bP 山姥の里 〔新潟県青海町上路〕  


 都の百萬山姥という遊女は、山姥の山廻りを曲舞に作って謡ったので有名となりました。この度、善光寺を志し、越中越後の国境、境川に着きます。やがて険阻な上路越えにかかり、山姥と出会います。ここで出会った山姥は、深山の霊気が凝ったような妖精で、山廻りの様をを見せてくれます。








 謡曲「山姥」
の舞台となっているのが、新潟県の青海町の上路(アゲロ)の部落です。国道八号線を行くと富山県と新潟県の境界にある境川に出ます。この境川の富山県側の堤防の道を行くと、途中で橋を渡り新潟県に入り、十五
分位で上路の村に突き当たります。





 過疎の小さな村の中に
〔山姥の日向ぼっこ岩〔金時のお手玉石〕や、山姥を祭った〔山姥社などがあります。山姥は村の人達と仲良しだったので、いつも山から降りて遊びに来たのだそうです。金時は山姥の子供と云うことになっています。〔金時のぶらんこ藤〕もあります。村外れの元小学校の空き地には、謡曲「山姥の一節を刻んだ碑や、山姥の 月夜の舞ぞ 憶ふべし」などの句碑もあります。山姥の住んでいた洞窟のある、白鳥山も見渡せます。




 山姥の正体は、親不知の海岸に流れ着いた、ロシア人ではないかと言う説があるそうです。



新潟県に在りますが、富山県に隣接しているので、富山県に載せました。 


bQ 山姥の洞窟 〔上路村白鳥山山腹〕

 さて、謡曲「山姥」の、実際に山姥の住んでいた洞窟は、白鳥山の中腹標高九百メートルにあり、お弁当持参の登山こしらえが必要です。上路の村を抜けて1キロ位で右に入る登山道があります。山姥洞への道は国土地理院の五万分の一の地図に載っています。
 私は足が遅いので三時間以上かかりました。元気のいい人は1時間半との事。途中、前夜の雨で増水した川を横切り、やがてわさびの植えてある少し広くなった川原で昼食。最期の急坂を登りきると、登山道は山姥洞の入り口まで続き、洞は十五メートルほどで行き止まりになっていました。昔は洞窟を抜けて信州へ通づる道があったのでしょうか。登山記念の標の札が沢山建ててあります。
 近くに平たい
〔山姥の踊り岩〕があり、山姥がいつもこの上で舞っていたのだそうです。文殊菩薩の石像などがおいてあり、ここは神域だったのかもしれません。踊り岩の上に登ると日本海と上路の村が見えます。下りは村まで二時間半かかりました。
 最近この村を訪れたときダンプカーが入り大工事をしていました。洞窟も神域でなくなるのかも知れません。


bR 立山の地獄谷 〔中新川郡立山町〕


 殺生の罪で、地獄で化鳥に追われる猟師を描いた、謡曲「善知鳥の前場の舞台は、日本三名山の一つ、立山(標高3015メートル)の、地獄谷と呼ばれる場所です。火山の爆裂口の跡で、紺屋地獄・百姓地獄・大安地獄などあり荒涼とした風景です。昔の修験者たちの行場だったのです。今では室堂までバスで行き、徒歩三十分位で着きます。標高二千三百メートルの我国最高所の温泉などがあり、宿が数軒あります。最近登山に行き、写真の隅に写っている山小屋に泊まりました。この地獄谷からお湯を引いて、24時間いつでも温泉に入れるには、感動しました。


bS コラーレ野外能舞台 〔黒部市三日市〕

 黒部市に、黒部市国際文化センター「コラーレ」というのが出来ました。コラーレと言うのは富山県の方言で「いらっしゃい」とか「来てください」とか言う意味です。とても前衛的な建物でその敷地の中に、写真の野外能舞台があります。柱はコンクリートですがちゃんと板敷き、楽屋は四つあります。見所に当たるところに屋根付きのスペースもあります。舞台に座っていると、とても気持ちの良い舞台です。借り賃も安いので皆様にお勧めします。
 黒部インターより国道8号線に出て、魚津の方へ1キロぐらいの右側の田んぼの中です。
 黒部市国際文化センター“コラーレ”   電0765-57-1201


bT 桜井の碑 〔黒部市三日市〕




 コラーレの能舞台より南の方へ六百メートル位、黒部市の中心部、富山地方鉄道の「東三日市駅」の駅前に「黒部市民会館」があります。その敷地内に
「佐野源左衛門尉常世之遺跡」と彫ってある馬鹿でかい石碑があります。

 
謡曲「鉢木」で、梅、松、桜の秘蔵の鉢の木〔盆栽〕を切って焚き、心からもてなしたお礼に、佐野源左衛門が、北條時頼より賜った三箇の荘の一つ、「越中には桜井」が、ここであるとの事です。石碑の裏の碑文は、風化していて読めませんでした。

bU 市振の関 〔新潟県青海町市振〕

 謡曲「奥の細道と言う創作があるのだそうです。作者は俳人の高浜虚子。虚子は能楽の盛んな伊予の人、謡いを良くし小鼓も打ったそうです。 謡曲のあらすじは、「遊女が泊っている宿へ、芭蕉も泊り合わせます。宿主に問いに任せて俳諧の道を説きます。芭蕉の寝た後、遊女二人は故郷に手紙を書きつつ、心細さを語り合い、芭蕉に伊勢まで同伴してくれるよう頼むことを決めます。翌朝遊女は芭蕉にその旨を頼みますが、我々は所々で留まる事多しとてこれを断ります。彼女らは名残を惜しんで舞い、芭蕉は折からの時雨の中を別れて行きます。」
 このお能は1943年に初演されているそうです。芭蕉の泊った「桔梗屋」は今は普通の民家になっています。町外れの国道沿いのお寺に
「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」の句碑があります。写真。芭蕉の奥の細道の中で特に色めいた場面です。
  
 
    
新潟県に在りますが、富山県に隣接しているので、富山県に載せました。


bV 立山博物館 〔富山県立山町芦峅寺〕

 立山の芦峅寺という部落に、富山県立の立山博物館があります。立山の信仰関係の資料が色々とあります。ここは昔は立山の登山口でした。この姥堂川から先は女人禁制でした。女性の信者は手前の閻魔堂で身を清め、この橋を渡り姥堂に入り立山を遥拝しました。特に秋の彼岸には閻魔堂からの路上に白布を敷いた“布橋潅頂”と称する山麓最大の仏教行事がありました。それでこの橋は布橋と言います。





この写真は博物館に掲げられている立山曼荼羅です。下は布橋、途中に地獄谷、頂上は極楽です。立山は信仰の山でした。諸国配札の僧がこんな立山曼荼羅を、絵解きしながら全国に布教しました。
 私が初めて立山に登ったのは高校生の時でした。この芦峅寺から谷を登って行くと、日本一の称名滝に出ます。この滝を眺めながら八郎坂を上りきると弥陀ヶ原に出ます。凄い急坂で閉口した事を覚えています。今はケーブルが出来て、ここから登る人はほとんど無いのではないでしょうか。

 天狗平から室堂にかけて地獄谷があります。ここが
謡曲「善知鳥の前場の舞台となっています。ワキの僧はここでシテの猟師と出会います。

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