Insights(日々あれこれ)
ぽつり、ぽつりひとしずくのひとりごと。

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1st 英会話教室で、Mさんが来年福井へ引っ越すので、誰か補充をしなければということになった。何枚か募集のチラシを作って持って行った。センターに掲示してもらおうと思ったからだ。ところがGordonから提案があった。Gordonは月に2回、水曜日のクラスも持っているのだが、人数が多いので、こっちに移れそうな人に声を掛けてみると言った。断然その方が手っ取り早い!任せとこう(^_^)v

2nd 今日の予定では、模擬裁判を見に行こうと思っていた。が、金沢まで出かけるのがおっくうになり、「曲水」作りをすることにした。昨日やっと加賀地区リウマチ講演会の段取りが整った。いつも講師選びに苦労しているが、難病支援センターの作業療法士さんが来てくれることになった。総会報告は前支部長がくれたファイルを貼り付けるだけだからと高をくくっていた。だいぶ前にもらったファイルを開いたが…?該当の部分が無い!あわてて連絡すると…やれやれ、また早とちりだった。文章の途中に空白があって、その後また続いているのに、そこで終わってしまったと勘違いしていた(^^ゞ

3rd 観光ボランティアガイド「芭蕉の歩いた小松路をたずねて」コースの当番。久しぶりのガイドで、初っぱなから間違えた(^^ゞ いつも「芭蕉コース」と省略しているので、「こんにちは皆様、ようこそ芭蕉の○△※□…」 参加者8名の内、半分が知り合いで、ちょっとやりにくかった。特に最初は緊張して、早口の早歩きになってしまった。余裕が出たところで息子の同級生の親、Yさん夫妻とOさんと近況報告しあった。YさんとこもOさんとこも、地元で就職しているそうだ。いいなぁ。残暑が厳しかったが、芭蕉も小松路を、酷暑で夏バテして歩いていたそうだから、臨場感が出たと思う。視覚障害のHさん、杖を上手にセンサーにして、難なく歩いていた。

4th 主治医の診察を受ける。こむらがえりは、「汗をたくさんかくと電解質のバランスが崩れて筋肉が痙攣起こす」と言われた。ヨク苡仁湯は、こむらがえりと直接関係ないが止めて、代わりにこむらがえりを防ぐ芍薬甘草湯を処方された。明け方になることが多いなら、眠前に飲むよう言われた。

5th 男女共同参画フェスタではロビーにパネルを展示することになっている。お盆前に、会長さんが日本女性財団の「なるほどジェンダー」のパネルの記事をくれたのだが、会議で話し合いをするのだと思っていた。部会長をさしおいて動くと、マズイと思っていたからだ。ところが先月末に会長から督促された。会議は無くて部会で動くんだとやっと分かった。で、今月になって慌てて部会長さんへ記事をFAXしたり、参考サイトをメールで送ったりしたのだが、先約があってダメだった(^^ゞ 県の女性センターに問い合わせることした。やれやれ。

6th 一日じゅう「曲水」を作っていた。が、仕上がらなくて、夜なべ仕事になった。言い訳をするわけではないが、2題のパソコンのHDと外付けのハードディスクに画像が散らばっているからだ。とりあえず…と、デジカメのメモリーに溜まった分を、移動させた月日だけ書いたフォルダーに、日付も行事も使用目的も異なる画像データーをごっそり放り込んでいた。それもたまたまその時立ち上がっている、適当なハードディスクへ手当たり次第に…(^^ゞ

7th 友の会「曲水72号」校正会議。9人参加。おっそろしい土砂降り。今号はページが多く、中身も濃い。おまけに未決定の内容を話し合って決めなければならい。更に、友の会の方向付けに関する重大な議題もあった。丸く治まりホッとする。予約時間を大幅にオーバーし、福祉館の人から追い出されるように解散した。でも、そうでもされないと、もっと遅くなったかも(^^ゞ Oさんがトッポギを作って持ってきた。病みつきになりそう、この辛さと食感!前にスーパーで売ってるのを見たので買ってみよう。

8th
 観光ボランティアガイド、仏御前の実地研修で原町へ。どうガイドしていいのか分けわからん。
「曲水」の医療講演会、梅原久範先生のページが悩みの種だった。これまで講師には原稿を頼んで断られたことがなかった。が、梅原先生には大会当日頼もうとすると、途中で遮られた。「僕、忙しいもの!」 代わりに講演で使ったパワーポイントのファイルを送ってもらった。それと質疑応答を載せようとした。ところがPPファイルはそのまま載せても分かりづらく、質疑応答は、誰もきっちりメモしている人がいなくて、何人かの人から覚えている部分を出してもらったが、穴あきだらけのジグソーパズル状態で、正反対の回答さえある(^^ゞ 一応先生に確認を取らなければならず、昨日委員の間で校正を終えた原稿だが、他のページに比べて情報量が格段に少ない。手抜きページに見えてきた。ねばってもう少し書き足してから、FAXを送った。夜、メールで返事が来た。肩書きが違うこと(プロフィールからコピペしたはずなのに何故?)と、気付いていたのに直し忘れていたケアレスミスを指摘された。ヤレヤレ(^^ゞ

9th 久しぶりに南部公民館の中国語講座へ。月に2回なので1回休んだだけで、随分お久しぶりのような気がする。先生が「2002年のNHKラジオ講座のテキスト持ってるか?貸してほしい」と言ったので、ハイハイと軽く返事してノートの隅にメモしておいた。帰るとき、どうやって渡すか相談したとき、ノートのメモは2月号とあったが、実際は6月号だった(^^ゞ 先生が6月と言ったとき、頭に「liu yue」と中国語の発音が浮かんで、書き留めるとき、英語の「two」にすり替わっていたんだと思う。

10th 秋祭りの息子の「五五の祝い」の件で、K君のじいちゃんが来た。K君もまだ学生なので、こじんまりしたい派で、働いているS君だけ別に奉納金を出すか…という最初の話が、S君も一緒でいいやということになり、3人共同で、お餅も酒も、神社と神主さんへの奉納金も均等割りという事に落ち着いた。息子はやっぱり、お祓いの日には来られないらしい。夫が代理でお祓いしてもらうことになりそう(^^ゞ

11th 検査入院する母を、送っていく。大きな荷物を抱えた母と、小さい荷物で跛行の私とでは、どっちが入院患者だか(^^ゞ
中国語教室。Sさんが、「休日に中国人を動物園へ連れて行ったら、動物を見る度に『あれ、中国で食べる!』と言うので、嫌になった。パンダ以外は食うのじゃないのか?」と言うと、楊先生はすまして言った。「パンダも食べるわよ。値段が高くて買えないだけよ」…みんなドッとコケた。

12th 「曲水」を印刷屋さんへ郵送する。今回、早めに仕上げたので、余裕で普通郵便で出せた。届くのが1日違うだけなのだが、いつも焦って、間に合ってくれ〜と祈る気分で出しに行っていた。
母からテレカを持ってきてほしいと言われ、母の部屋を探すと、出てくる出てくる、テレカが20枚くらい!が半分以上はもう全部穴が開いていて、その他も中途半端な使いさいしで、新品は2枚だけだった(^^ゞ 使えるのを全部持っていくと、丁度、母の相部屋の人も、病院内にはテレカを売ってないと困っていた。新品1枚譲ってあげた。

13th 第4回市議会、レディースネットワーク10人で傍聴。障害者自立支援法に関する質問の、市長の答弁に驚いた。障害者の生活や就労支援のための、舌噛みそうな名前の協議会だのセンターや支援員だの制度が一応あることはあるのだ。なのに、私がハローワークへ行って仕事探しで困っていても、相談するとこ無いですか?と聞いても、そんな情報が知らされない!何故?

14th ゴミ捨てに行くと、そこにいた何人かの間で、扉の閂が締まらないという話が出た。何だ私だけじゃないんだと、ホッとする。出来ないことがあると、「普通の人」には出来るんだろうなと思い、劣等感を持つのが習い性になってしまっている(^^ゞ
にこさんから牛乳パックオープナー「パッ君」を送ってもらい、試した。うん、使える!もう少しプラスティックが固い方が力が入るんだけど。

15th 11/25の「リウマチ市民公開講座」のチラシのファイルが送られてきた。パワーポイントファイルなのだが、2000とXP版で見え方が違う(^^ゞ で、例のごとく、他人のミスには目敏い私、ミスを見つけて連絡する。12/2の「リウマチ講演会」のお知らせを、能美・小松・加賀各市の広報係へ送る。市町が統合され、窓口の数が減って、大助かりだ!

16th 母が検査のため、入院中の病院から他の病院へ受診するので、付き添いに行く。造影剤を注射した後、3時間、暇があったので畑へ連れて行く。母は畑を見るなり活き活きして「やっぱ畑がええわ」と言った。検査を終え、母は外泊した。今日は、母の話の聞き役に廻ろうと思ったが、そうもいかなかった(^^ゞ 自分の置かれている状況を、次々まわりの知人と比べては、あの人よりマシだという話ばかりで、ヘキヘキした。耐えられなくなって、「他人から『あの人よりマシ』と言われたら、言われる人はどんな気持ちだろうかね?」と言い放った。本当の自尊心を持つことは難しいと、母を見ていて思う。

17th 息子の「五五の祝い」のお餅、2つひと重ねの内、一つが返される。夜遅かったので、近所の世話役の人が、4つに切ってから持ってきてくれた。固いお餅を切るのは大変なので助かった!その内半分はお裾分けにし、残り半分は冷凍にしておいて、まず息子本人に食べさせなくては。娘も帰宅したら、母も退院したら…。

18th 自転車を母のアパートの自転車小屋に置いてきてしまってあるので、歩いて取りに行く。台風がらみのフェーン現象で、歩いているだけで日干しになりそうだ。70歳位だろうか、自転車に乗ったオジ(イ)サンが、まだ信号は赤なのに、横断歩道を渡るように片手を上げて道路を横切ろうとした。半分渡ったところで後ろから車が来て、センターラインの上をしばらく走り、残りの半分を漸く渡りきった。あんな真似絶対出来ない。片手どころか、両手でハンドル持ってるのがやっとなのだから。

19th 明日発送の曲水用宛名シールの元になる名簿がまだ出来てない(^^ゞ 県庁の組織再編や市町の統合で保健所などの名称も住所もややこしくなってしまったのだ。先週末までにチェックして頂戴と言ってあったのだが…今日になって支部長とFAXや電話で何度もやり取りし…ちょっとお腹一杯という感じで見るのも嫌になったので、しばらくほったらかして、丑三つ時に起きてやっとシールを完成させた(^^ゞ

20th 金沢福祉用具情報プラザで、1階は「おしゃべり会」、2階で「曲水72号」発送作業。ランチの予約が多すぎて、顔を出しに来た関係者の人にお裾分け(^^ゞ そして曲水に載せた時刻が変更になり、一部ずつホワイトで訂正しなければならなくなった。支部の住所が支部長交代で変更になったので、今号からは新しく印刷してもらった封筒を使う。封入を始めてすぐに、Iさんが叫んだ!「住所が違ってる!」印刷屋さんのミスで「諸江」が「藤江」になっている。印刷屋さんは印刷し直して納入してくれることになったが、今日の分は間に合わない。全部手で書き直すという作業が加わった。(^^ゞ
夜、男女共同参画フェスタ実行委員会へ。ここでも予想してないアクシデントが…もうここまで来ると、次は何が起こるやら?

21st 今日は母の検査の日。10年前にも同じ検査で、途中針が折れるというアクシデントがあり、痛い目にあった。午後、病院へ見に行くと、無事検査が終わってホッとした顔をしていた。
夜、町内のNさんのお通夜に行く。母と同年代で、母は残された体の不自由な奥さんを気の毒がっていた。母が行けないので代理で行く。Nさんの父親と孫は知っているのが、Nさんとは直接会って話したことがない。遺影を見て父親そっくりなのに驚いた。

22nd 昨夜から娘が帰ってきた。朝になってやんわり言う。「卒業式に着る袴〜!」 なんだ、帰宅したのはそれが目的やったんかい!じゃ、午後3時から貸衣装屋さんへ行こう、と約束した。観光ボランティアガイドの研修を早退して帰宅したが、娘はいない。携帯に電話すると、母の病院にいた。貸衣装屋さんへ行って、袴を見せてもらったが、家にある私の着物と合わせることになり、もう一度家に帰って、色無地や訪問着など持って出直す。娘は振袖以外は初めて見る着物だ。ピンクの訪問着に合わせて、裾に黒のぼかしが入ったエンジ色の袴を予約してくる。家に荷物と私を降ろすと、娘はそのまま出かけて行き、7時過ぎても帰らない。どうしたんだろうと心配していると、8時過ぎに電話がかかってきた。思いつきで、Y病院へ就職の資料を取りに行ったら、そのまま2時間以上病院内を案内され、ず〜っと面接状態だったのだそうだ。「エ〜っ、それならそうで一言連絡入れんかい!第一、いくらなんでもそのヘソ出しルックで病院へ行くかなぁ」と私が言うと、「だって、受付で封筒もらって帰るつもりやったもん」と言い訳し、その後娘は、Y病院について熱心に話し出した。今まで大学病院や公立病院ばかりへ行き、もったいぶった院長の演説を聞かされてきた娘には、個人病院の人対人の対応に感激したようだ。けど、何でもいいからもっと時間の観念を持ってくれ!一丁前の社会人を目指すなら。

23rd
 「女性センターフェスティバル」へ行き、映画「火火〜愛を焼きこむ。」を見る。信楽(寸越窯)の陶芸家:神山清子の半生。息子の白血病により骨髄バンク設立に尽力する。チラシに監督が高橋判明とあったので、ちょっとついて行けないんじゃないか…の予想を裏切り、筋金入りの女性の半生が素直に映され心が熱くなる。ほんの少しでいいから、彼女の現実を真っ向から受け入れる強さを分けてくれ〜!と思った。ついでに(財)いしかわ女性基金へ寄り、11/26に借りるパネルを見せてもらい、写真を撮ってくる。
午後、難病相談支援センターの「病気とうまく付き合おう!(セルフマネジメント)研修会」へ行く。講師は日本慢性疾患セルフマネジメント協会事務局長代行:柿沼章子(マスタートレーナ)氏と日本製薬工業会ペ−シェントグループ部会長:籠島鎮男氏。元締めは、米国スタンフォード大だそうだ。英国では、政府の関与ですでに横断的に患者会に取り入れられていると言う。もしそうなら、4年前に会った英国の患者会の代表が自信に満ちていたことが頷ける。EBM(医学的根拠)を証明することや、疾病や国の実情に合わせて改良することが、ライセンス契約の点で難しいなど、課題もある。
なんとこの研修会で、息子の同級生の母親、Hさんに会った!彼女は3人目の子を出産後、難病になったと言う。たしか息子達が小1の時、3人目を出産したはずだから、随分になる。小・中と参観日などで顔を合わせたが、関東から嫁いできた彼女は、北陸人のようにウジウジした所が無く、何事にも積極的ではっきり物を言い、会社経営のおうちの若夫人ということもあって、色々な長の役割を引き受けていた。外見からはわからない病気なので、気づかなかっただけらしい。何度も入院し、薬の副作用にも苦しんでいるそうだ。

24th 昨日研修中に第一地区コミュニティセンターから電話が有った。10/14のおしゃべり会の会場にうっかり予約を受け付けたが、その日は全館子供のイベントに使うので、貸せないとのこと。え゛〜っ、そんなぁ〜、とゴネても仕方ない。で、とりあえず、その一週間前後を仮予約しておいた。今日芦城センターに問い合わせた。狭いが、かろうじて生活相談室が10/14に空いていたので、確保する。日をずらすより、場所を変更する方が良いと思う。さぁて、変更のお知らせを出さなくては(^^ゞ そうだ!頼もしい仲間がいるんだっけ!まさよんさん!ヘルプ!

25th 夫が、古い方のパソコンVAIOを2階に持って行き、自分専用にするから、私の作業を全部FMVで出来るようにしとけと言った。ケッ!又もやである。今、ようやく2台を並べて、2台平行して使うのに慣れてきたところなのに。夫は自分が使うソフトは限られているし、簡単な話だと思っているらしい。全く、私に対して意地悪しているとしか言い様がない!
昨日買ってきたトイレットペーパーは外装に大きなイチゴの絵が描いてあった。ただのデザインだと思っていたが、トイレに置いたらイチゴのにおいが付いたものだとわかった。子供がオムツの頃、イチゴのブツブツが残る、イチゴフレーバーの軟便をしたのを思い出してしまった(^^ゞ

26th
 雨が降りそうだったので、車で母の病院へ行く。ただでさえ駐車場が狭いのに、枯葉マーク(もみじマーク?)の軽トラが斜めに停まっている(^^ゞ 母の用事で一旦病院を出て又戻って来なければならない。駐車場に入れるのが面倒なので、障害者用の「駐車禁止除外車標章」を出して道路に停めようかと思ったが、軽トラがいなくなっていた。「駐車禁止除外車標章」をもらってから、まだ一度も使った事がない。でも、いざとなればこれがあるからと思うことで、随分気持ちにゆとりが持てている。

27th 中国語教室を2週続けてお休みしたら、Oさんから宿題などを知らせるメールを頂いた。英語はHPをはじめ色々な場で接するので、必須アイテムだと感じ続いているが、中国語に対してどうもイマイチ、モチベーションを失っている(^^ゞ 安倍内閣誕生に関するニュースで、中国の反応を伝えていたので、聞き耳を立てたが、字幕を見ながらでも、数個の単語しかわからなかった。こんな時、以前なら、ものすごく悔しくて、勉強するぞ〜!と誓いを新たにしたものだが、今は「しゃぁない」と通り過ぎようとしている(^^ゞ 一面、性格が穏やかになったとも言えようが、怠け者にもなった。

28th 母の主治医の指導医から検査結果などについての話があり、一緒に聞く。母には医者の話は、自分の感情でつまんで聞くのでなく、全体を通して聞くようにと、患者のベテランとしてくどいくらいに言っておいた。これまで母は、こういう場合悪い方に解釈してパニックになってきた。そして医者の話を冷静に聞かないくせに、同じような病気の人がいないか探し、症状は似ているが同じ病名でない患者の話さえも熱心に聞いた。私は予め、ネットで調べておいたが、母がそれを見せてくれと言った時、渡さなかった。患者のサイトがないか探してみたが、まれな病気なのと高齢者に発病するためか、患者の娘のサイトは有るが、本人のサイトは見つけられなかった。医師の話は、ネットで予習した事とほぼ一致してして言われた。その後私は帰宅したが、母が落ち込んでいないか気になっていた。看護師さんがフォローにベッドサイドに来てくれた事を後で知る。

29th 本屋へ行って、母が自分の病気と付き合うための本を買う。文字が大きくイラストが多いもの。そして何より、オプティミカルな視点で書かれているものを。それを持って病院へ行くと、ちょうど主治医が母を回診しているところだった。私も2,3質問した。わざと深刻な顔でお馬鹿な質問をし、それに対して医師はまじめに、でもちょっと笑いながら答えた。母は少し涙目で話を聞いていたようだが、医師が行ってしまってからも、案外冷静だった。「『病気=不幸なもの・絶対治さなければならないもの』ではないんやから。第一ばあちゃんの病気は老化でなるんやから、若返らせる事は無理なんやから」と言ってくる。来週から投薬治療が始まるが、その薬さえ飲めは治ると思っているような節が見えたので、ちょっと釘を刺してくる。

30th 
夜、8時過ぎ、息子から「今から家に寄る」と電話がある。あれ?来週、大学の全国釣り大会のついでに来るのでなかったんけ?…どうやら予定が変わったらしい。キスが釣れすぎたとかでおすそ分けしてくれる。今日精米したばかりの新米と、母手作りの今年の梅干と冷凍しておいた「五五の祝い」のお餅を持たせる。見送りに出ると、2台の車と3人の男の子達が見えた。同好会の後輩達で、昨夜は夫の実家に泊まり、来週に備えて釣りの練習をしてきたのだそうだ。後で義母と電話で話してわかった。義母が泊めたのは4人でなく6人だった事が!野郎ばっかり6人も!朝ごはんはいらないと言う奴等に、朝の6時前から栗ご飯を炊いて食べさせてくれたそうで、お義母さん、ホントにどうもすみませんm( _ _ )m.

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