小松駅〜 座席に座るとすぐに車内販売が来た。コーヒーを買ったところへ車掌が「乗車券の拝見」に来た。車掌が言った。「お客さん、ここは4号車の5番です。お客さんは5号車4番の切符です!」早くも列車内で「!?」旅行社で切符を購入するとき、「障害割引使うより関空パックを買った方が、少し高いだけで座席指定もみんな付いててお得ですよ。」と言われてお任せした。だから乗り込んだ列車がグリーン車であっても「へー関空パックはスゴイや!」と疑問に思わなかった。乗車券と熱いコーヒーを手に持ち、キャリアーバッグをヨロヨロ引きながら隣の車両へ行った。駅を出て相当経ってから座席を探している私へ、周囲から注目が集まった。
関空 夫を見送りに来た時より混んでいる。早めに列に並んで出国手続きを済ませた。ついこの間事故がたて続けにあったばかりのCA機の搭乗口へ向かう。アナウンスが中国語と中国語なまりの英語で、もう日本じゃない気分!
CA機内 3時のおやつ的機内食が運ばれてきた。乗務員に薬を飲むために水をお代わりすると、ジャボジャボこぼしながらくれた!隣のおじさんがささやいた。「あんた、これが中国式いうもんや!」最初何のことかわからなかった。が、この後中国の旅が進むに連れて、その意味を思い知らされる。隣席の人は京都の人で何度も中国へ行ってると言う。「愛想が悪い、サービス悪い、謝らない、おまけに汚い。」と中国の悪口を並べ立てた。「何でそんなに悪口言うのに何度も中国行くんですか?」と聞くと、「そりゃ中国は大きいからよ。何回行ってもまだ見足りんよ。京都なんか勝負にならんわ。」と言う。(国と一都市じゃ単位が違わない?)
入国カードの滞在先欄を書こうとして、ホテルの名を知らないのに気付いた。隣席の中国ベテランは「適当に書けばいい。僕はたいてい北京飯店。泊まったこと無いけど。」と言った。
上空から眺めると、きれいな緑が見えるところは、日本ではゴルフ場。韓国は畑。中国にさしかかると景色全体が黄ばんできた。
北京首都空港 検疫を通るため、カードを手にしながら並んでいると、別に立っていた係員が中国語で「日本から!」と日本人を指さしながら叫んで、カードを受け取る係員に教えていた。私も指を指されて叫ばれた。何でそんな事するの?感じ悪〜い!カードを見りゃわかるでしょ?入国審査も行列。少しでも短い列に付こうとみんな走る。ベトナム人らしき団体がいた。彼らはペチャクチャしゃべっていてもダッシュは機を逃さず早い!
さてここからが不安だった。迎えの中国人と会えるかどうか?名前も顔も知らない。向こうが私の名前のカードを持って待っていると聞いてるだけだ。出口には迎えの人だかりが出来ていて、一人がやっと通れるくらいの通路しか空いていない。中国語・英語・韓国語などのカードが乱舞していて、目眩がしそうだった。イタリア語らしきカードを持った西洋人が「マダム、ヴェロ・・・?」とか言いながら近付いてきた。(わたしゃ日本人じゃ!あほ!)「Sorry,no!」と言ってよけると、また別の派手なカードが前をふさぐ。迎えの中国人はどこだ〜!?と叫びたくなった頃、自分の名前のカードが見えた。日本語を話すガイドの陳さんと運転手の宋さん。(あんたらもうちょっと目立ってよ!)
夫の飛行機が到着するまでにまだ間があるので、一旦ホテルに行ってチェックインしようと言う。宋さんと陳さんは私の荷物を持って早足で駐車場へ向かう。その後ろについて行きながら早くも中国式の交通ルールに出くわす。とにかく車はクラクションを鳴らす!人がいても止まらない!割り込む!譲らない!
宋さんは高速道路を割り込みながらぶっ飛ばす。時々路肩に車が止まってる。「何してるのですか?」と尋ねると陳さんは「車は故障します。」と当然だという顔して言った。料金所は派手な中国風ゲート。料金所で働く人が、日本のように中高年でなく、若い男女だ!
陳さんと宋さんが会話し出すと全くわからない!彼らの舌はどうなってんだろう?常に宙に浮いている感じだ。これが「方言のアル化」かな?
燕翔飯店 フロントで手続きを済ませると、陳さんが「ホテルで休んでいて下さい。」と私に言った。「え?私も迎えに行くよ!行く!」と強く言った。(周りが中国人しかいないとこに一人でぽつんといられないよ。せっかく中国まで来たのに早く夫に会いたいよ!)陳さんと宋さんはヤレヤレという顔をしたが、連れて行ってくれた。
再び北京首都空港 空港の案内板に夫の乗った南通からのCA機が1時間遅れと表示されていた。宋さんと陳さんは喫煙所へ行ってしまった。ロビーに座ってしばらくマンウォッチングをしていたが、関空で国際電話を掛けられるカードを買ったことを思い出した。無事北京に着いたことを家へ知らせようと、公衆電話を探した。説明書を見ながらかけようとすると1元コインが必要なことがわかった。100元札しか持ってない。近くの旅行社のカウンターで両替しようと近付くと、横から中国人に「タクシー?タクシー?」と声かけられた。空港に強引なタクシーの客引きがいると聞いたことがあるので、きっぱり言った。「No!」
旅行社の受付に英語で両替を頼んだが、今度は私が「No!」と言われた。そして「At the bank over there!」と別のカウンターを指した。なるほど「中国銀行」があった。そこへ行って再度英語で両替を頼むと、OLは後ろの事務所へ引っ込んでしまった。あれ?どうしたの?と口を開けて待っていたら、別のOLを連れてきた。英語のわかるOLを連れてきたようだ。100元札を見せて電話をかけたいのでコインへの両替を頼んだが「No.」と言う。「why?」と聞いても「No」の一言。らちがあかない!(せめて申し訳ございませんくらい言ってよ!「No」だけじゃとりつく島もない!)あきらめた。
宋さんが来て、もう少しだというジェスチャーをした。私もうなずいて案内板を見あげた。ところが予定の時刻になってもなかなか到着ランプがつかない。そのうち、更に遅い予定時刻の飛行機まで到着し、どんどん乗客が降りて来た。夫のCA機の欄だけポツンと置いてけぼりをくっている。だんだん不安になってきた。10日くらい前のCA機事故のニュースシーンが浮かぶ。私の「係りの人に尋ねてきて欲しい。」と、陳さんの「座って待ちましょう。」を同時に言いかけたとき、丁度到着のアナウンスがあった。中国語の便名がなぜかこの時はハッキリ聞こえ一緒になって数字を読み上げた!結局2時間近く遅れた。
で、私は人混みを分けて出口の一番前のフェンスまで行って夫を待った。彼らにまかしといたら、きっと夫も見つけるのに苦労するから。
夫が中国人に混じって出てきた!全く中国人に同化している!中国へ来てから現地で買ったファッションで固めているからかな?手を振ると夫は近づいてきた。
「迎えはどうした?どこだ?あ〜疲れた。お前エライ年寄りくさい格好してきたな。・・・」と相変わらずせわしなくしゃべり出した。そして宋さんを見つけると寄っていって二人は握手した。(な〜んだ、知り合いなんだ!)前に北京に来た時も運転手だったのだそうだ。「陳さんは?」と聞くと宋さんが電話をかけるジェスチャーをしながら、すぐに夫の荷物を持って歩き出した。夫は「宋さんだけで十分だよ。何でガイドまで付けなきゃ行けないかな?」とブツブツ言った。そして携帯をかけてた陳さんを見ると「アイツいなくてもやってけるのに。」と言った。が、しかしこの後、陳さんには十分お仕事してもらい、快適な旅になった。
はじめての北京の夜 再び燕翔飯店にもどり、夫の荷物を部屋に入れた。夫は私が笹の押し寿司を日本から持ってきたと知ると、これから食事に行こうとしてるのに2つも頬張った。しかし、これは正解の行動だった。
4人でてくてく歩いてホテルの近くのレストランへ行った。これから3泊する間に、この通りのレストランを1軒ずつ食べ歩くのだと言う。9時過ぎていたので店は空いていた。
テーブルに座って、それからが長かった!宋さんがメニューを見ながらあれこれ指さして小姐に尋ね、宋さんが「これにしよう」とすると陳さんが私たちの方を見て「これはダメだ」という顔する。その間のやりとりは、例の舌が宙に浮いた中国語で、少しもわからない。夫に「分かる?」と聞いたが「ぜ〜んぜん!」と答えるのみ。
一体このメニュー会議はいつまで続くのだろう?と心配するくらい長かった。が、これは初めてだから長いと感じただけで、この後彼らは食事の度に更に熱心にディスカッションした。
やっとメニューが決まってビールを注文した。
「青島ビール」がうまい!夫たちはしきりに中国式に乾杯をして飲んだ。
宋さんも陳さんも天津の人で、陳さんは日本で日本語を勉強し、何度も日本へ行ったと言う。日本に中国人の奥さんが住んでおり、今年の3月も日本にいたそうだ。夫は巳年で私が戌年の夫婦だが、彼らも丁度一回り下の巳年(宋さん)と戌年(陳さん)コンビだと言うことが分かった。明日からの大まかなスケジュールも決めた。料理は極限の空腹も手伝って、どれもこれもおいしかった。テーブルにおかれた急須の口が欠けてるのがちょっと気になったけど。これ以後も、
中国では完璧な急須に一度もお目にかかれなかった!どこか欠けているか、欠けていなくてもものすごく裏漏りするヤツしかなかった。
レストランの出口の横は、特別区でフェンスで囲まれた一画だった。その門の前に乞食の一団がいた。コインの入った紙コップをジャラジャラ鳴らしてせがんでいた。夫は私を引っ張るように足早に歩いた。宋さんがおばあさんの乞食に捕まって、何か大声で言い合っていた。
ホテルに戻って着替えてくつろごうとした。が、どこを探してもバスローブが無い!「中国のホテルには無いのが普通なの?」と夫に聞くと、今まで泊まったところにはみんなあったと言う。フロントに電話をかけて
英語で「バスローブが無い!」と言うと「バスタブ?」と返ってきた。え?私の英語の発音が間違っているの?「b-a-t-h-r-o-b」と私は綴りを言った。すると「ハウスケッパー!」と言って電話が切れた。しばらくしてノックが聞こえ、若いボーイが立っていて、中国語だか英語だか分からない言葉で話しかけてくる。何度も「バスローブが欲しい。」と英語で言うが通じない。横から夫が出てきて「お前の英語も大したこと無い!」と言って陳さんの部屋へボーイを連れて行き、通訳してもらった。で、このホテルにはバスローブのサービスが無いことが、ようやく理解できた。
はぁ〜、長い一日だった!
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