bP 田子藤波神社 〔氷見市下田子〕 |
富山県高岡市から氷見に続く国道百六十号線に入り、六キロ十分くらい、坂を越えて氷見に入り坂を下りきると、左の小さい丘に藤波神社があります。氷見市下田子です。 |
bQ 埴生八幡宮 〔小矢部市埴生〕 |
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bR 俊寛塚 〔小矢部市宮島緑の村〕 |
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bS 俊寛杉と観音滝 〔小矢部市宮島別所滝〕 |
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bT 巴御前の塚 〔小矢部市倶利伽羅峠〕 |
巴御前の亡霊が、木曾義仲の悲痛な死と、慕情のせつなさを語る、謡曲「巴」の舞台となっているのは、琵琶湖大津近くの粟津ガ原です。謡曲「兼平」とおなじ舞台で、兼平の墓が残っています。木曾義仲はここで自害し、今井兼平もここで戦死します。義仲の墓は大津の〔義仲寺〕にあります。巴は義仲の愛妾で兼平の妹です。 |
bU 巴塚の一本松 〔福光町天神町〕 |
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bV 西住塚と西行歌碑 〔庄川町三谷〕 |
この古跡は寺尾温泉へ遊びにいったとき偶然に見つけたものです。西行の夢の中に、老櫻の精が現れ、西行と歌を論じる、謡曲「西行桜」の舞台となっているのは、京都西山の〔勝持寺〕、通称〔花の寺〕です。 |
bW 如意の渡し 〔高岡市伏木古国府〕 |
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bX 義経雨晴らし岩 〔高岡市雨晴〕 |
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10 宮島の弁慶岩〔小矢部市矢波〕 |
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11 宮島の鼓ヶ滝 〔小矢部市矢波〕 |
弁慶岩を通りすぎて1キロ位進むと、横を流れる川が段々と深くなります。少し手前の道幅の広いところに車を置いて、石段を降りて行くと素敵な滝が現れます。ナイヤガラの滝みたいに広く幾条にも流れ落ちています。滝の裏が洞になっており水の少ない時など、音が響いて鼓の音に聞こえるのだそうです。洞は〔岩屋洞〕と呼ばれており、愛染明王が祀られてあり、右の岸壁に五体の磨崖佛が彫られています。 |
12 弓の清水 〔高岡市常国〕 |
立札によれば「寿永二年〔1183〕源平般若野の合戦に、木曾義仲の軍勢、人馬とも渇することはなはだしく、この土地の松原大助の進言により、義仲この地に弓を射たところ、清水わき出だし、渇を癒して士気大いに揚がったといいます。」このあと合戦は倶利伽羅に舞台を移し、謡曲「木曾」に続きます。 |
14 朝日山の上日寺 〔氷見市朝日本町〕 |
謡曲「藤」の曲中に謡われる「朝日山」は、氷見市内にあり眺めがよろしいです。公園として整備され、桜につつじに賑わいます。その朝日山公園の麓にある「上日寺」は有名な能面師、氷見宗忠が僧として居た所とされています。境内に「観音菩薩霊水」が涌き出ています。[痩男面]などで有名な室町期の面作り師「氷見宗忠」も、この霊水で心身を清め、写真の観音堂にこもって能面を彫ったと云われています。 |
14 北条時頼自作の像 〔山田村鎌倉〕 |
矢傷を負った猿が、温泉に入って傷を癒しているのを村人が見つけて発見したという、山田温泉があります。富山市より車で30分位で行けます。 |
15 猿丸太夫の墓 〔山田村数納〕 |
山田村の鎌倉から、利賀村に続く細い道があります。その峠あたりに、謡曲「草紙洗」に名前の出てくる、猿丸太夫の墓がある事になっています。これは山田温泉にある観光立札で確認済です。この話最初は富山の能楽師「千章修」師からお聞きしたものです。千先生は実に博学でありました。謡曲古跡についてとても詳しく、本なども色々と調べられていました。奥様と二人で猿丸太夫の墓まで行かれた時の話をお聞きしました。山姥の洞窟探検も先生に教えて頂きました。 |
16 西明寺塚五輪塔 〔福岡町西明寺〕 |
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17 高瀬神社 〔井波町高瀬〕 |
福野から井波に到る中間にある「高瀬神社」は、創建は景行天皇の頃と伝え、越中一ノ宮として崇敬を集めていました。戦国時代に荒廃しましたが、藩政時代に前田家の保護により復興し、今も大きな神社です。 |
18 如意渡跡の碑 〔高岡市伏木国府〕 |
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19 猿丸太夫の塚 〔八尾町小井波〕 |
故、千先生より聞いた山田村の猿丸太夫の墓を、地図で探していて、隣村の八尾村にも塚があることを見つけ、写真を撮ってきました。盆踊りで有名な八尾の町なかを抜け、桐谷という村まで10キロ位バス道路を走ります。ここより橋を渡って3キロ位で小井波の水芭蕉の群生地を通ります。その先が小井波で、過疎の村らしく今では養豚団地だけがあるようです。そのはずれに「猿丸太夫塚」がありました。立て札によれば「猿丸太夫は歌人と神官を兼ねていたと言われるが、その出身地や墓は全国にあり、晩年はここ八尾町小井波に庵を結び、世を終えた」とあります。猿丸太夫は、謡曲「草紙洗」「草子洗小町]に名が出てきます。 |