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1st 今夜から始まる国際交流室の中国語講座に行く。久しぶりで会ったHさんが赤ん坊を抱いて受付をしていたので、「孫?」と突っ込んでみる。そんなわけないよね(^_^;) 参加者は年輩の男性が多い。例の如く、発音と四声から始まる。せっかくのネイティブの講師なので質問してみた。「私は中国のレストランで”米飯(ごはん)”を注文しても、一回で通じたことはないのですが、私の発音は間違っていますか?」彼は「それで良いです。私ならすぐに米飯を出しますよ。」と言った。好!次に中国へ行ったら自信を持って言ってやろう!
2nd 暑い〜!これが当たり前なんだけど、ずっと涼しかったので、体が付いていかない。夕飯を作るのも食べるのもおっくうな気分。で、景気づけにサザエのお刺身と缶ビールを買ってきた。残り物を春巻きの皮に包んで揚げ、冷房をかけておいた部屋に飛び込んで夕食にした。サザエの刺身を中国の夫に写メールして送る。刺身にありつけない夫から「残酷だ〜」と悲鳴の様な返事が来た。
3rd 夕食の準備をしているときMさんから電話があった。Fさんの家が未明に全焼してしまったのだそうだ。何も持ち出せずに着の身着のまま逃げて、家族は全員無事だったそうだ。母親クラブとしてお見舞いをしようとのこと。了解。生産組合の集金の人が来た。小銭を探しながら、そばにいた娘に、「コンロの火を消して。」と頼む。「消してあったよ。」と娘。そっか、無意識で消してたんだ。
4th 母と娘のパスポートを取りに行くついでに、ココスで少し遅い母の誕生祝いを兼ねてランチを食べる。丁度、Tさんが料理を運んできて、Fさんちの火事の話になる。
Fさんのお見舞いを預けるためCさんのとこへ寄り、それから現場を見に行った。トラックが真っ黒な残骸を運んでいた。動かすとまだ木の間から煙が上がってきた。Fさんが作業を見ていた。家族はバラバラに親戚に身を寄せているとのこと。新しく家と仕事場を立て替えようにも、色々法律があって難しいとのこと。それでもFさんはたくましい。「消防士の弟から言われたわ。夏で良かったんな〜って。冬やとこんなシャツ一枚で外にウロウロしておられんからね。」
5th 柿の木にエラが発生!殺虫剤を買ってきて、エラをめがけて噴霧した。殺虫剤がかかっても、しばらくエラは必死で葉にしがみついている。が、やがて泡を吹いてボトリと落ちてくる。高いところはスプレー缶が届かないので、竹の先で葉をこすって落とした。これがなかなか落ちなくて、エラとの戦いとなった。今、話題になっている十代の子供の問題について思う。猟の本能が抑圧されているんじゃないだろうか。
6th 息子と共に金沢のリファーレまでパスポートを取りに行く。用事は10分で済み、駐車料金ゼロ。あ〜この10分間のために、息子は5時間かけて帰ってきた。昨夜は大阪へ鬼束ちひろのコンサートに行き、ろくに寝て無いと言う。途中で目が充血して片目で運転しだした。それでも運転を替わるとは言わない!やっとビザの申請をする。ニュースによると、来月からは15日以内の観光ならビザ無しで行けるようになるとか。 ったくも〜、もうちょっと早ければ!
夜は焼き肉にする。娘も私も久しぶりの牛タンだ。息子もご飯をお代わりして食べてる。
7th 暑いが頑張って薬草教室へ行くと、Yさん達が事務室で「先生が来られていない。」と騒いでいた。電話が繋がらず、結局今回も教室は流れた。で、持って行った菊花茶をYさんや事務室の人にも、人数が少ないので3袋ずつくらい分けてくる。とても珍しがられる。帰り道、車に乗った息子が「釣りに行ってくる!」と大声で叫んですれ違った。あいつめ、草刈りもしないで食えもせん魚を釣りに行きやがって!後で分かったが、この時刻には36.2℃を記録していたらしい。
8th 息子は今日が締め切りのレポートの提出があるから、昨日帰ると言っていたのに、友人にメイルで送ってプリントアウトして提出してもらった。先日娘がやったのと同じ手だ。ヤレヤレ。で、夕方小雨が降り出したので、釣りに行ってる息子に中国語教室まで送迎してくれないかとメイルすると、拒否の返事が来た。泣きべその顔文字の返事を送ると、しゃぁないなという感じで、少し遅れたが送ってくれた。
9th 午前1時すぎ、台風に突っ込むように、息子は下宿に向かって発った。「山越えはするなよ、海際は走るな。」とつい口を出し、「一体どこを走ればいいんや。」と逆切れされる。6時頃には無事に着いたと連絡がある。テレビで台風の位置を確認すると、今、まさに石川県にいるはずなのだが、曇っているだけで風も雨も無し。夜、公民館の掃除に行くと、この事が話題になって盛り上がった。昨夜、台風に警戒するよう有線放送までかかったのに拍子抜けしてしまい、「な〜んも台風来てくれんでさびしかったわ〜。」と言う人までいた。それをみんなで笑っていられる幸せを思う。
10th 朝起きて、いつもの習慣で新聞を取りに行き、新聞が無いことでドキッとする。配達忘れ?盗まれた?・・・あ、そっか新聞は休みだったと気づくまで、だいぶん時間がかかった。そして、悪いことを最初に考えてしまう自分に苦笑する。昼食はスパゲティにする。何も考えずに一袋を放り込んで茹でていた。娘に、「二人分にしちゃ多くない?」と指摘される。いいんだよ、残れば冷凍しとくから。暑い目に遭うのはなるべく避けたいもの。
11th 通院。前回のCRPが何と7.6。「そんなはず無いですよ。そりゃ痛いことは痛いけど、座薬を入れなくても何とかやってるし、炎症がそんなに強いとは思えないです。」と言う。前に何度か膀胱炎になったことがあるので検査してもらったが、シロだった。中国へ行くのでひと月分の薬をもらってくる予定をしていたが、今日採血をして、来週もう一度診察を受けることにした。処方箋が出るまでの間に買い物に行き、薬局で、処方箋を病院へ取りに行ってる間、食料品を預かってもらった。
12th 今日こそパソコンにSCSIカードをセットし、スキャナーをを使って「曲水」を制作しなければ・・・。が、5月にパソコンを直したとき、外してどこに仕舞ったのか思い出せない。あちこち半日探し回って、あきらめかけた時、娘に「あんた知らな〜い?」と聞いてみた。娘はパソコンの周りを見回し、スキャナーから垂れ下がっていたコードの先を指して、「これじゃないの?」と言った。おー!そう、それよ!思い出した。下手に仕舞うと分からなくなるので、付けたままにしとこうと思ったんだっけ!
13th 町内の役員さんがお墓の調査に来た。無縁仏を整理し、新しく墓地を求める人に供給するためだ。夕方、家族と墓参りに行く。墓地が整理され、新しい墓も増えている。小さい頃は、無常堂(焼き場)があったり、木が茂って鬱蒼として不気味だったのが、嘘のように見晴らしの良い場所になっている。ちょっと物足りない気もする。夜はガス会社のナトリウム灯が煌々と灯るから、オチオチ寝ていられないんじゃないかと思うくらいだ。
14th 中国行きのプラン、夫の会社の人が「如皋」を案内してくれることになった。実は前から長江を渡らずに、江蘇省の北へ行きたかったのだが、どうやっていけばいいのか分からず、言い出せなかったのだ。南通滞在の3日間の予定が決まる。あと上海での1日半は、行ったとこ勝負とする。どうなることやら・・・。
15th 姉家族と共に「珍龍」で食事。「中国へ行く前なのに中華料理でいいの?」と言われたけど、「珍龍」の中華料理は何度食べてもおいしい。久し振りにレバニラ炒めを食べて満足する。娘は通学に時間がかかると嘆いていたが、甥は更に長く2時間半かかると聞いて、少し思い直したようだ。義兄は本社に転勤となりスリムになっていた。食事の後、姪のトランプと花札につき合う。姉と姪は合算で±ゼロ。うちは娘が主に稼いで+310円を、負けたばあちゃんからもらう。
16th 娘は夕方からクラス会があるというので、午後早くにお墓参りに行った。ボチボチ人は居たが、今まで疑問を持たなかった夕方の墓参りの意味が、今日、身に沁みて分かった。日が高いうちは暑くて、じっくりお参りする気になれないのだ。お花もげんなりしおれて見えた。母まで早く済ませたいらしく、いつも回るルートを飛ばしそうになった。おいおい、ちゃんと送っておかないと、また家まで付いて来られてしまう。
近くの小さな本屋で「曲水」の下書きのコピーをする。本屋のおばちゃんが、「あんた久し振り〜!」と出てきて、ご丁寧にもコピーをやってくれるのはいいのだが、ものすごくのろい!おまけに「おっかさん、元気か〜?」と世間話しながらなので、更にのろい!今はスローがトレンドなのだと言い聞かせる。
17th 昨日コピーしてきたヤツの製本を娘に手伝わせる。終わった頃、娘に言われる。「オカーはのろいから、一人でやってたらまだまだ終わらんよ。」
夕方、魚屋で鮎を買おうとした。2匹で良かったのだが、「もうおしまいだから残りの1匹も買って、安くしとくから。」と言われて買った。息子が明日の未明に帰ると言って来た。飴炊きにした3匹の鮎を写メールし、冷蔵庫に入れとくから帰宅したら食べるよう伝える。息子は午前4時、雨の中を帰ってきた。
18th 金沢で友の会役員会議。お昼は「海鮮巻き」でとてもおいしかった!残ったのまでもらって来てしまった。今年から温泉療養は六翆苑ではない。県が認めたバリアフリーホテルで障害手帳で受けられる補助券を利用する形になる。これまで友の会が一括していた補助券の申請などを、個人が行い、持参した人には参加費から差し引く形になる。これをどういう文章で曲水に載せるか?一番頭が痛い。
中国行きのチケット一式受け取る。さて、こっちの準備に重点置かなきゃ。
19th 主治医ではなかったが、薬が尽きたので通院。そらみたことか!である。先週の受診で、前回のCRP値が高かったが、先週の採血では2.2と普段馴染みの数値となった。私「誤差なんですか?」、医師「いや、やはり一時的に病状の悪化があったんでしょう。」 へぇ〜へぇ〜へぇ〜くらいの「トリビアの泉」だ。こんなに短期でも如実にCRPに反映されるんだ。
息子が海釣りに行って、釣果があったと携帯してきた。お刺身用に青紫蘇を摘んで待っていたが、豆鯵だった。息子は、一寝入りしてから真夜中に料理をしだした。私も揚げたてをつまませてもらう。うまいね〜。半分を南蛮漬けにしていたようだ。
20th 昨日、刺身を食いはぐれたので、夕暮れ時をねらって、100円引きの茶バチメと赤いかの刺身を買ってきた。それを食べながら娘が言った。「茶色じゃないのは『バチメ』と言うんか?」息子と私はドッと崩れた。どうも娘の名前に対する認識が、小さい頃からイマイチずれているので心配になる。小学生の頃、牛肉や豚肉の他に、「普通のお肉」という、動物の物ではない別物があると思い込んでいた。そしてついこの間、「普通の葡萄」に「デラウエァ」とちゃんと名前があること知って驚いていた。そして更に、自分以外の人がそれを当然のこととして知っているので、なおビックリしていた。
21st 今日は何回も「え〜っとやらなきゃいけないこと、なんだっけ?」と呟く。メモしたリストを次々消していく。午後に叔母が大きな西瓜を三分の一に切ったのを持ってきたが、今冷蔵庫の中身を空っぽにするのでいらないと断った。まだ葡萄が冷蔵庫に居座っている。夕飯は下手に作ると残るので外食。夜、夫に電話すると出張で上海にいた。え?上海でお迎えしてくれるの?まさか、私たちが南通に着いても、夫がまだ上海にいるなんて事にはならんでしょうね。携帯のメイルで、関西空港まで実況写メールしようと思ってたのに、ちょっと残念。
22nd →中国へ。浦東空港で夫と合流、夕食:稲川。南風楼泊
23rd 如皋(水絵園・定彗禅寺)、夕食:寧波漁港酒家店、南風楼泊
24th 蘇州(虎丘、昼食:小小得月楼、盤門)、夕食:稲川、南風楼泊
25th 大世界などお買い物、昼食:マクドナルド、夕食:故園、南風楼泊
26th 大橋見学、昼食:南翔で小龍包、上海へ、外灘、南新雅大達大酒店(Ramada
Hotel)泊
27th 上海海洋水族館、夫と子供達は襄陽市場へ、母と私は南京路、南新雅大達大酒店(Ramada
Hotel)泊
28th →中国から帰国 夕方帰宅して「帰ってきたよ。」と近所の叔母に連絡すると、昨夜親戚のNさんのおじいさんが亡くなったと知らされる。お通夜が明日で、お葬式が明後日。セーフ!叔母はお菓子の盛籠を注文したと言ったので、うちのもついでに注文する。子供達がテーブルいっぱいに荷物やお土産を広げているところへ「洗濯物出して〜!」と、早くも金切り声を出す。夕食は各自がおやつをつまんで済ます。中国2日目で壊れた私のデジカメ、息子が触っていたら、何故か直った!直ったのはうれしいが、中国にいる間に直ってくれてたらと、残念だ。
29th 車検に出していたLAV4を息子と取りに行く。その後分かれて、私は夫に頼まれたハードディスクの修理のために電気店や、空っぽの冷蔵庫を満たすためにスーパーに出かけた。荷物が重くって、途中で息子に付いてきてもらうんだったと後悔する。夜、お通夜のためセレモニーホールへ。椅子席は誠にありがたいが、冷房が効きすぎてさぶ〜い。終わって椅子から立ち上がると、体がガチガチに強ばっていた。後で、その姿を見ていた七尾の叔母が、「あんたの格好、どうなっとるんや〜。」と声をかけてきた。
30th お葬式。Nじいちゃんは84歳、リンパ癌で亡くなったが、孫や曾孫に囲まれ、幸せな一生だったね。棺には孫達の寄せ書きが入れられた。中陰も椅子席でホッとする。脂っこい中国料理を食べ続けてきた後なので、精進料理がおいしい。斜め向かいのTおばさんが「精進料理なんてこんなもんよ。」と箸を置いていたが、私は食べきれない煮物が勿体なくてしょうがなかった。帰りは近所のオバサン連中を乗せて帰る。みんな80歳になったと聞いて、驚く。
31st 息子は多根ダムに行くと言っていたので、夫の実家の前を通るなら、お土産を持たせようとしたのに、土砂降りの雨で中止。久し振りにちゃんと夕食を作る。中国から買ってきた海苔(紫菜:ズーツァイ)とモロヘイヤのお浸しの組み合わせはバッチリだった。中国で食べたように、ゴーヤ(苦瓜:クーグァ)の塩炒めに黒酢(謝さんお奨めの鎮江産のもの)を付けて食べようとした。炒め方が足りなくて苦みが残り、娘にそっぽを向かれた。