第 2 日 (Sun.9/29)
西安市観光(華清池・兵馬俑・大雁塔・碑林)西安紫金山酒店(泊)
朝、日の出前から夫はカーテンを開けてシャッターチャンスを狙っていた。
城壁から昇る太陽を撮ろうとしたのだ。しかし空は靄がかかったように薄ぼんやりして
どこに太陽があるかつかめず、いつの間にか城壁のはるか上に出てしまっていた。
8時過ぎに朝食を食べに4階へ降りた。小姐に案内された席は城壁の見える窓側の
2人掛けの席だった。席に付こうとしたが、すぐに私は弾かれたように後ろに下がった。
ピンクのテーブルクロスのど真ん中に、前に使った客が残した濡れたシミが広がっていた。
夫はそんな私を見て「これが中国や。諦めて座れ!」と言った。が、私は座れなかった。
周りの席を見回したが、汚れた食器がまだ乗ったままか、シミのあるテーブルクロスの
席しか空いていなかった。私はテ−ブルクロスをつまんでそろそろと引っぱり、
とにかくシミが自分の視界に入ってこないよう、脇に垂らせた。夫はそれを見て
角度を変えて、シミの部分を壁側にはさんで、完全に視界から隠してしまった。
これでよし!私は安心して食べ物を取りに行った。
どうやら大勢の人が食事を済ませた後らしく、箸も皿も無い。
パンも切ってあるのが無くて、お客達が勝手にフランスパンを自分で切り分けていた。
とにかくある物から確保していった。干したナツメ入りのお粥や蒸しパンを選んだ。
そうしている間に、洗ってまだ生暖かく濡れた食器が出てきたりした。
夫は生野菜にドレッシングを掛けたいのだが、ドレッシングは3種類あるのに
備えてあるのは1つのレードルだけだった。夫は傍らのコックに、マヨネーズで
ベタベタのレードルを、隣のフレンチドレッシングのボールに突っ込む真似をして見せた。
コックは新しいレードルを持ってすっ飛んできた。夫は言った。
「いくら中国やったって、コックにはあいつらの意地があるさ。」
私達がやっと落ち着いて食べていると、両手に皿と飲み物を持った西洋人が
隣のテーブルに来て、突っ立ったまま小首を傾げていた。彼もどうやら
シミ付きのテーブルクロスの席には座れないタチらしい。
そしてテーブルの隅に食器を預けると小姐を呼びに行った。夫は私に言った。
「中国を分かっちゃいないな。テーブルクロスを交換してくれるわけがないやろう。」
夫の言う通り、呼ばれた小姐はシミを見ても我関せずだが、なおも食い下がる
西洋人のために、青い紙ナプキンを何枚か持って来た。それをシミの上に散らして隠し、
「さぁどうぞ。」と西洋人を座らせた。西洋人の負けだ。彼は紙ナプキンの上に
食器を置いて食べ始めたが、私だったらあの無造作に置かれた紙ナプキンの方が
気になって、食べるどころではないだろう。おい、西洋人、もうちょっと頭を使えよ!
部屋に戻って出かける準備をした。こんな時広すぎる部屋は使いづらい。
そこでルールを作った。荷物を分散させないようまとめて置く。
奥のバスルームとベッドルームのタンスは使わない、etc。それでも
ちょいと脱いだスリッパを見失って、テクテク部屋の中を捜し回ったりした。
冷蔵庫を開けるとやっぱり中は冷えていない。私達はカウンターに
「冷蔵庫がまだ壊れている」と英語と中国語でメモを残した。
待ち合わせの時間より少し早く、ロビーに降りて「西安1日観光コース」の
ガイドを待った。ガイドのIDカードを首から提げた、ひょろっとした浅黒い青年が来た。
そして白いフォルクスワーゲンに案内した。私達だけのツァーだ。
ガイドは呂偉さんで、運転手は下の名前を聞くのを忘れたが江さんだった。
呂さんは車が走り出すと、テレビのニュースのような日本語で淀みなく案内を始めた。
細かい城壁の長さの数字や歴史年表の数字を織り交ぜて。私は最初メモっていたが
こういうのは本を読めば分かる事だから、顔を上げて窓の外を見る事にした。
夫は彼の言う数字のつじつまが合っているか、概算していた。
呂さんは言った。「シルクロードは昔どんな道だったでしょうか?逆に歩くと分かります。」
「ん?なぞなぞ?・・・どーろくるし?」と私が答えると「はい、その通りです。」と
ニコリともしないで言った。夫はまだ「なんでや?」と頭を捻っていたが
やっと分かると「なんや、呂さんて、まじめな顔して冗談言うんや!」と笑い出した。
そして、どこで勉強したか?結婚してるのか?とか質問を浴びせた。
彼はまたまじめな顔して夫の尋問に答えた。重慶出身だが西安大学で日本語を学び
そのままここで仕事をしているのだと言う。まだ独身で、故郷へは春節の時、
年に1度帰るのみだそうだ。さっきまで感情の無い日本語だったのが、
自分のことを話すときは、少し間が伸びたり表情が付いてきたりした。
道は乾いて埃っぽかった。舗装した市街地の道路なのに、
前を走る車の後には黄土色の砂煙が上がっていた。私は呂さんに尋ねた。
「しばらく雨が降っていないのですか?埃がスゴイですね。」
呂さんは、何でまたそんな当たり前のことを聞くのかという顔で答えた。
「雨が降れば水浸しになります。乾けば埃になります。」
と言うことは、この埃は、雨で洗い流されるという事は無いの?
唐の長安の時代から、悠久に漂っている埃だというの?
華清池 入り口を入ると楊貴妃の白い裸像が、池を背景に目に飛び込んで来た。
呂さんは、また淀みなく説明を始めた。どこまでが史実でどこからが作り話か
分からない話が次々と出てきた。玄宗皇帝や楊貴妃が使った浴槽などを見学する。
ここの温泉はリウマチにも良いらしい。
西安事変の弾の後が残った煉瓦など、もう少しで見逃しそうな所も
呂さんが教えてくれるのでベルトコンベアに乗った気分である。
が、時々質問を挟むと呂さんは次にどこから始めればいいのか、
頭の中のガイドブックを必死にめくっているみたいだった。
夫は自分の質問に「分かりません。」と返ってくると
「そうか、ガイドの試験には出なかったのか。」と一人で納得していた。
毛沢東の碑文の所で呂さんは「毛沢東・ケ小平さん達は字はうまいけど
李鵬さんは下手なくせに良く書きたがる。」と言った。
「え〜?そんな事ここで言ってもいいの?」と突っ込むと
「大きな声で言わなければいいです。」と呂さんは涼しい顔だ。
売店に入ると、西安の木であるザクロの実を割って置いてあった。
「どうぞ食べて下さい。」と言われておそるおそる口にした。
家の酸っぱいだけのザクロの味しか知らない。しかし西安のザクロは甘い!
ザクロって甘いのもあるのだ。で、ザクロに釣られてお土産を買った。
中国四大美女(楊貴妃・貂嬋・王昭君・西施)の金ピカのしおり:1セット35元を
4セット選び、夫は100元に値切った。翌日西門の売店で同じ物が1セット60元で
売られているのを発見し、店員に「很貴(ヘングイ:高い)!ボロ儲け!」と野次った。
呂さんの四大美女の説明に、各美女の弱点があった。
とても面白かったのにメモしなかったので忘れてしまい、悔いが残る。
車窓から始皇帝陵を眺める。道端のザクロを売る露天が、さっきより増えている。
あんなに沢山のザクロを一体誰が買うのだろう?
黄色く乾いた土に黄色いコーリャンの畑が続く。石炭火力発電所から
もくもくと煙が出ており、薄ぼんやりした空が余計曇って見えた。
兵馬俑 1号抗から入る。整然と並んだ兵士の像が一斉にこちらを向いて並ぶ。
土の臭いが、ひんやりした空気に乗り、見下ろした兵士の方から吹き上がってきた。
一瞬身体じゅうに鳥肌が立った。兵馬俑は、去年、金沢の「中国文明展」で
一度お目にかかっていたが、その時は本物に会えるとは思ってもいなかった。
美術館のぽつんと立っていた兵馬俑では、やはり本物の迫力を伝えきれない。
英語・中国語・韓国語などのガイドの声がアチコチから聞こえてくる。
車椅子に乗った西洋人の見学者もいた。呂さんが
「兵士達の顔は彫りが深く、目鼻立ちがハッキリしています。」
と言った時、夫が茶々を入れた。「呂さんにそっくり。鼻も高いし目もデカイ。」
呂さんはムキになって言った。「私は漢民族です!この兵士の顔は少数民族です!」
私はビックリした。後にも先にも、こんなに感情的な呂さんを見たのは、この時だけだ。
さすがの私も、ちょっと突っ込める雰囲気じゃなかった。
売店で発見者の楊志発さんが、本を買った人にサインをしてくれると言うので
ミーハーの私としてはそうしたかった。しかし、
夫は、店員が熱心に勧める本の値段を見て不機嫌になった。
「この本、高すぎる。読みたい本なら仕方ないけど、話のネタなら写真で十分!」
と言い、長いキセルをくゆらせている楊さんをバックに、私を写した。
兵馬俑は、まだまだ地中に埋もれているらしい。これだけでもスゴイのに
一体全容はどんな物なのだろう?
蛇足ながら「秦俑博物館」のプラスチックチケットの裏が
「brotherミシン(西安兄弟標準有限公司)」の広告だった。ミシンの写真と
ISOの認可を受けていることを表示してあるだけだ。中国も環境の時代?
昼食(秀嶺餐廰) 前の駐車場に大型の観光バスが止まっていた。
団体客と一緒?と少し不安になったが、案内されたのは静かな2階席だった。
注文しなくても、ちゃんと2人分の料理が運ばれて来ると言う。
夫が「呂さん、江さんも一緒に食べよう。」と言ったが、「規則だからダメです。」
と呂さんはまじめな顔して言うと、階下へ降りて行った。
★堅豆腐と人参、葱の炒め物★牛肉のハム★大学芋
★豚肉の甘酸っぱい揚げ物★水餃子★青菜の炒め物
★空豆ともやしと豚肉のピリ辛炒め★スープ(キャベツとトマトと卵)
★リンゴ・・・・の9品が出てきた。メモとペンを渡して、
小姐に中国語で料理の名前を書いてと頼むと、4,5人いた小姐が、
何事か揉めだした。心配になって、夫が「どうしたの?」と尋ねると、
日本語の出来る小姐が笑いながら「一番字の上手な人が書くことにしました。」
と言った。で、返ってきたメモを見ると、全部、律儀に私が書いた日本語の横に
対応させて中国語で書いてくれてあった。皮をむいただけのリンゴにまで
「苹果(リンゴ)」と書いてあった。字は・・・あれだけ揉めてた割には
上手な字ではないが、とてもわかりやすい字だった。
食事中に、小姐が冬虫夏草を漬けた薬酒を1本、サービスだと持って来た。
薬草に興味のある私は、興味津々だった。で、一口飲んでいると小姐が
「飲み残しは持って帰っていいですよ。」へぇ〜、いいじゃな〜い?
「1本○○円ですが、今なら2本セットでお安く買えます。・・・」出たーっ!
夫は即座に「要らない!」と言い、私がまだ半分以上残っている瓶を
持って帰ろうとするのも止めた。「瓶の口を見いや!封がおかしい。」
階下に降りてトイレに行った。階下には大きな食堂があり、
丁度日本人団体客が食事を終えたところだった。
ム?私達の水餃子が冷たかったのは、もしかしてこっちの残りでは?
トイレの前は日本人の列が出来ていた。オバタリアン二人が
個室に入って「アンタ、紙無いわ!そっちにある?」「こっちも無いわ!」
と会話していた。その会話を聞いて、私がティッシュを用意していると
個室から出てきた一人が「アンタ、1枚頂戴!」と私の手から持ち去った。
私が返事を返す前に。もう一人のオバタリアンは・・・どうしたか知るもんか!
大雁塔 三蔵法師がインドから持ち帰ったお経を納めた建物。
整備されていて、資料館やトイレが新しくて綺麗だ。大雄宝殿では
仏様に赤い蝋燭や線香あげて、熱心に跪いてお詣りしている人達がいた。
大雁塔に登るには、20元のチケットを購入しなければならない。
ところがチケット売り場に人がいない。呂さんは「トイレに行ったのですよ。
すぐ来ます。」と言ったがなかなか来ない。隣の入場口に係員が2人もいるのに
管轄が違うらしく、待ってるお客を見ても、我関せず。仕事は縦割りなんだね!
7階まで248段の階段を登る。夫は呂さんに、私の足が悪いからゆっくり登ると
宣言しておいた。汗だくになって自分の足で登った眺めは格別だった。
地べたでは埃っぽく感じる風も、ここでは四方の窓を爽やかに通り抜けた。
庭の片隅に、このお寺で亡くなった僧達の墓があった。その墓の1つを指差して
「ここに『呂緯』と落書きがしてあるのです。」と呂さんが言った。夫が、
「呂さん、前に来たとき削ったの?」と言うと、呂さんはまじめな顔で慌てて
「そんなことをしたらガイドの免許を取り消されてしまいます。」と言った。
「塔に登って喉が渇きましたね。お茶を飲みに行きましょう。タダですから。」
と頼んでもいないのに、呂さんに「海潮音茶芸館」へ連れて行かれた。
奥の小部屋に通され、大きな木の根で作った茶船の前に座らされた。
先輩小姐と新米小姐が出てきた。新米小姐が日本語で説明しながら、
中国工夫茶のお手前を見せてくれた。白い毛(白毛猿?)の生えたお茶、
大きな茶葉一枚を巻いたお茶、ジャスミン茶、「午子仙豪」とか言う
名前だけでも効きそうなお茶、人参烏龍茶などを次々飲ませてくれた。
で、やっぱり出た〜!「これは1缶○○円です、3個買うと安いです。」
人参烏龍茶が自分に合う気がして買おうと思った。1缶100元。夫の方を
チラリと見たが値切らない。私、ちょっと値切れない雰囲気。
ずり落ちてくる赤縁眼鏡を上げながらお手前してくれた小姐だけだったら
値切ったかもしれないが、横の先輩小姐が新米小姐を監視するように
ツーンと立っており、隙のないいでたちだったので・・・
なんか西安に嵌められた感じがした。
碑林 名前の通り、碑だらけだった。風雨で傷まないよう一ヶ所に
集めて保存してあるのだそうだ。拓本を取るための墨の香りが漂う。
論語の碑もあった。呂さんは「友遠方より来る。亦楽しからずや。」を
私達に見せるため、ガラスに貼り付いて文字を探した。漢字が嫌いな夫は、
論語なんてどうでも良かったのだが、呂さんの、これを見せなきゃガイドじゃない!
という迫力に押されて、私達も漢字ばかりの碑から、その一節を
血眼になって探した。見つかった時には、やっと漢字の呪文から解放された。
碑林の横に「孔廟」があった。日が傾き、廟の壁に木の葉の影が揺れた。
夕暮れの街は優しい雰囲気がした。しかしホテルに帰る道すがら、呂さんは
まじめな顔で言った。「夜、街を歩くのは危ないです!」
西安紫金山酒店 ホテルの部屋に戻ってまず確かめた。冷蔵庫が直っているか?
直っていない!夫はフロントに冷蔵庫を取り替えるよう言った。
作業員が来て冷蔵庫を取り替えた。ブーンと軽いモーターの唸り音がした。
こうでなくては!中国の冷蔵庫だってモーターが動かなくては冷えないはずだ!
しばらく休んで起きると、またホテルの不備を見つけてしまった。ベッドルームの
TVがつかない。壁面全体の配線に電気が通じていないようだ。
それから翌日と翌々日の朝食のチケットが無い。チェックインの際、
今朝の分しか渡されなかった。オイ、フロントの小姐よ〜!
お腹が空いてきた。呂さんの忠告に従って、外出せず、ホテル内の
レストランで食べることにした。今朝はハチャメチャだった4階のレストランが
夜はぐっと落ち着いた雰囲気で、これが同じ場所かと疑った。
英語のメニューを持って来てもらった。夫は、注文票を持って横に立っている
小姐がうるさくて、「頼むから向こうへ行ってて。決めたら呼ぶから。」と
追い払った。西安料理が中心らしい。夫は中国の味にもう飽き飽きしていて
もうどうでもいいやと言うので、私が組み立てた。
★西紅柿炒蛋(トマトと卵の炒めもの)★家常豆腐(油揚げの炊いたもの)
★抄手牛柳(広東料理:雲呑スープに牛肉)★米飯
★楊州(又鳥)汁小刀面(雉だしのラーメン?)
運ばれた料理を見ると、我ながら、バランス良くうまく注文できた!
瓶ビールも注文。小姐はビールをコップに注ぐと、まだ残っているのに
瓶を持ち去ってしまった!小姐を呼んで、ビールを取り戻そうとしたが
別の小姐が別のビールの栓を抜いて持ってこようとする・・・。
まぁ、とにかくこのホテルでは物事がちぐはぐに進む。
私達は「トンチンカンホテル」と名付けた。
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