腰椎椎間板ヘルニアガイドライン作成の現状

小森博達   四宮謙一

日本整形外科学会誌 Vol.79 No.5 May 2005


はじめに

EBM (evidence-based medicine)とは眼前の患者に判断に迷うような疑問に直面した際に(疑問点の抽出),入手可能な最新の情報を入手し(文献検索),評価した上で(エビデンスの質の評価),眼前の患者へ応用することができるかどうかを判断(エビデンスの適用性判断)することであるが,この手順をある疾患について網羅的に行うことにより,科学的根拠に基づくガイドラインが完成することになる。この手法に基づいたガイドラインは世界各国で作成されているが,本邦でも平成11年以降厚生労働省の研究班が設立され,各科の代表的疾患に関するガイドラインが多数作成されている。整形外科関運においては腰痛のガイドラインがすでに完成しており,平成14年度からは腰椎椎間板ヘルニアと大腿骨頚部骨折のガイドライン作成が厚生労働省の研究として着手されている。同時に,日本整形外科学会が主導し整形外科主要疾患のガイドライン作りが始まっている。腰椎椎間板ヘルニアのガイドラインは現在作成中で平成16年度末に完成予定であるが,本稿ではガイドライン作成の進捗状況を解説するとともに,作成の過程で明らかとなった問題点を述べる。

ガイドラインの必要性

ガイドラインが必要とされる疾患としては以下の条件を満たす必要があるとされる。

1)現在の診療に大きなばらつきがある。

2)多数の人(high volume)の管理に影響し,危険度が高く(high risk),高い費用(high cost)を要している。

3)ガイドラインが作成された際には重要な影響を与える新しい根拠が含まれている。

椎間板ヘルニアに対して手術を受けた患者に関する各国の統計を見ると,米国では10万人中45-90人,フィンランドでは35人,スウェーデンでは20人,英国では10人と報告されている。また,米国の統計によれば1980年から1990年の10年間で手術件数は1.5倍になり,その費用は莫大で社会的に大きな問題となっている。本邦においては厚生省統計情報部が発表した最新のデータ(平成10年)によれば,腰椎椎間板症や椎間板ヘルニアで入院している患者は7.4/1000人と報告されている。近年,腰椎椎間板ヘルニアの発症素因,発症機序,自然消退機序などが解明されつつある。これらの科学的根拠から,従来から行われてきた治療法は今後劇的に変化する可能性がある。その一方で,各国での手術例の割合が大きく異なることが示すように,現在腰椎椎間板ヘルニアの治療は絶対的手術適応である急性馬尾麻痺(膀胱直腸障害や高度の運動麻揮)の症例を除き,確立した治療法選択の概念がなく,この疾患を扱う医師の間において多種多彩な治療法が選択されているのが現状である。また,特に本邦ではさまざまな民間療法も盛んに行われており,自然軽快か治療による改善か全く区別のつかないような不必要な治療に多くの医療費が費やされている可能性も考えられる。このような背景から,腰椎椎間板ヘルニアのガイドライン作成に必要性があることは疑う余地がない。

腰椎椎間板ヘルニアガイドラインの作成状況

1.委員会の設立

日本整形外科学会の担当理事と厚生労働省研究班員である主任研究者が中心となり,ガイドラインないしは腰椎椎間板ヘルニア診療に造詣の深い医師を委員として選定し,委員会を設立した(表1)。

表1.腰椎椎間板ヘルニアガイドライン作成委員
日整会担当事 中村耕三(東大)
委員長 四宮謙一(東医歯大)
委員

(敬称略)

菊地臣一(福島医大)
里見和彦(杏林大)
戸山芳昭(慶大)
永田見生(久留米大)
持田譲治(東海大)
米延策雄(大阪南病院)
高橋和久(千葉大)
宮本雅史(日本医大)
白土修(埼玉医大)
小森博達(東医歯大)

2.ガイドライン概略の立案

委員会で章・項を設定し,文献検索年度・研究デザインによるふるい分け方法,エビデンスレベル・推奨度を決めた。

章立ては1.疫学(自然経過を含む),2.病態,3.診断,4治療,5.予後(長期成績を含む)とし,各章別の責任者を選定したのち,全員で各章別のQ&A項目を選定した。また,日本語論文の責任者も別に選定した。文献検索は1982年以降のものとし,英語論文ではMedlineから症例対照比較試験以上の研究デザインの論文だけを、日本語論文は医学中央雑誌から腰椎椎間板ヘルニア関連の論文をすべて選択することとした。エビデンスレベルと推奨度は表2のように決定した。

表2

科学的エビデンスレベル分類
  1. 全体で100例以上のRCTのMAまたはSR
  2. 全体で100例以上のRCT
  3. 全体で100例未満のRCTのMAまたはSR
  4. 全体で100例未満のRCT
  5. CCTまたはCohort Study
  6. Case-Control Study
  7. Case Series
  8. Case Report
  9. 記述的横断研究
  10. 分析的横断研究
  11. その他
推奨グレード

A.強い根拠に基づく質の高いエビデンスが複数ある
B.中程度の根拠に基づく質の高いエビデンスが1つ,または中程度の質のエビデンスが複数ある
C.弱い根拠に基づく中程度の質のエビデンスが少なくとも1つある
D.根拠がない。委員会の設定した基準を満たす研究論文がない


RCT: randomized-controlled trial, MA: metaanalysis,  SR: systematic review, CCT: controlled clinical trial

3.文献検索および査読(abstract formの作成)

文献検索の結果,英語論文は4396文献が,日本語論文は1494文献が該当した。英語論文は各章別に分類したところ,各章の英語論文数は疫学:459,病態:656.診断:1250,治療:!321,予後:672であった。これらの論文の抄録を各章および日本語論文の責任者に配布し,論文の一次選択を行った。その結果,各章別では疫学:106,病態:110,診断:88,治療:206,予後:117,日本語:197が選択された。

章別責任者と日本語論文責任者は研究協力者として論文査読者を選定し,採択された論文を査読者に分配し,一定の書式に則った形で論文の査読を行った。査読者は全体で50名を越えた。日本語論文は総症例数が50例以上か,50例未満でも有用な情報がある論文だけを査読が終了した時点で各章別に配分した。最終的に形式に則った抄録が作成されたのは疫学:109,病態:
155,診断:114,治療:281,予後:141となった。

4.科学的根拠に基づいた記述(scientific statement)の作成

これらの論文抄録を元に章別責任者がQ&A項目に回答する形で推奨度とその回答の根拠を記述し,のべ10時間以上にわたる長時間の議論を通じてその内容を吟味し校正を加えた。特に,単なるSystematic reviewによるエビデンス集ではなく,対象となるユーザーの立場に配慮したguidelineとなるように心掛け,平成16年3月の時点で専門医向けの仮のガイドラインが完成した。

作成過程で明確となった間題点

1.診断基準が一定ではない

腰痛に関するガイドラインはあるものの,椎間板ヘルニアに限定したガイドラインは世界的にも認められない。また,椎間板ヘルニア患者の手術件数のデータはあるものの母集団である患者総数のデータに関する正確な報告は認められていない。その背景としては,そもそも椎間板ヘルニアとの診断に明確な基準がないことがあげられる。手術症例に限った研究であれば,術中にヘルニア組織が摘出できた症例に限定することはできるが,保存療法ないしはchemonucleolysis,経皮的椎間板摘出術に関しては古くはSLR (straight leg raising)テスト陽性で神経脱落症状が認められるものを対象とした報告がある一方で,近年ではMRI (magnetic resonance imaging)で下肢神経症状と整合性がある突出が見られる例としている場合もある。MRIに関しては無症状の患者でも25%程度は椎間板ヘルニアであると放射線科医から診断されうるとの報告があるように,いわゆる偽陽性の症例が問題となる。また,実際の臨床の場では椎間板ヘルニアと腰部脊柱管狭窄症との鑑別や,椎間板ヘルニアとしてよいかどうかに意見の分かれる症例も多数存在する。このような各報告の母集団が異なる可能性があるなかでは,メタ分析の結果も限定的な結論にならざるを得ないことになる。

2.評価法が多種多彩である

椎間板ヘルニアの治療判定法も多種多彩である。本邦では日整会スコアが使用されることが多いが,欧米ではSF-36,Roland-Morris,Macnab分類などが使用されている。それぞれの評価法は各項目の点数の重み付けが異なるので,良以上の成績を示した比率として比較した場合,どこまで信懸性があるとしてよいのかが不明である。さらに,これらの評価法は臨床成績が中心のものであるが,椎間板ヘルニアは勤労年代が中心の疾患であることから欧米では復職に主眼をおい
て評価している報告も多数ある。

3.RCTが少ない

椎間板ヘルニアに関連した論文には質の高いランダム化比較試験が少ない。特に本邦における質の高いランダム化比較試験の報告は皆無である。さらに,腰椎椎間板ヘルニアの多くの症例が保存治療だけで改善するにもかかわらず,手術療法と保存療法を比較したランダム化比較試験は20年以上前のWeberのものだけである。この報告は10年間の経過観察を行っているので,ヘルニアと診断されたのは30年以上前と言うことになるだけでなく,ランダム化比較試験の対象とな
った患者以外に手術の適応があるとされた患者と手術が不要と判断された患者が同じ時期に存在しているため,どちらを選択してもよい患者だけの結果としか捉えられない。さらに,ランダム化比較試験で保存治療が選択された患者の中で1年以内に手術に至った症例があり,これらの症例を成績不良とすると結論がかなり異なるなど,唯一のランダム化比較試験ではあるものの,その評価には慎重にならざるを得ない。非ランダム化比較試験も散見されるものの,ガイドラインとして必須の項目である手術療法と保存療法を比較した研究が少ないといわざるを得ない。この点は,保存治療である鎮痛剤の使用や牽引療法においても同様である。

4.日本の実状とかけ離れた医療内容に対する対応

研究デザインや評価法に問題が多い報告が多いものの,spinal manipulationは腰椎椎間板ヘルニアに有効性があると米国では評価されている。しかしながら,米国で行われているspinal manipulationと本邦で行われているものは,施術者に対する教育システムが著しく異なるため,同一ではあるとは考えられず,この結果をそのまま記述することには問題が残る。

また,手術療法の臨床成績は良好であるが就労に関しては保存療法と差がないとの背景から,特に欧州各国から手術後の後療法に関するエビデンスレベルの高い報告が多数ある。これによれば,術後1ヵ月経過した頃から開始されるリハビリプログラムは,数カ月間は機能状態を改善させ,再就労を速くするという強い証拠があり,職場での医療アドバイザーによる介入も就職率の向上に有効であるとしている。しかし,これらの報告は係わっている医療関係者からの報告であり,自らの存在意義を示したという側面が大きいだけでなく,本邦においては腰椎椎間板ヘルニア手術後の就労率が低く問題であるとの報告は今のところ認められず,術後のリハビリテーションや職場での医療アドバイザーなどの確立した組織もないため,エビデンスレベルは高いものの,参考程度として評価すべき事項であると考えられる。

アンケートとその結果

ユーザーである整形外科医からの意見聴取を行う目的でアンケート調査を行った。幅広く意見を聴取するために,対象は日本整形外科学会名誉会員,日本整形外科学会代議員,日本脊椎脊髄病学会認定脊椎脊髄外科指導医とし,送付総数は1217名となった。160名から回答をいただいたが,その集計結果を図1-3に示す。また,個別の項目や全体に関しても多数の意見をいただいたが,記述内容を大まかに分類すると以下のような指摘が多かった。

  • 難しい,もう少しわかりやすく(22名)、対象ユーザー別に(11名)

  • 日整会としてもっと踏み込んだ記述を(16名)、診断基準を明確に示すべき(6名)、治療の指針というようなものを明示すべき(8名)

  • 記載内容に不備がある(7名)、新しい治療法、実際に困っていることの記載がない(6名)、経済的な観点が欠けている(1名)

  • 混乱を招く懸念あり(5名)

  • 手法に問題あり(2名)

今後の課題

診療ガイドラインは臨床研究の結果を患者に還元し,医療の標準化と医師の行動変革を促進することを目的としている。特に一般国民に対しては整形外科的疾患の理解と,現在の治療の概要を示し,治療選択の判断材料になることがこれからの医療にとっては重要と考えられる。しかし,患者側は「知りたいことが記載されていない」,治療にあたる医師側は「自分たちの治療法が制限されるのではないか」などの理由により,ユーザーである医師側からも患者側からも決して満足されない危険性が残されている。したがって,今回のアンケートの結果を踏まえて,内容だけでなく推奨度分類などについても現在再検討中である。

また今後の課題としては,ガイドラインの普及活動を行い,医師の使用頻度,行動様式の変化,適用患者数の把握などの検証をしていく必要がある。また,診療ガイドラインは適時改訂していくことが求められるが、今回の研究過程で明らかとなった多くの課題を解決していくために、学会を中心として倫理規定を盛り込んだ研究体制を整傭していき,日本発のランダム化比較試験を今後さらに押し進めることにより,その結果に基づいて数年ごとにガイドラインを改訂していく必要もある。

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文献

1) Andersson GBM. Intervertebral disk herniation: Epidemiology and natural history. In: 
Weinstein JN, Gordon SL, eds. Low back pain: A scientific and clinical overview. 
Rosemont: American Academy of Orthopaedic Surgeons; 1996. p.7-21. 

2) Ostelo RW, de Vet HC, Waddell G, Kerckhoffs MR, Leffers P, van Tulder MW. Rehabilitation after lumbar disc surger. Cochrane Database Syst Rev: CD003007, 2002. 

3) Weber H. Lumbar disc herniation. A controlled prospective study with ten years of observation. Spine 1983; 8: 131-40. 


(加茂)

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加茂整形外科医院