記している点で
ある。
「疼痛性障害を合併している可能性のある一般身体疾患は多い。疼痛と合併している一般身
体疾患のなかで最も一般的にみられるものは,種々の筋骨格系疾患(例:椎間板ヘルニア,骨
粗霧症,骨関節炎またはリウマチ性関節炎,筋膜症候群),ニューロパシー(例:糖尿病性ニューロパシー,ヘルペス後神経痛),および悪性腫瘍(例:骨に転移した病巣,腫瘍の神経浸潤)である」と記載されている。本稿では,後に腰椎椎間板ヘルニアを合併した,心因性の慢性疼痛の症例を提示する。
経過に関しては,「急性の疼痛のほとんどは,比較的短期間のうちに解決する。急性疼痛が長
びくほど,慢性かつ持続性になる可能性が高いようであるが,慢性疼痛の発症はさまざまであ
る。多くの場合,その症状は,その人が精神保健専門家が関与するに至るまでには何年も続い
ている」。本稿の症例も,精神科受診までに10年が経過していた。治療の導入に当たり決定的
に重要なのは,患者本人が疼痛を心因性と認識することである。
V.症例
30歳,女性(プライバシー保護のため,一部改変)
診断:腰椎椎間板ヘルニアおよび心因性の慢性疼痛(ICD-10;持続性身体表現性疼痛障害,
DSM-IV-TR;疼痛性障害)
主訴:腰痛
既往歴:特記すべきものなし。
家族歴:同胞4人第4子。遺伝負因はない.。
現病歴:20歳時,腰痛が出現.整形外科で腰椎椎間板ヘルニアと診断され,手術を10年間に8回受けたが,腰痛は全く改善しなかった。腰痛のため,就労も家事もできなくなり,失職し,離婚。9回目の手術を求めて,福島県立医科大学附属病院整形外科を初診した。
整形外科での検査では腰椎椎間板ヘルニアは存在するものの,腰痛を説明するのに十分な客
観的な所見は認められなかった。また,整形外科的に,手術の必要性は認められなかった。後
述の簡易質問票(Brief Scale for Psychiatric Problems in
Orthopaedic Patients;BS-POP)(表2)の高値から,精神医学的な検討の必要性が示唆されたので,整形外科から精神科に紹介された。
精神科初診時,患者は著明な腰痛を訴え,精神科診察室では,ストレッチャー上に,仰臥位であった。初診時,精神科治療には積極的でなく,整形外科からの受診指導をかろうじて受け入れている状態だった。精神科的には,一般身体疾患(腰椎椎間板ヘルニア)を合併した心因性の慢性疼痛と診断された。
整形外科と精神科合同のリエゾンカンファランスで,治療方針が検討された。その結果,「整形外科では手術を施行しない。鎮痛薬を使用しない。運動療法を行う。精神医学的検査施行後,本人および家族に心因性の慢性疼痛であることを告知する。精神科的な薬物療法(抗うつ薬を含む)を施行する」という方針が両科で共有され,実行された。整形外科入院中には,精神科外来に週1回通院,退院後は,福島県立医科大学附属病院整形外科および精神科外来に月1回受診した。加えて地元の整形外科で,毎日運動療法を施行した。その結果,退院約1年後に,
杖なしで独歩可能となった。疼痛の訴えは完全消失ではないが程度は軽減し,日常生活動作は
家事可能なレベルまで改善した。社会適応も良好となり,再婚するに至った。
W.整形外科とのリエゾン活動の紹介
整形外科の脊椎退行性疾患(例:腰椎椎間板ヘルニア)の診療のなかで,手術による改善が困難である症例の一部に,精神医学的問題が存在することを示す知見が集積されてきている。椎間板ヘルニアは,心因性の慢性疼痛を合併することの多い代表的疾患の1つである。
心因性の慢性疼痛の診療の例として,福島県立医科大学医学部での,整形外科と精神科とのリエゾン活動について紹介する。
両科による定期的リエゾンカンファランス(月1回)を施行している。出席者は,医師,看護師,理学療法士,臨床心理士,ケースワーカーなどの多職種に及び,症例検討を行い治療方針を決定する。このカンファランスを継続するなかで「どのような患者が,整形外科から精神科に紹介されるべきであろ、うか」という紹介基準の疑問が整形外科医からなされた。われわれは,整形外科医が利用可能な簡便かつ有効な紹介基準の作成を試み,BS-POPを独自に作成した。BS-POPは,「整形外科における精神医学的問題に関する簡易質問票(BS-POP)」である(表2)。今回提示した症例も,BS-POPの基準に従って精神科へ紹介され,リエゾンカンファランスで検討された,リエゾン活動を行った症例である。
おわりに
身体表現性障害の1つである心因性の慢性疼痛について述べた。心因性の慢性疼痛は,ICD-10における持続性身体表現性疼痛障害に,またDSM-IV-TRにおける疼痛性障害(慢性型)にそれぞれ相当する。臨床の現場で頻度が多いこと,患者の自覚的苦痛が強いこと,患者の職業や社会生活が著しく障害されること,鎮痛薬の使用が症状を悪化させること,などが臨床的に重要である。
症例として,10年間にわたり8回の手術を受けたが疼痛が改善せず,精神科的治療により回復した心因性の慢性疼痛の自験例を提示した。精神科的診断と治療に結び付けるための基準の例として,整形外科領域の心因性の慢性疼痛を疑うための,簡易質問票(BS-POP)を紹介した。また,心因性の慢性疼痛の治療に当たって,精神科と身体科との連携(リエゾン精神医学)の重要性を強調した。
文献
1)融 道男,中根允文,小見山実監訳:ICD-10精神および行動の障害一臨床記述と診断ガイドライン.医学書院,東京,1993;176-177.
2)高橋三郎,大野裕,染矢俊幸訳:DSM-W-TR精神疾患の診断・統計マニュアル.医学書院,東京, 2002;479-484.
3)佐藤勝彦,菊地臣一,増子博文他:脊椎・脊髄疾患に対するリエゾン精神医学的アプローチ(第2報)一整形外科患者に対する精神医学的問題評価のための簡易質問票(BS-POP)の作成.臨整外2000;35(8):843-852.
4)佐藤勝彦,菊地臣一,増子博文他:脊椎・脊髄疾患に対するリエゾン精神医学的アプローチ(第1報)ー脊椎退行性疾患の身体症状に影響する精神医学的問題の検討.臨整外1999;34(12):1499-1502.
5)佐藤勝彦,菊地臣一,大谷晃司他:脊椎・脊髄疾患に対するリエゾン精神医学的アプローチ(第3報)一腰仙椎部退行性疾患に対する手術成績に関与する精神医学的問題の検討.臨整外2004;39(9):1145-1150.
6)佐藤勝彦,菊地臣一,丹羽真一他:心理的評価からみた慢性腰痛に対する抗うつ薬の有効性と問題点.臨整外2004;39(11):1421-1425
表2 簡易問診票(BS-POP)
T.治療者に対する質問項目
|
質問項目 |
回答と点数 |
評価点 |
1 |
痛みのとぎれることがない |
1そんなことはない |
2時々とぎれる |
3ほとんどいつもいたむ |
|
2 |
患部の示し方に特徴がある |
1そんなことはない |
2患部をさする |
3指示がないのに衣服を脱ぎ始めて患部を見せる |
|
3 |
患肢全体が痛む(しびれる) |
1そんなことはない |
2ときどき |
3ほとんどいつも |
|
4 |
検査や治療をすすめられたとき,不機嫌,易怒的または理屈っぽくなる |
1そんなことはない |
2少し拒否的 |
3おおいに拒否的 |
|
5 |
知覚検査で刺激すると過剰に反応する |
1そんなことはない |
2少し過剰 |
3おおいに過剰 |
|
6 |
病状や手術について繰り返し質問する |
1そんなことはない |
2ときどき |
3ほとんどいつも |
|
7 |
治療スタッフに対して,人を見て態度を変える |
1そんなことはない |
2少し |
3著しい |
|
8 |
ちょっとした症状に,これさえなければとこだわる |
1そんなことはない |
2少しこだわる |
3おおいにこだわる |
|
合計点 |
|
U.患者に対する質問項目
|
質問項目 |
回答と点数 |
評価点 |
1 |
泣きたくなったり,泣いたりすること、がありますか |
1いいえ |
2ときどき |
3ほとんどいつも |
|
2 |
いつもみじめで気持ちが浮かないですか |
1いいえ |
2ときどき |
3ほとんどいつも |
|
3 |
いつも緊張して,イライラしていますか、 |
1いいえ |
2ときどき |
3ほとんどいつも |
|
4 |
ちょっとしたことが癩(しゃく)にさわって腹がたちますか |
1いいえ |
2ときどき |
3ほとんどいつも |
|
5 |
食欲は普通ですか |
3いいえ |
2ときどきなくなる |
1ふつう |
|
6 |
一日のなかでは,朝方がいちばん気分がよいですか |
3いいえ |
2ときどき |
1ほとんどいつも |
|
7 |
何となく疲れますか |
1いいえ |
2ときどき |
3ほとんどいつも |
|
8 |
いつもとかわりなく仕事がやれますか |
3いいえ |
2ときどきやれなくなる |
1やれる |
|
9 |
睡眠に満足できますか |
3いいえ |
2ときどき満足できない |
1満足できる |
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10 |
痛み以外の理由で寝つきが悪いですか |
1いいえ |
2ときどき寝つきが悪い |
3ほとんどいつも |
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合計点 |
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(佐藤勝彦他:臨整外 2000;35(8):843ー852より引用
(加茂)
椎間板ヘルニアは,心因性の慢性疼痛を合併することの多い代表的疾患の1つである。
ヘルニアという100%構造的な出来事と「慢性疼痛」という身体表現性障害が合併?するということをどのように考えるべきか。