痛みのゲート・コントロール理論と多面的モデル

痛みの行動科学   辻下守弘(県立広島大学保健福祉学部理学療法科)

理学療法Vol.23No.12006


痛みが物理的な侵害刺激に対する知覚といった単純な反応であるとするならば、刺激と反応の間には相関関係が成立するはずである。しかし、実際には、精神状態や環境によって痛みの閾値に変化を生じたり、痛みとは異なる刺激を与えると痛みが緩和したりという現象を経験しているはずである。この点を考慮してMelzackとWallは,1965年にゲート・コントロール理論(gate control theory)を発表し、痛みには複雑な要因が相互に作用していることを提唱した。この理論では、痛みを単に末梢性侵害受容器から中枢への一方向の神経伝達による単純な知覚ではなく、触覚や温覚など他の感覚刺激や、気分や注意などの精神状態によっても影響を受ける複雑な知覚だと解釈されている(図2)。

また、痛みには、もっと高次な脳機能である価値判断さえも影響することが説明されている。例えば、熱いコップを素手で持ち上げた時に、安価なコップで、かつ安全な状況だ
と判断すれば、すぐに手を離すと思われるが、高価なコップで、落とすと自分にも飛び散って火傷をすると判断すれば、離さず我慢してゆっくりテーブルに置くといった行動が現れるだろう。このように、痛みは単純な侵害刺激に対する反応ではなく、末梢過程と中枢過程からの影響を強く受け修飾された知覚であると言える。ゲート・コントロール理論は未だ科学的に実証する根拠が乏しい段階ではあるが、この理論に基づいてさまざまな治療が試された点で大きなインパクトを今も持っている。

MelzackとWallは,臨床経験の中から腰痛が必ずしも身体的所見を有さないことを発見し、腰痛が単一の原因で起こる症状ではなく、腰痛を制御し患者を社会復帰させるためには異なった治療法を併用すべきであると考えた。また彼らは、腰痛患者の多くが無気力となり不安やうつ状態に陥りやすいため、その苦悩がさらに痛みを助長させることも指摘した。これらのことを考慮してLoeserは、侵害刺激(nociception)、痛み感覚(pain)、苦悩(suffering)、痛み行動(pain behavior)からなる多面的モデル(multifaceted model)を提唱し、痛みを学際的アプローチにより管理することの必要性を強調した(図3)。

多面的モデルの特徴は、医学的アプローチが重視してきた侵害刺激と痛み感覚の除去よりも、痛み感覚により引き起こされる中枢での陰性な情緒反応である苦悩や、それを周囲の人々に訴える目的で行われる痛み行動に着目していることである。痛み行動とは、米国シアトルの心理学者であるFordyceが提唱した考え方であり、痛みとその苦悩を周囲の人々に知らせることを目的としたあらゆる行動のことである。痛みは個人的で主観的な体験であり、それが言語や身体により表現されない限り他人に理解されることはない。

急性痛の場合は、痛み行動が痛み症状を直接伝えるサインとなるが、慢性痛の場合は痛み行動が苦悩を伝えるサインとなることが多い。

ゲート・コントロール理論は、痛みの認知的解釈から閾値の制御を可能としたが、痛みのプロセスを理解し制御できなかったため、慢性痛に対する有効な治療を導くまでには至らなかった。一方、多面的モデルは、痛みの閾値制御の上に痛みのプロセス制御を可能とし、現在欧米で主流となっている慢性痛管理プログラム(pain management program)を発展させることになった。

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