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| 第五巻 琵琶湖の湖北ドライブ |
格好のよい柳だ。日本の柳ではなく韓国系の柳らしい。 街中の「曳山博物館」に入る。秀吉が長男誕生を喜び、旧領の長浜町民に振舞った砂金を基に、町民たちが十二基の曳山を造って慶賀したのに始まり、現在でも、長浜八幡宮の春の祭礼に、曳山祭りとして、曳山の上で子供歌舞伎が演じられています。その豪華な曳山が四基この中に収められています。私の住んでいる小松市にも子供歌舞伎の曳山があります。小松市の曳山は、ここ長浜の曳山を手本にして造られました。拝見したところ長浜の曳山のほうが、少し大きくてより豪華みたいです。長浜の子供役者は全員男子ですが、小松は全員女子です。 長浜八幡宮に能舞台が在るというので見に行きました。これは仲間の能楽師、高橋右任師よりお聞きしました。彼はここ長浜の出身です。なるほど立派な舞台です。いつでも使えるようです。 ほかに長浜御坊・大通寺などを拝観して湖畔の「長浜ロイヤルホテル」に泊まる。 翌日、米原町の「青岸寺」を拝観する。この寺はおよそ六百四十年前の南北朝の中期に、近江の守護職であった佐々木京極道譽によって創められた寺で、一時衰退していたが関ヶ原の役の後、井伊家により再興され、庭園は文部省名勝指定庭園に指定されています。 観音菩薩がお住まいの補陀落山を現したとかで、菩薩を象徴する石組みが多くあり、いつまでも見ていたい庭園です。 また境内裏山に、30センチ位の石塔がびっしりと並んでいました。御醍醐天皇が鎌倉幕府討幕に挙兵した際、六波羅探題の北条仲時も兵を挙げたが、元弘3年(1333)、佐々木京極道譽にこの地で破れ、手勢432名とともに自刃。その時の全員の墓という事です。時の住職三代同阿上人が深く同情し、その姓名年齢と法名を一巻の過去帳に認め、そして全員の墓を建てたのだそうです。その過去帳は重要文化財になっているそうです。 帰り道、姉川の古戦場に寄りました。浅井長政と織田信長が、元亀元年(1570)に戦った古戦場で、2500人の死者を出して信長の圧倒勝利。今は川のほとりに碑が在るだけです。 旅行日 2002.6. |