
第3節まとめ
T 明らかになった知見
1 無傷限界値(閾値)論に終止符
実車衝突実験の衝突速度は6〜20q/h範囲内で、多くは12q/h前後で行われた。
そのうち、衝突速度が15.3km/hまでは被衝突車の運転席に被験者を搭乗させた。それ以上の速度では被験者を搭乗させていない。
実験後、自覚症状を訴えた者は、いずれも実験前と異なる他覚所見はなかった。しかも、ヘッドレストレイントが装備されている限り、遣突事故による頸部損傷の大部分は、頸部の過伸展を原因とするものでないことは明らかである。したがって頸部痛などの発生は、頭頸部の生理的可動範囲内での運動で生じたことになる。第2章表2-10(80頁)等に明らかなように、自覚症状を訴えた追突実験の被験者の衝突速度等は、次のとおりである。
@実車実験
No. |
衝突速度(q/h) |
速度変化(q/h) |
頭部最大加速度(g) |
車体の平均加速度(g) |
11 |
10.3 |
6.9 |
2.9 |
1.4 |
13 |
12.1 |
7.2 |
5.3 |
1.9 |
16(2例) |
12.2 |
7.7 |
7.8 |
1.6
1.5 |
21 |
12.4 |
6.4 |
3.5 |
1.1 |
5 |
12.5 |
6.4 |
4.1 |
2.1 |
18 |
15.3 |
8.6 |
5.2 |
1.7 |
このように、頭部にかかる最大加速度は2.9g〜7.8gまであるが、速度変化と衝突速度は、頭部にかかる最大加速度ほどの大きな変化割合はない。特に衝突速度では10q/h台1名、12q/h台5名、15q/h台1名というものであって、12q/h台に集中している。
一方、模擬(台車)実験は、台車(自重約100kg)に振り子式の落錘(約150s)を打撃して行ったため、実車のような正確な衝突速度は測定できないが、推測で8q/h〜12q/h程度のものとして行われた。この場合、速度変化が有用な指標となる。遣突による実験後、自覚症状を訴えた被験者は、次のとおりである。
A模擬(台車)実験
No. |
衝突速度(q/h)〔最大打撃速度〕 |
速度変化(q/h) |
乗員の頭部加速度(g) |
6 |
8 |
3.6 |
3.2 |
12 |
10 |
4.4 |
3.6 |
13 |
10 |
4.7 |
- |
15 |
10 |
4.7 |
5.8 |
19 |
10 |
4.8 |
1.4 |
ところで、従来の法医学鑑定の主流は、無傷隈界値(閾値)を設定して、外力がその無傷限界値に達しない限り、受傷はあり得ないとするものである。
「追突によって3gの加速度が発生しなければどのような着座状態でも“むち打ち症”は生じないことになる」、あるいは、シヴァリーらの実験結果をもとに、16q/h未満での追突では受傷しないとする見解などが、無傷限界値論の典型である。なお、上記3gの指摘は、「平均加速度」を意味し
ているが、前記の如く、実車実験での自覚症状を訴えた被験者の平均加速度は1.1〜2.1gの範囲に止まっている。なお、この論者は、3G(g)を超える衝撃が加わらないと過伸展、過屈曲が起こらないから、3G(g)以下ではいくら頸椎に加齢変化があっても受傷しないと主張しており、徹底した無傷隈界値論者ということができよう。
もっとも、裁判所は、これらの無傷限界値論を無批判に受け容れていたわけでもなく、中には、時速10q程度の追突であっても、被害者が不自然かつ無防備の態勢であればむち打ち症が生じると判示したものもある。
本実験では、これらにつき明確な結論が見出されることとなった。すなわち、車体の平均加速度が1.1ないし2.1g程度であっても、むち打ち症が発症することが明らかとなった。
以上のところにより、ある一定の重力加速度(g)や一定の衝突速度では受傷しないとする無傷限界値(閾値)論には、すみやかに終止符が打たれるべきである。
受傷するかしないかではなく、乗車姿勢、衝突態様等により、たとえ低速でも20%程度の者は受傷(自覚症状を訴えること)する可能性を認めざるを得ず、その上で症状の内容が検討されるべきである。
本実験の趣旨に賛同し、損害賠償における被害者としての立場をもたない被験者のうち、約20%の者が何らかの症状を訴えるに至った。しかも、これらの症状は、従来のむち打ち症に特有の症状である「頸部の鈍痛・運動痛」「頭部の痛み」「ふらつき感」「頸部・肩部の鈍痛」「頸部・腰部の鈍痛」「頸・肩部のコリ感」「手のしびれ」「手の脱力感」などであり、従来いわれてきたような「詐病」でないことは明らかである。
追突事故の被害者は、たとえ低速度の衝突でも、小さな平均加速度であったとしても、現実に痛みを訴えることがあり、そのことは決して不思議なことではない、という点が明らかになったことの意義は大きい。
(加茂)
この本の中には「心因性」という言葉がしばしば使われているが、なにかの拍子に生じた痛みが慢性化するということはよくあることで、「心因性」という表現は誤解が生じかねない。