「疼痛学序説ー痛みの意味を考える」の序文より


PAIN  The Science of Suffering

Patrick Wall 著

横田敏勝 訳

南江堂

訳者序より

本書を一貫して流れる彼の思想は、デカルト流の心身二元論を離れて、心身を個体の生物学的要求に奉仕する統合された統一体とみる全体論である。

次にWallが強調するのは、あまりにも多くの慢性痛を、かつては神経症、心気症、ヒステリー、仮病など、現在は心因性疼痛として、安易に片づけてきたことへの反省である。それは末梢性の異状を発見できないと、ただちに精神の世界に飛躍するもので、このような過去の誤りの根底には心身二元論があったと指摘する。

彼は、「破壊された細胞あるいは機能を損なわれた神経細胞から発信されるメッセージが痛みの起源であって、このメッセージは脳に送られてから、個体全体の要求との関連において解釈される」と考えている。そして最後に「痛みの感覚は、われわれの脳が、どんな反応行為が適当かの視点で状況を分析した結果である」という“痛み認知の新学説”を提唱する。この考えによると、脳は入手できる感覚情報を分析してその状況に反応するのに適当な行為を決定する。

痛みはこのような適応戦略の1つとみなされる。痛みは個体の生存にとって必要か不必要かによって、ときには注意を釘づけにし、ときには無視される。そのため、逃避が優先する緊急時には痛みを感じないが、緊急な事態が去ると痛みが行動を支配する。状況次第で痛みを無視したり、強調したりするのはなぜかを、この学説によって初めて説明した。

原著序より

私が本書を書こうとしたのには、私自身の履歴がからんでいる。50年前、医学部の学生であった私は、痛みをもつ患者を診るようになり、私の教師たちが患者や私にしていた説明は、取るに足らないものであることが分かった。

証拠がないのに、神経の拘扼、頸肋、筋緊張亢進、遊走腎などのような機械的異状があるといって、気まぐれな説明をしていた。当の医師たちでさえ納得できないときは、飛躍して、神経症、心気症、ヒステリー、仮病など、患者の性格に問題があるのではないかという説明を使っていた。

40年以上前、私は神経科学者として、動物の生きた神経系の研究を始めた。すぐにはっきりしたことは、それまで一般に考えられていたような、“ハードウェアによって実現されている、専用の、特殊化した疼痛系”は実在しないということであった。

それよりもむしろ、末梢組織と考える脳の両方で起こっていることを、われわれに同時に知らせる精妙な複合反応系があるように思われた。これらの研究の結果から、感覚を知覚から分離するのは全く人為的で、感覚のメカニズムと認知のメカニズムが一体となって、働いていることが明らかになった。それ以来、非常に独創的な科学者、心理学者、臨床医が数多く参加して、痛みのメカニズムの現代像が作られた。

加茂整形外科医院