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2nd 夫と娘と一緒に生父母の家へ行く。姉家族と従弟のKと共に夕食。なんと甥のDちゃんがうちの子供達におとし玉をくれた!彼は今年は仕事でフィリピンに行くと言っていた。「フィリピーナに注意!」と言ったら、もう皆からしつこく言われたと憮然としていた。4月から姉と下の姪が小松に来て両親と住むことになった。義兄は東京・他の子供達は関西に散らばって生活する事になる。夕食後、子供達は花カルタを始めた。娘がやんわり「文字と動物はどっちが点数が上やったっけ?」とド素人の質問をし、皆をこけさせた。外野に手伝ってもらって勝たせてもらっていた。
3rd 天気に誘われて出かける。娘が「109」へ買い物に行きたいと言ったので、金沢へ向かう。香林坊の近くで娘を降ろし、私達夫婦は無料開放の兼六園へ。わずかに苔の上に雪が残るが、明るい日差しの中、早咲きの桜や蝋梅、赤い南天の実などが輝いていた。娘と待ち合わせしていた大和デパートの横へ行こうとして渋滞にはまりそうになった。夫に道を外れて待ってもらい、私が娘を呼びに行った。地下駐車場への長い車列に、飴玉を配っていたそうだ。娘が買った福袋から1点を2000円で買い上げてやる。わざと時間帯をずらして「すし喰いねえ」に寄ったのに、か〜な〜り〜待たされた(^^ゞ
4th OA講習、今日から再開。遅刻した(^^ゞ いつもの時間に家を出たのだが、納屋へ行って慌てた。娘の車が前にあって、ルシーダを出せない。帰宅して寝ている娘を起こして…では更に時間がかかる。夫もまだ休みなのでRAV4に乗ろうしたが、私が持っているスペアキーでは、普通にイグニッションが回せない。ドアを開け外に立ち、両手で気合を入れてやっとこさっとこ回す。出発ようとして、ルシーダに乗せっぱなしにしてある教材を乗せ替えなくてはならない事に気づく。更に、学校の駐車場に着いてキーを抜こうとしたら、今度はキーが抜けない(^^ゞ 両手でやっても駄目!誰かにやってもらおうと2,3歩歩き始めて思い出した。RAV4はACSSE→ROCKの間は押しながらでないと回らないことを!はぇ〜新年1日目から堂々の遅刻(^^ゞ
娘は夕食後、下宿へ戻る。5th 夫はまだ正月休み。天気が良いのでカメラを持って鞍掛山へ登ろうと思いついて出かけたが登り口が分からなくなり、学校にいる私に電話を掛けてきた。現在地を尋ねるが、自分がどこにいるかさえ分かっていない。それでどうやって電話で道案内しろというのだ?
6th 私は学校だが、夫は正月休み最後の日。帰宅すると掃除機が掛けてあった。夫は最近茶碗洗いをしてくれるようになった。私の手では30分かかるが、夫なら5分で済むのだということがようやく分かったのだ。が、お弁当箱をちゃんと水に浸けておけとか、汚れた食器にサッと水を掛けておけとか、主婦のような口を利くようになった。
夜、夫は山仲間と飲みに出かけたので、代わりに町内の総会に出る。道路の隅切りに昔は何か取り決めが有ったらしい。町内会長は書面で引継ぎされていないので認めないと答えていた。公民館長のなり手がなく、理事が兼任する事になる。鉄道高架事業に伴って出来た公園を、花山法皇にちなんで「花園公園」と名前がつけられる。7th 夫は初出勤で、飲み会があるので車で送っていく。おっソロしい風が吹いていた。交差点を抜けるとき、ふいに横風が来て大きく横に蛇行した。横に車がいなくて助かった(^^ゞ
8th ケーブル14chでローワン・アトキンズの”The thin blue line”というコメディをやっていてず〜っと見てしまった。”Mr. Been”より風刺がきつく、下ネタ満載(^^ゞ 下ネタ部分はセリフと字幕がどう対応しているのかわからない場面が多い(^^ゞ タイトルの”The thin blue line”というのも”The thin red line”のひねりだと想像するが、一体どういう意味なのだろう?9th 先月発行した「きてみまっし」に、Kさんが自費でヌエックの研修に参加した時のレポートを載せ忘れた事を、指摘されて初めて気づく(^^ゞ メールで送られてきたファイルを保存するとき、間違えて違うフォルダに入れてしまいすっかり忘れてしまっていたのだ。Kさんには本当に悪い事をした。
10th 明日Word3級の検定をするので、今日は模擬テスト。回答を添削してもらうと、間違いがゾロゾロ。文書をベタに打つ1問目で、1行すっ飛ばしてあった。私の頭の中じゃ1行飛ばしても意味が通じていたんだけどなぁ…(^^ゞ 家に帰ると他の用事にかまけて検定の練習が出来ないし、キーボードの配列も違うので、学校で居残り練習して帰る。
11th 最近睡眠不足が続いているので、昨日は、ちゃんと昨日の内に寝た。試験は午後にあるので、睡魔が一番怖かったからだ。他の受験者には、障害の程度により時間を1.5倍に延長されるハンディがもらえるが私の場合、ハンディ無しであったが、時間が足りないと言うほどのこともなかった。試験は昨日の模擬より易しかったが、私のことだからケアレスミスの一つや二つ、いや三つや四つ…いやもっとかな…はあるだろう。検定という奴は、たとえギリギリでも受かる事に意義がある…と私の辞書には書いてある。
12th 明日の校正会議に間に合わせるため「曲水」作りに専念。初めてWordで作る曲水だ。一太郎だと慣れているので早いが、Wordの検定を終えたばかりのくせにこう言うのも変だが、Wordはいけ好かない。細かい編集やレイアウトは抜きで、骨組みだけを大まかに作った。
13th Hさん、まさよんさんと共に、途中、支部長を拾ってリウマチ友の会の会合へ。校正会議で11名参加。本部の規約改正を書いたしおりをもらった。メールによる定型の書類の提出が出来るよう明記してあった。や〜っと本部も時代に追いついてきた。印刷屋さんが変更となる。その事で取り次のTさんから名刺をもらったのだが、何と全面が目の覚めるような真っ赤な名刺で、更にFAXもあったんだと今更になって知る。10年近い付き合いなのに、今日初めて名刺を交換した(^^ゞ
明日、娘が模擬結婚式の花嫁モデルをやるから見に来ないかと言った。夫に行こうと言うと「本番の楽しみと感動が無くなるから嫌だ」と言った。あ、そう。じゃ、一人で行ってきます。
14th 町内の左義長に行く。神棚のお札やお年玉袋やのし袋を火にくべようとして風に煽られ、ばら撒いてしまった。火を囲んでいた人達から「お〜い、まだ金が入っとるぞ」「1万円が燃えとるぞ〜」などとからかわれ、ドッと笑われてしまった(^^ゞ
娘の模擬結婚式を見に行こうとしていると、結局夫も行くと言い出した。天気が悪いから山へ行けないし、30Dの室内撮影に慣れておきたいからと言い訳しながら。これから式を挙げる予定の5組のカップルに混じって、チャペルへ行った。純白のウェディングドレスの娘が、黒のタキシードを着た花婿役の男の子と腕を組んでバージンロードを進んできた。娘は私を見つけるとにこっと笑った。えらく余裕のある花嫁さんである。なにしろ6回目だから。花婿役の男の子の方が緊張していた。後で聞いたのだが彼は高3で、親戚の人からホテルへバイトに行けと言われ皿洗いでもするつもりでやってきた。それが訳が分からない内に花婿に仕立てられ、心の準備も出来て無いまま式場に入らされたのだった。しかしベテランの娘のリードでうまく役目を果たした。居酒屋でバイトをしていただけあって、妙に人懐こい面白い子だった。模擬なので、誓いの言葉や誓約書へのサインやキスは適当に誤魔化されるのだが、あとはすべて本番どおりで、神父(本物かな?)も聖歌隊もいた。天気が悪かったのに、神父が祝福しているとき、光が差してきてステンドグラスを明るく輝かせ、娘達が逆光の中に見えた。フェイクだと分かっているのに、美しい!と思った。披露宴は、白のタキシードの花婿に、娘はブルーのラメ入りの肩を出したドレスだった。色々なアトラクションを宣伝するため、娘達は忙しい。ケーキを切って、シャンペングラスタワーにお水を注いで、ドミノに火を付けて、テーブルを回ってロウソクをつけたり、風船を配ったり…最後は花火の炎の中を退場…お疲れ様!あとで娘に聞いたのだが、このアトラクションはみんなひとつひとつ○十万円かかるんだそうだ。で、娘に言っておいた。「あんたはもうドレスも着物も何着も着てるし、アトラクションも何遍もやってるから、本番の時は地〜味〜婚で良いよね?」15th 娘がアメリカに卒業研修留学に行く事にしたという。昨日パンフレットを見せてくれたのだが、気になる事があったので、問い合わせてみた。娘にやらせても良かったのだが、前回オーストラリア研修で利用した旅行社ではなく、娘の周りにこのプログラムを経験した人もいないと言ったので、私が確認して納得する意味で、問い合わせた。窓口の対応は丁寧で、きちんと答えてくれたので、娘にOKのメールをした。娘は早速手続きに取りかかっていた。
16th 今回から「曲水」の印刷でお世話になる印刷屋さんに、学校から電話を掛けてやっと連絡が取れた。家に帰ってから連絡しようとしても、家に入ったとたん、色んな事に邪魔されて(郵便受けにどっさり封筒が入っていたりヒーターの灯油が切れたとか)なかなか電話機のところまで辿り着けず、たとえ辿り着いても反対にかかってきた電話に応対していたり、溜まった留守録を聞いたりしていると、優先順位がどこかにぶっ飛んでしまうのだ。K商会との打ち合わせが出来ていないようで、ちょっと不安が残ったが、向こうも商売だからうまくやってくれるだろう。
17th 夜フェスタ実行委員会の会合と、県の男女共同参画推進員の飲み会が重なってしまった。週のど真ん中に飲み会があっても、明日も学校があることだしイマイチ乗らない。Tさんから審議委員をバトンタッチされてから一度も顔を合わせていないので会いたかったが、フェスタの会合の方へ行く。会計報告・感想反省など。色々面白いアイデアが出た。
息子が釣り大会で優勝したらしい。後日グレと賞品の伊勢海老を送ってきた。18th 「曲水」の原紙を早く完成させなければと気は焦るのだが、なかなかWordが言う事を聞いてくれない。今まで曲水はずっと一太郎で作ってきたが、現支部長は一太郎ソフトを持っていないので、FAXで送るのだが、そのFAXがまたすごくのんびりしたFAX で、送信してもサクサクと受け取ってはくれない。支部長に限らず一太郎ソフトを持っている人は少ないから、いずれWordに乗り換えなければならいと思っていたのだが、使い慣れた一太郎を捨てがたく、ズルズル来てしまった。せっかく講習を受けたのだからWordに切り替える良いチャンスなのだが、講習では私がWordにやらせたい細かいところまで教えてもらってない。で、操作の分からない点をリストアップし、USBメモリに途中までのファイルをコピーし、娘のノートPC(充電するのを忘れていた)を持参して、明日学校で聞いてこようと決めた。(学校のPCは外部からデータを持ち込むことも反対にデータを抜き出すことも禁止されているので)
19th 先生にWordの質問をする。「何でそんなことまでする必要があるのか?」という顔で聞いていたが、曲水を見せたら納得し、いろいろ調べてもらい答えをもらった。ヤッホー、これでやっと一太郎と縁が切れる!喜びのあまり、娘のPCを忘れて帰り、あわてて取りに戻る。
一太郎は初版から使っているが、人に習った覚えがない。先に作りたいものがあって、これを作るにはどうしたらよいのだろうかと、HELPアイコンを押しまくり、教えてくれそうなサイトを探し、本屋でテキストを立ち読みし、苦労して回答を手に入れていた。それが学校に通いだしたら、先生がそばにいて手を挙げればすぐに答えてもらえる。極楽の境地なのだが、自分で調べようとはせず、聞けばいいやと堕落している面もある。20th 夫が山に出かけたので、朝からパソコンで「曲水」づくり。紙面を調整していったらどうも中途半端な面積になり、急遽2ページ足すことにした。「返信はがきのお便りコーナー」を増やす。このコーナーは会員さんには好評なのだが、入力するのが大変なので今回密かにパスしようとしていたのだ。びっしりと細かい文字で書かれたのもあれば、たぶん変形した手で書いたと思われる、筆圧の弱いふるえる文字もある。それぞれに深い思いを込めて書いてあるので、おろそかには出来ないのだが、書き間違いがつきもので、はたまたつながらない文章の隙間を、書き手の気持ちになって想像力を働かせて言葉を補っていかなければならない。学校で、決してミスの無い完成された文章を打つ時との、エネルギーの大きな差を感じる。
21st 朝、パソコンを立ち上げている間にハッと気づいた!しまった!今日の午後に配布する新聞のファイルを全然作って無いし送ってもいない!慌てて今から作るが間に合うかと問い合わせる。朝飯抜きで作って送り、間一髪間に合った。パンを口に押し込んでオルガンを弾きに出かける。もちろんメタメタ演奏。夕食後、ようやく「曲水」のプリントアウトが出来た。速達を出しにいこうとしていると夫が、こんな時間じゃ郵便局は開いてないだろうと言った。念のためHPを見ると、平日は午後8時半までやっているが、休日は午後3時で閉まることがわかった(^^ゞ 翌朝8時、郵便局が開くなり出す。
22nd 学校の帰り、今年に入ってずっと、舌や上顎にやけどをした後のようなひりひりした違和感を感じていたので気になって病院へ寄った。主治医ではなかったが診てもらった。鎮痛消炎剤の副作用による口内炎ではないかと聞いたが、それならもうとっくに症状が出ているだろうし、舌や上顎に目で見てわかる症状が出ていないと言われた。それより鉄欠乏性の貧血の治療をもっとちゃんとしないといけないと言われた。「リウマチによるものでリウマチの症状が良くなれば改善されるのでは?」と聞いたら、「これはリウマチとは別に症状が出ているものかもしれない」と言われた。まじめにフェジンを打ちに来いということだ。CRP1.8也。
23rd 朝、出かける支度で大忙しの時に、隣の家から電話がかかってきた。おばあちゃんが亡くなった事と夫に手伝いを頼む事だった。大急ぎで夫に電話して仕事の調整をするように言う。母に電話してお弔いに行ってほしい事と、香典帳を調べて香典をいくら包めば良いか教えてほしいと言う。夜、帰宅した夫とお弔いに行く。今夜は内輪夜伽だったので、枕お経が終わった後だった。「もう何年も顔を見て無いので」と言って、おばあちゃんの顔を見せてもらった。黄疸が強く、くちなしで色を付けたような黄色い皮膚だった。最近機会があれば、死顔を拝んで心に焼き付けるようにしている。24th 学校へ職安のKさんがやってきて、ちょこっと話をしてから就職情報の紙を置いて行った。放課後めくっていて私のやりたい事は「これだ!」というのがあった。JAISTのパート事務で「年齢不問・ワード・エクセル」そして「英語が出来る人」。即Kさんに電話して問い合わせたが、しばらくして返事があった。「募集がかなり前から出してあったもので、もう埋まったんだって」…「うぁ〜ん、そんなぁ〜」と悲鳴に近い応答しか出来なかった。夜、レディースネットワーク理事会後、その事を話していたら「あらその募集、もうずっと前から『FAVO』に載っていたよ。条件良かったから私も行きたかったけど、英語出来ないからあきらめた」と言う人がいるではないか!私も『FAVO』はめくっていたのに、クーポン券ばっかり探していたからなぁ。あ〜悔しい!
25th 昨日のJAISTショックがまだ抜け切らない。前から目星を付けていた所の募集もあるのだが、いまいち心が動かない(^^ゞ
男女課から来月審議会を開くから、日を空けておくよう連絡がある。「ボラから足を洗うのだ!」と言っておきながら、せっせとボランティアのスケジュールを来月の予定表に入れ込んでいる自分がいる(^^ゞ
26th 今日の講習は就職の心構えや履歴書の書き方についての講義だった。履歴書を書くのが苦手だ。なぜなら学歴コンプレックスがあるから。過去に勤めたとき、提出した履歴書に「K高校」と書いてあるので卒業名簿を調べられた事があった。K高校は進学校なので詐称しているのではと思われたのだろうか。私の名は、索引には載っているがクラス毎の名簿の欄には無い。3年4Hに1学期まで籍はあったが中退したから。だからちゃんと「中退」と書いているんだけど…。学歴はどうにもならないけど、私がせめても出来るのは履歴書の「志望の動機欄」の言葉でいかに相手を引き付けるかだ。27th 中国語教室。Nさんに3/20の講座のことを相談しようと思っていたのに欠席だった。帰宅してから「今日お休み」と携帯にメールが入っていたのに気づいた(^^ゞ
午後「いしかわ地域づくり円陣2006」の第1分科会:「資金調達の仕組みをいしかわに!…持続する地域づくり・市民活動のために」に行く。観光ボランティアガイドのSさんが関わっているので、盲従して参加したのだが、松原明氏(市川市シーズ・市民活動を支える制度を作る会事務局長)による「1%支援制度」というユニークな市民参加(投票)型の助成金制度の話は、初耳で面白かった。コーディネーターの浜博一さんは、この制度を石川県でも出来ないかと考えているようだが…松原氏が「手間がかかるのが欠点」と言ってる様に、重い腰の石川県になじむか疑問だ。常光さんがいて、鋭い指摘をしていた。帰りしな、Sさんから観光ボランティアガイドの事務仕事をやってくれないかと言われた。あいまいに返事しておく。せっかく今、ボランティアを脱却して収入のある道へ進もうとしているのに!28th 急なお客さんがあり、JAの新年会に大幅に遅刻して出席した。もうゲームも宝引きもみんな終わっていた(^^ゞ 景品にA4サイズの書類が入るトレイをもらった。さっそくPCまわりの書類を放り込んだ。ちょっとだけ片付いた(*^_^*) 今週のエクセルの試験に備えて勉強をしようと、テキストが入ったバッグをPCの前に持って来ておいたのに、結局少しもしなかった(^^ゞ
29th 日暮れがだいぶ遅くなった。学校が終わって用事を片付けにあちこち寄って、帰宅してもまだ明るい。久し振りに畑へ行った。ブロッコリーと水菜を採ってくる。雪が降らないので、葉物野菜がほとんど傷んでいない。西に傾いた大きな夕日と、天空の白い月を見た。
明日、学校で記念撮影をしたいからと、夫に30Dを貸してと頼む。私のFujiは時々蓋が開かず、ピントの調整が甘く、フル充電しても2,3枚フラッシュを焚いて撮影すると、もう電池切れのサインが点灯する(^^ゞ 夫は宝物を扱う様にカメラを出してきて、事細かく注意事項を言い、壊したら三行半でも突きつけられそうな顔で貸してくれた。
30th 朝、母がテレビが壊れたと言いに来たので、夕方寄って見る。コンセントが抜けていないか確認(以前、別の電気製品でコンセントが抜けていただけの事があったから)。主電源は入るが、リモコンから電源を操作できない事を確認する。で、母には、狭い部屋なんだから、運動のためと思って手動でオン・オフをするように言ってくる。母は新しいテレビを買う気でいたが、こんなくらいで買い換えるのは勿体無い。私の範疇では壊れているうちには入らない。テレビが見れないので、短歌を作ろうとしていたのに、テレビが映るようになって早速テレビを見出した。母のためには、もう一晩くらいテレビが壊れていた方が良かったのかな。31st 「リウマチおしゃべり会」で会うYさんから相談の電話があった。主治医に紹介状を書いてもらって大学病院へ転院したいのだが、主治医は医師を指名するのでなく、整形外科宛の紹介状しか書けないと言う。それで整形外科のリウマチ専門のお医者さんを知らないかと聞かれた。私は彼女の話が良く理解できた。彼女の主治医は、30年前、まだかけだしの整形外科医だった頃、私の主治医だった。一応専門医の名を教えたが、整形外科宛の紹介状でも、病院で病名からちゃんと専門医に回される事や、もう一つの彼女の不安である内科的な問題も、整形外科の担当医から話を付けてもらったらどうかとアドバイスした。彼女は、主治医にも大学病院にも必要以上に気を遣っている。それが今までの弱者としての患者の立場だったから仕方が無い。…その二日後、大学病院から、病院長の名で「懇談会の実施について(依頼)」という書類が届いた。一昨年、前任の小泉院長の時に1年間の任期でモニターをしたが、それはそこで終わった話だと思っていたのに、その後何の連絡も無く何で今頃?…リウマチとは因縁浅からぬ冨田院長の名を見て、私の中の面白がり屋の虫がピクリと起きた。