慢性痛医療に潜む問題点:理学療法士が直面する現在の痛み医療の苦痛

動いてよいのか悪いのか?筋と痛み

松原貴子(名古屋学院大学人間健康学部リハビリテーション学科講師)

「痛みのケア」慢性痛、がん性疼痛へのアプローチ

監修・編集 熊澤孝朗(愛知医科大学医学部痛み学寄附講座教授・名古屋大学名誉教授)


a.医療者に慢性痛の概念がない

そもそも医師の処置が正しいのかどうかを論ずる前に、多くの医療者のなかに慢性痛や筋肉に関する概念がほとんどないというのは悲しい現実である。痛みば急性痛と慢性痛とでは病変がまったく違うため、治療法もまったく別のものとなる。アセスメントやマネジメントのためには、急性痛と慢性痛の鑑別は絶対的に必要である。

明らかな組織の損傷があるのか、ドラッグチャレンジに反応するのか、これらによって急性痛であることが明らかになれば、その組織の治癒を積極的に進める。それと並行して、痛みの管理も早期より積極的に進めるべきである。

これまでの医療では、痛みは合併症の1つとして、いわば“厄介もの扱い”で横に置かれることのほうが多かった。しかし、痛みが持続すれば、組織が治癒した後も慢性痛が生み出される可能性がある。これまでの痛み軽視の治療によって多くの慢性痛患者が生み出されてきたことは否定できない。

一方、これまで慢性痛については、急性痛と区別することなく、急性痛と同じような治療がなされてきた。「骨に異常がなければ、(なんとなく)リハビリを」始めても、合併症の1つとして痛みに対処している限り、また、原因となる疾患を探し出すことに終始している限り、慢性痛患者は救われない。

「痛み止めと湿布で様子をみましょう」、この不適切な処置を続けることは、ある意味、患者放置、医療放棄と言えよう。この放置期間中にも慢性痛は悪循環路線を進み、どんどんと悪化の一途をたどっていくこととなる。そして、「治らない」と訴える患者に、最後の砦とでも言うべき(何でもかんでも)「心因性疾痛」の診断を下し、「どこも悪くないのだから、大丈夫」と“痛みが実際に存在する”患者に言い放ち、診療は(一方的に)終了する。この患者は二度とその病院には来ないだろう。そして、ドクターショッピングを繰り返していく。これでは、いつまでたっても慢性痛患者は救われず、その数は増えていく一方である。

このような慢性痛患者に、「あなたの痛みは慢性痛という新たな病気です(明確な鑑別診断)が、からだを動かすことでずいぶんと楽になりますよ(ヒントとなる対処・治療)」と、ひとこと言える医療者がいれば、それだけで慢性痛地獄から救われる人は増えるだろう。慢性痛に運動は何よりの薬であることがわかってきている。正しい認識をもっているだけで、慢性痛治療は大きく変わり得るのである。

b.医療者に対する痛みの専門教育が少ない

医療者の慢性痛に対する知識不足や誤解は、痛みの専門教育が圧倒的に少ないことによる。前述のように、急性痛と慢性痛の病態がまったく違うこと、さらに慢性痛は立派な病気である(合併症の1つではない)ことさえ知っていれば、自ずとアセスメントもマネジメントも違うことに気づくはずである。

わが国の医療チームの現状では、互いに信頼をもってそれぞれの専門性に患者をゆだねることは難しいだろう。しかし、慢性痛は急性痛のように損傷部が局在化していないため、慢性痛患者はどの診療科、専門領域にも存在し得る。痛みの専門教育によって、すべての医療者が慢性痛を新たな病気として認識し、その知識を熟知することは必要である。

C.痛みに対する医療保険制度が未整備である

診療報酬の問題も痛みの診療に大きな制約を与える。理学療法では、痛みに対して行った治療は一般的に「消炎鎮痛等処置」として算定され、診療報酬が非常に低くなる。

身体的以外にも多くの問題をかかえる慢性痛患者のアセスメントやマネジメントを行うためには、各国の学際的痛みセンターが行っているような専門領域ごとに最低1時間は必要である。しかし、わが国においては、非侵襲的な検査や治療(このなかに理学療法も含まれるであろう)では保険点数はほとんど加算されないか、または非常に低い。そのため、どうしても短時間でより数多くの患者を治療するといった対応をせざるを得ない。この問題は、「社会における問題」とも深くかかわることで、わが国の医療環境整備の空洞化を象徴する1つとして、抜本的な改革が望まれる。


加茂整形外科医院