第 5 日 (Wed.10/02)
南通市探検(電視塔・鐘楼広場・天寧禅寺・文峰大世界・市場・夜景)
南風楼(泊)
南風楼 朝、4階の窓から外を眺める。街の人達はもうとっくに起き出して
生活を始めていた。夫も洗濯機を回している。また今朝も、自室まで
往復してきたのだそうだ。何回行っても何かを忘れてくるのだと言う。
どうしてメモしていかないのだろう?リウマチの私は少しでも体力を節約しよう、
やるときはまとめてやろうとするが、太り気味の夫は、階段を上り下りして
エネルギーを消費するのが楽しいみたいだ。放っておこう。
夫が冷凍保存してあったご飯を解凍し、日本のインスタントラーメン1袋を
分けておつゆ代わりに。漬け物や果物、ヨーグルトなどで朝食を済ませた。
南通市の地図を広げて、私がネットで調べて行こうと思った場所を説明した。
大まかなルートを組み立て、ペットボトルに水を詰めて階下に降りた。
で、夫が160元で買ったという自転車にご対面!3月に買ったばかりなのに
もう錆び付いていた。自転車置き場の4台の中で一番みすぼらしい。
ところがコイツが頼もしいヤツだった。この先3日間、私達(合計105s)を
乗せ、南通市の狭い道を縦横に走り、好きな所へ連れて行ってくれた。
日本では、高校生ならいざ知らず、私達みたいな中年夫婦が
自転車の二人乗りをしていたら、ありゃ何だ?と振り向かれるのがオチだ。
お巡りさんに見つかれば「いい大人が何をしているのか!」と叱られるだろう。
しかし南通市なら平気である。少しも目立たない。夫婦と赤ちゃんの3人乗り
までいる。また雨の日でも、小さな子供が濡れずに荷台に乗せられるよう、
ビニールの覆いを付けている自転車もあった。あんな覆いが欲しかったな。
うちの子供達が小さくて、まだ私用の車がなかった頃に。
自転車で街を走るのは楽しい。音やにおいが直接身体に入ってくる!
5月に来たときには、古い家屋を壊して拡張工事をしていた道が
花壇のある歩道付きのスマートな道に変身していた。ただし、
公衆トイレは汲み取り式で、丁度桶と柄杓でくみ取りの真っ最中だった!!
電視塔 お堀の西側に立つランドマークだ。10元でチケットを買った。
「南通電視台」と胡耀邦の揮毫した文字のチケットに添えて、
「登塔記念」にビニールカバーのアドレス帳をくれた。
エレベーターにはエレベーターガールが乗っていた。が、日本の
デパートなどのエレベーターガールとはエライ違いなのだ。
年は若いのだが、学生が休日に家でゴロゴロしているような格好で、
エレベーターの中で、すすけた腰掛に座って暇をもてあましていた。
私達が乗るとヨイショと立ち上がってボタンを押した。当然、
笑顔も挨拶も無し。「仕事なんて楽しくない」と顔に書いてあるみたいだった。
展望台からは360度の眺めがあった。南には、春に来たとき登った狼山。
その向こうから西かけて長江。東のお堀の内側をみれば
小さな屋根がびっしりの古い街並みが並び、対比して近代的なアパートも
ドミノのように立ち並んでいた。地上で見るよりずっと大きな街だと
初めて知った。夫も、塔は下から見上げてばかりで登ったのは初めてだ。
先客の中国人が何人かいた。そしてお定まりに、ミカンの皮だの
空になったジュースのペットなどが、テーブルの上に置いていかれた!
鐘楼広場 お昼ご飯をケンタッキーで買い、鐘楼広場で食べることにした。
ケンタッキーは混んでいて行列が出来ていた。夫が列に付いている間に
デジカメで店の様子を撮っていたところ、店員が来てキツイ顔で何か言った。
こんな時、言葉が通じないのは却って気楽な時もある。連れが買うのを
待っているのだとジェスチャーしたら、「あ、そう」という顔して行ってしまった!
それを見ていた隣の中国人が、私のカメラに興味を示し「いくらした?どこで買った?」
と質問してきた。そして私の変形した手を見て「どうしたのか?」と聞いてきた。
その奥さんまで来て、私の手を指差した。ヤレヤレ。リウマチをどうやって説明しよう?
言葉の通じる日本人を相手にしても、リウマチは誤解されるのに!夫が来て
「ビン(病)。」と一言でかたづけた。ここで、ハッとした。リウマチを説明する
中国語を一言も持ち合わせていないことに気付いた。
中国人の好奇心にも驚かされた。日本ではよほど親しくならないと
私の変形のことを話題にしてこない。初対面の人は、たいてい見ない振りして
チラチラしつこく見るけど、決して面と向かっては質問しない。
こういうストレ−トな質問のされ方は、妙に心地よかった。
鐘楼広場は、家族連れやカップル達が憩っていた。私達も腰掛けて
「中国のケンタッキーもおいしいや。」と頬張った。3歳くらいの男の子が遊んでいた。
夫が、手を付けていないフライドポテトを差し出して、日本語で「あげるよ。」
と言った。男の子は怪訝な顔をしてポテトと夫の顔を見比べていた。「ゲイ(給)。」
と中国語で言ったが、横から母親が「いらない。」と意思を表示した。夫は残念そうに
「買いすぎたから食べて欲しいのに、お金はいらないからあげると言っとるのに。」
とブツブツ日本語で言った。通じないね、言葉も気持ちも!
天寧禅寺 地図に載っている小路が分からなくてピンクの中学校の周りを
何度もウロウロした。やっと見つけた道は、人一人がやっと通れる細い道だ。
低い屋根と壁に囲まれた空間は、清の時代の映画のようだった。
お寺は「国慶」の赤い提灯を下げて、お祭りだった。門前にお供えの線香や
金銀の折り紙で作った飾りが売られていた。読経の声と線香の香りがした。
境内に場違いな、夫の携帯の音が鳴った。会社からだった。
会社は今日も仕事をしているそうだ。注文を納期に間に合わせるため
フル稼働だという。中国に圧されて生産縮小を余儀なくされている日本の会社を思う。
日本の産業に活気が戻るのはいつだろう?「少しは日本にも仕事を回してよね!」
日本の仏画よりはるかに艶やかな仏像達に祈る。
五重の塔「光孝塔」は工事中だった。鍵が掛かっていて塔の上には登れなかった。
文峰大世界 南通市一番のデパートである。ここへは5月にも一度来た。
相変わらず混んでいる。食料品売り場でお米を探した。店員に、夫が声調無視の
中国語「ミーファン」と言って売り場を尋ねた。店員が案内したのは「米粉」と書いた
袋入りがある場所だった!米の粉をお湯で溶いて飲むものらしい。私が正しい声調で
「ミーファン!」と言うと店員は「ミーファン!ミーファン!」と言って、語学の先生みたいに
夫が正しいミーファンを言えるまで何度も繰り返した。が、連れて行ってくれた所は
冷凍のチャーハンやピラフを売っているコーナーだった!こりゃだめだ。
あきらめかけた時、15s入りのビニールの米袋を自力で見つけた。
で、また店員を呼びに行き、小分けして売ってくれないかと頼んだがダメだった。
米が主食なのに米屋は見かけない。みんなどこで米を買っているのだろう?
ここで自分用のお土産に中国式二段重ねの弁当箱を買った。
市場 帰りに近所の市場へ寄った。なんとあれほど探していた米を売っていた。
道際に米袋の口を開けて置いてある。中身を確かめてから、量り売りしてもらった。
ついでに扁平な桃・大粒の棗・ざくろなど、日本のスーパーでは
お目にかかれない物を買ってきた。
夜は中国人Lさん夫婦と「火鍋」を食べに出かけた。辛いスープと白濁したスープの
2種類の鍋が、1つのお鍋で食べられる優れものである。帰国後見た中国映画に
この鍋が大写しに出てきて、この時の味や臭いが甦って、涎が出そうになった。
豚肉・羊肉・鴨水(鴨の血を固めた物)・香菜・人参・じゃが芋・湯葉・豆腐・エノキ
などスープで煮て、ごま油や黒酢を付けて食べる。身体に元気が沸いてくる!
夜景 腹ごなしに夜の街を歩いて回ることにした。昼間歩いたときには
全然気が付かなかったが、街の至る所にライトアップの仕掛けがしてあった。
特に「三元橋」が美しい。半円形の橋桁が堀の水面に映って円になる。
水位によって長円になったり木の葉型に見えるらしい。今夜は真円に近い。
新しく作られたというお堀端のリリーフを見に行った。昔の南通市の様子や
発展に尽くした地元の名士達が彫られ、ライトアップされていた。
「Lさん!南通市をもっと発展させて、ここに彫ってもらおうよ。」と言うと
Lさんは、はにかんで「もう(彫る)場所が無いよ。」と言った。
南通博物館もライトアップされ、このお堀端の通りは上海の外灘を
思い起こさせた。私達は「小外灘」と名付けた。
環西文化広場の近くで公衆トイレに入った。トイレは混んでいた。2列に並んで
Lさんの奥さんと列に付く。トイレは2つで、ドアがあり、しゃがめば隠れるが
立ち上がると肩から上が丸見えタイプだった。しゃがめない私は、
天の橋立股覗きスタイルである。どうにか隠れるかな?やっと中国式トイレに
慣れたと思っていたのに、知ってる人の隣でこのトイレを使うには、気合いが
必要だった。私の番が来た。ドアの中は、床がゴミ箱からあふれた使用済みの
ティッシュペーパーで占拠されていた。え?どこに足を置けばいいんだ?
と躊躇していると、目の前に紙バサミが現れた。管理人は紙バサミで私を止め、
自分が個室にはいると床のティッシュペーパーを挟んで次々ゴミ箱に押し込んだ。
そして、さぁ入れと紙バサミで私に合図した。入りますとも、待たされたんだから!
用を足して広場に出ると、人垣が出来ていた。酒を飲んでのケンカらしい。
人垣の中に、公安の制帽が二つ見えた。ヤレヤレ、中国の公安も大変だ。
広場の床には色付きのライトをはめ込んであり、まるで舞台のようだった。
今年、この広場に一番人気の男性歌手が来て、野外コンサートが開かれたそうだ。
鐘楼のライトアップも見たかったのに、10時を過ぎて明かりは消えてしまっていた。
また来よう!鐘楼広場でLさん夫妻と別れ、タクシーで帰った。
第6日へつづく 戻る 「続ニイハォ
中国!」の表紙へ ホームへ