第 1 日 (Sat.9/28)
自宅→関空→上海虹橋空港→咸陽西安空港→西安紫金山酒店(泊)
自宅 朝7時、小雨。いつもは寝ぼすけの娘が早起きして来た。
「行って来まーす。火と戸締まりだけは絶対やぞ!」と念押ししてタクシーに乗り込んだ。
小松駅の東口で降ろしてもらう。トランクルームからスーツケースを取り出しながら、
運転手さんが尋ねた。「どっか旅行?」「ハイ、ちょっと中国まで。」
運転手さんの手が一瞬止まった。「中国って、アノ中国?」
何がアノなのか分からないけど「うん、行って来まーす。」
うひょ、「ちょっと中国まで」なんて言ってしまった!さすが2回目となりゃ余裕だね。
と内心ほくそ笑みながら、しかし階段を一段一段慎重に登った。
前回の旅に比べて、足首の調子は良い、が、右肩と左肘の調子が悪い。
雷鳥に乗り込んで座席番号をきっちり確かめて座る。
前回の旅で犯したようなヘマは、今回は絶対しないぞと心に決めていた。
バッグからおにぎりとお茶を出して朝食を摂り、さてゆっくりとガイドブックを読もうとして、
最初の「アレ〜?」を発してしまった。ガイドブックを忘れた!昨晩ソファで読んで
仕舞い忘れてしまった。図書館にある6冊ものガイドブックを借りてきて、
その中から選り抜きの1冊を持って来ようとしたのに・・・あきらめて、寝る。
新大阪に近づいたので、すぐに降りられるようデッキに出た。
そこには、大柄なインド系の男性が立っていた。別に話す話題が見つからず、
汽車のゴトゴトが聞こえるだけの気まずい10分間を過ごした。
ところがホームに降りて歩き出すと、このインド人から呼び止められた。
「はるか17号」の切符を見せて、どこで乗ればいいかと聞かれた。
「私も乗るから一緒に行きましょう。」と英語で言うと、彼は大きな図体の割には
重い荷物が苦手なようで、荷物に振り回されるようにヨタヨタしながら付いてきた。
「はるか」のホームの手前まで案内し、「ここだよ。」と教えて別れた。
少し時間があったので、売店で娘へのお土産を買った。神戸と京都のキティちゃん。
はるかのホームへ降りると、間もなく「はるか17号」が入ってきた。
乗り込んでから切符を見てびっくりした。
私の持っていたのは「はるか19号」の切符。アラ〜、あのインド人に攪乱された!
が、車内は空いていて、座席も空いていたのでそこに座った。しばらくして
車掌が「切符の拝見」に来たので、ひと汽車早いことを自主申告した。
そしたら車掌が言った。「それでは自由席へお移り下さい。」
私はそんなアホな!と思いながら言った。「もう関空まで停まらないからいいでしょ?」
車掌はムッとした顔で「今度から気を付けて下さい!」と言って去った。ヤレヤレ。
で、トイレに行った。「はるか」は座席も広いけど、トイレも広いな〜と
感心しながら用を足していると、急にトイレのドアが開いた。
「キャ〜ッ、開いちゃった!」と叫んだのは、便器に座っている私ではなく
開けた女性の方だった。鍵をきっちり掛けてなかったようだ。
慌てて彼女はドアを閉めると、走って行った。何か怖い物でも見たかのように。
関空 前回よりも混んではいない。が、私は今回密かな目的を持っていた。
「飛行機の座席は絶対窓側を取る」である。そのため
ひと汽車早く来られたのは嬉しい。まずは中国東方航空MU516:窓側席を確保できた。
次に夫から頼まれていた事を遂行しなければならない。
40番ゲート付近の売店で「霧島ゴボウの漬け物」を買うこと。
これもすぐに見つかり、ついでに自分の好きな「ツボ漬け」も買った。
希望通りの窓側の座席に座り、隣はどんな人が来るかな?とワクワクしていると
30才くらいのアジア系の男性が来た。日本人か?中国人か?と考える暇もなく
彼の次の行動で中国人だと確信した。座席の上の毛布の入ったビニール袋を
取り上げると前の座席の下に押し込み、その上に足を乗せた!
そして早くもテーブルを出して、飛行機備え付けの中国語の雑誌を
黙って読み始めた。後の座席からは中年の男女の関西弁が聞こえてきた。
女性は、半年前から上海に赴任している夫の所へ行くらしい。
男性は上海に赴任中だが、一時帰国していたらしい。
いいな、隣同志で会話ができてと羨ましく思いながら聞いていた。
中国人の乗務員が来て、離陸するのでテーブルをたたむよう隣の人に注意した。
MU516はJALとの共同運行便で、アナウンスが中国語・英語・日本語の順で
流れてきた。これは楽である。と思った瞬間に、隣の座席から断りもなく
私の目の前に手が伸びてきてギョッとした。手にはデジカメが握られており、
それを窓に押しつけて、神戸の上空写真を撮りだした。私は一言ご挨拶くらい
あってもいいんじゃないのと思いながらも、いい写真が撮れるよう
邪魔しないよう、シートに体を押しつけていた。そして撮り終わったとき
「それFUJIの新しいデジカメだね。私のは古い型だ。」と日本語で言い
私は自分のカメラを出して見せた。彼は曖昧に笑ってうなずくと
自分のカメラを大事そうに撫で、ナイロンの袋に入れてから箱に仕舞った。
「オオサカデカッタ。」と片言の日本語が返ってきた。
私はヤッター!なんじゃ、日本語が話せるんやと思った。が、すぐに彼は
また雑誌の綺麗な姉ちゃんのページに戻ってしまった。
機内食が運ばれてきた。相変わらず話すきっかけが無くて、黙々と食べた。
ただ中国人の乗務員が、私の中国語の発音「珈琲」が聞き取れず、
聞き返してきたとき、隣の人が「珈琲」を取り次いでくれた。
入国カードが配られた。2度目の私はスイスイペンを走らせた。
その時隣がもぞもぞしだして、私に聞いてきた。「コレデイイデスカ?」と
中国語のスタイルの方を出した。記入する項目は一緒だから
ちらりと見て「それで良いですよ。これはいい加減でもいいんですよ。」と
前回初めて中国を旅したときに教えて貰ったことの受け売りをした。
それが口火となって話が広がった。彼は上海の近くの常熟市のSHARPの社員だっだ。
会議があって日本の本社に来て、奈良と名古屋も回ったそうだ。
私も夫が中国で働いていること、これが2回目の中国の旅だと
中国語と日本語のチャンポンで、それでもダメなら筆談で話した。
ペンは彼と私の間を行ったり来たりして、紙に漢字が並んだ。彼は日本語に詰まると
鞄から日本語の教科書を出してきた。ずらりとタックシールが貼ってあり、
アチコチ書き込みがしてあった。会社で講習を受けたのだそうだ。
彼は「日本語はムズカシイ」と言い、
私は「ハンユィヘンナン(中国語は難しい)」 と言った。
そして今回行こうとする「周荘」について教えて貰おうとしたが
発音が悪くて何度も直された。空港に着く頃には話し疲れたくらいだった。
上海虹橋空港 空港のゲートを出ると、夫が頭の上で手を振りながら待っていた。
「よう来たな!」と言って私のスーツケースを引っぱって歩き出した。
西安行きの飛行機まで2時間以上あったので、喫茶店へ行くことにした。
厚めの長袖を着ているのに寒気がするので熱いコーヒーが飲みたいのだと言う。
私は薄手の長袖だったが暑くて冷たいビールが飲みたかった。
「せっかく会えたに、早々から気が合わんなぁ。ほんでもケンカせんとこうぜ。」
と夫は言った。夫は、午前中に発つ便で帰国する日本人社員を送りに来て
ついでに私を出迎えた。西安行きWH292:窓際席ゲット!
咸陽西安空港 WH292は名古屋からの乗り継ぎ便で、JALとの共同運行だった。
前方の席ひと区画を名古屋からの老人の団体客が占めていた。
私達の席はその後ろだった。それが間違いのもとだった。空港に到着後、
その団体客に続いてタラップを降りた。そして「咸陽西安国際机場」の方へ
行ってしまった。ガラス張りの荷物の待合所で、私の荷物が回ってくるのを待った。
が、最後の荷物が降ろされてコンテナ車は行ってしまったのに、私の荷物が無い!
「Excuse me.」と係官が近づいてきた。
「No my luggage!我的行李没有!」と私は叫んだ。
係官はどこから来たのかと尋ね、夫は航空券を見せた。
係官は別の女性係官を呼び、私達を「正しい場所」に案内するよう行った。
私達は早足の女性係官の後を小走りしながら、やっと事情が飲み込めた。
「国内線のWH292」に乗ってきたので「国際」の方には荷物が届かないのだ。
団体さんはJALの国際便なのだ。途中で国内線の係官と交替し、
私達は普段なら歩かせてもらえないルートで国内線の到着口へ向かった。
ところがWH292の表示の出ているベルトコンベアーの上は、空だった。
私はもう一度 「No my luggage!我的行李没有!」を叫ばなくてはならなかった。
係官がもう一つ別のベルトコンベアーを指差した。・・・「あ、私の荷物だ!」
西安には夜8時を過ぎて到着するので、中国を信用していない夫はあらかじめ、
ホテルに頼み150元で迎えのタクシーを手配しておいた。
ゲートを出ると夫の名を書いた紙を持った男性が立っていた。
夫が「劉振偉か?」と尋ねた。彼が頷いている間に、別の大男が横から来て
スーツケースの取っ手を持って歩き出した。夫が「何だ?」と日本語で叫んで
取り返そうとしたら、大男は中国語を話しながら、劉さんと仲間だという身振りをした。
そしてうっすら埃をかぶった車まで来るとトランクを開けた。夫は予約書通りであるか、
車のナンバープレートと車種がHONDAであることを確認してから乗り込んだ。
車が走り出すと助手席の劉さんは私達に向かって言った。「私、日本語が話せます。」
だが、私達が聞いた彼の日本語はこの時限りで、その後いくら
日本語で話しかけても「?」という顔をしている。夫が中国語で話しかけると
ベラベラ早口の中国語で返してきて、今度はこっちが「?」という顔になった。
その間に、大男は真っ暗闇を猛スピードで走らせている。
そして、対向車線に躍り出て何台も追い抜く。対向車が来ると
警笛を鳴らしてライトをフラッシングし、相手に道を譲れと言って一歩も引かない。
私の感覚からすれば、追い越しをかけているアンタが引っ込むべきなのじゃないの?
と言いたくなる。が、中国語でそんなことをウダウダ言ってる余裕はなかった。
運転席のシートを後ろからつかんで、対向車が見えたら身をかがめて
彼に運命を任せているしかなかった。高速道路に入り、対向車の恐怖が
無くなったところで、劉さんの言いたいことが少し分かってきた。
「明日、明後日と西安を観光するなら紹介しようか?」と言いたいらしい。
とてもじゃないが、日本語の分からないガイドとこんな荒っぽい運転手は願い下げだ。
夫も即、「不要!」と言った。それに明日の分はちゃんと日本で予約してきたのだ。
私はジェスチャーしながら、中国語の単語をつなぎ合わせた。
西安紫金山酒店 このホテルは去年開業したばかりで、ネットで調べても
どうしても地図には載っていないうさん臭いホテルだった。
が、現実の建物を見て予想より大きくりっぱでホッとした。
劉さんは私達を先導してフロントまで行くと、そこでフロント係と何かもめているような
口調になっていた。夫が私に「紙を出せ。」と言った。予約確認のホテルからのFAXだった。
フロント係は頷いて手続きを始め「711」のカードキーをくれた。
ここでハッタリかませの劉さんと別れて客室に向かった。
711のドアを開けたらビックリした。ベッドが無いのだ。入ってすぐ右にバスルーム。
その奥がTVとソファ。突き当たりが6人掛けのダイニングテーブル。
その左手にカウンターバーのコーナーがあり、その横に長椅子とテーブルセット。
そして煌めくガラスの飾り棚を背にして、社長が使うような大きなデスクが置かれていた。
デスクの横にドアがあり、そこを開けると、やっと寝室でベッドがあった。
しかし部屋はそこで終わらず、寝室の奥のドアを開けると、もう一つ広い
バスルームが付いていた。透明な温室のようなガラス張りのボックスがあった。
自動シャワー装置で、二つの椅子があり、両側にお湯の噴き出すノズルが付いていた。
全部合わせると、普通のツインの部屋の3倍以上の面積だ。
それが朝食付きで1泊たったの430元(¥6450)!
夫と私は子供のように喜んで部屋を探険し、照明を付けて写真を撮ってまわった。
が、3泊する間に、だんだんこのだだっ広い部屋が快適ではないことが分かってきた。
まず、着いてすぐに気付いたのは、デスクの電球が付かないこと。
そして冷蔵庫が冷えていないこと。夫はフロントに中国語で電話をした。
が、通じないようだったので、私が代わって英語で言ってみた。
間をおかずに英語を話すマネージャーと作業員が部屋に来た。
冷蔵庫を壁から出していじくり、これで直ったと言ったので、
夫が「風呂上がりにすぐ冷たいビールを飲みたい。」と言うと別の部屋から
調達してきてくれた。マネージャーは「不都合は何なりと仰せ下さい。」
とかなんとか挨拶して帰って行ったが、この後も不都合なことは続々出てきた。
まぁ、とにかく、無事に再会できたことを祝して缶ビールを空けた。
カーテンを開けると、眼前はイルミネーションに飾られた城壁だった。
西安に来たぞ〜!という気分になった。