bP 気比神宮 〔敦賀市曙町〕 |
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bQ 気比神宮の芭蕉の銅像 |
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bR 金ヶ崎城址と金崎宮 〔敦賀市金ヶ崎町〕 |
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bS 玉の井戸 〔小浜市遠敷〕 |
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5 若狭姫神社の能舞台 |
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bU 八幡神社の能舞台 〔小浜市男山町〕 |
小浜駅の西500メートルにある「八幡神社」に、野外の能舞台があります。近年まで時々使われていたみたいで、どっしりとした良い舞台です。この神社は地元の産土神として崇敬を集めています。 |
bV 空印寺の八百比丘尼伝説 〔小浜市男山町〕 |
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bW 須部神社の能舞台 〔上中町末野〕 |
小浜から敦賀に抜ける国道27号線を行くと、小浜市より上中町に入ります。三方町に入る少し手前を左に折れると、「須部神社」スベジンジャがあります。陶器造りの元祖、陶津耳大神と恵比寿様と大黒様をを祭り、古来、招福除災の効験あらたの神様として、近隣の信仰を集めています。恵比寿神社とも呼ばれる境内に、野外の能舞台があります。この舞台は敷板が全部横に敷いてあります。楽屋が広々としていて使いやすそうです。この舞台で毎年10月28日の例祭に、新穀感謝祭のお能が奉納されます。奉納しているのは地元の「倉座」と言う能楽の座です。猿楽の時代から続いている座で、自分達で面や装束を持っている本格的なものです。元は独特の型附けがあったみたいですが、今は各自師について、観世流で行われています。後継者難で大変みたいですが是非頑張ってください。ちなみに平成十三年の演能曲目は、午前10時より能「花月」と「羽衣」でした。十四年度は「金札」「杜若」「岩船」でした。 |
bX 宇波西神社の能舞台 〔三方町気山〕 |
![]() 敦賀より国道27号線を行くと、美浜町より三方町に入ります。三方五湖の近くです。JR気山駅の裏500mの所に「宇波西神社」があります。延喜式神名帳(一千年以上も前に書かれた)、この本に依れば、当時北陸七ヶ国に祭られていた、352座の御祭神の中で、年3回朝廷より幣帛を奉られたのはこの宇波西神社(ウワセジンジャ)だけ、と言う若狭屈指の古社です。多くの古文書や社宝が有ったのですが、何度かの兵乱で焼失しました。小浜線気山駅の後ろより社まで、古い松並木が続いて感じが良かったですが、今度訪れて見たら、道路拡張のため松並木消失。まことにがっかりしました。この能舞台は橋懸かりが無いので、演能の時は隣の建物まで廊下を渡します。毎年8月19日に「風折能」カザイノウ、と呼ばれる風鎮めの豊作祈念のお能を「倉座」が奉納しています。平成十三年の番組は正午より、能「花月」と「羽衣」でした。十四年度は「金札」「杜若」「岩船」でした。この度、神社と駅の間に若狭梅街道が通りました。 |
10 弥美神社の能舞台 〔美浜町宮代〕 |
若狭には、神社で橋係りを有する能舞台が16あり、橋係りは無いものの、舞台を有する神社は60以上あるといわれています。一国でこれほど能舞台の有るのは、恐らく「若狭」と「佐渡」だけではないかとの事であります。ここ弥美神社(ミミジンジャ)も延喜式神名帳に名を残す古社です。参道の老樹がそれを物語ります。ここでも毎年、宇波西神社の翌日、8月20日に「風折能」が「倉座」によって奉納されます。今年の曲目は正午より能「花月」と「羽衣」でした。十四年度は「金札」「杜若」「岩船」でした。現在若狭で毎年恒例に演能のあるのは、8月19日の宇波西神社、8月20日の弥美神社、10月28日の須部神社の3箇所だけのようです。曲目は3箇所とも同じです。祭神は「室毘古王」というこの地方開拓の祖神だそうです。 |
11 若狭「倉座」と「一人翁」 |
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13 多田満仲の墓 〔小浜市多田〕 |
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14 鵜ノ瀬 〔小浜市白石〕 |
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15 曽我兄弟の墓 〔小浜市多田〕 |
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16 暦会館 〔名田庄村納田終〕 |
![]() 世はまさに「安倍晴明」ブームだそうです。夢枕獏という小説家が書いた「陰陽師」オンミョウジ
という本が元で、テレビではアイドル稲垣吾郎が主演し、映画では狂言師野村萬斎氏が主演しています。この間テレビでも放映されました。小説を読んでみましたが実に面白かったです。時は平安時代、主人公の安倍晴明 アベノセイメイ が、友人の武士源博雅 ミナモトノヒロマサ と土御門大通りの晴明の館で、美女(式神と称していろんな物を人物にする)に酌をさせ、酒を酌み交わしながら都を騒がせている鬼の話をし、その真相を確かめる為に「ゆこう」「ゆこう」と二人で出かけ、事件を解き明かしてゆきます。謡曲「蝉丸」「通小町」「鉄輪」「羅生門」「玄象」「泰山府君」などに関係のある話がどんどん出てきます。 |
17 土御門家遺跡 〔名田庄村納田終〕 |
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18 世阿弥船出の地 〔小浜市台場浜公園〕 |
能の大成者「世阿弥」に世阿弥十六部集と言われる著作があります。「風姿花伝」「花鏡」「至花道」「珠玉花」「金島書」などが在ります。世阿弥は足利将軍義教の怒りを買い、永亨6年(1434)、74歳の時佐渡に流されました。「金島書」の金島とは佐渡の事であり、佐渡へ流されていく道中、配所佐渡の国情、島における知見や心情などを紀行ふうにつづった「小謡曲舞集」です。 |
19 頼政と鵺退治 〔小浜市矢代〕 |
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20 晴明神社 〔敦賀市相生〕 |
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