1 ペインクリニックでの慢性痛予防ー麻酔科よりみる慢性疼痛ー
増田 豊(昭和大学医学部麻酔科学講座 教授)
危険な「痛みの遷延」
痛みが遷延していた場合何が危険なのかと言うと、痛みが急性疼痛から慢性疼痛の状態に移行する可能性があるということである。それは現在の医療で、制御可能な痛みから、制御できない痛みに移行するということを意味するのである。したがって、できる限り早期に痛みの経過の異変をとらえ、十分な除痛治療を行うことが重要である。「そのうちに軽くなるでしょう」というような暖味な言葉をかけられ、いつまでたっても痛みが治まらないという患者は決して少なくない。
2 慢性痛と患者の心理ー心療内科よりみる慢性疼痛ー
中井吉英(関西医科大学心療内科学講座 教授)
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医師の言葉の重み
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慢性痛への移行
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不思議な体験
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痛みが軽くなった原因を考える
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痛みを受け入れる心理的プロセス
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抗うつ薬の鎮痛効果に驚く
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急性痛のうちに適切に対処する
慢性疼痛は、身体面、心理面、社会面、行動面での全体的な障害であり、全人的なアプローチが必要である。今後ますます、包括的、集学的なアプローチが要求される。
3 心身医学療法のすすめー口腔・歯科を中心にー
小野 繁(東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科頭頚部心身医学 教授)
歯科・口腔医療での慢性疼痛への対応
ストレスの身体表現
患者さんを取り巻く状況や問題が身体症状に影響するほど深刻で、そのストレスの身体表現が頭頸部領域の器官で起こった場合には、頸肩部の筋緊張やクレンチング(噛みしめ)が見られるようになる。この筋緊張は口腔・顔面・頭頸部領域に慢性的な筋・筋膜痛をもたらすと考えられる。
「からだ言葉」と言われる、身体の形容によって心理状態や日常的な物事をあらわす言葉がある。なかでもストレスに関連した「からだ言葉」を頭頸部領域に拾ってみると、表1にあるような肩、頸、頭、口に関連した表現である。このような状況が慢性的に重くのしかかっているとすれば、筋緊張によって筋・筋膜痛を起こすことも不思議ではない。頸部の筋緊張は口腔領域の関連痛を起こすことが知られている。筋緊張によって、顎の骨が痛いとか部位の特定できない歯痛などの、いわゆる顎関節症と言われる関節周辺の痛みが起こったりする。主にストレスで起こる慢性疫痛の場合は、局所治療での改善は難しい。
表1「からだ言葉」に見る頭頸部のストレス表現
4 複雑系の病:慢性痛を治療するー心療内科・麻酔科・基礎医学での経験からー
細い昌子(九州大学病院心療内科 助手)
痛みの二つの側面
「痛みは生体への警告反応である」とする考え方は急性疼痛にはあてはまるが、慢性疼痛にはあてはまらないと考えられてきた。なぜなら、第一線の臨床現場で経験する慢性疼痛の多くは原因がはっきりせず、いわゆる「複雑系」の現象としてしかとらえられないからである。
このような慢性疼痛に対処するには、目の前の症例を対象として、病
歴、理学的所見などの情報から明瞭な因果関係で説明可能な単一の病
態を推測し、検査によって証明していくという西洋医学的手法では限界がある。近代医療の大前提である「痛みの原因を除去すれば痛みがなくなる」という発想で、医学的に、しかも良心的に対処されても痛みが改善しない症例がかなりの数世の中に存在する。すなわち、一般市民が健康なときには興味を持つことのないこの事実を、痛みが長引いて苦しんでいるとき、まさしく「痛感」することになるわけで、治療に難渋するという医療スタッフ側の目線からのみでなく、痛みによってQOLがひどく脅かされる側の市民の目線からも注目されるべきである。患者さんの痛みの訴えへの対処に医療スタッフが苦慮し遷延化している慢性の痛みは、目指すべき個人の心身の健康との関係ではいったいどのように位置づけられるのであろうか?
5 痛みの学際的アプローチへの提言ー学際的痛みセンターとはー
熊澤孝朗(愛知医科大学医学部痛み学講座 教授)
山口佳子(愛知医科大学医学部痛み学講座 講座員)
痛みの教育
まず大きな原因に、医学部およびコメディカル教育に痛みの教育が含まれていないことがあげられる。このことから、医療の原点であるとも言える痛みについて、医療者側の理解度が諾外国に比較して遙かに低い。医療者の理解が低ければ、もちろん患者側の理解も低くなり、日本の社会全般の痛みに対する理解が低くなるのは当然のことである。特に、この十数年の間に痛みの概念が変革した(前述)ことは、全ての科に関係のあることであり、現場の医療者は再教育されるべきである。
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「痛み学講座」を開講してから痛みに脳む多くの方からお手紙をいただいた。驚いたことに急性痛をそのままに放っていて患者に我慢させている医療機関もいくつかあった。これらの相談の手紙から、慢性痛症などを患っておられる方々がどのような医療を受けているかが見えてきた。その類型を次に示す。
@変な痛みが続いている患者はどの科にかかろうかとまず悩む。A痛いのだから神経かもしれないと神経内科を受診する。B神経内科は別にどこも悪いようには見えないので、とりあえず骨などに異常がないかと整形外科へまわす。神経内科は鎮痛薬と安定剤を処方する。C整形外科はレントゲンを撮るが異常がないので、痛みが続くならとペインクリニックヘまわす。整形外科は鎮痛薬と湿布薬を処方する。Dペインクリニックは取り敢えずブロックしましょうと神経ブロックを試みる(注:これで完全に治ればこの患者は学際的アプローチを必要としない)。しかし、治らない(またはすぐに再発する)。ペインクリニックは鎮痛薬と抗うつ薬を処方する。Eペインクリニックにおいてさまざまな治療を試みられるか、または、心療内科や精神科へまわす。Fそのうちに患者はこの痛みは取れないものだと諦める。しかし、薬は飲み続ける。
これは笑い語ではない。痛みに苦しむために、紹介された複数科に続けて通っておられる場合も多く、それぞれの科で処方してもらった薬を飲み続けている。恐ろしいことである。ここに、先述の学際的痛みセンターにおける治療ゴールのB習慣的な服薬を減少または除去する、の必要性がよく理解できる。
6 痛みのメカニズムの解明ー末梢から大脳までー
仙波恵美子(和歌山県立医科大学医学部解剖学第二講座 教授)
以上のように、痛覚伝達系の最終ターゲットとして痛みを完治するのみと考えられていた大脳皮質が、皮質下に投射して下行性疼痛調節系を介して積極的に疼痛を制御していることが明らかになってきた。このような皮質領域が主に生後に発達することから、脳の発達期の環境やストレスがこの形成過程に影響をおよぼし、個々人の疼痛に対する感受性、疼痛への態様の差を生んでいるのかもしれない。
7 慢性痛の基礎的検証ー整形外科医の視点よりー
牛田享宏(高知大学医学部付属病院整形外科 講師)
急性痛の繰り返しとしての整形外科慢性痛
先にも述べたように、変形性膝関節症に代表される整形外科関節疾患では、動作による局所の痛みが患者の主訴となることが多い。このような病態においては慢性的に痛みにさいなまれていても急性痛に対する治療法が奏効する。
8 神経損傷の生化学的分析ー慢性化で生体の感受性はどう変わるのかー
伊藤誠二(関西医科大学医科学講座 教授)
炎症や手術で組織が損傷すると血管からブラジキニンやATP、組織からプロスタグランジン(PG)が遊離される一方、虚血になった炎症部位ではH+が産生される。これらの物質によって皮下の自由神経終末が活性化されると一次求心性線維を通って侵害情報が脊髄後角に伝えられる。ある強度に達すると、脊髄の細胞は興奮して脳に痛覚刺激として伝えられ痛みとして認識される。健康時には、図4に示すように、触覚(非侵害性刺激)と痛覚(侵害性刺激)を伝える一次求心性線維は明確に区別されており、痛い部位をさすることで触覚刺激が痛みを和らげることを経験的に知っている。侵害性刺激は熱だけでなく、機械的刺激もその強度により、圧覚や触覚から痛覚に変化し、ホルマリン、塩酸、せっけんなどの化学物質も強い痛みを引き起こす。自由神経終末はどの刺激に対しても迅速に反応できることからポリモダール受容器をはじめとする侵害受容器の存在が示唆されてきたが、長い間その実態は不明であった。