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21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 ★ ★ ★ 1st 昼に観光物産課のHさんから電話がある。あれ、また研修の日を忘れたか何かチョンボしたかなと思っているといきなり「見たか?」と聞かれた。ピンと来た。NHKでやっていた新日曜美術館「無言館」の事だ。観光ボランティアガイドの研修で、Hさんが無言館の名前を出した時、食いついてきたのが私一人だった事を言い、是非みんなを連れて行きたいと言った。みんなには予備知識無しで連れて行こうと思うと言いながら、私には行ったときの感動や運営方式など詳しく語った(^^ゞ 私はテレビに無言館が出てきたとき、あえて映像を見ないようにしている。そして無言館の設立者、窪島誠一郎の「父への手紙」に特別な思い入れがある。
2nd 小松空港へ「Welcome!Yoshie Caldwell」の紙を持って佳江さんのお出迎えに行く。羽田空港で電源のトラブルがあり30分遅れの到着だったが、欠航便も出たくらいだから、このくらいの遅れは誤差のうち。佳江さんは華奢な身体に目を引くピンクのジャケットで現れた。佳江さんのまわりだけ小松じゃない、コスモポリタンの雰囲気になる。すぐに高速バスで金沢へ行く予定なので、挨拶もそこそこにバス乗り場へ。段差の高いバスのステップを、佳江さんは大きなスーツケースを持って自力で上がっていった!運転手さんに「ちょっと持ち上げてやって」と頼もうとしていた私は、びっくりした。同行のHさんもデカイ荷物(講演用の機材が入ってたようだ)を持っていた。「達者やな〜」35℃の気温にへろへろの私は、バスを見送りながらつぶやいた。
3rd 小松から3人と共に「ホテルイン金沢」へ向かう。リウマチ友の会交流会:キャンセルもあったが32名の参加があった。
まず佳江さんのかっこいいプロモ映像に会場うっとり。そのあとエンブレルの体験談をお聞きする。フィリピンやアメリカのいとも簡単な薬の扱いを聞くと、何故か日本は患者を赤子扱いにし、過剰なお世話を焼きすぎているような気になってくる。質疑応答の後、食事をする。今回は乾杯の音頭を、支部長の茶目っ気で、花丸のついたチラシを持ってる人がやることにした。当たりのTさんは「リウマチが完治し友の会が解散することを願って!」と発声した。参加者にマイクを回し、自己紹介や体調、治療状況など一人ずつ話してもらう。既にレミケード・エンブレルなど新薬を使っている人が数人いる。最後に自己紹介した私から余興タイムに突入させ、2時間45分は過ぎた。
今回、司会をやらなければならなかったので、写真撮影と兼務は難しいと懸念していたが、コンサルティング会社の方が撮影されて、メールで送ってもらえる手筈になり助かった。昨日空港へ持って行った「Welcome!Yoshie Caldwell」の紙に、参加者が寄せ書きした。「これ額に入れてとっておくわ」と佳江さんは大事にしまった。帰りの車の中で、主治医にエンブレルを勧められているが断っていたKさんが、「勧められるうちが華なんかなぁ、やってみるかな」と言った。
ホテルで後かたづけしているとき、清掃をしていた女性が、私達に近づいてきた。彼女の夫がリウマチで苦しんでいるそうだ。そして、帰宅して納屋に車を停めたとき、近所の親戚のおばちゃんが寄ってきた。「私、誰にも言ってないんやけど、あんたなら私の気持ち分かるやろと思って言うんやけど…」と更に寄ってきた。そして自分がリウマチであると言った。内緒にしといてねと言いながら、そこで30分以上デカイ声で立ち話した。今日は「リウマチ日和」だった。4th 「○○ですが△△さん(娘の名)いらっしゃいますか?」と若い男性のなれなれしい声で電話。背景にザワザワと話し声のような雑音が聞こえる。「いません!」と言ってガシャリと切る。本当に友人ならば携帯番号を教えてあるだろうし、同窓会なら郵便で来る。この手の電話はいつも夜にかかってくるのに、夏休みのせいか昼間かかってきた。どっかから絶対名簿が流れている!この次ヒマな時に、娘のふりして用件を聞いてやろうかな?「愛のともしび募金」を集めに班長さんが来た。新聞と○○建託の勧誘員が来た。昼寝しようとしている私を見透かしたように邪魔が入る(^^ゞ
5th 英会話→パソコンの助っ人→観光ボランティアガイド研修会と渡り歩く。冷房の効いてるとこばかりで、家にいて作業をしているより却って身体は楽だ。
永山純夫さんの紙芝居「」嗚呼七月十一日(昭和九年の手取川の大洪水)」を見る。器用な人のようで、聞き書き・絵づくり・舞台装置など何でもやってこれらたようだ。この紙芝居にかける情熱がヒシヒシ伝わってくる。深夜便ウォ−ク用に、書き改めたものが採用されるらしい。
金沢大学の高橋涼子先生に「医療者と患者のコミュニケーション」の講演依頼をしたが、お忙しくて×だった。が、代わりに金沢医科大学の相野田紀子先生をご紹介いただいた!(^^)!6th 「ふるさと勧進帳号・義経コース」のガイドをする。パートナーはK先生で、小松駅〜松井の館を私が担当し、その後のメインの安宅の関以降を先生が担当する。お客様は…大人2名と小人1名(^^ゞ
その後「第4回リウマチおしゃべり会」へ走る。開会13分前到着。早めに来た人を待たせてしまったのではないかとビクビクしたが、まだ誰も来ておらず胸をなで下ろす。8名と家族2名参加。会も重ねる毎に、参加者にお互いなじみが出てきたり、会場の準備や後かたづけを、自然にそれぞれ自発的に動いてもらえるのがとても嬉しい。7th 文章の書き方入門講座3回目。講義では、メモ(文章の材料置き場・構成図)の大切さを教えてもらう。このページ、Incidents(出来事あれこれ)は私の材料置き場である。提出した課題「あう」の添削原稿が返される。優良8編は、作者自身が読み上げ、その後講師から評をもらえた。前回の課題は随筆で提出したが、今回は小説に挑戦した。「自分の思い」を込めて使った表現に対して、それが読者にはすんなり伝わってないことを指摘された。
8th パソコンで、プレゼンテーションを二つと広報紙二つの同時作成をする。あっちいじくりこっち直してと、飽きないように自分をだましだましやる。パソコンが出す熱は相当なものだ。やせ我慢しないでクーラーを付けた。しかしこれが裏目にでた。夕飯の用意をするため、クーラーのない台所に立ったら、一日分のしっぺ返しを食らったように、猛烈に暑い(-_-;) おまけに歩かなかったので、運動不足から足首が痛い(-_-;)9th 芦城センターのロビーへノートパソコンを持ちこんで、Kさんとプレゼンテーションの打ち合わせをする。そこへ北国新聞の記者が、職場体験の中学生達を連れて、写真展の取材にやってきていた。展示写真に見入るお客さんのサクラになってほしいと頼まれ、カメラの前に立つ。作者が聞いたらキレそうなツッコミを、ふたりで入れながら(^^ゞ それがきっかけで「ウチの長さん」という各種グループの「長」を取り上げる連載記事にKさんが出る事になった(^_^)v 午後は女性協議会のプレゼンテーションの打ち合わせ。
10th 県から「中国江蘇省女性団体交流事業派遣団員募集」の案内が来た。夫に行っても良いかと尋ねた。夫は「どうせ『行くな』と言えば泣きわめいて『行きたい!』と言うに決まっとるやろう。行けば。」と投げやりに答えた。カチンと来たが、ここで夫のペースに乗せられてはマズイ。「じゃぁ、行くからね。」と言う。思い起こせばこれは10年前のリベンジである。あの時リウマチの症状が強く、行ける状態では無かった。またこれから先、この事業が継続される補償もないし、自分の体力が保つとも限らない。ただ、応募資格に「心身が健康で協調性に富み、…」という文言がある。これ抽象的だけど、な〜んかイヤミな表現。
11th 最近、男と女の脳の違いやジェンダーの研究とかが盛んであるが、昨日夫が言った「泣きわめく」という表現は、如実に「男社会のルール」を表していると思った。男の子同士のけんかは「泣いたら負け」で、泣いてるヤツはもう相手にしないという暗黙のル−ルがある。泣きながらわめいても、負け惜しみとしかとられない。女の子のけんかは、泣きながらでも最後まで言い続けて相手を黙らせた方が勝つ。たいてい泣かせた方が、泣いてる子に「ごめん」と謝る。
12th 英会話の帰り際、Mさんが「なんかボランティアとか、世間に出てやることないかねぇ?」と言った。び
っくりした。Mさんはとても行動的な人で、私の知る限りそんな台詞を吐く人だとは思ってもいなかった。英会話・レディースネットワーク・薬草教室などで顔を合わせてきた。その他にも、調理師の免許を持っていて料理は上手だし、蔓を編んで籠もつくる。家族も健康で経済的に余裕があり、海外を含めてよく旅行している。私は言った。「私らの講演会の時手伝ってもらえないけ?机を並べたりお茶を出してもらいたいんやけど。リウマチで悩んで苦しんでる人が、30人くらい集まるよ。講師とあなた以外はみんな病持ち。ちょっと他では見られない光景かもよ。」
朝日新聞の懸賞で「櫛」が送られてきた。「王昭君と呼韓邪単于」の記事のおまけだ。記事を書いた「穴吹史士」が、デカイ字の手書きで、宛名と差出人を自筆したようだ。懸賞というよりプレゼントをもらった気分になる。櫛を送る事は、昔は「求婚」の意味を持たせた事があったらしい(^^ゞ それよりも、そもそもこの懸賞に応募したのは王昭君を含む「中国四大美女」の弱点を知りたくて質問を書いたのだ。それについては、一言の返事も無し。つれないね。13th お盆の家族のスケジュール調整が大変だ。もう行き当たりバッタリのなるようになれ!の心境だ。仕事から帰宅した夫に、お盆の買い物に付いてきてもらう。店は混雑していた。私が商品を選んでいる間、人混みに酔った夫は、自分のビールを買うとき以外は、人垣から離れて休んでいた。バイトの娘は連れず、母と夫と共に墓参りへ行く。丁度人出のピークのようだ。何年ぶり、何十年ぶりの顔も見かける。夕食は、娘をバイト先から拾って回転寿司屋へ行く。30分以上待たされる。もうかなり食べたと思われる客が、おしゃべりしながらお茶だけすすっているのを、後ろのベンチから座って見ていると回し蹴りしたくなる。リウマチの足では出来ないけど。代金は、数日前、本山の相続講が解体し、残金7200円の返金を受け取っていた。それを当て込んでいた。支払いの時、請求書を見て驚いた!合計7102円也!全く「神業」…ではなく「仏業」としか言いようがない。誰も計算しながら食べていたわけではないのに。
14th 夫と共に、夫の実家へ行く。義父母とお墓詣りへ行き、「吉兵衛」へ昼食を食べに行く。順番待ち。私達の後にも続々お客が来る。「平和堂で何か買って家で食べよう」と言いながらあきらめて帰っていく人もいた。注文の時、夫はメニューの「うなぎ定食」が玄関のサンプルの内容と違うと言って、バイトのウェートレスを連れてわざわざ確かめに行った。隣の札と見間違えていたらしく「ウナギ重箱セット」に落ち着いた(^^ゞ 何年ぶりだろう?夫の実家で、三兄弟と妻達が揃った。その子供は7人の内2人しかいなかったが、そのまた子供一人も加わり、四世代11人で記念撮影した。みんなそれぞれ忙しく、なかなか揃わない。帰途、夫は「親も元気だけど、年々歳をとってるのだし、もっと三兄弟が揃って顔を見せてやる機会がほしい」と言う。「じゃぁ、コーディネートすれば?」と言うと、「何で三男坊がするんや。兄貴がするべきや。ワシは忙しいんや」と言う。うちの家族だけでもなかなか揃わないのに、みんな揃うのはおっそろしく大変!
夕飯は夫が捕ったサザエとシタダミとムラサキウニ。こんな大漁は何年ぶりだろう?15th 息子がお盆に帰らないのでこちらから出かけて行った。娘もバイトが休めることになり、母も行くことなり、息子の下宿で久しぶりに家族全員が揃った。息子は真っ黒に日焼けしており、背中の皮がむけていた。オ〜イ、試験勉強はやっとるんかい?
息子の案内で洋食屋さんへ出かける事になった。が、駐車場に入るとき、隣の建物に何本もの「ひつまぶし」の幟が立っているのを見て、「あれ食いたい!」と私が叫んだ。まだ開店前だったが店内で待たせてもらった。夫と息子は生ビールとさしみで乾杯した。本格的「ひつまぶし」を初めて食べた。特にお出汁をかけて、わさびやネギをたっぷり乗せて食べるのがおいしい。箸袋に書いてある店名が変体仮名で読めなくて、店員さんに教えてもらう。「うお芳」と読む。セントレア間を往復するジェットフェリーの船着き場を見に行く。フェニックスの街路樹や椰子の木、青い海に白い船が就航する風景は、異国の南国の様だった。暑くて、日差しが強くて、私は運転席から眺めるのみにする。まだ時間は早かったが、息子と別れて帰途に着いた。この判断が正しかったことを、後で思い知る。
名神高速に乗ると、それまでの乾いた風景から一転して、暗雲たれ込める景色になった。米原JCに近づくと上り車線が渋滞していた。下りも渋滞しかかる間際に、北陸道へ入ることが出来た。反対車線が渋滞しているのを尻目に北上した。ハイウェーラジオで、雨による50`規制の注意を促していたが、小雨だったので「こりゃまた大袈裟な!」と無視していた。ところが木之本→敦賀→今庄を通過する頃、本当に50`でしか走れない状態になった。ちぎれるくらいに早くワイパーを動かしても、前の車のライトがぼんやりしか見えない。路面に溜まった水を跳ね上げて、車の左右にはジュディ・オングの羽のような水しぶきが上がった。「こんな雨の中走ったこと無い」と寝ていた娘や母も起きて緊張して乗っていた。特にトンネルの出口では、水中に突っ込んでいくよう様な気がした。
娘の下宿に寄る頃には雨もあがった。居酒屋で夕ご飯を食べようと寄ったが、「1時間待ち」と言われてパス。うさんくさくて、開店以来行きたくてもなかなか行けなかった店「上海老街」へ行くことにした。ここも満席だったが「30分待ちで携帯でお知らせします」とか「順番待ちの1番目ですよ」と対応が丁寧だった。携帯番号を教えて、一旦家に帰って荷物などを降ろした。30分以上過ぎても携帯に連絡がないので、お腹を空かせた夫が別の店で食べようと、駐車場に入れようとした正にその時、携帯が鳴った。
屋根のあるテーブル席は、上海の舟型のレストランに似ていた。「魔都上海のあやしいサラダ」というネーミングに惹かれて注文してみた。魔法のランプのような金属の容器の蓋を取ると、ドライアイスの白い煙が出て来た。煙の中からガラスの容器に入れられた、ゴボウと水菜にシラス干しを振りかけた「普通の」サラダが出てきた。夫は上海で食べた魚の煮込みなど、なつかしい味が食べられるのかと期待していたが、そうではないと分かって少しがっかりしたようだ。が、麻婆豆腐やお焦げのスープなど、どれもおいしかった。娘の注文したカクテルもドライアイスの煙を吐きながら運ばれてきた。向かいのテーブルでは、ウェイターが肉をバーナーで焼き付ける派手なパーフォーマンスを客に見せていた。その後ウェイターは脇の台で、黙って地味〜に肉を小さく切り分けていた。この落差がとても面白かった。16th 母、夫、娘と共に生母方の祖父33回忌の法事へ行く。数日前、祖母が脱水症で救急車で運ばれたが、今日は車椅子に座って甦っていた。私と娘が顔をのぞき込んだ。すぐには誰だか分からなかったようだ。しかし相変わらず減らず口を言ってる(^^ゞ
座敷と縁側に70人ちかくが座った。私は折り畳みの椅子を持参して座敷の一番後ろに座る。いつになく一番下の叔母が、離れたところから私にわざわざ合図をして「足は大丈夫?」と聞いた。後で分かったが、最近リウマチの疑いがありアザルフィジンを飲んでいるそうだ。「痛いと言ってるのに医師は分かってくれない」と薬剤師でありながら医学に不信感を持っている。指の第2関節が腫れていた。
お経のあと、マイクロバス2台とワゴン車に分乗して粟津温泉のおびし荘へ行く。車内で、従弟の結婚式の時、義兄が置いて行かれたことが話題になった。が、当の本人は覚えていなかった!そして、今回は、帰りのマイクロバスに、真ん中の叔母が乗せ忘れられた!
挨拶が大の苦手の叔父に代わって、従弟が挨拶した。法事の時は「乾杯」ではなく「献杯」の合図で宴会を始めることを知った。食事の後、温泉に入る。久しぶりに会った親戚の人達が、皆それぞれ平行するように歳を重ねているのが面白かった。小さかった姪や従弟の子供達が代替わりするように大きくなっている。息子と同い年の従妹は大学院へ進学希望で、甥は一丁前の企業戦士になっていた。娘もみんなから「大きくなった」「姉ちゃんになった」と言われていた。
今年のお盆は、本当に「お久しぶり」の人にたくさん会った。17th 今日からまた日常の生活へ。夫はお盆で更に重たくなった身体で出社し、娘は母の車を借りて、早朝自力で下宿へ帰って行った。私も今日から通常営業の病院をはしごし、娘の用事や自分のお薬をもらってくる。レディースネットワークの機関紙のファイルを今日中に仕上げてKさんへ送信することになっている。夫が昨夜から何かダウンロードしていて、そいつがパソコンのメモリーを食っているらしく、私の作業がスムーズに進まない。昼過ぎ、とうとうフリーズした。ダウンロードの接続が切断され、やっとパソコンがサクサク動くようになった。断っておくが、わざとやったのではない。
18th 機関紙に載せる内容を再度会長に確認し、ようやく仕上げて、一日遅れで送信する。「一丁上がり〜!」のスッキリした気分で、観光ボランティアの研修会へ出かけた。ところがそこで手帳の予定表を開いて、載せ忘れたお知らせに気づいて慌てる。Kさんへ、今日の4時までには訂正版を送るから印刷を待ってほしいと、研修会もそぞろに携帯からメールする。深夜便ウォークの日が総選挙の日と重なり、市役所の応援部隊に変更があったり、申込みの出足がイマイチだとか…当日私は「勧進帳ふるさと号」の当番であるが、予定のパートナーSさんは体調壊して検査入院中とのこと。そちらはまだ先の話なので、とりあえず来週27日の当番のパートナーをMさんにお願いする。どっちもこっちも世の中ドロナワの綱渡り状態(^^ゞ
19th 市女協へパソコンの助っ人に行く。発表者のOさんも来られたので画面と共にやってもらう。訂正・追加など問題点を発見。27日のリハーサルまでには仕上がりそうもないので、来週もう一度3人が顔を合わせる日を設けることにする。
Oさんから電話有り。昨夜「チャングムの誓い」で紹介されていた五味子(オミジャ)茶が少し有るから飲みにおいでとのこと!行きたい!飲みたい!が、来週末まで予定が埋まっている。とにかく飲まずに封印して残しておいてと頼んでおく。昨日スーパーの棚に、韓国の冷麺が三分の二以下の値段で処分売りされていた。全部買い占めてきた。最近アジアンテイストにハマッている。20th 朝、シャワーをかぶってから南部公民館の中国語講座へ行く。遅れて着いたがMさんと先生しかいなかった。教室のクーラーが効いて来る頃、どうしようもなく眠くなってきた。昼ご飯は、茶の間にクーラーをめいっぱいかけ、娘にとんこつラーメンを作らせ食べる。どうしようもなく眠くなってきた。が、スケジュール作成の下書きFAXが来た。濃いコーヒーを飲みながらとにかく打ち込むだけ打ち込む。頭が痛くなってきて限界!間違い探しは昼寝してからにした。眠らせない拷問にかけられたら、すぐ吐いてしまうだろうな…(^^ゞ
21st 23日の本番前に、会場の第一地区コミュニティセンターのプロジェクターとうちのノートPCを繋げるテストをしておきたかった。先日から何度も電話するが、話の分かる職員がいなかったり、機器が空いていなかったりで、今日やっと実現した。丁度夫がいたので付いてきてもらう。夫は設備の整った施設に感心していた。そう言えば、金沢市の松ヶ枝福祉館には、暗幕は要望しなければ付けてもらえなかったし、備品にプロジェクターは置いてない。小松市は芦城センターでもプロジェクターをタダで使用できる。夫は駐車場を出るとき、ルシーダをバックさせて電柱にしこたまぶつけた。「なぁに大したこと無い」と言ったが、後でよく見たら「ESTIMA」のロゴを貼ってあるプラスティックの部品にひびが入り、私が以前ぶつけたところのすぐ横に、もう一つ縦に溝が出来ていた(^^ゞ
22nd K先生の小学校へ印刷物を取りに行く。この学校は、児童玄関を入ると正面にガラス張りの職員室があり、受付不要で用事を済ませるのが手っ取り早く済む。こぢんまりした小学校ならではのレイアウトかな?そこで60部、K先生に置いてこなくてはいけないのに持ってきてしまった(^^ゞ 重い上に、またこの次手渡す手間をかけなくてはならない(-_-;)
中国語講座で「この10月に中国へ行つもりだ」と宣言する。こうやって自分を追い込まなきゃ、県へ提出するレポートが書けない!
23rd 朝、「空港まで送ってほしい」と沖縄へ行く娘に起こされる。娘は、先に行って納屋の戸を開けておくからと玄関を出たのに、私が納屋まで行くと帰ってくる娘とすれ違った。又なんか忘れた荷物があるらしい(^^ゞ 空港へは無事送ったが、ルシーダに見慣れない警告灯が点灯している(?_?)
レディースネットワークと勝山市から視察に来た「男女共同参画ネットワーク」との交流会。プレゼンはKさんが原稿無しで剛柔使い分けたスピーチをする。時々私がパソコンの操作を間違えたが、ご愛敬で、ほぼ無事終了。その後の質疑応答と各自自己紹介があり、選挙の話や市のトップの姿勢などかなり本音で語られた。来月にプレゼンを控えたTさんが見学に来ていたので、女性協議団体の話題の時彼女に振った。彼女もしっかり意見を述べてくれた。
終わってヤレヤレと車屋さんへ寄る。ラジエーターの溶液追加とドアロックの調整をしてもらった。これで安心して乗れる(^_^)v24th 観光ボランティアガイドで「義経ウォーク」のコースの実地研修。今まで歩いたコースであるが、鳥居似た「華標」という風雅な言葉を知る。途中で早引けして、いくつか用事を片付ける。その途中、転んで膝をすりむく。やっとの思いで帰宅しスカートをめくると、スカートの裏に血染めの模様が出来ていた。ズキズキするが、打ち身はなく表面の傷だけで済んでホッとする。赤チンを付けた。膝に直径10pあまりの日の丸が出来た。早くかさぶた出来ないかな〜とちょっと楽しみ。
25th 女性協議会へパソコンの助っ人に行くと、9/10の県政会議が総選挙で延期になったとのこと。9/12の市議会も延期になり、レディースネットワークの傍聴も延期になった。延期にならないのが総選挙当日にある「義経ウォーク」だけとは何と皮肉なことだろう。芦城センターのプロジェクターに繋いでプレゼンをやろうとしたが、認識してくれない。事務所の人にみてもらったが、あきません。家に帰ったとたん、解決法を思い出した(^^ゞ
娘は台風の影響を受けず、無事沖縄から帰った。オリオンビールとリクエストしておいた比嘉酒造の泡盛「まさひろ」を残してすぐに下宿へ帰った。夫は43℃の「まさひろ」をいつもの焼酎の割合で割り、「う〜っ、濃い!!」と言って倍に薄めた。が、結局それを全部飲んだ。わざとに決まってる!
26th 午後、Nさんがケーキの配達に来るのを忘れて出かけていた。携帯メールが届いて思い出した。本来ならその時間にとっくに帰宅できていたのだが、道を間違えたり、西瓜祭りの交通規制で遠回りしたり、そしていつもの「書類忘れ」をやったので片づかなかったのだ。後でNさんから「交差点で車を見た!」と電話があった。ニアミスしていたのに、携帯番号を知らせてなかったので会えなかったのだ。なんか昔のすれ違いメロドラマみたい。しかし出演者は、Nさんも私も、メロドラマからほど遠い容姿・性格のオバサンである(^^ゞ
ラジオで拾った言葉:「逆らわず いつもニコニコ 従わず」。誰の言葉か聞き逃したのが残念!27th 「勧進帳ふるさと号義経コース」の当番。お客様は大人23人小人2名。久しぶりに大人数で、バスもいつもより大きめのがあてがわれた。西瓜祭りで一部コースが変更されたが、定刻通り終了。帰宅してホッとしているところへ、バス会社から「チケットがどうたらこうたら…」という電話。憮然とする!「観光ボランティアガイドは一切チケットには触らないことになっているので知りません!」と答える。バス会社の運転手が扱うことになっている。出発の時の人数確認も運転手がやることになっているのに、今日もこちらから「ガイドではなくそちらで確認してください」と言わなければならなかった。ちょっとボランティアに甘えすぎじゃない?
28th 昨日38.8℃の熱を出した娘に、「今日もバイトを休んだら?」と何度も言うが、娘は遅刻しながらも出かけた。「後でお弁当を届けるけど、しんどかったら帰っておいで」と言ったのに定時まで勤めた。そして帰宅して、胃が重いと言っていたのが、夜中になると胃の下が痛い!と言いだした。ヤレヤレ、それにこちらが振り回され、夫と責任をなすり合っている(^^ゞ 遠くにいる息子には、自分で対処する術を身につけよと言うだけだが、身近にいる娘にはつい手も口も出して世話を焼いてしまう。
29th 今日こそ中国へ行く切符を手に入れるためのレポートを書くぞと、濃いめのコーヒーを入れた。ところが、今日中に提出しなければならないレポートを抱えている娘に、先を越されてパソコンを占領された。仕方なく、使い慣れていないが娘のノートパソコンで書き始める。文字カウントをかけてみるとやっと300字そこそこしかない。倍の600字が課題である。四苦八苦して長くさせると、今度は700字以上になり、そこからまた四苦八苦して削った。プリントアウトして応募用紙に清書する。手書きの文字をこんなに書いたのは久しぶりである。「娘を駅まで送っていく時、〒局へ寄って出す」という枷をはめてやっと完成させた。後は野となれ山となれである。
夕方、夫が飲み会まで送ってくれと玄関に車を横付けした。車内は中国語会話のCDがなっている。今日、来月中国へ出張の件、社長から承諾もっらたと言う。あ、コンチクショー先を越された!
30th 普段切手は50円と30円の2種類を用意している。葉書なら50円、封書なら二つ組み合わせて貼ればよいから。4通の封書に切手を貼っていてハッと気づく…30円だと思っていた切手をよく見ると10円だった(^^ゞ 夕飯にサンマの蒲焼きを作った。手に油が跳ねたので、とっさに口に入れた。親指に跳ねたのに人差し指を口に入れていた。自分でも呆れるくらい情けなくなる(^^ゞ31st 息子から電話がかかって来るときはろくな話じゃない。「一昨日釣りから帰る途中、救急車で病院へ運ばれた…」と聞いて「え”〜?」と驚いて受話器を握り直す。大したことなくて下宿に帰ってゆっくり休んだとのこと。先日「試験終わった!今日から夏休み!!」と浮かれ調子のメールが来ていたので、羽目を外し過ぎなきゃと心配していたとこだ。
眠りねずみさんのHPを見て驚いた。若年性関節リウマチ(JRA)が若年性特発性関節炎(JIA)へと
名称が変更になっていることを知った。JRA出身の私に断りもなく!ふるさとに帰ってみたら実家に違う表札がかかっていたようなもんやないか!