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2nd 朝寝坊した。夫が自分でお弁当作って(bandsにサラダ菜と鶏のローストを挟むだけ)出勤した後だった。今日の予定は1つだけ、ゆっくりできると思った時、電話が鳴った。2つ3つと出かける用事が増えていく(^^ゞ 玉葱の苗を買いに行ったついでに紅白の葉牡丹の苗も買ってきた。タグには「プラチナ・ケール」とあった。人間に好まれるよう思いっきり品種改良されたヤツだろうな。植物がその場・その時で環境に適応していくように、「今の」自分に適応したい。
3rd 本当は今日は孔子学院の代講があったが欠席した。体調がイマイチ。悪くなってから休む前に、変だと感じた時点で休養するのが、私の’医者要らず’。で、「コーヒー飲んだら8時以降、しゃべらない!」というルールを敷き、暖かい居間で夫は試験勉強、私は溜め込んだ書類の整理をした。書類の整理は疲れる作業で普段は1時間くらいやると集中力が途切れるが、勉強している人が傍らにいるので、飽きたからと放り出すわけにもいかず、結構片付いた。午後は買い物へ。コタツを買い替えるつもりが、コードだけ新しくする事に。シエンタのスノータイヤを注文してくる。タイヤフェアをやっていて熊(リラックマ?)の絵のコロコロを景品にもらった(^u^)
4th 「あじさい」のランチ。Tさんの世話。「梶助」にて。店内で声をかけられ驚いた。娘のバイト先で同僚だったKさんは、なんと私の同級生Tさんの娘だったのだ!夕方買い物に行くと、やけに混んでいる。若い男性演歌歌手のプロモがあるらしい。その人混みを尻目にレンタル屋さんへ行って、CDを借りる。どうやら私達は冬を感じると音楽がほしくなる。「5枚で1000円」には惑わず、夫も私も1枚だけ選んだ。そしてお互いに相手の選んだものにはケチをつけない取り決めをした。夫は「高橋真梨子」。私は「加古隆のピアノソロ」木枯らしにピッタリ!
5th 朝、間違えて夫に金属ゴミや破砕ゴミを持たせたら、「今日は缶の日だ!」と大声で怒りながら帰ってきた(^^ゞ 「あ、来週と勘違いしていた」と言うと夫はさらに怒り出した。「言い訳の先にごめんやろう!」私としちゃ持ち帰ったゴミの対処を先に言っておきたかったのだが。朝からゴミ問題で夫婦喧嘩(^^ゞ 午後、姉が来て義兄の分の駐車場の契約書を交わす。姉は先に小松に帰り、今まで仕事より色々な事に首を突っ込んできた事が、結果的に義兄がこちらで暮らすにあたり、そのとっかかりや下準備になっていると感じている。新しい形の内助の功?
6th Makitaの掃除機は軽い方を使っているので、干からびた米粒を吸う力が無い。吸引力の強いのは重い。うちの家具達はお掃除ロボ:ルンバの侵入を拒む。ダスキンの2週間無料お試しで、LALAとダストクリーナーを貸してもらった。階段に設置したリフトチェアのレールの足場の狭い隙間もきれいにできる!ダストクリーナーを初めて始動させたら、うるさいのにびっくりしたが、米粒も綿ぼこりも嫌がらずに吸い込む。ハンディモップは止めて、これらに替えると月に504円のUP(^^ゞ
7th タダほど高い物は無い、という実例を眼前にした。実は私も、色々言われて少しはグラッときていて迷った。本当に必要ならば、適正なお金をかけて丁寧にやろうが基本だが、どうしても回りの情報や雰囲気に影響される。提案を断ったり、新しい事に乗らないのは独りよがりで意固地なのではと思う時もある。今回の対処は、多くの人を巻き込む判断だっただけに、胸を撫で下ろし、タダの裏側の汚い話を聞いて終わった。じゃ今はこれで済んだが、次はどうかと問われると自信が無い(^^ゞ
8th 北陸大学孔子学院から分厚い封筒が届いた。アルベス(Real Video Education System)のマニュアルとIDやPWを書いたカードだった。接続してみると、講義がネットで受講できるようになったと分かった。休んだ前回の講義をDLして聞き始めた。5分で寝た(^^ゞ 教育は人と人との相互作用だと思うのだが…。これじゃ放送大学の時と同じになってしまう。NHKの中国語講座を聞いてた方がマシではないか。大学側としてはすごい投資をして人を育てる手間を省こうとしてるの?9th オレンシア26回目。
病院の帰り、優先道路の追い越し車線を走っていて、信号機の無い私道から出て来た軽自動車に当て逃げされた。すぐに警察に通報し捜してもらった。うちの車屋さんの担当者も呼んだ。パトカーに乗った警官が来た。書類を確認したり、事故の状況を説明した。相手の車の右のヘッドライトが現場に落ちていて、警官が往来の車を縫って拾った。そこへ、もう1台のパトカーと2人の警官が来た。さらに近所の店の店員さんが「うちの店にお探しの車に乗った人が来ています。お年寄りでちょっと変です」と言いに来た。3人の警官は顔を見合わせ、2つの通報がここで1つになったと言った。つまりその爺さんも、当て逃げされたから警察に電話してくれと店に入って来たと言うのだ。先に来たパトカーに乗せてもらって爺さんの車の横へ行った。
確かにこの車だ。爺さんは、杖をついていてちょっとの間も立っていられない。免許の提示を求められても「家に置いてある」の一点張り。壊れたその車に乗って取りに帰るというのを警官が慌てて止めた。曲がったタイヤハウスの金属の端がタイヤに当っている。警官は爺さんに確認させ「この車は車屋さんに引いてもらおう。子供か親戚か誰か話のできる人に来てもらって」と言った。爺さんはボソボソ言った。「子供はいない。親戚が金沢にいるが行き来が無い」 結局車を取りに来た車屋さん(警察が署に問い合わせて電話をかけて呼んだ)と話し合う。爺さんは1週間前にも同じ所で、同じルートを描いて事故って車を修理したばかりだった。事故現場の写真など撮り、事故証明を頼み、怪我が無かったから後は保険屋さん同士で後始末を頼もうと、私の呼んだ車屋さんの乗ってきたボロ車で帰宅した。
…さてそこからが大変だった。爺さんの保険屋さんから電話がかかってきて、「9:1の責任割合にしよう」と言うのだ。えー!あの爺さんのお陰で命を落とすかという危ない目に会って、新車のシエンタを傷物にされて、その上、何で私の保険を使うのだ?納得できず、電話であちこち相談した。とにかく、保険屋相手に私が戦うしかないのだそうだ。保険屋さんは「一般の場合は…」と言ってしきりに私の保険屋さんに出てきてもらい、9:1にしようと仕向ける。段々保険屋さんの言葉に腹が立ってきた。3回目にかかってきた時から「この電話、録音させてもらいます」と言って電話機の録音スイッチを押す事にした。爺さんから聞いたという保険屋さんの話は余りにもでたらめで筋が通っていなかった。
保険屋さんは9:1にする事が目的で、本当に爺さんの事を考えているのでは無い事が分かった。その前まであと10秒早いか遅いかであの爺さんに当てられなかったのにと悔いていた。が、待てよと思った。これは仏教でいう縁なのだ。爺さんの頼れるのは、車屋さんと車の保険屋さんしかいない。「もう危ないから運転するのは止めよう、買い物はしてあげるから」と言ってくれる人がいない。
市役所の長寿介護課へ相談した。介護保険を申請しなくても、老人家庭の見回りや相談に乗る制度があるらしい。爺さんの名前と住所を伝えた。個人情報保護法に引っかかるなら、それでもいい。爺さんが次に更に大きな事故を起こすのを阻止したい。いつもあの道を通るだろう家族や友人知人の顔を思い出し、保険屋さんのトリッキーな挑発にひるまない決意をした。私の大事な人達を、あの爺さんの車の巻き添えで加害者にも被害者にもさせたくない。が、これも気休めにしか過ぎない。たとえ1年以上前であっても、手続きを経て更新された免許証は、その後爺さんがどんな状態になろうと有効で、誰も運転するのを止められない。爺さんが大きな事故で免停くらうまで。
4日後、「100:0」の結果になった。当然だが、手放しで喜べない。保険屋さんに「今回はこれで済んだけど、この次心配じゃない?」保険屋さんは小さく「ハイ、でも契約期限までは保証しなければなりませんから」彼も仕事なのだ。
保険屋さんとのやり取りで、私はこの20年間繋がっていた『男女共同参画社会』の勉強が無駄でなかったと感じた。保険屋さんの立場(男性優位社会・経済効率追及)vs私(地域生活者・弱者共生社会)の構図が見えた。アサーティヴトレーニングなども一体いつ役に立つことがあるのだろうと学んだが、やっぱり勉強していて良かったと思った。10th 講演「最近の争続の現状」(小酒義幸税理士) 『争続』は変換ミスではない。相続人が相続に大きな相続税がかからないと知った瞬間から『争続』に変わる。代理人を立てると更にヒートアップする。…資料の「遺産分割事件数」「遺産分割事件のうち容認・調停成立件数」などの数字の裏にはその数だけドラマがある。公正証書の付言事項の大切さを力説。気持ちを伝える手紙である。「これを読んでも心に響かないヤツは人間じゃない…」彼の吐き捨てるような呟きに、『争続』の修羅場の恐ろしさを垣間見た。プレゼン自体も上手で、寝る気でいた夫も一睡もしなかった。
11th 帰りのバスの隣席の女性は、痴呆の実母を6年(自宅)+8年(施設や病院)介護した人だった。介護の苦労話を色々聞いたが、決して後味が悪くなかった。私も自分の経験上共感できる事があり、また彼女の話に親を恨む気持ちが無かったからだろう。そして帰宅後夕食の後に、夫が録画しておいたがなかなか観る時間が無くて、でもHDを空けたくて、半ば義務の様に『遺品整理人 谷崎藍子』を再生した。なんという偶然だろう。昨日の講演会の話と繋がっている!ご先祖さん達が、子孫が迷っている事を見抜いていて、色んな方法で教えてくれてるのかもしれない。
12th ゴミ当番。10時半過ぎに集積所へ行くと、一般ゴミの所はきれいだったが、金属・破砕ゴミがグチャグチャだった。収集車において行かれた物かと思い、片付けながら、こんなにたくさんどうしようと悩んでいた。収集車が来た!ゴミの山はきれいに…はならなかった。作業員が、中身が入っていそうなペンキやオイルステインの缶は収集車には入れられないと言った(それもそうだ)。作業の途中で収集車の圧縮機が止まった。髭剃り機が引っかかった。作業員が取り除こうとしたら、急にスイッチが入って動き出しギョッとした。バッテリーを抜いて無かった。
13th 昨日Amazonで"Quiet: The power of introverts "(Cain, Susan)を注文した。もう少し待てば翻訳本が出るかもしれない。が、もう若くはない。読みたい!と思った時に買っておかないと、忘れるし、読みたかった情熱さえ失せてしまう。朝、散歩代わりにコンビニへ歩いて代金を払いに行った。堤防を歩いていて思い出した。去年も、今頃ここを歩いていた。最後にM叔母に会った日に。
14th 寒いのでエアコンを23℃でつけていた。ラジオもつけていた。パソコン作業に疲れて、パソコンをスタンバイ状態に保ち、コーヒーのためのお湯を沸かして、沸くまで新聞を読んでいた。雷鳴が聞こえていたが、この季節のいつものことなので無視していた。ひときわ大きな雷鳴が轟き、停電した。一瞬の静寂。ラジオは黙り、沸きかけたお湯のシューッという音も止まった。時間も止まったように感じた。短時間だったが自分が異次元にいるようだった。電気が復活し、電化製品に被害が無い事がわかると、居間のカーテンを全部開け、コーヒーを飲みながら外の稲光ショーを見ることにした。冬の北陸ならではの愉しみ(*^^)v
15th 昨日、急に野田総理が明日解散すると言った。大きいニュースだが、直接わが身にすぐには関係ないと思っていた。ところがどっこい、第一地区コミュニティセンターから電話がかかってきた。予約していた来月のおしゃべり会の会場が不在者投票所になってしまったので、部屋を替えてほしいと言われた。工作室に変更。更に電話を切って気付いた。投票日は、関西への旅行を申し込んであるんだっけ(^^ゞ
16th 代車は車体が小さい軽自動車なのにハンドルが重くて、回転半径が大きい。フレームがペラペラの上に、後ろにスノータイヤを積んであるが吹けば飛ぶようで頼りない。右折待ちで右車線で停止している時、左脇を直進していく車の風圧をモロに感じる。この車で週末、山環を走る自信が無い。車屋さんに代車の代車を頼んだ。「ニュースでリコールが発表されたからこの週末お店大変なんじゃないですか?」から言い始めると、お店の人は悪びれず「ハイ!」と言った。代車が足りなくて社員の車まで出しているほどらしい。そこを何とかと頼んで、普通車を持って来てもらった。自分の命は自分で守らなきゃ!
17th 代車を駆って北陸大学へ行く。エレベーターで李先生に会う。「休んだ所をビデオで勉強しようとしたが5分で寝たので、頑張って授業に出てきました」と言うと、先生はさもありなむという顔で笑った。で、一緒に教室まで行ったのだが、ここで李先生(中国人)と英会話のGordon(カナダ人)の文化の差を感じる!帰りに「NHKラジオ深夜便のつどい」に寄る。会場で何年ぶりかのAさんやリウマチのHさんに会う。宮川泰夫アンカーと迎康子アンカー。ラジオ深夜便は、聞きたいのに起きていられず寝てしまうので、楽屋落ちみたいな話には付いていけないが、宮川さんの円熟した徹底的に「受け」の話し方に感銘を受けた。根上にちなんで加賀大介作詞の甲子園の歌「栄冠は君に輝く」を会場一緒に歌う。その後、偶然会場にいた奥さんがお礼を言われ、NHKの人達一同驚いた。
18th 第54回市史講座「小松の民俗あれこれ」(小林忠雄:北陸大学未来想像学部教授) 会場まで歩いて行った。以前より速く歩けるようになり、私の見積より10分は早く着いた(*^^)v 受付をしていると、I先生が「お、長いこって〜」と声をかけて下さった。また観光ボランティアにおいでと言われるのは困るので、先生から遠い座席に座る(小心)。昔良く聞いた「おちょうわい」という言葉は、仏教語の「お朝拝」が語源ではないかというのが面白い。夫は金沢での資格試験を終えてちょっと達成感。私も家に受験おやじを抱えるストレスから開放。
19th 天気が良いので歩いて出かけた。祖母は自転車にも車にも乗れなかったから、80過ぎまで、とにかく良く歩いていた。脊椎カリエスの後遺症で背中がつの字に曲がっていたが、足を一歩前に出せば一歩進めるんだという様な愚直な歩みで、買い物に出かけていた。祖母が亡くなって死亡診断書をかかりつけ医に頼みに行った時、反対に聞かれた。「あの婆ちゃん、まだ生きとったんかね!体弱かったからとうに亡くなってたと思うとった。どうしたらそんなに長生きできたんかね?」
Kさんから高柳和枝先生の資料をもらう。「患者による医療」や「かしこくなる患者学」を更に詳しく知りたい!20th シエンタが帰ってきた(*^^)v ここ10日間、半分引きこもりをしていた。2キロ以内の用事は歩いて片付けていた。太ももに筋肉が付いたが、やっぱり左足首が、黄色信号。これで溜まっていた用事を片付けられる。と思いきや、金沢の親戚が亡くなったとの連絡がある。フ〜!明日は、はじめて行く葬儀場でのお通夜。シエンタが間に合ってよかった。というか亡くなったJさんが、間に合わせてくれたのかな?
21st オモヤのお嫁さんにお供えの果物の世話を頼んだ。反対にうちの母の葬式の香典の相場を聞かれる。親戚付き合いは難しい。オモヤは大変だと思う。この中途半端な冠婚葬祭の時代に。夕方の混雑の時間なので早めに家を出た。が、ナビの到着予想表示が家を出た時より遅くなっているのに途中で気付いた(^^ゞ 開始の1時間以上前に着いたので、喪主のFさんとも個人的に話ができた。明日のお葬式には来れないことを伝える。JさんFさん夫婦がうちのお葬式などにはいつも金沢からわざわざ来てもらったのに、すまない気がするが、仕方が無い。久しぶりに真っ暗になってからの往復2時間の運転は疲れた〜。
22nd オレンシアの間にインフルエンザの予防接種。事前の主治医の診察を受けようとした時、眩暈がして床に転んでしまった。看護師さんに起こしてもらったが、耳鼻科の受診を勧められた。この様な眩暈は、以前救急車で運ばれて、脳外科でも詳しく診てもらった時以来続いている。ひと回り上の叔母の一人が更年期の頃、眩暈に悩み、病院行脚をし、一時メニエールだと騒いでいたが、数年するとケロッと治って「ただの更年期障害やった!」とその後は元気にしている。だから私もその部類ではないかと放っておいた。生憎耳鼻科の医師は学会で休診。また出直し(^^ゞ
23rd ずっと前から行きたかった安土城へドライブした。八日市ICを降りてから、夫がナヴィの画面をいじって縮尺を大きくした。それからナヴィが狂い出した。同じ道を周回させ、またICから高速に乗れと言う。気付いた。夫が間違えて画面の自宅のアイコンを触ったので帰ろうとしていたのだ、安土城を目前にして(^^ゞ 考古博物館で城郭のビデオを見ていると、夫が叫んだ。「なんだ、この話、ついこの間の晩にNHKのテレビで詳しくやっていた城じゃないか」…夫は自分がどこへ何しにきているのか少しも分かっていなかった。24th 本来ならば地鎮祭は昨日で、今日はリウマチ友の会のフラワーアレンジ教室の世話をする予定だった。ところが建設会社の都合で今日に延びた。時間もかぶる。で、夫に地鎮祭の荷物は頼み、早めに第一地区コミュニティセンターへ行って会場の準備をしようとした。が、午後は13時からでないと開けられないと言われる(^^ゞそこを何とかと説き伏せて、会場の鍵をもらう。次は金沢から来るNさんに鍵を渡したいが、時間になっても姿が見えない。一旦施錠して帰ろうかと思い始めた頃、会えた。ほんの数分だろうが、されど数分。昨日は小松はひどい天気だったらしいが、今日は小春日和の青空の下、お諏訪さんを招いて地鎮祭。祝詞の言葉に「ひむか」というのがあるが、春に天孫降臨の地を旅行したが、あの時はまさか今年こんな事をするとは思ってもいなかった。またお諏訪さんは、31年前、私達夫婦が結婚式を挙げた所だ。宮司さんは今や老いて補佐役に回っていたがお元気そうだった。
無事終了後、テントの中で打ち合わせ。それも終わると再度第一地区コミュニティセンターへ行き、写真を撮ったり後片付けして帰る。帰宅後ホッと気が抜けた。昼食も食べそこねていたが、テンションは高い。天気が良いので、兼六園の紅葉ライトアップを見に行く。帰りに回転寿司で、夫と二人、ささやかなお祝いをする。満腹後の記憶が無い。気がつくと車は家の前に到着していた(^^ゞ25th 向いの叔母から、昨日姉が自宅の2階で眩暈と嘔吐で動けなくなり、救急車と消防車(レスキュー)を呼んで市民病院へ緊急入院したと聞いた。びっくりして病院へ行く。眩暈と吐き気を止める点滴で何とか症状は楽になっていたが、姉は青い顔をして、ベッドに寝ていた。メニエールかもしれないが専門の耳鼻科医には連休が明けないと診てもらえないそうだ。子供達の用事で京都へ行っていた義兄も日帰りしたそうだ。なんと、周囲には更年期ごろ眩暈で悩んだ人がいっぱいいた事が分かった。まだ若い従弟の嫁さんまで、結婚前になったと知った。
26th 耳鼻科受診。聴力異常なし。眼震なし。鼓膜や内耳も異常なし。ということで頚椎からきているか、耳石の動きがおかしいかで、積極的に強い薬を使って治療するほどでもないと言われ、無罪放免。午後姉の所へ行って姉の結果も聞く。姉は車椅子でトイレに連れていってもらっていた。私と同じ時間に、同じ様な検査を受けていたらしい。片方に聴力の異常があり、自覚が無い時でも医師からは眼震が観察されると言う。27th ちょっと一息つけたので、Kさんのお見舞いに行きたくなった。本好きの彼女の事だからきっと読みたい本があるに違いないと思い、メールで聞いてみた。案の定、自由に病棟から出られず、ネットもできず情報に飢えていた。病気に関する本などAmazonに注文した。本が届き次第お見舞いに行く事にした。買い物に行くと可愛い雪だるまを売っていたのでつい買ってしまった。本に添えてお見舞いに持って行こうと思ったのだが、もらって困惑するKさんの顔も思い浮かんだ(^^ゞ
28th 武田邦彦先生のHPの寿命は体力では決まらない・・・天寿を全うするとはどういうことか?を読んでいて「…孫を育てる間は女性の体が母親の代謝に似てくることがわかった。人間は子どもばかりではなく、孫を見るのは社会的に必要だからである。」という文章を目にし、長い間の疑問が解けた。明治生まれの祖母は一年おきに11人の子を産み続け、子育てに手が回らず、曾祖母が、自分の乳首を孫にくわえさせて寝かせていたそうだ。するとその内母乳が出るようになったと聞かされていたからだ。その旨と、もっと詳しく書いてある本を紹介してもらおうとメールした。なんと超多忙の先生から返事が来た。ただし「まだ整った良い本はないと思います。(論文段階)」という要点のみ。これで充分わかる!
29th 注文していたお見舞い用の本が届いた。今週ずっと捜していた書類が見つかった。先月末からこんがらがっていたキャッシュカードの問題も解決。半年以上前から立て替えているお金を、今年じゅうには返してもらえる約束を取り付けた。今日は懸案になっていた事が次々解決や結果が出て来た。たまにはこんな日もなくちゃ!
30th 金大へ。母が入院していた頃は、痛む身体を脳ミソが黙らせ、つべこべ言わずに「歩け!」と自分に言いながら長い渡り廊下を歩いていた。あの頃長いと感じた廊下が実はそうでもない事に驚いた。人間の感覚のなんといい加減なことか。癌の相談室があったところがコメダ珈琲に変わっていた。Kさんはペースメーカーをいれたばかりだ。ドイツ製の大きいヤツでちょっとした車くらいの値段がするそうだ。運転免許は自動的に返したそうだ。