思い出の詩・書籍
学生時代一応文学青年だった
子供の頃あまり読書には興味は無かったが
高校1年生の時、読書感想文を書く為に読んだ『ビルマの竪琴』に感銘して読書がはじまった
大学入学後は分野に関係なく手当たりしだい読み漁る毎日でした
その頃詩集にも興味を持ちました
卒業後,生活におわれる毎日で忘れていた読書を下の子供が成人したのを契機に再開しようと思っています
目次 | |||
NO | 題 名 | 作 者 | 記 事 |
01 | 青春の詩 | サミュエル・ウェルマン | 年寄りの元気の出る詩 |
02 | 林で書いた詩 | 伊藤整 | 青春の思い出の詩 |
03 | お父さんとはしる | 米沢真丘(湯の小4年) | 真丘(息子)の思い出の詩 |
04 | 道 | 相田みつお | 共感した詩人 |
01 2002・03・08
親会社の社長がグループ会社に配布した資料の中にこの詩があった…感激した
今まで知らなかったことが口惜しく思った。これからの自分に強い味方になるだろう
青春の詩 サミュエル・ウエルマン
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき遺志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増やすが,情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こういうものこそ恰も長年
月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰、事に処する剛穀な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして
威力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感を受けるが絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを硬くとざすに至れば、この時にこそ
人は全くに老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。
02 2002・03・30
学生時代、テレビで日曜日の21:00より東芝日曜劇場という番組があり『林で書いた詩』というドラマがあった
ほんのりと寂しい内容に引かれて、翌日直ぐに伊東整の詩集を大学の本屋(丸善書店)で購入した
林で書いた詩 伊藤整
やっぱりこの事だけは言わずに行かう。
今のままのあなたを生かして
寂しければ目に浮かべてゐよう。
あなたは落葉松(からまつ)の緑の美しい故郷での
日々の生活の中に
夢見たいな私のことは
刺のやうに心から抜いて棄てるだろう。
私の言葉などは
若さの言わせた間違ひに過ぎないと極めてしまふだらう。
何時か皆人が忘れたころ私は故郷へ帰り
閑古鳥のよく聞える
落葉松の林のはづれに家を建てよう。
草薮に蔽はれて 見えなくなるやうな家を。
そして李(すもも)が白く咲き崩れる村道を歩いて
思ひ出を拾い集め
それを古風な更紗のやうにつぎ合わせて
一つの物語にしよう。
すべてが遅すぎるその時になったら私も落ちついて
きれぎれな色あせた物語を書き残さう。
03 2002・12・14
用事で久しぶりに真丘の部屋に入ると懐かしい物を見つけた・彼が小学4年生の時に書いた詩が賞状と一緒に額に入っていた
北国新聞の大会に学校が応募して2位の成績で入選した作品‥『お父さんとはしるだった』
私がランニングを本格的にはじめる前に一緒に走ったことを詩にした‥
平成4年1月30日北国新聞賞を受賞
お父さんとはしる 湯野小学校4年 米沢真丘
「がんばれ。」
とお父さんがいう。
それにこたえてぼくも、
がんばる。
ぼくが、
「あるこう。」
という。
お父さんは、
「よし。」
という。
だがすぐはしる。
さかはつらい。
だが、お父さんは
すらすらいく。
いえのちかくで
「ダッシュだ。」
とおとうさんがいう。
ぼくはさいごの力をだして。
家についた。