第 4 日 (Tue.10/01)

西安紫金山酒店→咸陽西安空港→上海虹橋空港→南風楼(泊)


西安紫金山酒店 6時半に起きて荷造りした。忘れ物がないか
何度も確かめた。スリにあって忘れ物までしたとなると、
もう救いようがないから。7時半にはチェックアウトを済ませて
ホテルの韓さんが手配してくれる、空港までのタクシーを待った。
夫は昨日、韓さんに電話で予約の確認をしていた。
しかし、玄関には客待ちのタクシーはいるものの、予約したタクシーは
いない。フロントに韓さんはどこだと聞くと、「あそこ」と指差すのだが、
そこら辺りにいるホテルマンに「韓さんですか?」と聞くと違うと言う。
「韓さんはどこ?」と聞くと「知らない。」と答える。
オ〜イ、またかよ、トンチンカンホテル!時間が無駄に過ぎる。
夫がホテルの駐車場で、やっとそのタクシーを見つけた。
昨日ぼったくられそうになった、あのペパーミントグリーンの
タクシー会社の車だった。乗る前にもう一度値段を確認して乗った。

タクシーは無駄にした時間を取り戻すように快調に走った。
途中で運転手が窓を開けた。風を入れるのかなと思ったら、
夫が運転席の後にいた私を引き寄せ、顔を手で覆った。
運転手が「ガーッ、ペッ!」と特大の唾を外に向かって吐いた。
う〜、なんでそんなバッチい事するの?後の車にまで掛かるだろうに!
あまりの気持ち悪さに、私の身体はこわばってしまった。


咸陽西安空港 今回は10:05発のCA1215。窓側席ゲット!
2階のセキュリティーチェックで、私のバッグの中の
アーミーナイフが引っかかった!しまった!
スーツケースに入れ替ておくのを忘れた!

がっしりした体つきの係官がアーミーナイフを取り上げて、
何か中国語で言ってるのだが分からない。返してもらえないのかな?
メモを出して書いてもらう。夫が意味を悟った。
「階下の預けた荷物の中へ入れてこい。」ということらしい。
夫はナイフを受け取ると、係官の指差すドアから出て行った。

しばらくして夫は戻ってくると、「さぁ、これで問題無しだ。」と言った。
が、そうではなかった。搭乗案内があるまで、私達は、
自分たちが乗る飛行機を眺めて待つことにした。飛行機の腹に
荷物のコンテナを詰め込んだり、数人の清掃員が道具を持って
飛行機に乗り込むのが見えた。カメラをズ−ムで構えていた夫が、
「何か様子が変やぞ!」と言い始めた。
飛行機の前輪の根本を開けて覗いていた整備士が、更に
脚立を高くして上に登った。自転車に乗った作業員が軍手や
道具箱を運んで来た。夫が「小さな部品がバラバラ下に落ちてきたぞ。」
と言った。脚立の周りに作業服を着た人や、他の制服を着た人等が
集まってきて、何度も車輪の根本を覗いて熱心に話し出した。
いつの間にか、コンテナを積んでいた作業員が、積むのを止めて
リフトの上で休憩していた。更にパイロットの制服を着た二人が来て、
整備士に説明した。年かさのパイロットが、肩幅くらいに両手を広げ、
その手をガタガタ揺さぶった!
夫は彼の動作にアテレコするように
「飛行中に異常があって、機体がガタガタ揺れたのです。」と言った。

他の便の搭乗案内が順調に進む中で、この便だけはしびれを切らせた
乗客達が長い列を作って待っているのに、何の案内も無かった。
出発時刻はもうとっくに過ぎていたが、何の説明も無かった。
乗客の荷物のコンテナが、まだ機体の外で放って置かれていた。私が、
「いい加減、議論するの止めて、他の安全な機体に変更して〜。」と言うと
夫は、読唇術でも出来るかのように、彼らの様子をじっと見続けて
「いや〜、どうしてもこの機体を飛ばす気やぞ。」と言った。
コンテナを積む作業がまた始まった。そしてやっと搭乗案内が聞こえた。
しかし、このワケ有りの機体に乗っていくのかと思うと、心配になる。
私達は重い腰を上げて、搭乗口の列に付いた。
夫は迎えの運転手の孫さんに電話をし、上海到着が遅れる事を伝えた。
孫さんはもう1時間前から空港に着いてるそうだ。

私達の席の前に、中年西洋人カップルが座っていた。彼らの席は
丁度、非常口の横で、そこだけ座席の間隔が広く、足を投げ出して座れた。
彼らの友人達が通るたび、「アラ、その席広くていいわね。」と声を掛けた。
すると奥さんは、Vサインを出して「ラッキー!」とはしゃいでいた。
私の夫は、「わたしゃアンラッキーだよ!アンタのワキガが臭って来て
たまらんわ!」
とかなり大きな声で言った。私は思わず周りを見回した。
中学生くらいの男子の団体と中年達、みんな西洋人ばかりで
日本語が分かりそうな顔が見えずホッとした。
こんなに遅れたのに「ごめんなさい」の一言の挨拶もなく、飛び立った。
やっぱり中国だ!

飛行は順調だったが、上海虹橋空港に着陸するときになって、
あの機体整備士達の深刻な顔を思い出した。
夫が「前輪が地面に着いたとたんにボキッといかんやろうな。」と
滅相もないことを言った。機体は何事もなくふわりと上手に着陸した。
西洋人の中学生達が一斉に拍手した。え?ふざけ合っていたこの子達も、
何か不安を感じていたのかな?

空港では孫さんが待っていた。5月の時もお世話になった運転手だ。
「また宜しくお願いします。」と日本語で言って頭を下げている間に、
もう彼は、駐車場に向かって歩き出していた。待ちくだびれただろうな。
車が走り出すと、孫さんは「西安はどうだったか?」とか「兵馬俑は見た?」
とか色々話しかけてきた。私が彼の中国語に答えると、夫は
「わしが分からないのに、何でお前が孫さんの言うことが分かるんだ?」と
ムキになって言った。そりゃ、私だって日本でしこしこ中国語を
独学しているよ。西安の地名も一通り中国語の発音に目を通してきたもの。
「わしの中国語のライバルは、会社の日本人とかじゃなくて、お前や!
お前だけには中国語で負けられん!」
と言い、それからは暇さえあれば、
バッグから中国語のテキストを出してきて、分からない単語を調べ出した。

ヤレヤレ、全く勝手なものである。数年前、私が初めて中国語を
勉強しようとした時、夫はあからさまに中国語をけなしていた。
「そんなもの勉強して何になるんや?」とか、私がNHKの『ラジオ中国語講座』を
聞いていると、「これ聞くと頭が痛くなってくる。」と隣の部屋からでもわざわざ
ブチッとスイッチを切りにきた!ドライブの時に、子供と中国語で
「♪一(イー)、二(アル)、三(サン)、四(スー)・・・」や「♪草原情歌」を
歌っていると、「お前ら車から降りろ〜!」と言った。
それが、この思いもよらない中国転勤で、夫は「毎日が中国語講座」だ。
ざま〜みろである。私に意地悪した『天罰』である。
 
BUICKは黄金の稲穂がなびく中を走って行った。西安の乾いた景色と違い
しっとりと豊潤な感じがした。この道は初めて通るのに、懐かしささえ感じる。
そうだ、ついひと月前、私の家の周りに広がっていた田んぼの景色なのだ。
点在する民家の形は違うけれど、刈り入れを待つ稲穂の波は、
人の土地への愛着と、豊かな実りを約束した平和な風景だった。

フェリー乗り場に近づくと徐々に混みだしてきて、遂に車は完全に止まった。
この時はまだ私達も余裕があった。夫は「(乗れるまで)どのくらいかかるかな?」
孫さんは「1時間くらいかな?」と予想していた。そして、無理矢理道路ぎわの畑に
右車輪を落としながらねじ込んでくる車にも「馬鹿だな〜、そこまでしなくても。」
と言いながら眺めていた。孫さんなんて、ねじ込む車が他の車を擦らないか
見てやっていたくらいだ。それが1時間経っても、車は20メートルくらいしか
進まない。2、3台前方で車がドンとぶつかる音がした。割り込んでいった車が
追突したようだ。野次馬がわらわらと寄っていき、公安も来た。大したことはなく
しばらくして野次馬も散ったが、相当苛立った空気が漂っていた。

4列に渋滞している車に、地元の人が、生の砂糖黍や茹でた菱の実を売りに来る。
それをいちいち断っているのが面倒なので、初めはドアも窓も閉めていたが
孫さんがエンジンを止めて散歩に出かけてしまったので、密閉された
車内は蒸し風呂になってきた。両側のスライドドアを開けて風を入れた。
生ぬるい風がゴミの臭いと共に入ってきた。日没を船上で見られるかもと
のんびり構えていたのが、乗り場までまだ2q位以上あるのに、日はぐっと
傾いてしまった。傾いた日差しが、隣の荷台の空っぽの鶏のゲージをすり抜けて
車内にも差し込んできた。ケ−ジの所々に羽が引っかかっていた。
1つのゲージにだけ、押しつぶされたように鶏が入っていた。「死んでるんか?」と
じっと見ているとかすかに頭を動かした。おまえだけ何で売れ残ったのかね〜?

車内で退屈になってきたので外へ出た。外は砂糖黍と菱の実の皮が
散乱していた。道端に座って菱の実の固い皮をぺっぺぺっぺ吐き散らしながら
食べてる中国人の姿は、見ていて気持ち良いものではない。トイレに行った。
オー、中国式オープントイレ!奥へ行くほど川下だと分かったので
入り口に近い川上から二つ目の区画で用を足した。前回の旅の時よりも
このトイレの使い方に慣れた。人目もあまり気にならなくなった。
だって、みんなここへは同じ目的で来てるのだもの。
水で顔を洗って少しスッキリした。売店で冷たいコーラを買った。室温のコーラより
少し高い。日本のコンビニで、「熱い」のか「冷たい」のしかないのを
中国人達はどう思っているのだろう?

たそがれた頃、だいぶ近づいては来たが、まだ乗り場まで1q弱ある。
孫さんは何台か後の車の女の人の所へ行って、熱心に話し込んでいた。
前の車が前進した。が、運転手がいないのでBUICKは前進できない。
後の車がクラクションを鳴らして、パッシングした。孫さんは気付かず
女の人とデレデレ話をしている。夫が、「アイツの女好きには困ったもんだ。」
と言い、大きく手を打って「オーイ!」と叫んだ。孫さんはやっと気付いて
こっちに来た。そして「メイガンシー(没関系)!」を繰り返した。
出たーっ!中国人の便利な決まり文句『没関系!』(ダイジョブだ〜!)

日がとっぷり暮れてやっとフェリーに乗れた。船の2階に上がって長江の川風に
吹かれた。待ってる間に身体に溜まった熱やゴミの臭いやイライラが、
一気に吹き流された。24時間休み無くフェリーは
運航しており、10分経たない間に次のフェリーが来るのだが、
今日から国慶節の休みが始まった。上海に働きに出ている人達が
故郷に帰るので、お土産を積んだ満員のバスや車が殺到したようだ。
夫はこんなに待たされたのは初めてだと言った。
30分あまりで長江を渡り、南通の港に着いた。

南通の港で、上海行きの船を待つ車は驚くほど少なかった。
夫の会社の側を通るルートで南風楼へ向かった。5月に来たときよりも
周辺に建物が増えていた。

南風楼 一時は今日中に着かないのではと思ったが、やっと到着した。
今回の部屋は4階である。夫と鍵を持った守衛と共に4階に上がる。
登りやすい階段ではあるが、4階までは結構キツイ。3階くらいで
足はもう「4階に着いた」と勘違いしている。今回の旅は、大雁塔・小雁塔
そして南風楼と階段続きである。守衛が鍵束の鍵をあれこれ試すが
どれも開かない。守衛と夫は違う鍵束を取りに下へ降り、私はスーツケースに
腰を掛けて部屋の前で待った。今日はホントに良く待たされた日だ。

日本人社員Sさんが、鍵束を持って開けに来てくれた。女の赤ちゃんを抱いた
奥さんも挨拶に来た。彼女等も今日南風楼に着いたのだそうだ。
「長江渡るのに待たされませんでしたか?」と尋ねた。「はい、1時間ほど。」
の答えに「え?たったそれだけ?私達3時間半だよ!」と威張って言った。
後で夫に聞いたのだが、Sさんは中国語が堪能で、中国の事情にも詳しく
中国が大好きで、中国赴任を希望して今年の夏から来たのだそうだ。
ふーむ、私は「大好き」とは言えないな。財布もすられたことだし・・・・。

その間夫は、隣接の4階にある自分の部屋から、ここで必要な食料や
道具類を運ぶために往復していた。間に連絡橋が無いので、いちいち
一旦地べたまで降りて、また4階まで上がらなくてはならない。
まるで運動部のトレ−ニングである。寒気がすると言っていたのに、
2回往復したらもう汗びっしょりだった。・・・ご苦労さん! 

近所のスーパーへ飲料水を買いに行った。ついでに缶ビールを買った。
1本3元(45円)〜5元(75円)である。あの西安のホテルの缶ビールを思うと
笑い出しそうな価格差である。よくあんな高いビールを飲んできたものだと
感心するくらいだ。夫はお米が欲しいと言ったが、ここには加工食品と
日用品しか売っていなかった。明日デパートで探してみることにした。

お腹が減って死にそうである。南風楼の向かいに新しくできた
日本料理「稲川」の支店へ行った。掘り炬燵風の畳の個室があった。夫は、
「ここは高いから頻繁に来れないけれど、今日は思い切り食べるぞ〜。」
と次々注文した。★青島ビールとアサヒビール★春菊のお浸し★イカの姿焼き
★ニンニクの串焼き★マグロとシーチキンのお寿司★串焼きのセット
サービスの枝豆と果物もあったっけ。全然中国じゃない気分。

ビールを飲んだ後に、南風楼の4階まで上がってくると、一気に
酔いが回った。ソファに倒れこんでしばらく寝ないことには
起きあがれなかった。夫が「蚊がおる〜!」とか何か騒いで
また蚊取り器を取りに階段を往復していたようだが、わたしゃ
 没関系〜!(かまわないよ〜)


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