小松市尾小屋町

           神社寺院
白山社

 尾小屋小字上村(尾小屋町)にあって無格社で、伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫命を祀っている。社地は東西22間・南北18間、364坪である。祭日は4月3日、10月9日である。

             

山神様(通称さんじんさん)
 
1888年頃、尾小屋鉱山の繁栄を祈り、現在の鉱山資料館と白山社の中間地点、尾小屋バイパス道路左の山(昭和寮跡地、後ろの山)の中腹に造られた。9月24日、25日に祭礼が行われ、これを鉱山祭と言っていた。
 最盛期には坑口に近い倉谷、大曲両地区に支社が設けられたほどだったが昭和37年の鉱山閉山で五国寺町の山神さんに、さらに昭和46年には上本折町の多太神社に合祀された。
 拝殿は38豪雪で今は跡形もなく、鉱山経営者が合祀に伴って贈ったという一対の灯篭が多太神社境内で山の人たちの気概を伝えるかのように立っている。

             
           昭和30年12月       三神社階段でチャンバラゴッコが日課の
                       尾小屋の子供たち 昭和27年6月


白山社
 尾小屋小字長原(尾小屋町長原)にあって、村社で伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理媛命を祀っている。
 社殿は流造で、社地は東西8間・南北12間、77坪で、部落の中央にある。養老年間に創祀され、関所の番士の崇敬厚く、巡見上使の廻国の時は、必ず本社に参詣したと伝えられている。祭日は4月3日、10月9日である。


                

白山社
尾小屋小字二ッ屋(尾小屋町二ッ屋)にあって、無格社で、伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫命を祀っている。祭日は4月3日、10月9日である。

               

明光寺
 
尾小屋にあって、小松市本折町にある真宗大谷派本光寺の道場として、部落の人々に親しまれていた。明治30年の尾小屋の大火までは、御堂があった。場主川上義一は、部落の子弟に声明を教えていたが、その子義友になり、僧侶として布教伝導につとめ、昭和15年3月22日、本光寺説教場として公認され、更に昭和26年2月24日、明光寺の寺号を認可されて、その住職となった。本願寺の蓮如上人から、寛永16年(1639)に下付された法名釈順知がある外、13日講の御消息文が所蔵されている。

                 

光教寺
 
明治29年に尾小屋の昭和寮の横に、私設鉱山説教場として、4間に10間の堂字を建立したのに始まっている。翌年10月20日の大火で消失したので31年に再建した。初代管理者安成基が明治43年に死亡し、近藤好文がこれについだ。
 大正2年10月に12番地ノ1に建坪94坪の堂字を建てて、これに移った。大正12年安野勝行が3代目の主任となり、昭和10年に黒田順教が4代目主任となった。昭和25年8月16日に真宗大谷派本願寺に属する光教寺設立を認可された。昭和37年の鉱山閉山で消滅した。