整形外科における心身医学的アプローチ

インタビュー  最前線の医師たち

新しい疾患概念FSSに著効するSNRI・良好な医師・患者関係が前提に

Medicament News 第1815号 (2004年10月25日)別刷

谷川浩隆氏(安曇総合病院診療部長・整形外科信州大学医学部臨床助教授)


近年,器質的原因のはっきりしな;い痛みを訴える疾患群に対してFSS(Functional Somatic Syndrome,機能性身体症候群)という概念が用いられるようになってきた。このFSSは身体科の臨床の場でもよく見られる症例であり,抗うつ薬であるSNRl(選択的セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)の投与が有効であるという報告も増えてきている。今回は整形外科の谷川先生に,身体科医としての心身医学的アプ□一チの必要性,ならびに今後の患者中心の医療への展望を語っていただいた。


●身体科医が抗うつ薬を処方する際に必要なこと

ー心身医学的アプローチに興味をもたれたきっかけは?

谷川私の場合は,医学部在学中から精神科への興味が強かったこともありますが,7年前当院に赴任し整形外科と並行して3年間精神科の研修を受けたことが大きかったですね。

整形外科を訪れる患者さんで一番多い主訴は「疼痛」ですが,器質的な原因がはっきりしない“痛み”を訴える患者さんが結構います。また,他覚的検査所見の上では同じ程度の腰椎椎間板ヘルニアや変形性膝関節症の疾患でも,ものすごく困っている人とあまり困らない人がいる。この差は一体何だろう?という疑問が心身医学的アプローチに惹かれた原因です。

ちょうど私が精神科で研修していた頃,新世代の抗うつ薬が発売され,器質的な原因のわからない痛みを訴える患者さんにSNRIのミルナシプランを処方したところ非常にいい効果が得られたのです。この経験は実に貴重だったと今でも思っています。

ー整形外科で抗うつ薬を処方するのは,精神科での場合とは違うのですか。

谷川ええ,そこが非常に重要な点です。同じ痛みであっても,精神科の門をたたく患者さんは既に「この不愉快な痛みには心の問題が関係しているのではないか」と思っているわけです。ところが身体科の医師のところに来る患者さんはそうは思ってない。だから不用意に抗うつ薬を処方したりすると,患者さんは「腰や頸が痛いから整形外科を受診したのに何で抗うつ薬など飲ませるのか!」とたちまち医師に対して不信感を抱いてしまうのです。

ーそんな患者さんにはどのように説明されるのですか。

谷川例えばこう言います。「これはもともとうつなどの病気の治療薬として開発されたお薬ですが,普通の鎮痛薬で治らない痛みや長い間患ってだんだん重くなってくる痛みに効くという報告があります。私自身もこの薬をいろいろ試してみて効果があると考えていますので,飲んでみましょう」とね。また続けて「長く患っていると気持ちも落ち込みますよね。気持ちが落ち込むとまた痛みも悪くなるんです。この悪循環を断ち切るために少し気分を持ち上げる薬を使ってみましょう」とい
う説明もしています。この説明をしっかりしないと,患者さんは納得して薬を飲んでくれませんし,処方時に患者さんが疑問を抱かなくても,調剤薬局で抗うつ剤としての詳しい情報提供をされるとまた患者さんは疑心暗鬼になってしまう。薬剤師さんへの啓発も必要ですね。


●FSSという新しい疾病概念

ー患者さんへのていねいな説明は必須ですね。

谷川先述の器質的な原因の有無に係わらず痛みなどを訴える疾病概念として1990年代の後半から米国では,Functional Somatic Syndrome(FSS)という呼び名が提唱されるようになっています。その定義は「明らかな器質的原因によって説明できない持続する身体的訴えがあり,それを苦痛と感じて日常生活に支障を来している」というもので,線維筋痛症,過敏性大腸症侯群,慢性疲労症候群、舌痛症,間質性膀胱炎など様々な疾患が含まれます。このFSSの患者さんは,自分の痛みは器質的なものだと思っている場合が多く,身体科の先生に「どこも異常がありません,気のせいでは?」などと言われると,信頼感は全くなくなってしまいドクターショッピングを繰り返す傾向があります。

また,自分の痛みが器質的なものだと思い込んでいる患者さんほどこの疾患に罹りやすいようです。心理的な原因があるということを絶対に認めない。検査を繰り返しても何も発見されず,ますます症状は悪化し,立派な病者になっていく。その原因が心ではなく体にあるという前提(思い込み)のもとに心が病気を作り上げるという二重構造を持っているんですね。

ーそんな難しい患者さんに接する時,何か秘訣がありますか?

谷川ううん,難しいなあ(笑)。やはり医師と患者さんの相性というものもありますからね。医師患者関係が良好なら治療もスムースに行きます。

ただ私はFSSだなと思った患者さんには「器質的な原因がゼロということはあり得ません」と必ず言っています。たとえば50歳以上の人で脊椎のMRIを撮ればなんらかの加齢性変化があるのが普通で何も所見がない人なんていません。腰椎椎間板ヘルニアかそうでないかという診断も画像所見のみでそう白黒はっきりできるものでもないでしょう。器質的には同じような所見でも痛みを訴える人は腰椎椎間板ヘルニアと診断し,そうでなければ診断できない。だから私なりにFSSの定義を少し言い換えて「器質的な原因はどこかにあるが,それよりも,そのための障害や機能異常が非常に患者さんを苦しめている状態」として捉え,例えば腰椎椎間板ヘルニアという基礎疾患のあるFSSという形で説明をしています。

●背後にうつが隠れている症例ーPainful Depression

ーでは,FSSの具体的な症例をご紹介ください。

谷川手根管症候群の手術の後に,原因不明の痛みが出て手指が動かなくなった80歳の女性ですが,それまでにも何人もの先生に見てもらったがなかなか症状が軽快せず当院に来られました。そこでミルナシプランを処方すると2週間で痛みも軽快して手指が動くようになった。2ヵ月ほどで症状も落ち着いたので徐々に服薬量を減量していったのですが,すると今度はいろんなう
つの症状が出てきてしまった。実は,この患者さんは夫と未婚の50歳の息子との三人暮らしで,80歳という高齢でありながら一家の主婦として1日中立派に家事をこなしていたのですね。自分がいなくなったら家がたちゆかなくなってしまう。いろんなプレッシャーが重なってうつ病になってしまったけれど,ストレートにうつの症状は出ず,右手首の痛みとして現われてきたというのが私の解釈です。そこで,患者さんによく説明した上で精神科の先生を紹介しました。これはFSSでも背景にうつがあり,その表現形として痛みを訴える“Painful Depression”の典型例だと思います。この患者さんのような症例にSNRIは非常によく効くんです(図1)。

 

ーSNRlミルナシプランの特性について教えてください。

谷川まずこの薬剤は効果がきわめて早く現われます。早い人では数日後,大抵の患者さんはおよそ2週問で痛みが軽減されるのです。これは非常に大きな利点ですね。ただし全ての痛みが
取れるというわけではなく,患者さんは「とても楽になった」という表現をされます。投与前に10といっていた痛みが2から3になる。とにかく効き目がシャープなんです。

もう1つは副作用が少ないことですね。三環系抗うつ薬でも効果はあるのですが,副作用が強すぎる。SSRIと比べてもはるかにSNRIの方に効果が見られることから,痛みについてはノルアドレナリン系が重要なのではないかと考えています。また最近では,NMDAアンタゴニストの関与も注目さ
れてきているようですね。

以上の2点の特長をもった臨床で使いやすいミルナシプランだからこそ,ようやく整形外科医にも抗うつ薬が処方できる時代が来たと言えるのではないでしょうか。

●患者中心の医療のために

ーすると身体科の医師によるSNRlの処方は今後増えていくでしょうか?

谷川FSSの概念の普及が今後の課題でしょうね。そして“痛みの背後にはうつが隠れている”というケース(Painful Depression)があるという認識。研修医制度も改正されてスーパーローテーションで精神科の研修も必修となったわけだから,今後身体科の医師にも心身医学に興味を持ってもらえる機会は増えていくと思いますよ。もともと整形外科の医師はいい意味で真面目な方が多いので,通常の治療でどうしても取れない痛みがSNRIで良くなるという経験が得られれば,やっばり医師としては何にもまして嬉しいものです。ミルナシプランはコンプライアンスが良好で,あえていえば初期の吐き気が気になるくらいです。15mg錠の1日2回投与から開始し,必要であればナウゼリンで吐き気は対処できます。専門医でなくても,安心して処方できるので,今後の身体科医での処方は増えていくと思います。

ー最初に処方する場合,この患者さんならミルナシプランが効きやすいというタイプはありますか?

谷川確かに我々整形外科の医師は心のケアの専門家ではないので,どちらかというと効きやすい患者さんから入った方がいいですね。私の印象としては,どちらかというと沈みがちで医師の言葉をよく聴いてくれるタイプの方には比較的ミルナシプランはよく効くように思います。でもまさかと思う人が効いたり効かなかったりもしますから,そういった意味では処方してみないことにはわかりません。

ーミルナシプランを処方するとどのくらいの患者さんに効果が現れますか?

谷川この患者さんはFSSを持っていてPainful Depressionだなと判断して処方した場合,80%は効きますね。ですから今後,ミルナシプランの適応に疼痛が入ってさえくれれば,原因不明の痛みから救われる患者さんはもっともっと増えると思います。

ー今後の課題ですね。

谷川そのためにも現在,客観的なデータの収集に努めています。ミルナシプランの処方前と後に患者さんにVASやSDSを行ってもらい痛みの客観的評価の記録を数値化しています。心身医学的なアプローチは医師個人の主観的な部分も当然関わってはくるのですが,一臨床医,一研究者として,できるだけ正確なエビデンスを示していきたいものですね。


(加茂)

手根管症候群そのものも神経の絞扼とは思えないので、手術なしで抗うつ薬で治るのではないか?正中神経に伴走する動脈?

http://www.tvk.ne.jp/~junkamo/new_page_268.htm

加茂整形外科医院