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ランニングのこと
※私のモットー(星野芳美さんより頂きました)
”なにをしてきたかではなく、なにを乗り越えてきたかで決まる”
私が初マラソンで”サブ3”に挑戦するときこの言葉をメールで送ってきました。
試合にでる回数は以外に少ないです。
冬はスキー、春〜夏は調整、10〜12月レース、とにかくわがままなおとうさんです。
しかし練習は一生懸命にやっています。
◆ランニングの歴史
おとうさんのランニング記憶をたどってみました。
小学生・中学生の時、身長はクラスでいつも小さい方から3番以内(目立たなかった)
たしか、小学2年生の時、突然校内マラソン大会で学年2位になり、ランニング人生がはじまったように思う。中学に入り、今も家族付き合いをしている生涯の親友でライバルの岡田豊と出会い共に競い合いながら寺井中学・大聖寺高校と陸上部で長距離を行う。岡田豊が私のその後の人生に大きく影響した。
中学時代は先輩、仲間が強く、3年間で駅伝は中学最後の大会で第1走者のアクシデントで1回だけ2位、あとは県内の大会は全て優勝という恵まれた環境だった。
高校時代は同級生が、皆強く陸上競技の種目で、110H、高飛び、砲丸投げ、1500m、1500S、5000m、三段飛び,優勝、他は2位以下の入賞で圧倒的強さで総合優勝と言う恵まれた環境(しかし、私は召集漏れで3年間を終了)
大学時代は最初の体育の授業の1500mで3位だったので、陸上部から誘いがあったが、ことわり結局、4年間アルバイトとパチンコ人生だった。
社会人になりタバコをはじめランニングとは全く無縁の生活を送る。
40才の時、子供達が親離れをして遊んでくれなくなったので高校以来、22年ぶりに走りはじめる。
人の紹介で出かけた物見山競技場で”辰口クラブ,寺井クラブ”の人達と知り合いランニングに目覚める。
物見山競技場の暖かく・厳しい雰囲気が私を強くしてくれた(1年間で11kgやせた)
現在、クラブの仲間と駅伝、ロードレースに参加してランニングを楽しむ
46才から1000mで3分がカットが出来ず、スピードの衰えを痛感し、ハーフ、フルマラソンへの転身を考えた。