第 7 日  (Fri.10/04)

南通市探検(南通博物館・人民公園・鐘楼)南風楼(泊)

今日はどこを探険しようか?中国語の南通市の地図をにらむ。
所々に「花園」と書いた区画がある。漢字に騙されてはいけない。
「○○ガーデン」という名のマンションである。そうこうしていると
メイドが二人やってきた。あわてて部屋を出た。彼女達が忙しく立ち働いている横で
のんびりソファに座っているのは、非常に落ち着かない。しかし、
毎日シーツを交換し、お風呂やトイレを掃除してくれ、ゴミを出してくれる。

夫は、娘の受験が終わったら。私にもこっちに来て住むように言う。
夫と一緒に住めることはさておき、手の変形が進んでやりにくくなってきた
家事をやってもらえることが、最大の魅力である。が、しかし一方で「医療」が
最大の難関になる。日本語を話す医師は上海まで出なければならない。
最近近所に、日本人歯科医の経営するクリニックが出来たようだが
日本のクリニックと掛け持ちのため、普段は中国人歯科医であるという。
医療は言葉の通じる日本でも難しいことが多いのに、そして無菌室の日本から
やってきた日本人が、この中国の医療に納得できるとは到底考えられない。


南通博物館 ここは南通市の産業・教育に尽くした張謇(1853-1926)さんの
かつてのお屋敷を解放、展示館としたものである。西洋風の落ち着いた造りで
広い庭にはお客用の別棟など、100年前の往時が偲ばれる。
装飾品、家具や調度品など南欧風のデザインに一瞬ここが中国であることを
忘れてしまいそうになる。丁度「張謇業績展」をしていた。昔のお堀、時計台、
天寧寺など少しは私にも馴染みのできた風景がモノクロの写真にあった。
ぶくぶくに着ぶくれた中国服の人達の集合写真もある。
小柄だがとっても元気な女性ガイドが案内をしていた。中国語が分かればなぁ〜。
お昼になり、係員達は自分の持ち場の机でお弁当を広げだした。 

南通博物館シャンデリア 「心心相印」

「永結同心」

人民公園 博物館の敷地の隣に続く公園だ。猿の檻や遊園地の乗り物がある。
ベンチに腰掛けて私達も持って来たおにぎりを食べた。菱の実を食べた。この時実感した。
菱の実は、屋外でぺっぺと殻を吐き出して食べるからうまいのだと。
菱の実の殻なら土に還るだろうと、公園のベンチの下に押し込んだ。
平気でゴミを捨てる中国人をただただ疎ましく思っていた。そしてチマチマと
小さなミカンや木の実を、根気よく皮をむいて食べているのに呆れていた。
どうやら彼らは外でゴミを気にせずのびのびとおいしく食べていたようだ。
田んぼでスイカの種を口から飛ばして食べた記憶が甦った。・・・でも、
腐らないゴミはやはりバッグにしまう。日本人はこうでなくちゃ!
公園の奥のひときわ緑濃い一角は、アベックのたまり場だった。
知らずに足を踏み入れた私達は、目のやり場に困ってしまった。
やがて彼らも車を飾り立てて(写真中・右)結婚式へと向かうのかな?

南通市で一番大きな本屋さん、「新華書店」に寄る。ビル全体が本屋さん。
玄関に新刊の本が山積みされ、今日はその作者が来店して、サイン会が
催されるらしい。CDやVCD、またそのプレーヤーも売っていた。
中学生の英語の参考書があったので、それを読めば英語と中国語を同時に
学習できるんじゃないかな?と思った。どれがいいかアレコレ迷っているうちに足が
疲れてきてどうでも良くなってきた。地図だけ買った。ここの本屋さんは、1冊ずつの
本にカバ−を掛けたり袋に入れたりはしないが、出口で店名入りのナイロン袋を
タダでくれるので、お客はそれに入れて持ち帰る。合理的である。
出たところで、薄手のブレザ−を着たオバサンが小銭の入った使い捨てコップを
ジャラジャラいわせて前に来た。肩にはチェックのトートバッグを掛けている。
今まで見かけた中で1番おしゃれな乞食のオバサンだった。

鐘楼 今日こそ鐘楼のライトアップされた姿を見たい。夕暮れが迫る頃
南風楼を出た。夫が両替をしたいというので「南通大飯店」に寄る。
フロントの小姐は、あっちの仕事、こっちの仕事と落ち着き無く
両替の書類も書き直したりで、要領が悪い。一方、話す中国語はやたらと
早口で、説明が理解不能。とうとう夫が切れた!
「アンタにとっちゃ毎日言ってる事だろうが、わたしゃ初めて
言われる事だから分かるわけないやろ!」と大声の日本語で言った。
確かに言葉は日本語なのだが、その大声の激しさや手を振り回す仕草は
まさに中国人だった!私はその場を離れたくなった。小姐がシュンとなって
今度はゆっくり説明した。

中国の自転車にライトはついていないので、慣れない夜の二人乗りは危ない。
自転車のリキシャーを拾った。乗ろうとしたら足下のど真ん中に、10gは
入る水のビンがごろんと転がっていた。このビンの上に足を乗せても
良いのだろうか?運転手はやっと気付いてビンを立てて隙間を作った。
途中運転手は倉庫みたいな所に寄って、水のビンを降ろしてきた。
少しは軽くなったが、運転手は登り坂にかかると、身体を前に折り曲げて
反動を付けながら漕ぎだした。私は「加油!加油!(ジャーヨウ:がんばれ)」
かけ声をかけて運転手を応援した。運転手は分かったらしくニコニコしながら
坂道を登った。なのになのにである。料金を支払う時、彼は「6元・・・」と言ってから、
もう少しくれない?という表情でこちらを見た。夫は、「6元は妥当な金額だし、
最初から吹っ掛けてこなかったから1元おまけ。」ともう1枚1元札を出した。
あれぇ?なんだか一生懸命応援した私が馬鹿みたい!日本人だと
教えるために下手な中国語でかけ声をかけていたようなものだ。

やっと時計台のライトアップを見ることが出来た。中国人はネオン管を
建物の輪郭に沿って這わせることが大好きだ。北京でも西安でも、
こんな所まで!と感心するくらいネオン管を取り付けてあった。竜宮城のような
際だつ輪郭が浮かび上がるのだけれど、情緒が無くなるような気がする。
日本のお寺の、離れたところからライトを当てる控えめなライトアップの方が、
幻想的である。だから、ライトを当てただけの、この鐘楼が大好きだ。

南風楼 今日から食堂のコックさんが仕事を始めたと聞いた。夫がいつも
食べている食事を食べてみたいと思った。コックさんは20代の愛想のいい中国人だ。
守衛さんの部屋でおしゃべりしていたり、バイクをいじくっていたのを見かけた。また、
調理場に、厚い切り株みたいなまな板に、大きな中華包丁を突き刺して片付けて
あったので、あそこからどんな料理が出てくるのか、興味があった。

夫がお盆に並べて部屋まで持って来た。コックさんはもっとあげると言ったが
遠慮してきたという。夫はとにかく中国料理には飽きたと繰り返した。中国に来た
当初は何でも食べられるし、寮の食事も会社の食堂もおいしいと言っていたのに。
今夜のメニューは★アジのフライ★キャベツの炒め物★トマトと卵のスープ
★豚肉のチンジャオロース★スイカ★米飯・・・・・一人分なのに
私にはちょっと量が多いけれど、どれもおいしかった。アジのフライなんて
中国料理にはないから、日本人向けに工夫してあると思った。食べ終わってから
気付いた。夫が飽きたというのは、鰹節や昆布だしのものが無いからだ!

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