Insights(日々あれこれ)
ぽつり、ぽつりひとしずくのひとりごと。

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1st 第10回石川県リウマチケア研究会へ行く。テーマが「リウマチ患者さんにおける災害支援」で2つの講演を聞く。、患者の視点から印象に残った事は…静岡県富士健康福祉センター長:岩間真人先生の「災害時における難病患者支援マニュアル」〜「緊急医療手帳」の作成と携帯。患者個人が必要とする「自分流マニュアルの作成」の提言は興味深い。プライバシー保護と緊急時の対応に備えての情報の共有という矛盾する課題あり。長岡赤十字病院リウマチ科部長:羽生忠正先生の「大規模災害時におけるリウマチ患者さんへの支援」〜たくさんのRA患者の実例が紹介された。家族や近隣者に救出され、死亡例がなかったのが何より。しかし避難所や障害者用?仮設住宅でのでの困難な生活を聞くと、う〜んと気が滅入ってしまう。そしてやはりADLが落ちてしまうのがやりきれない。52歳の女性RA患者が、自分より障害の重い方に遠慮して、ベッドを譲るケースでは、ちょっと思考が止まって考え込みそうになった。自分の薬の備蓄、特にステロイドの備蓄について強調された。レミケード患者では8週目の点滴が3ヶ月の間隔になってしまい、その後6週間隔で必死で叩いたという。

2nd 受診。主治医がディスプレイを見ながら「前回のCRPは2.9」と言った時、即「うそや、前回はもうちょっと良いはずや、私の感覚では!」と口を挟んだ。主治医は画面を見直すと「1.8」と訂正した。私のCRPセンサーは益々研ぎすまされてきている。主治医は敵討ちするかのように「胃カメラやろう」と言った。「私、胃カメラ嫌いです!」と言ったが「誰も好きなもんはおらん」と言って、カメラの予約を入れられてしまった。畑へ行くと、フジバカマの香りがした。うちの庭や近所の金木犀の花も香り始めた。毎年たいていこの頃体調を崩してしまうなぁと思っていたら、夕飯の準備を始めだすと、鼻水が垂れだした。中国語を2週続けてお休みしたので、Oさんから宿題などについてメールをもらっていた。今夜は行くぞ!と思っていたが、やめた。明日は母の用事をする予定で、風邪を引いてるわけにはいかない。

3rd 母のアパートへ行き郵便物をチェックする。FunCargoがリコールの対象車になったので車屋さんへ持って行き、代車をもっらて母の病院へ帰る。母は足の手入れを受けていた。母に頼まれた買い物リストを持って、買い物へ行く。「上に羽織るカシミアのカーディガン」とリストにはあったが、そんなもの汚れても洗濯しにくいから、ウールの「モジリ」を買ってくるねと言ったが、平和堂の2軒の呉服屋には売ってなかった。仕方なく綿のうわっぱりにする。モジリはとても便利な衣類だと思うのに…。細々とした日用品も買い、病院へ帰る。昼食を食べる母の横で、買ってきたマツタケご飯弁当(マツタケは飾り用のひと切れと中に混ぜこんだ小片2つのみ)を食べた。修理が完了したとの連絡が入ったので、車屋さんへ取りに行く。ついでにFitの自動車保険の継続手続きをしてくる。その後いくつか用事を片付けて帰宅すると、どっと疲れてソファに座り込んだ。娘からの「今夜帰るから夕飯よろしく!」のメールに励まされるように、台所に立つ。
娘と色々母の病気について話す。娘から看護師の教科書の記述を見せてもらう。今、娘が一番の理解者だ。娘が看護の道に進んだ事は、私にとって大きな支えになっている。

4th 下宿へ帰る娘に新米やさつま芋を持たせる。娘は母の所に寄って行った様だ。昼食を食べるのがひどく面倒な気分。喉が渇いて野菜ジュースを立て続けに飲む。寒気がして使い捨てカイロを腰に貼る。毛布に包まってしばらく寝るが、起きたら益々気分が悪い。熱は37.2℃で大した事無いが、関節全体がボワンとむくんでいる感じで力が入らない。首から上のリンパ腺たちが戦っているのが感じられる。夫に電話して、出来合いの夕飯を買って来るよう頼む。

5th 夜中寝汗をかいたが着替えるのが面倒だ。一番濡れている首の周りにカイロを包んだハンカチを巻いただけでそのまま寝ていた。朝起きて着替えようとしたが、寒気がして脱げない。毛布に包まっていると又うとうとしてしまった。目覚めるともう昼すぎだった。熱が37.8℃になっていて濡れていた衣類は体温で乾いていた。熱いおかゆを作って食べ、配置薬の風邪薬を飲んで又寝る。今日も夫に電話して、出来合いの夕飯を頼む。8時過ぎKさんから電話がある。しまった!ごめん!7時半からフェスタの委員会があるのをすっかり忘れていた。

6th 朝、雨。熱37.2℃。今日は知り合いのHさんが、英会話教室を見学に来る事になっていた。でもやっぱ休もう。MさんにHさんの件を連絡して欠席する。翌日、Hさんから「昨日はごめんね」と電話がかかってきた。バスで来るつもりだったそうだが、雨がひどかったので諦めたんだそうだ。Hさんは「来週大腸検査を受ける予定で、その後治療をしなければならなくなるかも…、やっぱり参加出来ないかもしれない…。それと満身創痍の私には、ちょっと月謝が高いのよ」と10年前のHさんからは想像できない弱気な声だった。

7th ここのところ、4日も外出していない。今日も夫に買い物を頼む。新聞も本も読みたくなくて、ネットも椅子に座っていると冷えてきてやる気になれない。その代わり、半分寝てるような、ボーっとした考え事している。忘れていたずっと昔の事が思い出される。それは決して楽しい思い出でなく、辛かった事や悔しかったことがほとんで、芋づる式に出てきて、心が落ち着かなくなる。時々オムニバスの夢のように、もう死んだ身近な人たちが次々心に現れて通り過ぎていく…。
今シーズン初めての鍋をする。風邪を追い出そうと、キムチ鍋にした。風邪で嗅覚も味覚も麻痺しているが、辛いのだけはしっかり分かるから。食べるとすっごく温まるんだけど、しばらくすると上昇した分を取り戻すように体温が下がるように感じる。体の恒常システムを実験しているみたいだ。

8th
 夫と買い物に出かける。たまっている用事もあり、あっち寄って、こっち回ってと出歩く事になる。久しぶりに夕日を見た。そして夜には月を見た。やっぱり太陽や月には、不思議な力があると思う。太陽も月も、いつも私を見守っていてくれると信じる事は、何の証拠も根拠も無い事で、単なる私の思い込みに過ぎないが、私がそれを感じる時、私は生きている。今回、母の病名が確定されたとき、一種の安堵感を持った。母はいつも「私、百まで長生きするんや!」と確信した顔で言った。それを聞くたび、私は自分の命を支えているロープの、撚り合わさった細い糸が1本ずつ、プチンプチンと切れていく音が聞こえた。或いは庭のユズリハの、大きな葉に遮られて光合成が出来ないでいる葉が目に浮かんだ。母が百になるのを、私は見たくなかった。と言うより、自分の方が先に朽ちて落ちると思った。病名を聞いたとき、やっと同じスタートラインに立てたような気がした。そしてそんな気持ちになる自分は、やはりへそ曲がりなんだという罪悪感にチクチク刺される。こういう気持ち、夫に言っても分かってもらえない。夕日や月に語る。夕日や月がそこにあって当然なのと同じで、私や私の思いもそこにあって当然なのだと思えるから。

9th 中国語講座、祝日なので国際交流室が使えず、第一地区コミュニティセンター第2会議室で行われる。一番乗りで行き、準備をしていると、祝日で暇そうなセンターの係員がやってきて、「中国語ってホントの中国語やっとるの?わし、マージャンの中国語なら知っとるよ」と言った(^^ゞ 部屋はゆったりしていて、椅子やテーブルもほかのより上等で、壁には額縁付きの大きな絵も飾ってある。雰囲気が良いので、みんな、「いつもこの部屋を使いたいなぁ」と言うが、そうはいかない。普段の月曜はここは休みだ。新しい人が一人加わった。私は今日を最後に、次のターム(10回)を休む事にしているので、生徒が減る事に後ろめたさを感じていたので、ちょっとホッとする。

10th 胃カメラ・腹部レントゲン・腹部CTの3点セットを受ける。胃カメラの時、「麻酔する?」と聞かれた。全身麻酔で眠ってる間に出来るんかなと思ったら、もっと弱いヤツで、ゲーッと吐きそうになるのを押さえる程度と言われた。やってもらうことにした。で、ここで自分の体に関して今まで気づかなかった重要な弱点を発見した。ベッドに横たわって静脈注射を受けるのが如何に大変かということだ。肘が両方ともまっすぐに伸びない。右腕をお腹の上に乗せて看護師さんが針を刺しやすい角度で、自分の肘も痛くない状態に保っておかなければならない。そのあと看護師さんが止血のため押さえてくれようとしたが、肘の外側がベッドに押し付けられるため、とても痛い。肘を曲げて止血させて下さいと言う。普段採血するとき、上半身起きていて肘を腕枕の上に下ろすと、丁度良い角度におさまっていたので、気づかなかった。私は胃カメラで、一番心配だったことは、横向きに寝かされてる間、首が痛まないか、首をじっと動かないで保っていられるか自信が無かった。今朝も右首の後ろが凝るように痛み、暇さえあればゆっくり首を動かして痛みを減らそうとしていた。それが、麻酔が打たれると筋肉が弛緩し、とても気持ちが良くなった。白くて硬い検査用のベッドが、白い雲の上にいるように感じられた。検査の結果は、胃の上部にびらんがあり、ヘリコバクターピロリ菌の存在が疑われる事。検査の結果を待って除菌する。便の潜血反応検査を追加するとの事。ヤレヤレ、健康診断やもろもろの検査が嫌いで避けてきたのに、やっぱりやらされる(^^ゞ

11th VAIOのウィルスブロックが明日で切れる。一日延ばしにしていた更新を今日こそしなくては。久しぶりに1日パソコンをつけっぱなしでいじくる。ジャンクメールも山ほど削除する。ファックスも2件送られてきたので丁度良かった。(小松市広報11月号に12/2の「リウマチ講演会」お知らせ掲載決定) またもや納得いかない不思議な現象が起きてしまった。これまでFMVからVAIO内のファイルを覗くとき、VAIOのファイアーウォールを無効にしないと開かなかったのに、ウィルスブロックを更新後はその操作の必要が無くなった。何でやろう?設定自体は何もいじくってないのに。まさかウィルスブロック自体が死んでるんじゃないだろうかと心配になり、スキャンをさせてみる。OK!12月から、職業訓練用の障害者パソコン教室があり、かなりハードな日程だが受講しようと思っている。ワードやエクセルを初歩から学ぶのであるが、本当のところは、受講中インストラクターに、私の何でやろう?を尋ねて教えてもらいたいのだ。

12th 母が明日退院するのでその前に、主治医の話を聞きに行く。母は異常にハイテンションである。大部屋の人たちと色々話が盛り上がって楽しいと言う。「んじゃ、ずっと病院におるか?病気になって良かったね。その年になってひとつも病気持っとらんだら嫌われるぞ」と言うと、母は笑いながらそれもそうだという顔をした。2人の医師から話を聞く。主治医はこの病気の患者を持つのが初めてで、一生懸命本を読んできたのだと言いながら、病気の成り立ちから図を描きながら説明した。退院後もよろしくお願いしますと頭を下げてきたが、私の心に不安が起こった。先輩のS医師は、後輩のH医師に押し付けたように感じられた。H医師は週に2回大学へ帰るから、データを持って指導を受けられるからと言う。そして結局、両医師ともこの病気の専門家で無い事がはっきり分かった。これでいいのだろうか?直接大学病院の専門家の治療を受けるべきなのでは?しかし、母の、「この病院大好き!」という態度の前に、言い出せなかった。
「慶次郎縁側日記」の中の台詞…「人は苦をすると髪が伸びて、楽すると爪が伸びる」

13th 家→近所の家→英会話→銀行→デパート→病院→パン屋→家→観光ボランティア研修会→家→畑→母のアパート→スーパー→家…と一日じゅう細切れの時間で移動していた。「→」の間に、考え事をしているため、知り合いに会っても気づかずに通り過ぎて呼び止められる。こんな時、知り合いのいない都会で暮らせば気楽だろうなと思う。フルヘルメットを被ろうか?でも自転車でフルヘルメットでは余計目立つではないか。夏には叔母が編んでくれたブルーのチューリップハットを愛用しているが、どうもこれが目立つらしく、「その帽子でアンタとわかった」などと言われてしまう。
昨日NHKのラジオホットラインに投稿したけど読まれなかった。ボツになったんだと思っていたら、今日、番組の初っぱなに読まれていた。番組構成上の何かが関係してるんだろうな。

14th 南部公民館中国語講座。出かけると、先生が入院したので急遽お休みになったと言われた。「あれ?連絡無かったんだけど」と言って帰宅して(不)携帯電話を見たら、昨夜のうちにメールは送られてきていた(^^ゞ
第10回リウマチおしゃべり会、17名参加。まさよんさんに出してもらった葉書効果が大きかったようだ。そして、葉書や切手の寄付をくれる人が3人もあった。最近調子が良いですと言われる方が多く、和やかな雰囲気だ。初めて参加の方も。第一地区コミュニティセンターより、今回の芦城センターの方が参加しやすいと言う人と、その反対の人もいる。ヤレヤレ、会場に関しては、たいていこの問題が付いて回るもんだ。

15th 今日のニュースで、日本では認められていない、娘の代わりに孫を出産した代理母の事例が公表されていた。先日から向井亜紀の、米国で代理母出産された子供の戸籍裁判ニュースも流れている。医療技術の進歩は、陰で人の業をあからさまにし新たな苦を生み出している。これも一種の医源病では?
ワイドショーで向井亜紀の話題の時、ある女性コメンテーターが、「そこまで(代理母)しなくても養子を迎えるという選択肢があるではないか」と言っていた。バッキャロー、きれい事言うな!と思った。また、ある男性が46歳になって初めて産院で取り違えられたと判明し、実父母と共に暮らす権利を侵害されたと起こした裁判で勝訴するニュースもあったっけ。私みたいに乳児の頃に養子に出された者が、本人の意思を尊重せずに行われたと、当時の関係者を訴えたらどうなるの?私は嫌というほど、「血の業」を感じてきた。あの女性コメンテーターが無邪気に「養子」という言葉を使えるのが羨ましい。

16th 母が今日、私が立て替えたお金を持ってくることになっていた。朝一度家に来て、これから農協へお金をおろしに行くと言っていたので、すぐ来るのかと思ってずっと午前中待っていたが、来ない。仕方なくぎりぎり午前の受付に間に合わせて、病院へ検便を届けに行った。ホントは病院のついでにお金を持って、子供たちへの送金をしようと思っていたのだが…。夕方、母から「アンタ、家におるのならお金取りにおいで」と電話がかかってきた。ったく、母は私との取り決めを全く忘れている。というか、端から約束したとは思っていないらしい。息子への「五々の祝い金」まで付けてあげるのに、何言ってるんだという調子だ。もう銀行も閉まってるし、生理痛が酷いし、明日にする。

17th ラジオの朝4時からの「古代医術の知恵〜医心方に学ぶ」 古典医学研究家:槇 佐知子さんの話が聞きたくて、夜中に2時半に目が覚めてから、ずっと起きてることにした。やっと番組が始まって、興味深々で聞いていたのに、後半の記憶が無い(^^ゞ テープレコーダーは録音機能が壊れており、MDプレーヤーは再生のやり方しか知らない(^^ゞ 
母がお金を持ってきたので、子供達への後期授業料を払い終える。今回で二人分を支払うのが最後だ。娘が「後期なんて1回も授業が無いのに『授業料』払わんといかん」と言った。えーっ、ぼったくり!その点、息子は去年、落とした単位を後期で必死に拾っていたからなぁ。子供達が小学校の時、給食では息子がいつもお代わりをし、娘は小食で減らして盛り付けてもらっていた。二人で給食費のバランスを取っていたのを思い出した。

18th リウマチ友の会役員会。金沢でのおしゃべり会が、「金沢市社協情報」に取り上げられ、前支部長が来週、知事賞をもらうことになった!(^^)!
汽車の時刻に合わせて早退してきたのに、駅で丁度息子からの電話を受けていたら、改札を通るとき、汽車が発車するのが分かった(^^ゞ 息子からの電話が「魚送ったよ」という良いニュースだったから、まだいいんだけど。小松駅からの帰り、自転車で帰宅を急いでいると、後方でガッシャーンと大きな音がした。同じ方向を走っていた、オジサンと女子高校生と私は、同時に停まり振り返った。ワンボックスカーがぶつかって停車しているのが見えた。女子高生と私はそのまま帰路を急いだが、オジサンはUターンして野次馬に行った。 

19th 息子から、氷に埋めるようにして、大きな魚が3匹(鯛・グレ・名前の知らないブリ系)届いた。夫にメールして早めに帰宅してもらう。今日食べる刺身の分、明日食べる分は昆布〆にして、醤油と酒に浸して…内臓を出したグレは明日しゃぶしゃぶで…残はアラ炊きで…。台所を鱗だらけにして、とにかく処理は終えたが、食べる頃には魚の臭いでお腹がふくれていた(^^ゞ
最近、熨斗紙の文字は、ハンコか印刷文字が多いが、今日頂いたのは手書きで、特に「快」の字が「快気祝」の感じが出ていて面白い!包装紙も、丸岡の「一筆啓上賞」の作品が印刷してあり、捨てるに惜しく見入ってしまった。

20th 英会話の後、引越しするMさんの送別会で「つづら」へ行く。玄関まで行って驚いた!10月から引越し!張り紙で場所を確認してあわてて移動する。新店舗は、個性的な住宅が立ち並ぶ、千木野の静かな住宅街の中に埋もれるように目立たずあった。この住宅街に来るのが初めてで、辺りを眺め回すのに忙しかった。お店は繁盛していて、カウンター席だったにもかかわらず、4人は普段英語では話し切れない、色々な事をしゃべった。Yさんの娘さんは、27歳で結婚後、夫の理解の下に大学院へ一浪して入学し、臨床心理士の資格を取ったと言う。その間、夫の転勤があり単身赴任までしたそうな。今は育児で家庭にいるが、いずれ職場復帰するつもりで、研修会などは継続して参加しており、その間、夫は育児をしている。…若い世代は、確実に変わりつつある。

21st 息子が送ってくれた魚は、正しくは「真鯛・イサキ・シマアジ」だと今日わかった。特にシマアジは超高級魚で、魚屋には売っておらず庶民の口には入りにくい魚なんだそうだ。食べてしまってから知った(^^ゞ
娘がY病院へ就職試験を受けに行った。夕方帰ってきて、その2時間後合格通知の電話が来た。え〜!いくら何でも早すぎない?娘は先週、母校の大学病院の試験も受けていて、そっちの方も多分大丈夫なのだそうだ。で、そこで大いに迷っている。先進医療で大規模の大学病院と、自宅に近くユニークなY病院とを天秤にかけている。大いに悩め〜。

22nd あさって、リウマチ友の会の行楽会、ロイヤルホテルで午前の1時間暇がある。何をしよう?役員会で「リウマチ」の折込都都逸をしようと言ったが、却下された。で、どうする?全員が参加できて、適度に体を動かせて、分かりやすく、笑いが取れて、あまり道具が要らないもの…で、「どっちの料理ショー」と「リウマチいろはがるた」にした。買い物のついでに、糊付きメモなどは買ってきたが、カルタの方がなかなか完成しない(^^ゞ 丑三つ時に起きだして、頭を絞って何とか完成させる。

23rd
 リウマチ友の会の行楽会と温泉療養:年々身体能力が落ちていて、私の車に乗りにくくなってきているが、小松から4人を乗せて出発。金沢で19人が福祉バスに乗り込む。氷見市の海浜植物園で、息子が研究している「イタセンパラ」が水槽に泳いでいるのを見た。私には、どうしてもただの雑魚にしか見えない(^^ゞ 氷見漁港でクルージングの予定だったが、波が高くて出航できなかった(^^ゞ その後、福祉バスに乗ってから失敗した。寝不足解消していたら、隣の人から「どっちに向かっているの?」と聞かれて、「北だよ」と答えてハッとした。違う、山越えルートだ!支部長が富山出身で、運転手の後ろに座っていたので、てっきり運転手さんに指示しているものだと思っていたのだが(^^ゞ 残念!せっかくの海岸沿いの景色を見る事が出来なかった。でも、能登ロイヤルホテルには早めに着いたので、ゆっくり出来た。小松のYさんと同室。で、話していてまた小松が狭い事を知る。昨年観光ボランティアで航空プラザへお客さんを連れて行ったら、受付で、元パイロットのYさんに案内をお願い出来ないかたずねる様言われていた。「Yさん」は彼女の夫だったのだ!大浴場でOさんが髪と体を洗ってくれた。自分が出来なかった頃、人に洗ってもらったから、今度はそれを人に返すのだそうだ。さすがリウマチ、出来ないところがちゃんと分かっている。動かない手の反対側を重点的に洗ってくれた。じゃ、私もどこかで誰かに返していかなくてはね。情けは人のためならず。 

24th さて、問題のゲームの1時間。「どっちの料理ショー」は、さすが女性で料理に興味のある人が多いので、ウケた。味のついていないおでんや、カレー粉もライスも無いカレーライスが出来あがって大笑いとなる。「リウマチいろはがるた」は間違いがあったり時々すべったが、1枚読むごとに全員で「痛いの痛いの飛んでいけ〜!」を動作付きでやったのが、とても良いリハビリになったようだ。ただ、ホテルの立派な会議室でこんな事やってる私達って、知らない人が見たら、あやしげなカルト集団だと思うに違いない。帰りはサービス精神満点の運転手さんで、千里浜を、波が被るくらいの波打ち際を走ってくれ、バスは「キャーッ!」というオバサン達の歓声に満ち、昨日のリベンジができた。毎年思うことだが、この催しに参加する「一期一会」の縁。Tさんが無くなった事を知らない人がいて、ほとんどはTさんより年上の人なので、「まだ若いのになぁ」とそれぞれTさんの思い出話にしんみりする場面もあった。

25th 男女共同参画推進員の会合とこまつレディースネットワークの理事会が、完全にカブッた。幸い同じ芦城センターであったので、先に推進員へ顔を出し、後半レディースネットワークに出る。レディースのパンフレットの叩き台に、意見を言ってもらう。奇しくも代表が沖藤典子(11/26フェスタの講師)である「かながわ女性会議」のパンフレットをパックって作ったが、やはり小松の実情に合わないところが多々ある。フェスタのポスターやチラシなど資料で重くなったバッグを持ち帰ったのだが、まだチラシが足りない。

26th
 昨日のパンフレットを作り直しながら、印刷してくれる印刷屋さんと打ち合わせする。最初の見積もりより、紙質を落としたので安くなるが、片面をカラー印刷にするので高くなる。データはWindowsのデータの場合、イラストレーター・フォトショップ以外は変換作業が必要となり、その料金も加算される。改めて見積もりし直してもらう。二日後連絡があり、最初の見積もり金額内でやってくれることになった(^_^)v

27th 観光ボランティアガイドの研修会。小松市→滝が原の八幡神社→福井県へ→大谷寺→「泰澄の杜」→斎藤家→丸岡:実盛池・実盛塚・天皇堂(継体天皇)…とてもマニアックな研修だったが、これまでで一番面白かった。大谷寺の住職の説法が面白く、いつもはお賽銭をケチる私だが、気前良く五百円玉を投げ入れてきた。また斎藤家では、この研修を企画したI先生がてっきり死んだと思っていた、斎藤実盛の子孫、十郎さんがニコニコと出てこられ案内してくれた。最後には、邸宅に上げてもらい、骨壷を見せてもらい、お茶を振舞ってもらい、挙句に奥さんから手作りのちりめんの梟の置物をもらってきた。丸岡の観光ボランティアガイドさんは、専門が考古学・古事記や日本書紀で、話が大らかに下ネタにそれる。「今日は女性の方もおいでるので、この話は出来ない」と思わせぶりな口調で言う。余計に気になるやん!

28th 「企画力120%アップ 行列の出来る講座とチラシの作り方」を受講する。講師は牟田静香さん(NPO法人 男女共同参画おおた)と吉田清彦さん(フリーライター・調理師)。一緒に行ったKさんは一般参加で、受講料1000円を出したが、私は男女共同参画推進員で免除された。1000円出してもちっとも惜しく無い講座だった。どうしてこんな講座をもっと早くやってくれなかったんだと言いたい。こまつレディースネットワークのパンフレットを添削してもらう。「メンバーを募集する前に、もっと講座をたくさん開いて人を集める方が先」と鋭く指摘された。はい、そうなのです。連続講座を開きたいと、ずっと思っているのに、なかなか実現しない。男女共同参画フェスタのチラシは、ダメダメチラシの見本であるかのようなひどいものだという事が、Kさん、市役所から参加したMさんと共に、嫌というほど思い知った。行政のお仕着せ・押し付け・要らぬおせっかい・男や女を「ひと」と仮名打つ陳腐さ・ターゲットが広すぎる・参加者のメリットが明確で無い・チラシ棚に置いたときに見える上から5センチに何も書いて無い…もうケチョンケチョンに殴られた感じ(^^ゞ まぁ、しかし、とにかく理想はさておき、今、私達が出来るところの最善を目指すだけ。

29th 明日は半年に一度の大型ごみの収集日だ。夫と共に、使っていない5台の自転車のうち3台を捨てる準備をする。また、納屋に溜め込んだごみの分別をする。夫に分別のパンフレットを渡したが、一々調べながらでは面倒くさいと言うので、夫が手に取るごみを横で「燃やすごみ!」「埋め立て!」「容プラ!」と叫ぶ係りをする。納屋の前を通りかかった叔母から「何をしている?」と聞かれたので、「ごみの教育!」と答える。子供達が小学生のとき使ったスキーと靴が出てきたので、きれいにして金沢のリサイクルショップまで持っていたが、受け取りを拒否された。

30th 
外科と内科を受診。先日の胃のレントゲンや胃カメラの正式な結果を聞く。ヘリコバクターピロリ菌は(−)だった。リウマチの方は相変わらずボチボチで前回のCRPは1.4。その頃夫は口腔外科へ行って、親知らずを抜いてもらっていた。情け無い声で「処方箋をもらったんやけど、どこ行けばいいんだ?」とか、その後は「まだ血が出るんやけど、お前が抜いたときはどうやったんや?」と電話をかけてきた。私が親知らずを抜いて顔を腫らして酷い目に合っていた時、冷たかった夫の態度を思い出した。帰宅しても風呂も入れず晩酌も出来ずに、ただ頬に手を当てている夫に、「だ〜か〜ら、とっくの昔から親知らずを抜くのは大変やと何遍も言ってるだろうに」と嫌味をこめて言った。

31st 市の審議会のメンバーに推された。前任者のTさんに電話をかけて話を聞いた。Tさんは数年前、私が女性協議会で意見発表した頃から注目していて「アンタは自分自身の言葉でしゃべれる人やから推したのよ」と言ってくれた。買いかぶりすぎだと思ったが、自分自身の言葉を捜しているのは事実で、いつもそれでもがいてる。それを認めてもらえたのはとても嬉しかった。迷っていたが踏み出すことにした。肩書きをブラブラいっぱい下げてる、年かさの人達の中へ入って行って何も言えないかもしれないが、「とにかくどんなものか一遍見ておいで!」と、Tさんにドンと背中を押されて、受ける事にした。
娘は、大学病院とY病院の両方から就職内定をもらい迷っていたが、今日が両方の締切日だ。昨日の電話では、大学病院に決めたと言った。じゃ、Y病院を断るなら、狭い小松のことだし将来もしかして何かでお世話になるかも知れないから(実際、私は友の会の件でこの病院と関わる事がある)、丁寧に断るよう言っておいた。娘は書類の提出が間に合わないので、直接Y病院へ持って行った。すると事務室から看護師長へ通された。看護師長は、娘の顔を見るなりフルネームで呼び、希望部署まで覚えていてくれたそうだ。そして「どの点が不安でこの病院を選択しなかったのか、聞かせてほしい」と…で、結局娘は、大学病院を蹴って、Y病院に決めるという、どんでん返しをした。この報告を聞いて一番喜んだのは、母だった。孫が小松にいると言うだけで安心らしい。私は実際どっちでも良かった。どっちも一長一短に見えたから。娘が帰ってくるのは嬉しいが、弁当作りがまた始まる(^^ゞ 食費・高熱費分として一日1000円、家に入れるよう、娘に言い渡した。

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