Insights(日々あれこれ)
ぽつり、ぽつりひとしずくのひとりごと。

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塩釜焼き出来上がり

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1st 夫と母の所へ行く。母は昨日娘から「相部屋の方が色んな人と話できていいと言われたけど、あの娘は私の事をわかっとらんわ」と言った。「ああ、ばあちゃんが我がままで気ままやから相部屋無理って事?」と、昨日娘から話を聞いていたが知らない振りしてまぜっかえした。母は少しむっとして「私は短歌作ったり趣味がたくさんあるから、忙しくてくだらない話なんかしておれんわ」と言った。ヤレヤレ。やっぱり気位の高い女王様で…(^^ゞ 歩行器がベッド脇に置いてあったので、歩こうと誘い、「ばあちゃんは何でも新しい事に挑戦するのが好きやから、今日は洗濯機と乾燥機に挑戦しよう」と連れて行って、操作法や部屋番号を明記する事を教えた。そして歩きながら病院に入院してるんやから、色んなルールは守らなくてはならないこと、あんまり我を通そうと泣き落としはしないでほしいこと、一昨日の様な電話を聞いたら「ばあちゃんが『鬼ばばぁ』に思えた」…と自分の気持ちも小出しにして言った。

2nd 今日は家の整理をするぞと夫が張り切った。タンスの中身を整理し移動した。私も口を出しながら整理する。大きなゴミ袋1つと、紙袋4つ分を捨てる事に。娘が小さい時使っていた紅いエプロンと、息子がボート部で着ていた試合用のユニフォームは、やっぱり捨てられなくてタンスの隅に仕舞った。昼ごろ、「リバーサイドフェスティバルがあります」と有線放送があった直後、土砂降りになった(^^ゞ 3時ごろ、リバーサイドフェスティバルは中止になったけど、町内の模擬店だけはやりますと、再度放送があった。夫は無料配布されたチケットを持ってビールを飲みに出かけたが、すぐに雨が降ってきて肌寒く、傘をさしながらじゃ飲んでいられなくて、ビールのコップにラップをしてもらい家に持ち帰ってきた(^^ゞ

3rd もうすぐ母の車の保険の更新と車検の日がやってくる。夫と話し合って廃車にするしかないと結論を出した。さて母にどう言うか?夫は、一旦廃車にするが元気になって退院したら新車を買おうと言えば母もNoと言わないだろうと言った。が、母に言うのは私の役目だって(^^ゞ 教授回診の後、まず歩行器で歩く母を売店まで連れて行き、母のほしいもの、洋服(気に入ったのが無かった)以外を全部買い、ディルームで一服した。ちょっと体力的に疲れさせ、ディルームという他人の目がある場所を設定した。税金面の控除が切れる事、駐車場の問題、今の車は農薬や肥料を積んであった後遺症でとても臭い事など…いつもせっかちな私は、結論から言うのだが、ゆっくり遠回りしてから「廃車」と言った。すぐに「新車」の話も付け加えた。母も納得した。母は「新車」という言葉に気をとられ、早くもそれを思い描いているようだった。トコトン楽天家である。一件落着。ここ一、二年、母の運転は危なっかしくて、冷や冷やしていた。が、運転免許を返そうよと言うと機嫌が悪くなり、ますますエラそうに運転するという悪循環だった。癌のお陰で、母は大きな事故を起こさず運転生活を終える事ができた。

4th 家事をするぞと気合を入れたが、色々気が散って、整理の途中に別の事を始めて、却って家が散らかった(^^ゞ 昼ご飯は娘があり合せの材料でパスタ料理を作ってくれた。”あり合せの材料で”料理が出来るようになって、初めて家事だと思う。料理本のとおりの材料をわざわざ買ってきてからでないと作れないのは、ただのままごとだ。昼下がりは暑くて、頭痛もしてきた。シャワーを浴びてクーラーを付けて昼寝した。目覚めると陽射しが傾いていた。梅雨明けだと言うに、白山は雲に覆われ真っ黒だったが、傾いた日が清清しく見えた。夕日に元気付けられて、夕飯の支度に頑張れる。

5th ここ数日、母の所へ行くのを隔日にしている。精神的にも肉体的にも余裕を持って母に接する事ができる(*^^)v 転院は来週の月曜と決まった。転院を前に、昨日の造影剤CT検査をもとに医師達から説明があり、母と共に聞く。病棟科医師は母に「頑張ったね。癌が小さくなっているよ」と優しく声かけた。母は嬉しそうにお礼を言って頭を下げた。が、もらってきた資料には、あちこち転移している癌の状態、癌の浸潤のこと、動脈の狭窄について書かれていた。担当医が私に向かって「分からない事があったら聞いてね」とフォローしてくれた。…ホントに分からない事だらけです。癌も人間の生命力も人生も。…母はひたすらお腹が減ったと言っていた。これでいいんだね(^^ゞ

6th 朝の家事を済ませて髪を切りに行った。カット専門店は順番待ちだった。帰宅すると、娘が自分にとっては朝食、私にとっては昼食を用意してあった。居間にクーラーをつけ、食べる。夕食は用意をして食卓に付くと疲れていたり、手が痛んで食欲が無いが、こんな昼食だと食欲も出る。
昨日録画しておいた漫画家の西原理恵子のインタビュー番組をパソコンで見た。夫とテレビを見ていると、夫はCMのたびにチャンネルを替え、自分の興味を引くものがあるとそのまま見ているので、CMで細切れになったものを更に刻んだモザイクを眺めてる状態だ(^^ゞ 久し振りにじっくりテレビを「見た」。

7th 母の病室にいると、担当医から「ちょっとご家族にお話が…」と言って呼ばれた。一昨日もらった書類をもう一度前にして説明を受けた。治ったと喜んでいる母には、できない内容の話だった。予後についても説明があった。病室に戻ると母は「どんな話やった?」と少し心配そうに聞いてきた。「うん、医学的な小難しい話。数字のいっぱい入った話やから、ややこしかった。多分ばあちゃん聞いたらうんざりすると思う」と答えた。私は言葉的に嘘は一つも言っていない。が、やはりどこかで小さく母を欺いているような気分になる。真実を知らずに(知りたくないだろうが)、今を平穏に過ごすのは一見母の為にはなっているのだろうが、偽物の人生ではないのだろうか。母はそれでもいいんだろうけど…。

8th
 第25回リウマチおしゃべり会。12名参加。生物製薬で皮膚のアレルギーが出た方が、せっかく数回打って改善されたのに、中止と言われ、「じゃ、(かゆみの出た)肩じゃなくってお尻に打って!」とすがった話をされた。どこに打ってもアレルギーじゃ仕方ないのだが、その気持ち、分る!と同調される方が多くいた。この理屈じゃなく、気持ちが理解できるってことが、リウマチおしゃべり会の良い所だと思う。で、今年赴任した会場の責任者をはじめて見た。どっかで見た顔…「もしかして中学でバレーやってた先生では?」と尋ねると、即座に私の出身中学名を言われた。向こうは気づいていたらしい。もう40年近く前の話ですね(^^ゞ それから娘が大学から送られてきた同窓会名簿を見ていて、母のサブ担当医の名前を見つけた。学科は違うが同期の卒業生だった。サブ担当医のクラスの何人かは知ってるが、彼の名は記憶に無かったようだ。こうやっていつも私の世間は、どっかで繋がってる。

9th 雨で墓掃除や草刈ができずにウダウダしていた夫と車屋さんへ行く。母のファンカーゴの保険の手続きと売るための査定をしに行く。走行距離は少ないが、傷だらけなので査定5万円也(^^ゞ 男女共同参画普及員の研修にフェスタのアンケートのプレゼンをするので、、パソコン操作の助っ人に行く。ついでに『きらめき』の資料をもらってくる。金大の駐車場に着いて携帯の留守録に気づくと、母の涙声が入っていた。ドアを開けると、待っていたように泣きながら看護師に叱られた事を話し、その看護師が自分のお気に入りの靴下を無くしてしまった事。今日は顔が見えないけど悔しいから手紙を書いたと言って、封筒まで用意した手紙を見せられた。内容には事実誤認があり、母の思い込みの激しさが出ていた。「あともう一晩でこの病院出るんやし、あきらめようっさ。靴下なら、転院先でいくらでも買えるし。転院するのに荷物が一つ減って軽くなったと思えばいいがいね」と慰め、手紙を捨てさせた。それからリハビリも何もしてくれないと母は文句を言ったが、「今日は休みやから、リハビリも無いんよ。代わりに一緒に歩いてこよっさ」と歩行器で連れ出した。病棟を何周か回ると「これでいいわ」と満足した。もう少し明日の転院のための準備をしてくるはずが、半分で疲れた(^^ゞ

10th 9時に金大へ母を迎えに行くと、既に母は着替えて待っていた。看護師さんが全部荷造りを終え、台車に乗せてあった。車まで母を車椅子で連れてきてもらい、いざ出発。母には2ヶ月と5日ぶりのドライブである。混雑を避けて雨が上がりの山道を通った。白山は見えなかったが、母は何か自分に関係のある地名の看板が出てくると、嬉しそうに読み上げていた。山中温泉医療センターに着いてからが大仕事だった。事務手続き、診察、荷物の搬入…荷物の片づけが終わったのは午後3時だった。母は「あら、いつの間にやら片付いたがいね」と言った。アホめ、荷物は勝手にひとりでに片付いてはくれない。誰かが片付けなければ。物をすぐ買うくせに、片付けようという気が全く無い(^^ゞ それから母が金大から今朝、書付(請求書)を預かったと言うので、私はこちらの病院に提出したいくつもの書類に紛れて渡してしまったのではないかと、大騒ぎして探してもらった。無いので帰宅後金大の事務に問い合わせた。「まだ発行してませんよ」と言われた。母に電話して、その旨看護師さんに伝えて謝っておいてねと頼んだ。夜、母から電話があって「うちの娘が思い違いしていて…と謝っといたから」と言うではないか。あんたが書付もらったと言ったから、私が探したんでしょうが!まったく食えないババァだ!

11th 今日の母はお風呂に入れてもらったり、リハビリが始まったりと色々世話を焼いてもらえるので機嫌が良い。金大では、看護師が様子を見に来ると「いじくらしい!」と嫌がり「私が呼んだ時だけ来て」とまで言い放っていた。そのくせ転院前はあまり構ってもらえなくてひがんでいた。母はここに転院できて良かった、良かったと言う。そして温泉に浸かれば体力も回復すると信じている。横で聞いてて思わず溜息が出た。「私はそんなに長生きしたくない。長生きすれば壊れる関節も痛む関節も増えるし、体力だって衰えるんやし。私がダメになったら娘にばあちゃんの事頼まんといかんかなぁ」と言った。母はそんな事でどうする、息子や娘の孫を抱きたくないのかと私に強く言った。「そりゃ抱きたいけど、この痛む肘で抱けるかなぁ」と言うと、即母は「わたしなら抱ける!」と自慢した。また溜息が出てしまった。

12th 休みの娘と一緒に母の所へ行く。抗癌剤の予定の日だったのだが、熱があって延期となった。看護師が「朝は37.3℃でその後37.8℃に上がったから止めたのだけど、お母さん、金大では熱があっても(抗癌剤を)したって言ってますよ」と言った。私は慌てて手を横に振って「嘘で〜す!」と言った。ったく、他の嘘ならまだしも、治療に関する大事な所で嘘をつくのは周りを混乱させるだけなのに。抗癌剤をすればするほど癌が治るという思い込みが強すぎる。やっとみつかった転院先のこの病院だが、転院したばかりなのに、もう次の転院先を考えておくよう言われた。 高齢者医療・癌難民の問題と直面。 母の介護を通して リビング・ウィルを明確に持つ事、終末期医療の認識など 自分の老後を思い描いている。

13th 久し振りに飲み始めたステロイドの効果は抜群で、関節の痛みに邪魔される事なく、何とかこの二ケ月を乗り切れた。が、何か体に違和感がある。いつもの私じゃないと思う。ちょっと気を抜くとふわふわした感じになるのだ。で、来月の予約日を待たずに受診した。肝機能の数値は正常に戻り、CRPも0.04。MTXを始める前は400くらいあったMMP-3も125。数字だけ見れば優等生なのである。「でも何か変…」と食い下がると漢方薬が処方された。
娘は日勤に続く深夜勤務で、今年は夫と二人だけで墓参りに出かけた。もう既に親戚らがお参りしてくれてある。数日前に墓掃除をした夫は、どうだちゃんとやってあるやろうという顔をした。確かに、整ってます。ロウソク台も新しく作ってあった。でももうちょっと気を使ってほしかった。かまぼこ板に釘を何本か打って作るのだが、「油宇かまぼこ」と焼印が押してある面が表になっている(^^ゞ

14th 夫と母の所へ行く。母の従兄夫婦が見舞いに来た。母は山中病院はかつて私が入院していた頃通った所なので、家から近いと思っている。そして「毎日通った」とか「二日おきに通った」とまで言う。正確には一週間おきなのだが、母の見舞いに来てほしい願望が記憶を塗り替えてしまっている(^^ゞ 彼らが「いくらここが良いとこでも、私ら家から近いM病院がいいわ」と言った。私は彼らの話に乗って、転院までの色々な、母にとっては面白くない経緯を聞かすことがやっとできた。やはり母には転院の難しさの現実を知ってもらい、折り合う事を考えてほしいと思う。いつも上から目線で物事を判断するが、それが通用しない事も。
息子からグレと鯛が届いた。鯛を焼塩釜にして食べたらいいと電話があった。ネットで調べた作り方を参考に夫は初挑戦!オーブンから出した焼き立てを、記念撮影してから金槌で割った。おいしさが密閉されていた!

15th 息子が大学生の頃から付き合っている彼女を、はじめて家に連れて来た。みんなでお墓参りに行く。親戚の人に会う。一見すると、どれが娘でどれが息子の彼女かわからないようだ。つまり似ている!夕食は、夫が予約した「加賀寿司」へ行く。メニューが春のまんまで、注文しても「ありませーん」と堂々と答えが返ってくる暢気な寿司屋だったが、おいしい地酒が置いてあったし、刺身は美味かった。家に帰ってから、昨日の魚の昆布〆を肴にまた乾杯し、記念撮影!おうちの話など色々聞くと、家庭環境がとてもよく似ているのに驚いた。堅実な性格のようなので、ノー天気な息子にぴったりだ。最近良くない事が続きめげていたが、久し振の嬉しい出来事(*^_^*) それに家族が増えるのもおっそろしく久し振りだ(*^^)v 地元の名産だという大きなイチジクと、和と洋のお菓子をお土産にもらった。息子に『一升酒』をしなくちゃと言うのだが、その言葉の意味も伝統も知らない。説明するのに苦労する(^^ゞ

16th 息子達を海に送り出し、私達夫婦は母の病院へ行き、その足で五箇山の菅沼集落までドライブした。ルシーダにETCを取り付けてすぐに母が悪くなったので、出かけられず、今日初めて1000円の高速料の恩恵に浴した。菅沼からの帰路、つい今までの癖で近い方の五箇山ICでなく、距離が短く料金の安くなる方の福光ICから入ろうなどと考え、途中で気付いて苦笑いする。夕方帰宅すると母から何度も電話がある。息子と彼女が病院に寄ると言っておいたところ、母は「まだ来ない」とか「今から夕食になるのにどうしよう?」とか、緊張してるのか他愛も無い事で電話してくる。ヤレヤレ(^^ゞ

17th 『きらめき』第1回編集会議。活発な意見が出た。編集長としての方針は「編集員の人脈やアンテナを活かして情報集める。男女課に使われるのでなく、男女課を使い倒す」
午後から夫と娘と共にFORUSへ『トランスポーター3』を観に行く。夫は隣のポップコーンをボリボリかじってうるさい大学生風の男の子に言った。「早くみんな食べてしまえ!」 彼は、食べるなと言われたわけでないが、どうしたらいいのか分らなかったらしく一瞬フリーズしていた。映画のヒロイン、さすがにベッソン好みの女性だ〜(*^^)v

18th 山中温泉医療センターで、母の主治医から病状・治療説明を受ける。のっけに「どうして金大からこっちに来たの?少しは近いから?希望したの?」と聞かれて、崩れそうになった(^^ゞ 金大の主治医から転院を薦められ、SWに探してもらってようやく見付けた転院先なのだと正直に話した。新しい主治医はおっとりと、「あと2クールくらい抗癌剤やって評価してからでも良かったのにね。金大は長くいちゃまずいんだろうね」と言った。そんな事今更言われても…(^^ゞ 母は山中ののんびりした雰囲気に落ち着いている。リハビリの先生と一緒にアートフラワーを作るのだと張り切っている。そこでまたもや母の悪い癖が…最初から2セットを買ってしまってある。「一つ仕上げてから次を買えばいいのに!すぐに中途半端で投げ出さんといてや!!」とキツク言う。

19th 久し振りにMさんが、お孫さんを連れて英会話を覗きに来た。彼女の夫が3冊目の笏谷石の本を出したそうだ。それから以前NHKで放送していた100歳を超えて元気な画家は、隣町に住んでいて、彼女の夫の母の兄弟なんだそうだ。トリビア!銀行に寄って、母の入院費を支払うためのまとまった現金を下ろす。市役所の男女課に寄って、「きらめき」の相談をし、上下水道課で「白山水流」を2箱買う。受付の人にもう顔を覚えられ、何も言わなくても名前の入った領収書を切ってくれるようになった。スーパーで買い物して帰宅。涼しい建物ばかりを渡り歩いて帰宅すると、余計に家が蒸し風呂に思える。

20th さぁ、今日はハードスケジュールだ!ステロイドを飲もうとして唖然!無い!薬袋が空!しばらくしてようやく事情が飲み込めた。主治医の処方箋はMTXやフォリアミンは3ヶ月に対しステロイドは2ヶ月分。慌てて始業前の病院に「ステロイド1か月分の処方箋ほしい」とFAXを送る。家事を片付け、出かけようと病院に電話して処方箋ができているか尋ねると未だだと言われた。30分後に寄ったとき受け取れなければ夕方の6時過ぎでないと無理だと言うと渋々すぐに出してくれる事になった。ヤレヤレ。母を山中まで迎えに行き、金大の口腔外科(入れ歯)の受診と売店での買い物、院内カードの清算、病棟へ返す物を届け、入院費の支払いをし、再度山中へ戻り母を病室まで送リ届けた。走行距離は一般道での150キロ超え。帰路眠気と戦いながら運転をしていると、那谷寺の手前あたりから給油ランプが点滅しだした。明日には車屋へ渡すファンカーゴである。何とか走り切れ〜!と車を励まし、クーラーもラジオも切り、ライトもスモールだけにし、なるべく吹かさずエコ運転して馴染みのスタンドまでハラハラしながら走った。ガソリン5ℓだけ入れてもらった。まだ給油ランプは点滅してるけど、計算上は車屋まで運べる筈だ。

21st 雨が降り出す前に、叔母が畑の野菜を採って届けに来た。母が入れ歯を入れるために、昨日金大まで行ってきたと話すと、「おっそろしい気力やな」と叔母はびっくりしていた。母はその入れ歯でどんどん食事をして体力つけて癌に打ち勝ち頑張る気である。りっぱであるが、なんだかついていけない。昨日も何時間も一緒にいたが、せっかく母と共にいる時間なのに、時々うつろに感じる。娘が作った昼食を食べ、重い体に鞭打って土砂降りの中を出かける。

22nd 母はおとといもらってきた入れ歯が合わないからと、はめてはいなかった。そしてこの近辺の歯医者を紹介してもらうから、来週連れて行ってくれと言う。おととい買って来たリハビリ靴が小さいから、新しいのを買ってほしいと言う。それから何万円もお金を置いていけと言う。私に自分のお金を預けたのだから、当然だという顔して言う。ため息が出る。私が数十年前ここに入院していた頃、母は来るたびお金が無いと言った。読みたい本やかわいいパジャマがほしかったが、言えなかった。母はここに来て、自分がここに見舞いに来るために苦労して運転免許を取った話ばかりする。最初は相づちを打って付き合っていたが、もううんざりだ。母がよくやるように、自分の聞きたくない話の時は話題を変える事にした。

23rd
 カプチーノであじさいグループのお食事会。Nさんはご主人の具合が悪く欠席で4人。平成8年からのお付き合いで、結局4つあった啓発講座のOGグループで残ったのは、私達だけになってしまった。何で続いたのかしら?何もしなかかったから続いたのでは?とグループの存続の理由にみんな首をかしげる。お世話係の順番が分らなくなるので、この次から年齢順にしようと言う事になった。Oさんから中国女性団体交流事業派遣団員募集の資料をもらった。やっぱりこれは以前応募して落ちたやつだ。あの時落ちたことをKさんが課に話して掛け合ってくれた事から、東京のリーダー研修に参加できる事になり、当時の猪口大臣を拝顔してきた。猪口さんは衆院選への出馬をやめたし、私は募集に応募するほどの熱意が失せてしまってる。世も人も変化する。翌日スーパーで中国語教室で一緒だった人に久しぶりで会った。中国語も遠くなってしまった〜(^^ゞ あの中国のエネルギーをいつかまた取り込みたい!

24th 涼しくてとても気持ちいい風が吹く。手抜き家事を終え、樋野興夫著「がん哲学外来入門」を読む。がん細胞や病気を、たとえ話を使って分りやすく書いてある。放送大学で取った「病気の成り立ちと仕組み」を思い出した。読み疲れて昼寝していたら、母からイラついた声で「何で(病院に)こないんや!」と電話があった。何か問題が起こったのかと尋ねると、とろろこんぶと濡れティッシュの替えが無いと言う。「売店に売ってる物だから移動販売さんから買って」と言うとお金が無いと言う。それくらいの身の回りの品を買うお金は充分渡してある。次は、売店に売ってない歯間ブラシが済んだと言う。つまりどうしても「来い」と言いたいのだ。「明日は絶対行くから」と約束して電話を切る。病棟の看護師さんに電話して、母への対応をお願いする。しばらくして母から買い物をしたと機嫌のいい声で電話があった。ヤレヤレ(^^ゞ

25th ネットで母の入院先に近い歯科を探すと2軒あったので印刷して持っていく。母を散歩に誘うと、今リハビリが気に入っているらしく呼ばれていないのにリハビリ室へ行くと言ってきかない。で、行くとやっぱり母の順番はまだ先だ。PTさんは「じゃ、横で塗り絵をして待っててもらえますか?」と道具を揃えてくれた。母はテキストに書かれてあった右脳と左脳についての説明を読み、「私はこれから左手を鍛えるのだ」とクレヨンを左手に持って塗り始めた。「お、すごいね。また新しい挑戦や」と言うと母は満足そうである。が、内心は、これで脳梗塞で利き手が利かなった時の対策になるかな、とか少しは右脳を鍛えて情緒的なこと言えるようになれよと突っ込んでいた。PTさんに歯科の地図を見せて行きやすい方の歯科を教えてもらい、予約する。

26th
 英会話、いつも世話してくれてるYさんがお休みなので、ピンチヒッター。メンバーが8人になり、1人あたりの会費を安くする。それでも年末までにお食事会できるくらいの積立金ができそうだ(^u^) で、新メンバーからの要望で連絡リストを作って分ける。そしたらNさんは、知り合いの親戚の方だとわかった。やっぱり小松は狭い!メンバーがこれ以上増えても困るので、センターに掲示していたポスターは外してきた。
娘が昨日から扁桃腺を腫らしている。巷では新型インフルエンザのニュースが毎日。今日はリウマチ友の会の理事長・会長(連名)が舛添大臣に送ったワクチンの優先順位要望書のFAXが支部長から転送されてきた。痛み止めと漢方薬で凌いでいた頃は、あまりに気にならなかったが、今はMTXとステロイドを飲んでるので、一抹の不安はあるが、ワクチンは多分受けないだろう。たとえ余っていても。

27th 休みの娘に応援を頼み、母を歯科医へ連れて行く。やはり娘にも来てもらって正解だった。玄関での靴の脱ぎ履きが最難関で、娘はしゃがんで介助ができるが私には無理だ。自分の靴の脱ぎ履きだっていつも苦労している。病室に帰って、調整してきたばかりの義歯を確認していた母が言った。「もう1回歯医者に行って直さなきゃならんわ。上の歯がはまらんもん」と言う。私と娘がよく見ると、義歯と残った歯をジグソーパズルのピースのようにぴったり合わせなければならないのに、ただやみくもに突っ込もうとしていると分った(^^ゞ 下の入れ歯をはずさせ、娘が角度や入れ方を丁寧に教えると、やっと自分ではめられる様になった。SWと今後の母の療養先について話し合う。話し合うといっても予後も病状も不明の部分が多く、とりあえず介護認定を申請する方向で検討しましょうかという、あいまいな話で終わる。娘は、母が自分に都合の悪い話は決して聞こうとせず、すぐに別の話題に変えてしまう態度について、「ある意味参考になるなぁ」と変な感想を漏らす。おい、やめてよ。そんな態度のヤツが私の身近に二人もいたら、こっちが参ってしまう(^^ゞ

28th 「きらめき」用に、子供達の絵画コンテスト入賞者の写真を撮りに市役所へ行く。西瓜祭りの交通規制と不在者投票などで、市役所周りがやけに混んでいた。駐車場で車から降りる時、レンズカバーが外れた。かろうじて足で押さえ、車道に転がるのを防いだ。嫌な予感が一瞬よぎったが、表彰式の開始ギリギリに会場に滑り込んだ。テレビ局や新聞社の撮影記者もいたので、その間を縫ってカメラを構えてシャッターを押すと、ピッ、ピッ、ピッ…のんびりとタイマーの電子音が鳴った!冷や汗が出た。廊下に出て設定を直そうとするが、そうだ、そのやり方を私は知らない。夫に電話して教えてもらい、会場に戻ったが、ベストショットは撮れなかった(^^ゞ 最優勝賞の4人の子に残ってもらい、顔写真用のをかろうじて撮影。やっぱ写真は手強い!

29th 夫と不在者投票に行く。私の方が先に3つの投票が済み出口で待っていると、焦った夫が最後の最高裁の投票用紙を、箱に入れずに持ったまま出口に向かい、立会人から注意を受けた(^^ゞ 立会人は同じ町内の知り合いだった(^^ゞ
がんプロ主催の「がん患者大集合〜がん撲滅に向けて〜」に行く。すごい人気で500人以上の応募があったそうで、断られた人もあったらしい。鳥越俊太郎氏の癌体験談を聴く。彼は65歳で自分の癌を知っても、既にこれまでの人生にある程度の満足感や達成感を持っていたから淡々していられたそうだ。座長の富田金大院長が「あなたの様に満足感も達成感も無い私はどうしたらいいんでしょうね?」と締めくくり、会場の笑いを誘った。今日金大を退院してきたばかりという癌患者が質問に立ち、会場から温かい拍手が送られた。いくつものプレゼンが続いたが、理想を描くスライドと癌患者としての母の置かれている状態には、やっぱり隔たりがある。

30th 
母は体温計と血圧計を病院に持って来いと言う。自己管理ができるんだそうだ。また、こちらの都合も何も聞かず、月曜に歯医者に行くと言う。どっちも断る。今日は母に対して無性に腹が立った。個室で、24時間自分の体のことしか考えていないから、こういう状態になるのも仕方ない思ってきたが、図に乗る勢いに我慢できなかった。売店で、食べたくてたまらないのに「お菓子は糖尿になるからやめとく」と言う。「どうして?食べたいなら食べれば?」と買わせた。私が望んでいる母の生活と、母の目指すものは大きく違う。母はきっちり体に良い事(但し母の好きなテレビ番組から仕入れた健康情報)をしてれば、癌が治って元の生活に戻れると信じている。畑をしたり、車を運転したり…。それを壊してしまっては母の希望を打ち砕く事になるが、どうして「今の状態」でも、「ま、いいか」ともっと楽しむゆとりがないのだろう?

31st リウマチ友の会で10月に武生の菊人形展に出かける予定である。それで昨日、ドライブがてら周辺を下見してきた。下見のつもりが立ち寄った先で次々ハマりまくってきた。最大のハマりは越前打刃物会館で買ってきた包丁である。今日の夕飯はその包丁を使ってみじん切りをいっぱいした。売り場のおばさんの「ホームセンターの包丁なんかと比べ物にならない切れ味よ」との自慢は本当で、みじん切りが苦にならない。それからとても切れるので、ただ横に置くだけでも気を使い、丁寧に置こうとするようになる。大事に長く使おうと思う。ところでおばさんは「ホントはこれ東京のデパートじゃ1万円以上出さないと買えないのよ」と言って¥7800にしてくれたんだけど、そっちは本当だろうか?

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