第十二巻 能楽発祥の地を訪ねて |
![]() 能楽喧窮会の仲間と、能楽の発祥の地を訪ねました。まず、奈良県川西町結崎の糸井神社にお参りしました。この神社は謡曲「呉服」のシテ、ツレのくれは、あやはを主神にしている珍しい神社です。 門前の橋を渡って左に堤防を行くと「面塚」があり“観世流発祥之地”の碑が立っています。世阿弥の父の観阿弥は、ここ結崎の地に猿楽一座を組んでいました。御前演奏の成功を祈願していたところ、天から能面が降ってきた夢を見ました。するとこの地に能面があり、御前演奏も成功に終わりました。 ![]() 以来ここを面塚と呼ぶようになりました。観世流は結崎座が発展したものです。 ![]() 続いて桜井市の“安倍の文殊”の文殊院にお参りしました。日本三文殊の一つとかで、巨大な獅子に乗った文殊菩薩と、善財童子の振り返ったあどけない顔がかわいい。 写真はテレビ映画の撮影らしく「寺尾聡」さん。 ![]() 続いて“能楽宝生流発祥之地”の碑がある、桜井市外山の「宗像神社」にお参りしました。外山(トビ)は、宝生流の前身「外山座」が一座を組んでいた所と云われています。 昔は雑木林の中の小さなお宮さんでしたが、開拓されて周りが住宅地として売られていました。さみしいですね。 ![]() 今日の泊まりは多武峰談山神社のすぐ前のホテルです。折から全山紅葉の絶景です。 談山(たんざん)神社は藤原鎌足を祭り、鎌足と中大兄皇子がこの山中で、蘇我入鹿氏を滅ぼす相談をしたことになっています。大化の改新はここから始まりました。 ![]() 十三重塔を中心に、朱に塗られた建物が並んで、関西の日光と呼ばれています。 談山神社には、大和にあった猿楽四座が能楽を奉納した記録が多数残されているそうです。 ![]() 翌日、十三重塔の横を、御破裂山を昇ると、鎌足と中大兄皇子が大化の改新の秘策を談った場所(談らった山)があり、もっと上ると飛鳥方面が開けてきます。謡曲「三山」の三山が手に取るように見えます。右が耳成山、下が天の香具山。左が畝傍山です。向こうに見えるは二上山です ![]() 帰途に聖林寺の、国宝の「十一面観音像」を拝みました。背が高く気品のある姿。天平時代の代表作といわれています。 ![]() 最後は女人高野「室生寺」です。何度来ても、多くの仏像たちが、やさしく迎えてくれます。 ![]() 台風で壊れた、小さな国宝の五重塔も、きれいに直っていました。 旅行日 2001.11 |