bP 気多大社〔羽咋市寺家町〕 |
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bQ 気多大社の鵜祭り神事 |
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bR 蝉折の笛と守刀〔珠洲市三崎町〕 |
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bS 曽我兄弟の墓 〔珠洲市上戸町寺社〕 |
![]() 曽我兄弟を扱った謡曲に「小袖曽我」「夜討曽我」「調伏曽我」「元服曽我」「禅師曽我」の5曲があります。いずれも曽我兄弟の仇討ちに、色々の人を絡ませた「曽我物語」という古書にもとずいて創られています。 |
bT 空海と見附島 〔珠洲市見附島〕 |
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bU 源頼朝の墓 〔穴水町明千寺〕 |
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bV 岡部家住宅 〔羽咋郡志雄町〕 |
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bW 須受八幡宮 〔珠洲市正院町〕 |
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bX 須受八幡宮の能舞台 |
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10 平時忠の墓 〔珠洲市大谷町〕 |
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11 上時国家 〔輪島市町野町〕 |
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12 下時国家 〔輪島市町野町〕 |
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13 義経の船隠し 〔富来町笹波〕 |
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14 羽衣の伝説〔能都町羽根〕 |
遠い昔、七羽の白鳥がこの湾に舞い降りました。美しい海に誘われて天女が水浴びに訪れたのです。天女はこの島の松に衣を掛けていました。漁帰りの若者・乙蔵は一枚の羽衣を隠しました。六人の天女は羽衣を纏って天に帰りましたが、着物を隠された天女は泣く泣く人間世界にとどまり、まもなく乙蔵と夫婦になりました。名を「お浦」と名づけ、いつしか愛情が育まれていきました。 ある日乙蔵が漁に出ていると、海がにわかに荒れ狂いだしました。乙蔵の身を心配したお浦は、羽衣を纏って小島の上から荒波へ身を沈めました。わが身に換えて、乙蔵を水難から救おうとしたのです。その願いが通じて嵐は静まり、乙蔵は気を失しなっていたいたものの、岸に打ち上げられて助かりました。 近くの渚から羽衣が見つかりましたが、お浦の姿はどこにもありませんでした。嘆き悲しんだ乙蔵は、お浦をしのんでこの浜辺を「小浦が崎」、羽衣の流れ着いた浜辺を「はね」と呼びました。これがいつの頃からか「羽根・小浦」の地名となりました。 |
15 石動山〔鹿島町石動山〕 |
![]() 謡曲「藤」の道行きに、「白山風も長閑にて、おと高松の波までも、治まる道に戸ざしせぬ、石動山をすぎむらや。氷見の里にも着きにけり。」とあります。 石動山は古代より山岳宗教の拠点として栄えたようです。最盛期には3千人の宗徒が居たという話しです。今は山全体が国指定のの史跡になっています。七尾と氷見を結ぶ山の中です。 最近里山歩きをしていて、この山が登山案内書に載っているので歩いてきました。標高は564mで、ブナの林が残っています。静かでいい所です。 |