誤解される「心因性」という言葉
村上正人 日本大学板橋病院 心療内科
日本心療内科学会誌 Vol.7
No.2 2003
「心因性psychogenic」という言葉が安易に使われる傾向があるが,この言葉はむしろ心療内科を専門としない医師によって使われる傾向がある。例えば,器質的原因が求められない慢性疼痛を「心因性疼痛psychogenic pain」,心理的に修飾された気管支喘息を「心因性喘息」,線維筋痛症Fibromyalgiaを「心因性リウマチ」と言うごときである。さまざまな心身症の患者さんを「心因性と思われます」といって紹介してくるプライマリ・ケア医も少なくない。しかし,この傾向は一部の精神科医にも言えることであり,心身症の様相を呈する病態を「神経症」,「ヒステリー」と診断しがちである。我々のような心療内科医の方がむしろ「心因性」という言葉を使うのに慎重である。我々は,器質的異常が認められないといって人間の痛みや不調が本当に心の問題だけで生じてくるだろうか,という疑問を常にもっている。
日本における心身医学の発展と歴史的な流れをたどってみると,かつての心身医学の分野では不安神経症や転換ヒステリーなど主に神経症における診療と心身相関の研究が主体であった時期がある。我が国における初期の心身医学を支える基礎理論は精神分析や力動精神医学が主体であったこともあり,臨床的には神経症によって生じる身体症状の心身相関に関心が向けられていた。現在でも一部の精神科医や一般医の心身医学に対する理解がこのレベルに止まっていることは事実である。しかし,周知のように,現在の我が国の心身医学の方向性は,神経・内分泌・免疫系のシステムに注目して基礎的,臨床的研究を踏まえて心身相関(Psychosomatic relationship
) (psychosomatische Beziehung)を明らかにするという立場をとっており,心身症を神経症や転換ヒステリーの身体症状として理解していない。例えば,心療内科を受診する患者さんの痛みの多くは,過去に何らかの肉体的な外傷や負荷を受けたエピソードを有しており,心理社会的ストレス要困,筋肉の過緊張,撃縮,それに伴うカテコラミン,サブスタンスPなどの神経伝達物質の異常などが契機になり,内分泌系や免疫系も巻き込んでさらに痛みが増強,不定愁訴も生み出すという悪循環を形成している。
確かに人間はその痛みのために苦痛に執着し,苦悩を理解して欲しいと他人に執拗に訴えるようになり,神経症的な表現をしたり,転換症状のような症状も出現する。しかし最初に心理的な異常があるわけではないことの方が多い。よく使われる「心因性」という言葉の背景には障害の存在を否定したり,患者さんの「こころの在り方」にウエイトを置き過ぎて結果的に患者さんの訴えを否定したりディスカウントすることにもなっている。しばしば「心因性」という診断がなされるとその治療は抗不安薬が中心になり,肝心の痛みに対する診断と治療がおろそかになる。内科やメンタルクリニックに通っているが一向に痛みが改善しないという背景にはしばしばこのような問題が存在する。
我々は人がストレスを受けたときにどのような心と体の反応を起こすのか良く理解しておかねばならないし,その対策も充分に心得ておかねばならない。しばしば心身医学と精神医学や心理学との違いなどが論じられるが,この心身相関の理解を深める努力こそ心療内科医のアイデンティティにつながってゆくものではないだろうか。
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