人間工学に関するOSHAの提案:職場における腰痛に対する未検証の処方箋

The OSHA Ergonomics Proposal: An Unproven Prescription for Back Pain in the Workplace


米国政府の職業安全衛生管理局(OSHA)が、何十億ドルもかかる人間工学的プログラムを提案した。このプログラムは、仕事に関連した筋・骨格系障害(muscluoskeletal disorders:MSD)を同定し、MSDを有する労働者を軽作業、休息および再訓練のプログラムによって治療し、雇用者にMSDの予防のための様々な人間工学的対策を講じるよう命令することを試みるものである。腰痛は、この新プログラムの主要な目標の1つである。

BackLetter編集部は、この提案の目的は正しいものの、複雑な多因子性疾患に安易な人間工学的解決法を当てはめようとするのは見当違いだと考える。我々は、このプログラムは、ここ10年間の腰痛治療における進歩を、逆戻りさせかねないと考えている。BackLetter原著の代表編集者であるSam W.Wiesel医学博士および編集者のMark L.Schoene氏は、このOSHAの提案を熟読し、科学的根拠を綿密に検討し、以下の論説にまとめた。こめ提案はインターネットのホームページ(WWW.OSHA.gov)でも入手できる。ぜひ、ご一読いただき、この重要問題に対してご自分の判断を下されることをお奨めする。提案の理解のために、OSHAのプログラムの要約を別に掲載する。

産業向けの新しい人間工学的基準案は、職業安全衛生管理局(OSHA)が、1年に数十万件もの仕事に関連した筋・骨格系損傷を防止し、さらに、数十億ドルもの医療費削減、生産性低下および欠勤時間の削減を見込んでいる。まるで夢物語である。

労働省のAlexis M.Hermann長官は、基準案の発表の際に「腰部損傷や手根管症候群といった仕事に関連した筋・骨格系障害は、我が国の職場における損傷では最も多く、最もお金がかかります。これは、予防可能なのです」と述べ、「現実の傷害に苦しんでいる人々が現実にいるのです。それは身体を不自由にし、生活を破壊するものです。真の解決法を手に入れられるというのは、素晴らしいニュースです」と付け加えた。

大々的な広報活動における誇大表現の裏には、別の現実が隠されている。すなわち、OSHAの姿勢は、質の高い科学的根拠によって支持されていないのだ。事実、最近の研究は、腰痛の病因は複雑であり、腰痛症状の正確な原因は依然としてはっきりしないと示唆している。

肉体労働への暴露を減少させるための人間工学的プログラムは、ここ10年間の努力にもかかわらず、職場における腰痛や腰痛による就労障害を防止することはできなかった(Hadler,1997)。面白いことに、OSHAが提案している特別な人間工学的プログラムは、これまで、厳密な科学的研究において検証されたことがない。

提案されたプログラムには、途方もない費用がかかりそうである。OSHAは、企業が負担する費用を年間42億ドルと見積っているが、提案に批判的な専門家は、真の費用は1000億ドルを超えるだろうと推定している。

時代遅れの仮説

OSHA提案は、「職場における身体的因子が腰痛および他の一般的な筋・骨格系障害の最も有力な原因である」という、すでに時代遅れになった科学的仮説を蘇らせようとしている。しかし、今や、この時代遅れの仮説を捨てて、明らかとなった科学的データと合致する新しい解釈へと移行する時であろう。

OSHA提案は、腰痛および他の筋・骨格系障害のリスクファクターに関する主張を組み立てるのに、あまり質の高くない科学的根拠を用いている。質の高い科学的研究から判明した事実はこれとは全く異なっており、腰痛およびその結果(仕事に関連した機能障害、常習性欠勤および補償を受けている就労障害)は、社会的経済的状態、心理学的因子、身体的ストレス、身体的属性、遺伝、幼少期の環境、その他の因子を含む、多種多様の影響の複雑な相互作用によって、生まれたものである。

腰痛の全てのリスクファクターについて、科学的研究での検討が行われたわけではないというのは、大いにありうることである。例えば、遺伝が、腰痛の原因として重要な役割を果たしうるという根拠が集まりつつある。もしそうであるならば、職場および他の場所における腰痛問題に関する従来の仮定を再審査しなければならなくなるであろう。

職場における身体的因子は、腰痛の原因として働いているかもしれないが、その役割は、それほど大きくないようである。仕事は、既に存在した脊椎疾患の症状を確かに悪化させる。しかし職場における腰痛の真の原因は、依然としてはっきりしない。このように科学的に確かでないことを考えると、この情勢で、労働が腰痛原因としてどの程度関与しているか、正確に評価するのは不可能である。

肉体労働と腰痛との相関関係に関する根拠の多くは、横断的研究によるものであり、因果関係を確立することはできない。これまでに行われた質の良いプロスペクティブ研究の多くは、考えられるリスクファクター全てを網羅して検討したわけではなく、また考えられる交絡因子に関して十分にコントロールしていなかった。この分野における綿密な疫学調査がぜひ必要である。

米国最高裁判所によれば、OSHAの人間工学に関する新規の提案は、重要な検討に合格しなければならない。新基準の発布前に、OSHAは、現在の環境では、健康上の障害を生じる重要なリスクが存在すること、および新基準がそのリスクを大幅に低下させることを証明しなければならない。

腰痛に関して、0SHAは、どちらの点についてもハードルを超えられないでいる。前述したように、OSHAが主張するように職場の身体的因子が腰痛の最も有力な原因であること、または0SHAが推奨する人間工学的プログラムが腰痛や腰痛による就労障害のリスクを大幅に低下させることについて、質の高い科学的研究で得られた注目すべき根拠は存在しない。

これらの点について実例を挙げて説明するには、最近の産業の歴史を考えてみればよい。過去40年間に、米国および他の先進工業国の職場では、重い物を持ち上げること、前屈みおよび腰のひねり、無理な姿勢での作業、ならびに工作機械による保護されていない全身振動に身をさらすことは、徐々に減ってきた。これらは、新しい提案の下で、OSHAが減らすように推奨している労働暴露のうちのいくつかである。

しかしながら、それと同じ期間に、職場において報告された腰痛症状および腰痛による障害の発現率は、急上昇してきた。明らかに、職場における肉体労働以外の因子が、この健康および障害の流行の中心にある。

重要ポイント

*職場における腰痛の正確な原因は、依然としてはっきりしない。

*OSHAの人間工学的プログラムは、科学的研究において検討されていない。

*人間工学的提案は、その価値を裏付ける科学的根拠が得られるまで、実施すべきでない。


問題の多いMSDの定義

新規の提案が示している広義で際限のない定義を当てはめると、単なる腰痛およびその関連症状を、仕事に関連した筋・骨格系障害と誤って判断する可能性が出てくる。腰痛は、毎年、米国の総人口の50%近くを悩ませている。ある推計によれば、定められたある時点で腰痛に苦しんでいる人々は、成人人口の20%を超えるという(Loney and Stratford,1998)。

腰痛は、まだ労働人口に入っていない13〜19歳の若者にも極めてよく見られる。また、米国の退職後の高齢者の20%を超える人々にも、日々影響を及ぼしている(Edmond and Felson,2000)。

椎間板変性、椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄および脊椎骨の骨棘症(osteophytosis)のような構造上の異常はいずれも、腰痛症状のあるなしにかかわらず、一般集団においてよくみられる(Boden et al.,1990)。

一般集団におけるうつ病および他の精神障害の有病率が高いことも、同じく不正確な診断がなされる可能性を引き上げる。様々な研究によれば、一般医の診療所の患者の約20%が、かなりのうつ病症状を有している。

なぜこれが、仕事に関連した障害と関係があるのかというと、うつ病の患者は、医療機関を受診した際に、筋・骨格系愁訴を訴えることが多い。最近の国際研究では、うつ病患者の69%が身体症状を訴えていた(Simon et al.,1999)。

職業性腰痛を検出する手段がない

0SHA提案が認めているように、「職業性」の筋・骨格系障害と、非職業性の筋・骨格系障害とを正確に区別できる臨床的手段はない。一般集団における腰痛および他の筋・骨格系愁訴の有病率を考えると、病因がはっきりしない筋・骨格系愁訴のうち10万件、ことによると100万件は、0SHA提案に従い、「仕事に関連する」と誤って判断されるだろう。

筋・骨格系障害に関するOSHAの定義の下では、腰痛、頸部痛、圧痛、心理学的苦痛および疲労でさえ、これらを仕事に関連した筋・骨格系障害に変えるには、これらの愁訴は仕事が原因だと推測するのをいとわない親切な医療関係者、雇用主またはコンサルタントさえいれば十分である。

身体的活動は有害?

OSHAの人間工学的提案において再度取り上げられたテーマは、職場における身体的因子が腰部疾患の主要なリスクファクターであるという点である。OSHA提案の作成者は、腰痛および他のMSDを説明するために、生体力学的モデルだけを用いている。彼らは、肉体労働のストレスが毒素として働き、それのストレスに対する身体の適応力を打ちのめしてしまうと示唆している。

提案の中の「Health Effects」の章には、“ある強度で、ある持続時間およびある時間的特性をもつ生体力学的リスクファクターへの暴露によって、ある内部`用量'が生じる。それは、その用量を`無毒化'する身体の修復能力を要求するものである”とある。

0SHA仮説は、20世紀初めに、医学が、腰痛を説明するために作り上げた疾患モデルを変形したものである。このモデルは、何らかの特異的疾患との関運はあるかもしれないが、非特異的な腰部愁訴の説明としてはほとんど価値がない。このモデルは、OSHA提案と同じく、科学的根拠に適合していない。

スコットランドの研究者であるGordon Waddell博士は、最近、疾患モデルは以下のことがらを規定するものであると、述べた。

(1)組織損傷によって疼痛が生じる
(2)その後、組織損傷が身体的機能障害、活動障害およびハンディキャップにつながる
(3)基礎的な組織損傷が治癒すれば、その後、疼痛、身体的機能障害、活動障害およびハンディキャップは、全て消失するであろう(Waddell.1998)。

このモデルには多くの問題があることを、Waddell博士は認めている。ほとんどの患者には、確認できる組織損傷がない。疼痛は、組織損傷と同一ではない。疼痛の消失が、それに伴う障害の消失につながるとは限らない。

現代の脊椎治療においては、この従来型疾患モデルは、腰痛に対する個々人の反応に影響する多種多様な因子、すなわち身体的、社会・経済的、心理的および文化的な因子を考慮に入れた、より柔軟な生物・心理・社会的モデルに取って代わられつつある。

休息治療法?

OSHAは、その疾患または損傷モデルを推進する上で、仕事における身体的負荷への「有毒な」暴露の治療法は、休息、軽作業または再訓練であると推測している。言い換えると、OSHAは、通常の仕事から離れる時間(最高6ヵ月まで)によって、身体を「解毒する」ことができ、再び健康に戻るであろうとしている。

この方法は、脊椎研究および脊椎治療の現在の傾向と相反している。20世紀のほとんどの期間にわたり、医療の主流にいた医師らは、腰痛患者に、疼痛を引き起こした活動を中止し、疼痛が消失するまで休息するようアドバイスした。このストラテジーは、有効性が一度も証明されたことがなく、今日の西洋社会における腰痛による活動障害の重大危機を引き起こす原因となった。

対照的に、現代の根拠に基づく腰痛治療における最も有力な推進力の1つは、患者が、仕事を含めた通常の活動や運動を速やかに再開することによって、身体的および心理学的によくなることである。運動には治療効果があり、(OSHA提案が示すように)もちろんダメージにはならないという多種多様な根拠がある。急性腰部疾患の治療に関する最近の各国のガイドラインは、早期に活動を始めること、および速やかに通常の活動を再開することを推奨している。

証拠資料の欠如

OSHA提案は、人間工学的プログラムに関する多くの研究を引用している。しかしそのほとんどが、研究方法の質が劣った、比較対照を置いていない研究である。残念なことに、人間工学的介入に関する比較対照を置いていない研究では、これらのプログラムの価値を証明することはできない。ホーソン効果および他の非特異的プラセポ効果が、それらの結果をゆがめてしまうことが多いからだ。

人間工学的提案で懸念される点の1つは、OSHAが、腰痛および他の筋・骨格系障害の治療のために推奨している特異的方法の有効性を検討した比較対照研究を、ひとつも引用していないことである。

OSHAによるMSDの特別な定義は、どのような労働者集団を想定できるのか。彼らの主な愁訴は何か。休息、軽作業、再訓練、ないしは人間工学的再設計を組み合わせることによって、腰痛ないしは腰痛に関連した就労障害の有病率を低下させることができるという根拠はどこにあるのか。あるいは、OSHA提案において言及されている頸部痛、上肢痛または他の「職業性」愁訴についてはどうなのか。

0SHAは、プログラムの妥当性および有効性に関する厳密な研究をまず実施することなしに、このプログラムを課すべきではない。0SHAの提案は、腰痛に関する他の主な治療法と同じ方法で検討されるべきである。特別のプログラムを予備研究において検討した後、厳密にコントロールされた条件での本格的な無作為研究において検討すべきである。

OSHAプログラムは、ガイドラインに基づく治療、身体的訓練、心理・社会的アプローチ、ないしはハイブリッドプログラムのような、職場における腰痛に対する他の一般的治療法と比較されるであろう。OSHA管理プログラムがこれらの研究に合格すれば、その後、プログラムが、全地域を代表する地域共同体において好ましい結果を達成できるかどうかを知るために、質の高い治療成績研究において検討されるべきである。

OSHAがこれらの研究を完了した時に初めて、医療専門家、政治家、ビジネスリーダーおよび労働者が、プログラムの価値について、情報に基づいた評価を行う。

BackLetter編集部は科学のためそしてフェアプレーのため、この科学的根拠が得られる時まで、0SHAが人間工学的プログラムの実施を遅らせるよう希望する。


参考文献:

Boden S et al., J Bone Joint Surg [Am]1990; 72(3):403-8. 

Edmond SL and Felson DT, Prevalence of back symptoms in elders, Journal of Rheumatology, 2000; 27(1): 220-5. 

Hadler N, Workers with disabling back pain, New England Journal of Medicine, 1997; 337(5):341-3. 

Loney P and Stratford PW, The prevalence of low back pain in adults: a methodological review of the literature, Physical Therapy, 1999; 79(4):384-96. OSHA Ergonomics Proposal             http://www.OSHA.gov 

Simon GE et al,An international study of the relation between somatic symptoms and depression, New England Journal of Medicine, 1999; 341(18): 1329-35. 

Waddell G, Risk factors for low back pain, in The Back Pain Revolution, Churchill Livingstone, Edinburgh, 1998; 223-40. 


The BackLetter 2000・ 15(3):25,30,32 

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