腰痛治療における新傾向   ー楽観的な見方ー The BackLetter     2000;15(5):49,52,53,58

腰痛治療に関するコンセンサスの確立


研究者の間では、プライマリーケアの段階で、活動再開(reactivation)、自信回復(reassurance)、短期症状コントロール、そして腰痛と機能障害や活動障害との相関関係についての誤った思いこみの修正という方法を組み合わせることで、腰痛はうまく治療できるという確信が高まりつつある。この種のコンセンサスは5年前には存在しておらず、これは、研究および医療方針の進歩への大きな一歩を反映したものであり、それは同時に、科学的証拠が蓄積されつつあることをも反映している。現在、この分野に、無作為対照比較研究、および(特にcochrane collaborationのホームページにおける)体系的検討、そして根拠に基づくガイドラインという形で、大きな基盤となる根拠があることに注目した演者もいた。そして、これらは、腰痛治療に関して一貫したメッセージを示している。スコットランドの整形外科医Gordon Waddell博士は基調講演で「現在、多種多様な、根拠に基づく国際的なガイドラインがありますが、実はそれらは同じ内容を伝えているのです。つまり、腰痛は決して重篤な疾患ではないということです。もちろん、治療優先度を決めるために適切な診断を行わなければならないし、重篤な疾患を除外するために危険信号を見いださなくてはなりません。しかし、急性の非特異的腰痛に関して重要な点は、自信回復、単純な対症療法、そしてこの問題の医療化(medicalization)の回避なのです」と述べた。そして、腰痛を全体と関連させて考えるよう、出席者に訴えた。さらに、主観的な健康に関する愁訴を、医学的疾患または医原性の災害に変えてはなりません必ず良くなる単純なものとして扱うのです、と述べた。

就労障害の管理法について勇気づけられる結果


就労障害の領域でも進展がみられる。根拠に基づく医学的治療、積極的なリハビリテーション、職場における介入、および全ての利害関係者の参画などを組み合わせるこで、障害に対して好ましい影響を与えることができるという証拠がある。現時点ではおそらく、これらの進歩は、飛躍というよりも一歩と考えるべきであろうが、この分野の進歩には違いがない。就労障害は厳密に言うと医学的問題ではなく、様々なレベルで検討されなければならない。Nachemson博士は基調演説において、就労障害の解決は、障害のシステムを改善し腰痛による障害の誘因を除くという点で、医療上の問題であるのと同じくらいに政治的な問題かもしれないと強調した。しかしながら、医師およびその他の医療関係者は、自分自身の努力を通して、および他の関係者と積極的に協カすることによって、障害を減らす役割を果たすことができる。

腰痛に関する見解の変化


本誌でしばしば紹介してきたように、腰痛に関する医学的見解は変化しつつある。プライマリーケアでみられる腰痛は、かつて考えられていたような自已限定性(self-limited)の急性疾患ではない。むしろ、生涯にわたり断続的に発生する再発性もしくは慢性の症状であることの方が多い。腰痛の再発率を考えてみると、急性、亜急性および慢性の腰痛の区別がますますつけにくくなっている。Keele大学(イギリス)のPeter Croft博士は、何らかの医学的治療によってこの一般的疾患の自然経過が長期にわたって改善できる証拠は乏しいと述べた。医療関係者の共通目標は、対費用効果の優れた確かな治療法であり、思い切った荒療治ではない。腰痛は、かつては壮年期の悩みだと考えられていた。しかし今では10代の若者から高齢者まで多く見られる。一部の患者では、慢性もしくは再発性の身体的症状から次第に長期の就労障害に陥ったり、多大な医療資源を利用するようになってしまう。こうした、お金のかかる長期療養者のグループこそ、対費用効果のすぐれた、賢明な腰痛治療の究極的な目標である。症状の面でも、社会的コストの面においてもその重荷を徐々に変化させることができたなら、それは大きな前進になるであろう。

腰痛に対する伝統的な医学的アプローチを断念すべきか?


かつての生物医学的腰痛モデルがプライマリーケアの段階において失敗であったことが、概ね判明している。今年のフオーラムの議長およびプログラムディレクターであるJeffrey Borkan博士は「第二次世界大戦末期から約10〜15年前まで、プライマリーケアの現場における腰痛は、整形外科の場合と同様、純粋な生物医学的疾患すなわち『脊椎の障害』とみなされており、わかりにくい椎間板の異常に重点を置いた主として整形外科の伝統的手法および地域的な習慣に基づいた治療が行われていました」と述べた。さらに、「腰痛に関する臨床および研究の文献は、主要な学術雑誌、教科書および学会報告にみられるように、比較的最近まで、生理学的病因、診断法および治療以外のことについては何も触れていませんでした」と、Borkan博士はつけ加えた。Waddell博士も、同様の意見を述べた。「過去百年間の腰痛にまつわる話題のほとんどは、実のところ整形外科的な理解および治療の話です。解剖的損傷を探すこと、そしてそれを治す方法を見つけようとしてきました。これは、非常に機械的な(mechanical)治療方法であり、多くの問題点を無視しています。そして実際のところ、この方法は効果がありませんでした」。かつてのモデルと、それを基にした治療方針が不適切であったため、腰痛に関する考え方は大きく変更せざるをえなかったと、Borkan博士は述べた。少なくとも、研究者の間では、腰痛を生物医学的な「損傷」としてとらえるのではなく、様々な要因によって生じる生物・心理・社会的疼痛症候群と考えるようになった。

生物心理・社会的アプローチ:「生物学的因子」が軽視されようとしている?


生物・心理・社会的モデルの出現によって、腰痛の身体的原因の追及は、プライマリーケア研究において重視されなくなってきた。これは、いくつかの点で、過去に生物医学的「損傷モデル」に重点を置き過ぎたことに対する反動である。「いまだに腰痛の解剖学的発生部位を探している研究者もいますが、そのような研究はおそらく役に立たないだろうという意見が大半です腰痛の発生源のほとんどは、肉眼的な解剖学的破綻ではなく、むしろ神経筋機能および神経生理学に関する機能障害なのかもしれません」と、Waddell博士は述べた。博士は個人的には、腰痛は構造上の損傷ではなくむしろ機能障害のシグナルだと思うと語った。この分野のほとんどの研究者は、これまで腰痛には過剰な治療が施されていること、そして今それを止める時期にきていることに同意している。したがって、危険信号の探求を越えて、疼痛のわかりにくい身体的原因を追求するのは、逆効果となるかもしれない。しかしながら、生物・心理・社会的モデルにおいて、腰痛の身体的原因が軽視されていることを懸念する研究者もいる。整形外科医であるDartmouth大学のRon Donelson博士は、「生物学的因子」がこのモデルから完全に外されつつあるという意見を述べた。博士は、疼痛の正確な身体的原因が同定できないことが多い点は認めたが、臨床医は疼痛の発生源および/または(and/or)症状のパターンを探求するのを完全にあきらめるべきではないと信じている。同じくCroft博士も、生物・心理・社会的モデルが現在採用されつつあるなかで、研究者が身体的なものにあまりにも重点を置かなくなってしまったかもしれないと示唆した。Croft博士は、「私は、これについて懸念しています。まず何かが疼痛を引き起こし、その痛みの起源は脊椎であるということが、忘れられつつあると思います」と述べた。「生物学的因子を強調しなくなったことの多くは、『慢性化』の理由として構造上の損傷を強調することが少なくなったことに関係しているのです。もちろん、これは正しいことです。しかしながら、慢性化する疾患の発端の中には、何らかの損傷、つまり酷使による損傷や構造上の損傷もあるかもしれません」とCroft博士は述べた。Croft博士は、腰痛を生物・心理・社会的見地から眺めると、実際には個々の患者によって異なることを認めた。「中には、脊柱管狭窄または椎間板脱出を伴う真の坐骨神経痛を有し、生物学的治療法によってよくなると思われる人々が大勢います」と、Croft博士は意見を述べた。全体にとって良いことが個々の患者に良いとは限らないだろう。「ポイントは、損傷モデルを全ての腰痛に適用するのは失敗であったということです」と、Croft博士は述べた。この失敗の結果として、生物・心理・社会的モデルが作成された。しかしながら、新しい方法が患者にとって有用なものとなるためには、その適用は柔軟に行われなければならない。

心理・社会的因子の重要性


心理・社会的問題は、慢性化および長期障害への移行において重要な因子であるという一般的合意がある。しかし、プライマリーケア医が、腰痛が長期障害となるリスクが最も大きい5%または10%の患者を正確かつ効率的に同定できるシンプルな手法や治療方針は末だに出現していない。また、これらの疾患に対する最良の治療法の種類に関する合意もほとんどない。全ての人がこれらの点に合意する訳ではないが、これは一般論として妥当であると思われる。「慢性腰痛患者にとって心理・社会的問題および期待感が重要であることを示す手掛りがたくさんあります。それに比較して、生理学的因子はあまり重要ではありません」と、Cherkin博士はコメントした。しかしながらCherkin博士は、複雑な問題に単純な解決法を期待しないよう、臨床医に警告する。研究者は、人々を長期的活動障害に陥らせやすくする心理・社会的因子に真正面から取り組み始めている。しかしながら、これらは非常に複雑な問題である。フォーラムで発表されたTamar Pincus博士らによる体系的な検討によれば、疼痛、損傷および活動障害は、異なる現象であり、各々が、特徴のある心理・杜会的リスクファクターの組み合わせによるものである可能性があることが分かった。慢性化および活動障害へと進展する過程の異なる段階で、様々な因子が作用を及ぼしているのかもしれない(Pincus et al. ,2000)「損傷および疼痛の報告は、通常、医療および仕事に関連した考えおよび行動の複雑な相互作用によって影響されています」と、Borkan氏は述べた。臨床医は、明白な心理学的問題(例えば、臨床的うつ病)および不適切な考えや態度に対して警戒を怠ってはならないが、その一方で、プライマリーケアの段階で心理・社会的問題を検出するための最良のスクリーニング手段およびストラテジーを明らかにする必要がある。心理・社会的アプローチも、やはり今後の研究の成果が期待できる領域である。Croft博士は「心理・社会的因子が重要な結果予測因子であるので、心理・社会的アプローチが最も有効な治療法であるといった、安易な仮定がなされています。それはわからないのです。実際にはセカンダリーケアの場における研究によって明らかにされるのです。この分野には、科学的研究およびクリエイティブな思考が必要とされています」と、語った。

医療関係者に変化するよう説得すること


フォーラムでは、様々な医療システムにおける腰痛治療ガイドラインおよび方針の普及および実行に関する発表がいくつかあった。この分野における進展を報告する研究者もいたが、その実行状況は未知であるというのが一般的な見解であった。Cherkin博士は、研究者や臨床医は変化が劇的に起こるということを期待すべきでないとの意見を述べた。博士は、この分野における研究結果が自然に普及したことが、認識できる進展につながったと考えた。「研究結果は、臥床安静の推奨の減少、可能な限りの画像検査の削減そして主体的治療の活用をもたらしたように思われます」と彼は述べた。「我々は、シニカルになり過ぎてはいけません。変革には時間がかかります。これは腰痛に限った問題ではありません」と、彼はつけ加えた。Cherkin博士は、プライマリーケアシステムの医師が速やかに変化できる力は限られていると述べた。「プライマリーケア医は、医療システム、10分診療そしてその他の因子によって拘束されています」と彼は述べた。Croft博士は、ゆっくりした変化が必ずしも悪いとは限らないと強調した。「私は、方針が大急ぎで実施されることを期待すべきだという確信はもてません。なぜならそれは、政治家の問題だからです。全ての新しい考えがそのまま市場に導入されるわけではないというところに、安全を維持するメカニズムがあると主張することもできるのです」。「より根本的な懸念は、臨床医の行動を変える最善の方法に関する基本的な知識が、現時点で不足していることです。我々は、臨床医がその診療内容を変えるのには、何が影響するのかを実際にはわかっていません。常に、営利的な圧力の方が、国のガイドラインや賢明な保守的傾向よりも、医療供給者に強く影響を与えるであろうということが懸念されます」とCroft博士は語った。損傷および疼痛の報告は、医療と仕事に関連した考えおよび行動の複雑な相互作用によって影響されることが多い。

加茂整形外科医院