前月 October 2009 ホーム 日 月 火 水 木 金 土
☆ ☆ ☆ ☆ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 1st 今日以降に介護申請したものは、改訂された評価で認定されると教えてくれた人があり、今日を待って母の介護申請を市役所に提出した。窓口で、母の様な定期的に抗癌剤を治療を受け、予後が不確定なケースはどうすればいいの?とため息まじりに相談した。第2回メディバタ会議。最初に県医師会の活動についての説明があった。副理事が、前回私が発言した「圧力団体」という言葉から口火を切ったので、最後のひとこと感想の時に自分の発言をフォローしておく羽目に(^^ゞ 4人の医師が参加し、問題に答えてくれたが、それぞれ個性が違って、同じ問題でも、言い方や捉え方がちがい、面白かった。
2nd 母は昨日一般病棟から療養病床の個室へ移っていた。看護師さんらに荷物は運んでもらったので、私の負担は少なくて済んだ。部屋のレイアウトが悪く、洗濯物を出したり仕舞ったりするだけで、ベッドの周りを遠回りしなくてはならない。椅子も洗面所の前に置くと取り出してきて座れない。ポータブルトイレはカーテンの外にあるので、ドアを開けると廊下から用を足してる姿が丸見えになる。でも、文句は言えない。何より母はここに居る事で、病気に対する希望を持っている。居所があるだけでも感謝しなければならない。帰宅すると、夜勤の娘がご飯を炊いてから出勤してくれていた(*^_^*)
3rd 女性センターフェスティバル。市のマイクロバスで参加。車内で就任3日目の新課長から挨拶があったが、「男女共同参画課」を噛んでしまって言えなかった(^^ゞ 開館30周年くすだま割りの後、いしかわ女性のチャレンジ賞表彰式。石井筆子の生涯を描いた映画『筆子・その愛-天使のピアノ-』。筆子は信念を貫き、苦労もあるが充実した人生送ったろうと思われるが、筆子のお手伝いさんサトの生き方はどうなんだろう?「ハートフルトーク 〜私のルーツ・私のチャレンジ〜」神津カンナの講演。随分前に彼女の講演を聴いたことがあるが、今回の話の方が断然興味を持てた。彼女の話術が向上したのか、内容が私の興味の壺だったのか。両隣が途中で居眠りしだしたので、ペンの先で突ついたのだが、二人とも起きなかった(^^ゞ
4th がんプロの講演会に行く予定でいたが、一般的な話を聞いてもなぁ〜とテンションが下がりまくって、行くのを止め、家でゴロゴロする事にした。TVの「そこまで言って委員会」で、中国と朝鮮半島の関係を、面白い比喩で表現した人がいた。(表現は正確ではないが)中国を日本全土とすると、朝鮮半島は石川県くらいの感じで、そこで能登と加賀に別れて諍いしている…という程度のことで、中国としては大した問題では無い。私には中国人の感覚より、東京(中央)から見た「石川県」に対する感覚を知らされた比喩だ。それで思い出したが、NHKの豪雨の時のグラフ表示にもいつも違和感を持っている。太平洋側の降雨量を表す四角柱のグラフで、日本海側が隠されてしまう。日本海側の雨量が災害を引き起こすほどでないにしろ、住人としては地元は比較してどうなんだろうと気になる。
お米を研いでから、夫と出かけた。本屋に寄って来年の手帳を買い、木場潟で夕日と満月を眺めた。湖面に映った光の帯は、月の世界へ誘うように、位置を変えても必ず私の正面に見えた。月へ続く舞台の花道のように見えた。5th 持って来てほしいと言われた品々をテーブルに並べても、母はベッドに寝たままだ。少し起きて話をしようと言うと、母はしぶしぶ起きようとした。「起きれないから頭を持って起こしてくれ」と言う。「それはできない。頭を持って起こしたら、首に無理が来る。背中を持たなきゃ。でも私の手では持てない」と母に言う。歩行器で少し歩こうと言うと、ベッドから立ち上がれないからお尻を少し上げてくれと言う。母の体重を私の手では支えきれない。母に言うが、何で?という顔をする。私の関節が壊れていてつかめない事や、力が無い事をいつも忘れている。これまでもそうだった。畑のイチゴを摘んで来れないのだと母には何度言っても通じなかった。そして、イチゴを採らないから腐ったとか他所へみんな分けてやったと、毎年同じ事を言いに来るのだった。私にとって、母は一番のリウマチ不理解者だ(^^ゞ
6th 毎日病院へ母を見に行っていた時は、とても精神的・体力的に辛かった。幸い小康状態なので、病院へ行くのは最小限にして、私も少し休もうと思った。そしたら何か気が抜けたような状態になって、気力が出なくなった。ステロイドを減らそうとしていて、うっかり2日続けて飲むのを忘れたら、朝、肘の痛みで目が醒めた(^^ゞ 午後、M先生がお寺の集金に来た。「お母さんはどうなん?」と聞かれて、色々お話した。後日、M先生が領収書と共に果物セットを届けて下さった。あいにく私は出かけていて、夫が受け取った。夫は先生からの伝言だとして「この世はお母さんが先に逝く順番なんやから、お前が頑張りすぎて倒れるなって」と言った。
7th 台風18号が来る!朝一番に翌日の老人会の催しの中止の放送が入る。家の周りを見回り、飛んでいきそうな物を片付ける。畑へ行って、ナスとピーマンを採って来る。部活せずに下校した中学生が、町内の公園でたむろしている。いつもより多めの買い物をしてご飯も炊いて…と準備したが、何事も無く翌日通過した。玄関の簾が屋根にめくれ上がってた事と、落ち葉がいつもより多く集まったくらいかな。落ち葉の中には、近所の神社から飛んできたらしい、まだ青い銀杏の葉も混じっていた。納屋の前のさわし柿の実も大丈夫だった。
8th 市から母の介護調査に来るので、私も立会いに行く。病棟はワックス掛けをしており、カオス状態(^^ゞ しかし母の調査はスムーズに終わり、そのあと調査員に今後どうすればいいんだろうと相談する。その後に免疫内科医師の回診がある。「多発性骨髄腫の症状は悪くなっていません」と安心させるように母に言って去ろうとした。その医師を廊下へ追いかけて話を聞く。以前に別の医師から聞いている予後についての内容を確認すると、やはり病名確定2年後からのコントロールが難しくなり、生存率も低下すると言う。母は発病してからとうに2年を超えている。徐々に悪くなるのでなく、突発的に悪化する事があると言う。「お母さんは2つ重篤な病気を持っているんです」と医師は言ったが、母には多発性骨髄腫の予後については知らせていない。ここまできたら、1つも2つも同じ事。9th 朝から体が重く、逆らわずおとなしくパソコン作業や、書類を読んでいた。午後3時、濃い目のコーヒーを飲み干して、重い体を励ますために、万歩計をつけた。いつもの家事(洗濯・炊事・片付け・生ゴミをコンポストへ・買い物)を終え、8時前に数字を見たら、5000歩をはるかに超えていた。特段、歩いた自覚は無いのだが、結構歩いているもんだと感心した。ちなみにこの金魚型の万歩計は、タイマーだと早合点して、アパートの母の机の上から持ってきた。病院で母の洗濯をしていて、携帯のタイマーを使っていると、途中にメールする時はタイマーを解除しなければならず不便だった。電池が切れていたので、数日前に夫に入れ替えてもらった。夫は電池交換後に作動確認しようとしたが、タイマーを設定できず四苦八苦していた。壊れているのかと振ってみたら数字が増えて、や〜っと万歩計だとわかった(^^ゞ
10th 第26回リウマチおしゃべり会。初参加の方も含めて12名。生物製剤の治療を受けている人がとても増えているのを実感する。かといって、増量したり、間隔を短くしたり、薬や組み合わせを変えたりのバリエーションがあり、全く同じ治療をしている人もいない。「人にやってもらおうと頼んだ事を、すぐにやってもらえなかったり、自分の思ったとおりにやってもらえなくて、結局自分で無理してやってしまう」という声があった。…これって何もリウマチで出来ない事ばかりに当てはまる事じゃないんだよね。でもやっぱり以前は独りでできてたことが、出来なくなったという喪失感。これを「そう、そう」と共感してくれる場が必要なんだと思う。
11th 昨日息子が帰省した。私は小さいときから息子に対して、これは譲れない!と思うことがいくつかあり、譲らなかった事で後悔したことはなかった。今回も息子に譲れないと思うが、それによって息子が抱えるプレッシャーを思うと、ちょっと気の毒になる。でもやっぱ譲れない。息子が大人になる試金石だと思う事にした。秋晴れの一日、息子はボロ雑巾のように、眠り続けていた。夕食後には出発すると言ったので、夫と共に茶の間にいたが、3人とも茶の間でうたた寝して翌日になってしまった(^^ゞ
12th 息子を見送ってから、夫と山へ出かけた。真っ青な空を見て、晴れない気持ちを吹っ切りたかった。新装成った白峰温泉の総湯に寄った。白山市民は¥400で、市民以外は¥650。入場券を販売機で買い、受付に出す。受付では、白山市民であるかないかのチェックは一切しない。だからたいていの人は、白山市民料金で入るのだそうだ。私たちは二人分¥1300券を買ったが、夫はこの料金設定に怒っていた。私も時代錯誤的だと思う。産業の無い白峰地区の生き残りは観光産業であるはずなのに、この料金設定には「もてなし」の気持ちが全く感じられない。そして白山市民に成りすましOKのルーズさは、モラルの低下を増長させているのでは?
13th 久しぶりに母の所へ行く。4日間、間をおいたのは初めてだ。新鮮な気持ちで行きは出かけられた。母はまた明日、病室を変わる。「要らない荷物を少し持って帰ってくれ」と母が指差したのは、水のペットボトル1箱(夫に運んでもらった)と絵手紙の道具(重くてカートで四苦八苦して持ってきた。その後肘が痛んで後悔した)。こういう時、やっぱりなぁと思う。一つだけでも無理なのに、二つまとめてどうやって持って帰るんよ?「あんたのことを短歌に詠んだから」と、感謝を表現したのだという短歌を見せてくれたが、そういうのより、私の現実の能力・体力をちゃんと見極めて、無理な注文を言わないでほしいよ。やっぱり帰路は、ドヨ〜ンとした気分で帰った。
14th スーパーで買い物をしていると、母の知り合いに会った。母の入院だけは知っていた。病名や病状を尋ねられたので、お話しすると「あら、私も癌やったのよ」と言った。4年前に手術をし抗癌剤を飲み続けてはいるが、再発は無いそうだ。彼女は「癌でも恐れる事は無いとお母さんに言ってやって」と言い別れた。確かに4半世紀前父が癌だった頃に比べて、癌はありふれた病気でオープンに話せる雰囲気になってきた。が、発病年齢・病期や病状、転移の有無で、個人差の大きい病気だとも思う。まぁ、癌になってもならなくても、人はいずれみんな死ぬのだから、大差はないが、それまでをどうするんかが問題だ(^^ゞ ”to be”じゃなくて”how to”が問題なのだ。
15th 母は、昨日一般病棟に戻り5クルー目の抗癌剤治療が始まった。今日は療養病棟でお祭りがあるのだそうだ。生憎帽子を2つとも洗濯機に放り込んできてしまった。少なくなった髪をスカーフで巻くと、母は出かける気になった。病棟スタッフが作りたてのポップコーンや一口ケーキをくれた。母はヨーヨーすくいをし、トコちゃんという歩くぬいぐるみのおもちゃを買った。ヨーヨー2つを歩行器にぶら下げて散歩していると、すれ違った小さな女の子がほしそうに眺めていたので、母は「好きな方をあげる」と話しかけた。女の子は青いヨーヨーをもらうと母親に促されて「ありがとう」と可愛らしくお礼を言った。…穏やかな秋の陽射しの中の、ほのぼのしたひとときだった。愉しみの少ない療養生活送る母にとって、オアシスのような日だったろう。
16th 朝、叔母のひとりから電話があった。この叔母は母と共に健康食品にハマっていたので、母が入院後、アパートにあったものをダンボール3箱に詰めて「おっちゃんと一緒に気兼ね無く飲んでね」とあげたのだった。叔母は母が気の毒でとても飲む気になれず、賞味期限内の未開封分を販売所へ持っていったところ、11万円(!)くらい返してくれる事に。だから母の印鑑と通帳を持って手続きに行ってほしいとの事だった。この会社はアコギナ商売をしていて昨年当局から業務停止命令を受けた会社だとネットに出ていた。だから購買者からの返品を受け付けるようになったのだろう。が、冗談じゃない!私は冷静に販売所になんぞ行けない。会社の売り方に罵詈雑言を浴びせるのを押さえられないだろう。乗せられ高額購買者として拍手をもらっていた母の馬鹿さかげんに、今も腹が立つ。叔母にはもうこの事は過去にして忘れたい。母が借金して買ったものなら返金してほしいが、自分の支払い能力範囲で買ったものなので、未練は無いと言って電話を切った。横で聞いてた娘が「11万か〜」とため息をつき、「どうして勝手に独りで即決して断ったんよ!」と言った。後で母にこのいきさつを電話で伝え、母からも叔母に気にせず飲んでくれと告げてほしいと頼んだ。母は今やっと健康食品のワナから抜け出た。代価は高かった。11万円の何十倍もつぎ込んでいた。
17th 姉に面白いレストランへ連れて行ってもらった。ブティックの奥の「石蔵」で、月に3日間のみ開店、予約30名限定。それからもう一つのユニークなルールは、夫婦やカップルの女性連れの男性ならいいが、男性のみのグループはお断り。旬の有機野菜をバルサミコ酢やごま風味など違う味付けで少しずつ盛り合わせた前菜にたんころ芋の豆乳グラタンなど、馴染みの野菜が目先を変えて出てくるので、野菜作りをしている生母も感心して味わっていた。私は、シェフが一つずつ握って持って来てくれるメインディッシュの握り寿司が気に入った。お醤油を付けて食べるのでなく、岩塩や煮詰めたタレ、ポン酢を垂らした大根おろしやなど、ネタに合わせた味付けが乗せてあり、そのまま口に入れておいしい。いつも私は、箸を持つ握力が弱いので、お醤油を付け損なって小皿にお寿司を落として寿司飯を醤油まみれにしたり、周りに醤油のしぶき飛ばしたり…(^^ゞ 次はどんなネタでどんな味付けの組み合わせかと、ワクワクしながら待つ楽しみもある!浅蔵一華さんの器も、繊細でやさしく和んだ。ただ、ランチョンマットはメニューとメッセージをシェフが手書きしたものだったが、誤字がいくつかあった。指摘すると、アメリカに16年いたから日本語に自信がないとの事。ご愛嬌かな?
18th 夫と紅葉狩りに出かけた。いつもは行き先を私が調べてナビをするが、今回は夫がネットで調べて組み立てたプランである。「てんしょうとうげ(天生峠)を行くぞ」と夫は言ったが、あの〜看板のローマ字表記に従えば「あもうとうげ」じゃないの?「この近くにヒユがあるぞ」とも言うが、ヒユって何だろう?としばらく黙って聞いて、「秘湯」の事だと分ったときには、ちょっと先行き不安になった。が、黄葉・紅葉の景色は”最高!”と叫びたくなるくらい美しく、雨に濡れた風情もそれもまた憂いを含んでよかった。峠の駐車場の出店で串焼きなどを買い、テントに入れてもらって食べた。夫は、母親が金沢の木越に住んでいるという店主とカメラ談義をした。秘湯ではなく、道の駅横のバリアフリーの「しらみずの湯」に入り、知らずに出くわした白川の「どぶろく祭り」も見ることが出来た。いいプランだったね(*^_^*)
19th リウマチ友の会委員会。26日に迫った行楽会の打ち合わせ。参加人数が年々少なくなる。バスの定員を超えて断った年さえあるのに。会員の高齢化?宿泊場と行楽先のマンネリ化?それとも元気な患者が友の会を利用しなくても、自分で出かける機会が多くなったから?一方で、年に一度のこの行事を楽しみに、体調を整えて待っててくれる人もいる。来年は何か工夫しなくては。
20th なかなか段取り良く家事が進まず、母の病院に着いたのは3時だった。洗濯の間に散歩や買い物をし、気分が良さそうな母がずっと起きていて話すのに付き合った。「一度、天気の良い日に外出して、アパートに帰ったりしてみようか」と言うと、母はパッと顔を明るくし「畑も見て来たい」と言った。「じゃ、来週ね!」と約束し、病院を出たときはまだ薄明るかったが、国道8号線に出るともう真っ暗になっていた。向いから来る対向車のヘッドライトの白いつながりを横目に、前方に続く赤いテールランプの流れを追って運転していると、もの悲しい気分になった。流されて生き、このまま行き着く先(死)まで流されていくしかないのかと思うと、回りが一層暗くなって見えた。
21st 今日はこの世にまだ「情け」があると感じられる出来事があった。先日から、雑草を抜いても抜いてもあちこちから生えてくるように、色んな事がうまくいかず、問題ばかり発生しクサっていた。自分が動いた事が少しは役に立ったと確認できた。そしてこの問題解決を報告して、一緒に喜んでくれる人達がいる事が何より嬉しい(*^^)v まだ他にも問題は山積みではあるが… ずっと潜っていてちょっと息継ぎに水面上に浮かび上がれた気分(^^ゞ