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尾小屋史 |
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山神様(通称さんじんさん)より鉱山総合事務所、尾小屋上村を望む 昭和30年12月 |

西尾村時代の尾小屋絵図面(西尾村史より抜粋)
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昭和43年頃、製錬所の火が消えて7年、 平成16年頃、かってのはげ山に緑が甦った
草木は全く生えていない
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昭和31年9月30日の小松市編入と共に小松市尾小屋町となり、尾小屋町、尾小屋町二ッ屋、尾小屋町長原、尾小屋町長原社宅、尾小屋町社前社宅、尾小屋町阿手坂社宅に分かれ、倉谷社宅、倉谷大曲社宅、倉谷小曲社宅を合して、倉谷町として独立、当時全体で3015人いた人口が昭和37年の鉱山閉山で社宅は消滅、人口流出が進み、尾小屋町、尾小屋町二ッ屋、尾小屋町長原のみとなり平成24年現在、57人と約1/50に減少した。高齢者が多く平均年齢57.7歳、高齢化率47.3%と限界集落[注]に一歩一歩確実に近づいています。そんな尾小屋町を故郷に持つ者として何らかの形で残したいとの思いから昭和33年発行の西尾村史、新聞記事を纏め、ホームページを立ち上げた次第です。尾小屋の情報ならどんなことでも結構ですのでお寄せ頂ければ嬉しく思います。
尾小屋町が消滅することがないよう願わずにはいられません。
“寂びれいく故郷尾小屋 されど故郷尾小屋です”
平成24年2月10日
尾小屋町 周辺地図 電話番号一覧
注 限界集落
65歳以上の高齢者が人口比率で住民の50%(高齢化率)を超えた集落のことを指し、このような状態となった集落では生活道路の管理、冠婚葬祭など、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされており、共同体として生きていくための「限界」として表現されています。
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